【言論NPO座談会 議事録】課題解決に向けた政治を目指すための一歩に ~衆議院選挙を前に考える、日本の民主主義、政党政治の現状と課題~

2017年10月04日

2017年10月2日(月)
出演者:
内山融(東京大学大学院総合文化研究科教授)
網谷龍介(津田塾大学学芸学部教授)
竹中治堅(政策研究大学院大学教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)


kudo2.jpg工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。今日は目前に迫った総選挙、そして日本の民主主義の問題について議論したいと思います。早速ゲストを紹介します。まず私の隣にいらっしゃるのが、東京大学大学院総合文化研究科教授の内山融さんです。そして津田塾大学学芸学部教授の網谷龍介さん。最後に、政策研究大学院大学の竹中治堅さんです。よろしくお願いします。

 さて、10月28日の衆院解散から、野党第一党の民進党中道右派の「希望の党」への合流、リベラル派の新党「立憲民主党」の立ち上げなど様々な動きについて議論をしたいと思います。

 私も驚いたのですがまず解散が行われた。そして民進党は「希望の党」に全員で合流しようと思ったが、なかなかそうもいかなくなり、新党が出来た。こうした状況を、皆さんどうご覧になっているか、お聞きしたいのですが、内山さん、いかがでしょうか。

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政党政治の閉塞感は世界的傾向

内山1.jpg内山:これは日本だけでなくて世界中でも言えると思うのですが、政党政治の閉塞感ですよね。これまでの既成政党では駄目だということで、アメリカではトランプが出てきましたし、イギリスでは Brexit(ブレグジット)と呼ばれたEU離脱が起こりました。そのように今、非常に政党政治が流動化している、一言で言うとそういうことだと思います。

工藤:網谷さんはどうでしょうか。

網谷:私は日本の専門家ではないので、やや外から申します。私はドイツを専門にやっていて、かつて日本も、いつかそう[ドイツのように]なるといいなということがあったわけです。しかし逆に今は、ヨーロッパにあった政党政治というものが、ある意味、社会的な前提があって初めて成り立ったんだなということが、日本を見るとよく分かる。ルールには書いてないけど、やらないことって沢山あったのですが、日本を見ていると、こういう事もありなのかと思ってしまう。そういう意味で、政党政治って、実は支えるのがなかなか難しいということを、今回の日本の件を含めて世界で起きている事が示しているように思います。

工藤:では竹中先生、どうでしょうか。

竹中治堅.jpg竹中:既に多くの方が散々ご指摘されたように、安倍さんは今、解散したら有利だなと思って解散したら、追い詰められた。小池さんも「希望の党」を立ち上げて、もう少し準備に時間をかけようとしていたと思うのですが、民進党の中で結構、揉めていたのが、ピンチであるからといって起死回生の手に出たと思ったら、結局、またそれで上手くまとまらないということが起きた。ただ一つ、自民党に対抗する大きな核となる「希望の党」が、ここまで勢いを持つようになったというのは、安倍さんにとっても意外だったのではないかなと思います。


説得性がない解散理由

工藤:現実的な政策課題を共有して、政党競争が行われるというのが、政党政治の歴史から見れば、一つの大きな変化であると言えるとも思うのですが、ただあまりにも今回の変化に関しては戸惑っている人も多いと思います。その一つは解散の問題。それから、党の全体的な身売りのような動き。こういうことがありなのかと。まずは解散の問題についてなのですが、これは網谷さんも先ほどそういう認識を言われたと思うのですが、国民は、選挙で自分たちの選びたい政治家を選び、その選ばれた政治家が、総理を選んでいくという流れになるのですが、その選んだ国会議員が、こんな形で首を切られるのかという話ですね。確かに、首相が何かの理由で解散し、それに対し全く何も出来ないということの方が、違和感があるのですが、しかし、今回の解散理由に関しても、なかなか説得性がないという問題。これをまずはどう考えれば良いのか。そして次に、党というものがこんな形で身売りというか、分解されていくということがあり得るんだろうかと。これはおそらく企業で働いている人たちもそう思うのではないですか。企業というものが集団で違う方向に行くと言って、その結果、無くなってしまえば非常に驚くと思います。この辺りについて、網谷さんからお願いします。


足腰が弱く、組織として不安定な民進党だからこそ出来た党の身売り

tunaya2.jpg網谷:解散権の話に関しては、今回の解散という行為と仕組みは、別々に論じる必要があると思います。仕組みに関して言えば、たしかに日本の仕組みは、元々は昔のイギリスから持ってきたものなので、今となっては珍しい仕組みだと思います。しかしそれを認めている以上は、今回の安倍首相の解散がおかしいという理屈はあまり通らないんじゃないか。なので、その運用・ルール自体を変えるということであれば、それは有り得るとは思いますが、今回の解散自体がおかしいというのは言い過ぎではないかと思います。その上で民進党の身売りというのは、やはり民進党が、自民党あるいは公明党と比べても足腰が弱い政党だからこそ出来る事であって、もう少し社会組織として多くの党員がいて、がっちりとした支部があるようなところでは、なかなかやりたくても出来ないだろうと思うので、これはある種、議員中心の政党ならではの事だと思います。

工藤:社会組織として、きちんと基盤を持っていなかった不安定さがここで出てしまったということですね。

網谷:新しい政党で、結局そこまで手が回ってないということですよね。

工藤:内山さんはどうですか?


解散権の自由な行使には一定の歯止めがあるべき

内山:まず解散権の問題について。首相の解散権、自由に解散権を行使できるということを是とするか非とするかは、実際政治学者の間でも意見が分かれる問題であります。今まで自由に首相が解散してきた。これ自体には問題がないという見方もありますが、私は解散権の自由な行使には一定の歯止めがあるべきだと思います。例えば、イギリスでは固定任期法というのがキャメロン政権の時に出来て、首相の自由な解散ができなくなったわけです。どうしても解散したい場合は、この前のメイ首相みたいに国会でちゃんと決議をとらないといけない、という仕組みにしているわけです。それで今回、野党が、あれは「大義なき解散」だと言っていることは、解散権を問題化するという意味では非常に重要だと思います。中長期的に解散権をどうするか、という問題提起をしているという意味では、野党の問題提起の意義があったと思います。

 それから政党の問題についてですが、網谷さんがおっしゃったように、日本の政党というのは根無し草なんですね。組織がしっかりしていると言われている自民党も、実は議員個人が持っている後援会、つまり個人が組織を持っていて、その政治家が集まって政党を作っているわけです。ですから90年代、あれだけ自民党の離党とかが相次いだのも、要は議員とそれにくっついた後援会が丸ごと移動するということが出来るからですね。これは、ヨーロッパの政党みたいに政党自体の組織がしっかりとある場合は、そう簡単に離党などは出来ないんです。そうするとやっぱり日本の政党構造が与える影響は大きいと思いますね。

工藤:竹中さんはどう思いますか。


「ネオ新進党」、「ネオ民主党」
  ――野党保守派とリベラル派の相克

竹中:解散に関しては網谷さんたちと同じ意見で、これは戦後ずっとやってきたことなので、今更それをおかしいというのは変かなと思います。特に2014年12月に解散してから2年以上経っているので、4年任期ですからもう解散してもいい時期に来ているので、そんなに変な話ではないと思います。それから政党組織に関しては、今度の民進党の分裂、「希望の党」への合流の話については、その政党組織が弱いということに関しては全く同じ意見なのですが、今回のを見ているとやはり、94年に政治改革をやってから96年9月に解散され、その後に民主党が結党されるのですが、その約2年かけた政界再編を、一気に一週間ぐらいでやったなという印象を持っています。どういうことかというと、まず最初に自民党に対抗するために「日本新党」という割と保守的な人たちプラス「公明党」で「新進党」を作って、そこに入れない、いわゆるリベラルの人たちが、これはまずいといって民主党を作った。今回も保守系の人たちが新しい保守の党「希望の党」、私は「ネオ新進党」と呼んでいるのですが、それを作り、それに対して民進党の保守系の人たちは、これはまずい、と全員合流と言っていたんですが、細野さん、長島さん、前原さんも心情的には保守なのでそっちに行ってしまう。しかし、やはりそれについていけない人が出て来て、枝野さんと菅直人さんが新党を作るといって「立憲民主党」という、「ネオ民主党」が誕生するということです。
これはどういうことを表しているかというと、やはり自民が強いんです。組織は弱いかもしれないが、商店街の応援もあるし、地場の中小企業も支持母体として持っているし、あと工務店さんなんかも支持母体として持っているので、それに対抗しようとすると二つの選択肢があって、第二保守党を作る。そうすると、そこを受け皿として、吸収出来ないリベラル、中道左派の人たちが溢れてしまうので、その人たちで固まろうとする。そうすると対自民勢力が二つに分かれてしまい、なんとかしなければいけないと民主党のような保守とこの中道左派が一緒になると、また、まとまりがないと言われて分裂してしまう。これを繰り返していて、今回、またこれが始まったと言う感じですね。

工藤:ということは、竹中さんから見ると、今の問題は確信犯的で、つまり初めから、民進党は二つに分裂するような動きだったということですか。初めは、全員で合流というストーリーを描いていましたよね。


第二保守党の限界、「連合」の支持は?

竹中:全員が合流というのは最初から描いていたとは思いますが、やはり日本の社会構造的に、第二保守党ではまとまりきらないんだと思います。だから第二保守党に行ったとしても、中道左派の人たちはそれを不安に思うから、やはり全員合流というのは最初から無理があったと思います。

工藤:内山さんどうですか。なんかそれは詐欺じゃないか、というふうに思ってしまいますが。

内山:一つ、民進党の支持基盤である連合の動きが若干微妙です。連合は都議選の頃から小池さんのことは支持していました。「希望の党」への合併も最初連合は支持するという話だったのが、どうも勝手が違うということで、現在はやはり支持できないという方向に行っていますよね。民進党の支持基盤自体が動いているということが、その混迷に追い打ちをかけているような気がします。

工藤:網谷さん、確かに政党に違いはあるし、日本のそれは根無し草だという状況はあるんでしょうが、日本の政党というのを、どういうふうにご覧になっていますか?


政党組織作りの難しさ

網谷:先ほどヨーロッパから、というお話をしましたが、確かにドイツあたりから見ると不思議なところというように見えるんです。他方、すぐ隣に共産主義体制から民主化した国が沢山あり、そういう所から見ると、政党政治ってそうなってしまうのか、という事例は多くあります。例えばチェコ、ポーランド、ハンガリーあたりは皆そうなんですが、新党が出ては消えるとか。急に個人の人気で世論調査2位、3位になってしまうというのが、頻発しています。それは、日本の政治風土を見ている人間からすると不思議ではないが、ヨーロッパ人から見ると非常にわけがわからない。民主主義がちゃんと定着していないんじゃないかと思われるわけです。政党組織を作るというのはどこでもやっていたけど、なかなかうまくいかないというのは、上から政党を作ろうとしても難しいものなんだということを、改めて、日本社会にいるヨーロッパ研究者として思い知らされたような気がします。だから、そこを作らなければいけないんだと言っても、なかなか上手くいかないのが難しいところです。今となっては西ヨーロッパにもそういう傾向が出てきているので、世界的に見ても非常に難しい問題だと思います。

工藤:そういう一面があるのは分かるのですが、ただ内山さん、今回の「希望の党」の入党条件を見ると、今まで民進党が唱えていた政策と全然違う政策を唱えていて、そこに入るっていうことを、どう考えればいいのでしょうか。つまり政党というのは、少なくともある程度政策を出し、それを支持する民意と連携する中で、一つの社会的な基盤を作っていくものなのに、それを全て捨ててしまうということはなぜ起こるのでしょうか。


政策よりも雰囲気?

内山:さっき申し上げたように、政党政治の閉塞感というものと関係していて、もう今の政党じゃ駄目だと。とにかく新しいものへ新しいものへ、ということなんですね。今までなかったものを提示した小池百合子さんは「ゲームチェンジャー」などと呼ばれていますが、彼女だったらこの閉塞感を打破してくれるのではないか、という期待ですよね。どこに行くかわからないけど、とにかく今よりは良いのではないかという期待感なんじゃないですか。

工藤:それは政策に対する評価とは全然違う、雰囲気に対する評価になっているということですね。

内山:ええ。


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「寄らば大樹の陰」で生き残りの選択

竹中:繰り返しになりますが、全員合流っていうのは、そもそも国会議員中心の集団なので、そういう意思決定が出来てしまう。民進党というのは、前原さんになってから井出さんというブレーンを得て「All for All」というのは、それなりに考えている政策だったと思うんですが・・・民進党・民主党という名前のブランドが、多分、民主党政権が国民の期待にいまいち応えられなかったというのもあって、やはり政策よりも、新しいという雰囲気で、目先の総選挙で自分たちが生き残るということを選択しまうと。だから有権者を甘く見ているというか、政策そっちのけで新しい看板の下で戦えば自分は当選できるのではないか、と思ってしまう。そして小選挙区制度というのは、大政党に有利なので「寄らば大樹の陰」という動きが出たら、そっちに行こうという考えで、皆一度そっちにいってしまったんじゃないですかね。

工藤:自民党のどなたかが言っていましたが、自分の政治家という仕事を維持するために行動していると。でも政治家という仕事は、国民の代表として、課題を解決するという責任が本来は無ければいけないでしょう。政治学においても、


政治家は木から落ちたら・・・

竹中:いや、ただですね、大野伴睦大先生が、「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は落ちたらただの人だ」とおっしゃったように、政策をするにも、まず政治家でなければ出来ないので、やはり当選するために何が今一番合理的な方法かと考えた時に、この「希望の党」というのがあって、風が吹きそうだと思ったら、そっちに飛び込んでしまうということです。

工藤:内山さんにお聞きしたいんですが、竹中さんがおっしゃった話は非常に理解出来るんです。つまり、自民党が非常に強い中で、野党の中で一つ大きなグループを作っていかなければいけない。しかしそれが、国民から支持されていかないと、結果として政治不信というか政党離れが起こってしまう。そして、かなりポピュリスト的なリーダーシップだけを期待するという危険性を感じませんか。

内山:ええ思います。政治家として仕事を続けなければいけないというのはもちろんですが、やはり国民のための政治家ですから。そのバランスですよね。そのバランスを今、失しているような感じがします。



工藤:私が一番気になっているのは、日本の民主主義は一体どうなっているのか、ということです。私たち言論NPOは、様々な国と世論調査をやっているのですが、それを見ていると去年あたりから、日本の国民が、将来に対して不安を抱えているというのが明らかになっています。約6割が自国の将来に不安を抱えているんですね。少子高齢化という問題に関して、適切で有効な政策が出ていないと。それから北東アジアの安全保障的不安もあると。そこで問題なのが、その解決を政党政治に期待出来ますかと聞くと、期待出来ると答えた人は20%しかなく、約6割が期待出来ないと答えている。これは他の国と比べてもかなり多いわけです。しかし他の先進民主国での調査でもわかったのですが、国民が選ぶはずの政党政治や国会に対する信頼が、至る所で減少傾向にある。それとは対照的に、例えば軍隊、日本でいうと自衛隊や警察の方に信頼が集まっている。この動きというのは、トランプ現象や欧米の民主主義の問題があっても、日本は別だなというふうに見ていたのですが、日本でこそ、そういう動きがあるという問題があるわけです。皆さんは政治学者として、色々なことを観察しておいでだが、日本の民主主義に一体何が起こっているのか。ひょっとしてこれは、大変な事態の前触れの現象なのではないかという意識もあるのですが、内山先生どうでしょうか。


政党政治崩壊現象?

内山:軍隊とか自衛隊への信頼が集まっているということは、戦前の政党政治が崩壊した現象に似ていると言えば似ている。当時は二大政党、政友会と民政党というのがありました。それで、競い合うのはいいのですが、お互いを負かすために軍と結びついてしまい、政党と軍の結託のようなものが生じてしまいました。政党政治を守るのではなくて、自分の身を守る方向に政党がいってしまって、あのようなことになった。今度の日本も、そのような事にならないよう祈りますが、政党が信頼を失って、むしろ民主的でない機関や司法機関などに信頼が集まっているというのは若干、昔と似た感じがします。

工藤:ただそれを逆に考えてみると、国民は投票の権利を得て、その投票の一票によって政治に参加が出来るという大きな自由を得ているわけです。その選んだ先を信用できない、というのはちょっとおかしくないですか。政党がそれに甘えているという事もあるとは思うんですが、その構造は有権者側に大きな問題もあるだろうし、それからメディアに対する信頼も失ってきていると。つまり国民は市民の自由を得た結果、間違って結論を出す場合があるわけですよね。しかしそうしないために、民主主義の中には言論の自由があり、選挙で選ばれない司法の自由があった。それがトランプ政権でもあったように、そういう建て付けの中で選ぶことよりも、決定的な実行力を持つ方にいくというのは、民主主義がかなり変化の段階に来ているというふうに見なしていいのでしょうか。


消極的選択に積極的信頼はない

内山:そうですね。民主主義が成立する前提としては、選択肢があるということですが、なぜ自ら選んだものを信頼出来ないのかというと、それは消極的選択だからだと思うんです。他に選ぶものがないから、しょうがなくそれを選んだ、というように消極的に選ばれたものなので、積極的な信頼というのを持てない状況なんだと思います。

工藤:なるほど。竹中先生、今、戦前と似ているという話でしたが、いかがでしょうか。

竹中:そこまではいってないと思いますけどね。政党が軍と結託しようという話は、今は無いと思います。経済の発展レベルが戦前と決定的に違うので、飢饉のように空腹で死者が出る心配は無いと思います。ただ、政党に対する信頼が低いというのは、この20年間、日本の所得水準が低下し、尚且つ格差が拡大しているので、それこそアメリカ、イギリスではないですが、やはり生活が良くなっていなければ、政治に期待しない人が増えてしまうのは仕方がないです。やはり、ここ20年間の経済低迷も関係してくるのかなというのが一つ。


都市住民の声が反映されない一票の格差問題是正を

それともう一つが、私は一票の格差の問題が大きいのではないかと思っていまして、特に都市の有権者の声っていうのは、実際の人口規模と比べて政治に反映されていないわけです。衆議院はそうですし、参議院なんて、もっとそうですよ。今の待機児童の問題なんて、それを解決するために声を上げる政治家というのは、実際の人口数に比べて不足しているので、都市でそういう不満を持った人が出てくるというのは仕方ないですよ。ですから一票の格差を是正すると、もう少し都市住民の声が反映されるようになって、少しは良くなるのではないかなと思います。

工藤:選挙の話が出ましたが、国民が政治に参加するのは投票があって、結果として選ばれた人たちが課題解決に責任を持ってやるというサイクルが回っていないといけないわけです。今、その入口の所に大きな問題があるという話をされたわけです。私たちも小選挙区制になってから、二大政党で一つのものを選んで、多くの人が投票に参加するようになると思ったのですが、投票行動を見ると、選挙区によっては有権者数の約2割だけで選ばれている人がいる。つまり投票率が減ってしまい、選挙に人が来なければ、少ないなりで選べるという仕組みが続いている。ということになると、有権者が行かないのが駄目なのか、それとも政党が有権者にきちっと課題解決のプランを提起しないのが駄目なのか、何なんですかね。


シルバー民主主義で悪循環、若者相手の政策は?

竹中:それは悪循環なのかもしれませんね。まず都市住民の一票の価値が、平均値の6~7割掛けとかなので、単純に考えて、一票の投票行動に比べて十分なリターンがこないわけです。だったらもう選挙に行かなくてもいいんじゃないか、となってしまうというのが一つ。もう一つは、これはシルバー民主主義の問題で、あまりに高齢者の方が多い。しかもその方たちは選挙に行く。なので、年金でも医療でも、その人たちの方を向いた政策が打たれる。若者の人たちはもともと数が少なくなっているのに、投票に行かないので、彼らの方を向いた政策が打たれない。すると、ますます彼らは選挙に行かなくなり、政党側から見ると、別に若者の方を向いた政策を打っても、彼らは選挙に来ない。だから高齢者の方を向いた政策を打とうとなる。そうやって、どんどんこのような悪循環に入っているのではないかなと思いますね。

工藤:網谷さんはどうですか。ドイツでも、政党から市民の退出という問題が、以前対話した時に出ました。つまり政党が、多様な市民のニーズをきちっと汲み取れないと。ドイツの方が政策論的な議論になり得るので、もっと進んでいると思うのですが、そのドイツですら、政党の議会というものが減ってきていると。日本においては本当の意味で、政策の議論がされていないですから、日本の民主主義はかなり大変な局面にあるんじゃないかと思うんですけど、どうでしょう。


欧州は保守に極右に中道左派
  ――多数派構成が難しい

網谷:そうですね。まずこの世論調査について言うと、まず一つ目に、まだ司法や裁判所、自衛隊や警察が信頼されているうちが、まだ華だと思います。というのは、ガバナンスの基礎は、まだあるっていうことですから。という点でいうと、政府が意外と低い、つまり行政府がそれほど信用されていないというのはちょっと恐いな、と。2つ目に、政党や議会があまり信用されていないというのは、ヨーロッパでもどこでもそうです。EUはあれほど批判されていますが、世論調査にもよりますが、EUの議会や政党の方が、各国の議会や政党より信頼されているという高い数字が出たりするんです。ただそれは、あまりよく知られていないから、ポジティブにもネガティブにも評価されていないという側面があります。ですから、やはりそれ自体は全体的な傾向だと言えると思います。その時に政党側がどうアプローチするかというと、政策面で何かやろうとしているのは、どちらかというと左翼的な政党ですが、今どこの国でも社会民主主義政党、中道左翼政党は、ものすごく苦しんでいるわけです。それはなぜかというと、政党の性格上、何か筋を通したいわけですが、通そうとすると選挙で勝てない。つまりそれは、元々掴まえていた有権者が、あまりにも色んな方向へ動いているので、どっちに行っても、どっちかが切れると言う形になっている。例えば、より社会文化的な意味でリベラルに行けば、価値観的に、それ程リベラルではない高齢者などの票が逃げるとか。今、イギリスのコービン労働党党首がやっていますが、とりあえず野党で左に振ればある程度掴まえられるんですが、それは政権についた後は瓦解していくと思うので、サステイナブル(持続可能な)な政策選択肢を提供するのが非常に難しくなっているという現実は確実にあると思います。昔はよく、左と右という1次元でやっていたのですが、今のヨーロッパは完全に3極化していると言われていて、保守政党、極右、それと中道左翼という構成になっています。極右というか、移民などの問題で稼ぐ政党というのが完全に出来てしまっているので、ヨーロッパのどこの国でも多数派構成が物凄く難しくなっています。ナショナリズムとか排外主義的な人を入れるのか、それとも、残った狭いところで苦しく多数党を作るのか、ということになってヨーロッパでもかなり追い込まれていている。それを考えると、決して日本だけが困っているわけではない。選択肢をどうやって作るかというのを民進党が困っているというのは、決して民進党だけの問題ではなくて、どこでも割と困っているんです。

工藤:内山さん、政党を見た時に、政党をどういうふうに作っていくのか、政党が機能していないんじゃないかという問題も、現在直面していると思うんです。先日、ヨーロッパの方たちの話を聞いていたら、政党の人たちは政党組織を作るために、例えば、法案についての賛否も、党員に対する投票をするとか、色んな形で参加の形を作る努力をしていたんです。それでも、政党から色んな人たちが離れている。日本で選挙になるといった時に、その党首が他のところに移るとなってしまったら、党員は関係ないじゃないですか。だから政党をやって政党助成金をもらっておきながら、党員のこと、社会のことを考えないという状況が起こっていると思うのですが、それはどうご覧になっていますが?

内山:やはり社会と政党・政治家が乖離してしまっているというのは大きな問題だと思います。

国民に向かい合う政治を政党は意識しているか
工藤:それはどういうことなんでしょうか。日本の共産党や公明党など支持基盤を持っているところ以外は難しくなっているんですか?それとも全く国民に向かい合う政治そのものを政党が意識していない、という理解でいいのでしょうか。

内山:努力が足りない、というのはあると思います。でも、共産党のように組織をしっかりと作る道もありますが、ネットワーク型の政党の道もあるわけです。ICTなどを色々使った上で、党員とのコミュニケーションを密にしていく。それは、必ずしもがっちりとした組織というわけでなくて、緩やかな組織でも、そういった形で党内コンセンサスを作っていくことは可能だと思うのですが、その努力はやはり怠っていると思います。

工藤:竹中さん、政党のあり方という本質的な大きな前提を見た場合に、かなり大きな弱点や問題を表面化させているように思えるのですが、政党というものが一般の支持者とあまり繋がっていない。それに対する説明がきちっと出来ていない。勝手にこういう形が出来て、政策よりも人が集まらなければいけないという話になってしまったら、支持者は一体、何を信じて政党に投票すればいいのかという、本質的な問題があるような気がするのですが、どうでしょうか。


日本は選挙制度のデパート、選挙制度の統一を

竹中:そうですね。確かに今まで民進党を支持していた人たちは、一体何なんだと思われているでしょうね。やはりそれは組織論になってくると思います。もちろん草の根組織というのは大事ですが、これは他の政治学者の受け売りになりますが、やはり選挙制度が大きい。日本は選挙制度のデパートのような感じで、国政レベルでも小選挙区と比例代表区で噛み合わせていって、参議院は小選挙区・中選挙区・比例代表制度。それから地方レベルでは、小選挙区も中選挙区もあれば代表選挙区もあり、特に重要なのが地方レベルで、政局がなかなか安定しないということがあるので、結局老舗の政党はいいかもしれないが、新しい政党はどうしても地方議会での政党作りに苦しみ、足腰が弱い。これは前から思っていましたが、やはり上から下まで選挙制度をある程度統一させることを考えないと、政党制は安定しないんじゃないかと思います。

工藤:なるほどね。やはり国民が不安に持っている課題というのは、日本の将来像や人口減少をベースにして、政党は、それにどう対応していくのか。それが、課題に向かい合ってまとまり直すのではなく、「希望の党」あたりは消費税を上げないと公約して、野田政権の三党合意で上げると言ってきた人たちが、数が集まるからといって、全く逆の方にいくというのはどうなのか。課題解決と政界のゲームは違うんじゃないのかという気がしてしまうんですが。どうですか。


政党は有権者の鏡だから、人気のない消費増税には反対
  ――政府に信頼があれば、国民は負担増を受け入れる

竹中:それは政党の人たちからしてみれば、そうは言っても、有権者の人たちは消費税増税に反対する人たちが多いじゃないかと反論すると思いますよ。我々としてはそんなに政党に期待されても困るので、有権者の鏡が我々です、という答えが返ってくると思います。ただそれに関して、一つ言いたいのが、日本は選挙があまりにも多すぎます。去年参議院選挙がありました、そこでまたやるわけですよ。網谷さん専門のドイツは4年に一回、イギリスもフランスも5年に一回ですよね。その場合、最初は辛いかもしれないが、消費税を一度上げて景気を回復させるという手段があるのですが、安倍さんの身になってみると、そんなことを言ったって、来年選挙があるかもしれないから、イギリスのメイ首相のように腰を据えた政策はなかなか出来ないんだ、と。政権を失ってしまうかもしれないんだ、というふうに思われるんじゃないかな。

内山:先ほど竹中先生が悪循環という言葉を使われましたが、本当に悪循環なんです。というのは、国民は増税を嫌うと言いますが、必ずしも毎回そうではなくて、実は政府に対して信頼をちゃんと持っていれば、負担増は受け入れるというのがデータでも明らかになっているのです。問題は政府に信頼がないから増税は嫌だ、と。だから増税しない。そして結局、増税しなかったために財政がどんどん悪化して、また「日本の財政おかしいんじゃないか」という政府に対する不信感が増す。という、この不信のスパイラルがあって、これはどこかで食い止めないと大変なことになってしまうんじゃないかなと思います。


工藤:最後の議論ですが、日本の民主主義が問われている時に、総選挙に直面して、我々有権者は何が出来るんでしょう。それは二つあって、今回の選挙行動において何が出来るのかという問題と、今起こっている民主主義の不安定さ。ひょっとしたら政党っていうものが信頼される社会的基盤ではなくなっているんじゃないかとか、一票の価値に期待できるような仕組みをどう再構築すればいいのかとか、色々な問題が問われていると思うのですが、これをどうすればいいのかということです。特に今度の選挙で言えば、マニフェストを出さない政党がいるわけです。しかも、今まで言っていたことと全然違う政策に移る候補者もいる。では、誰に投票すればいいのか。マニフェストを出しているところでも、ちゃんとした政策になかなかなっていない。相対的にちゃんとなっているところもあるとは思うのですが・・・となると、せっかく投票しようと思っても、どうしたらいいのかわからないという状況になる。しかも、国民は将来に対して不安に思っている。それだけに、政治に期待したいと思っている状況なんですが、有権者も問われているところで、内山さん、我々は一体、何が出来るのでしょう。


有権者に出来ることは・・・問われる冷静な判断

内山:やはり新規のものに引きずられるのではなくて、その政党が、政治家が何を考え、やろうとしているのかを、見据えることですね。そこを出していないのであれば、出していない無責任さがあるということを見抜かなければいけない。それに尽きます。

工藤:竹中さん、これは、選挙の時は嘘をついてもいいとか、そういうわけではないのでしょう?

竹中:そういうわけではないです。ちゃんと、どの政党がどういう政策を言っているかを我々は判断すべきです。結構しっかり判断していると思いますが。先ほど1996年の総選挙の話をしましたが、あの時、新進党は小沢さんの下どういうことを言ったかというと、所得税を大減税します、そして消費税は据え置きます、ということを言ったのです。そうしたら国民は、そんないい話、あるわけないじゃないか、と言って新進党を負かせたわけです。現在、「希望の党」が消費税据え置きとか言っていますが、今回は、その96年と同じ構造になっているわけです。自民、新進、民主が、今回は民主、希望、立憲民主で、国民はかなり冷静な判断を下すのではないかなと思っていますが。

工藤:竹中先生の話を聞いていて思いついたのですが、日本の政党・政治家はなんかトラウマというか、昔のイデオロギー的な対立のような事が主要イシューだと思っているんじゃないですか。「希望」は入党条件に、安保と憲法の問題を入れました。確かにそれらは日本の将来に重要なことなんですが、国民が今、気にしているのは日本の将来の少子高齢化で、自分がおじいちゃん、おばあちゃんになった時にどうなるのか、財政が破綻するんじゃないのか、日本の将来はどうなっていくんだ、それを皆気にしているのに、なぜ、それを踏み絵にするのかよくわからない。本来なら日本の将来をベースにして、我々はこういう事を考えているから集まってこいというのは、それこそ希望の形になるとおもうのですが、内山先生はどうお考えですか。

内山:政党の自分たちの事情で、入党するのに安保と憲法という高いハードルを課したわけです。そこも結局は、本当に国民に対する責任を考えた結果かどうか、というのはかなり疑問だと思います。

工藤:あとは原発と消費税の話です。でも、政党がマニフェストを出さないというのは、どうすればいいのですか。国民が出すべきだという声を上げれば、それは変えられるんですかね。


もっと経済の具体的質問が聴きたい

竹中:そうですね。国民もそうですし、僕は、新聞記者がもっと経済の質問をしてもらいたいと思います。「あなたは衆議院選に出るのですか、どうなんですか」、「選別はどうするんですか、虐殺するんですか」とかはもういいです。それよりも、「小池さんは日本の財政状況についてどれだけ理解していますか」、例えば「GDP比率で債務残高があとどれくらいあるか」とか、「アベノミクスは駄目だというけれど、では日銀の金融緩和の後、どういう風にエグジット(Exit)するのか」とか、「加計学園の件で、国家戦略特区の決め方が悪かったとあなたは言っているが、ではどういう形で規制緩和を進めていくのですか」とか。そういう経済の具体的な質問をどんどんするべきです。国民は、直接質問出来ない。ですから新聞記者、あるいは小池さんにここに来てもらって、工藤さんにビシバシそういう高めの球を投げていただく。そうすればもう少しは、真摯に経済政策を考えるんじゃないですか。

工藤:網谷さん、ドイツではこのようにマニフェスト・公約を出さないということはありえるのでしょうか。


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世界的な政党の意義低下
  ――イデオロギー色が薄まると、政党で固まる意味がない

網谷:実はドイツにはマニフェストという発想がないんです。なぜかと言えば、イデオロギーをベースにした綱領というものがあって、長期目標があり、その上で短期的な選挙のためのプログラムがあるので、そこの上下関係ははっきりしているわけです。今、どこでも政党の意義低下が言われているのは、イデオロギーの意味が薄くなってしまうと、実は政党という形で固まっている意味がない。つまり目先の課題というのは、見当違いもあるから、途中で修正しなければいけないということもある。そうすると、目先の課題で分化しているだけでは結局、長期的に継続しようとしても政党はもたない。だから、野党に行くとイデオロギー化出来るので、政党として固まれるが、政権に近くなって個別の政策を言い出すと、実はまとまらない。そこが非常に難しい所で、政策ベースで一つ一つこれをやりますというのは非常に大事なことですが、政党というのは、どうもそれだけではもたない感じがして、非常に難しい所だと思います。

工藤:ある政策課題に関して、私たちの党は、こうするということは言うんでしょう?

網谷:それは言いますが、その選挙綱領がすごく長いんです、そしてどんどん長くなっている。あれを、誰が読むかっていう話で。

工藤:選挙綱領?

網谷:はい。基本綱領という党の基本方針について書かれているものも100ページほどありますが、それだけではなくて、どの党も選挙前に選挙綱領というものを出し、伝統的な政党であれば100ページぐらいのを作ってくる。なぜかというと、党内調整をして、これで行きますという方針を決める文書だからです。それは有権者さえ読めやしないわけです。

竹中:そうしたら選挙に際して、100ページ分ぐらいに政策を細かく詰めて彼らは臨んているわけですね。

網谷:そうです。

竹中:それは、マニフェストと呼ばなかったとしても、それは公約集ですよね。

網谷:ただドイツの場合は、今まさにやっていますが、その後さらに連合交渉のところで100ページの文書を作ります。文書を作るのが好き、書き留めるのが好きな人たちなので。

工藤:内山さん、どうすればいいのでしょうか。選挙を前に、政党が国民に対してこういうことを実現しますと約束し、それを実現するために政治があるというのが国民主権のあり方だと思うんですが、その機能はもう難しくなっているのでしょうか。


マニフェストに賢明な有権者となれるか

内山:日本にマニフェスト選挙が根付いたのは大きな成果だとは思うが、そのモデルとしてイギリスのマニフェスト選挙があった。これに日本が過剰適用をしたところがあって、私はそれを"過剰なイギリス化"と呼んでいる。民主党政権の時はそうだったが、マニフェストに書いていない消費税増税をやるなんてけしからん、と言ったりした。例えば2010年キャメロン政権が増税をした時、マニフェストには一言も書いていなかった。でも、それは皆、止むを得ないということで、マニフェスト違反だから駄目だという議論はほとんど無かった。マニフェストから一歩でもはみ出したら駄目だというのではなくて、そこはもっと柔軟に考えるべきだと思います。

工藤:おっしゃる通りで、マニフェスト至上主義というのは非常に良くなく、課題解決のプランである以上、修正もありえると思います。ただ、国民に説明をするかどうか、ということなんですよ。国民に向かい合う政治を、どう構成するかという話だと思いますね。三党合意の時はまだ日本の将来像、例えば債務残高とかについて真剣に議論していましたよね、今は議論もしていないのでは。

竹中・網谷・内山:本当にそうですね。


国民の不安に迎合するポピュリズム政治なのか

工藤:あたかもそういう問題が消えてしまったような幻想を国民に示していませんか。

竹中:そうですね。今の安倍政権も中期財政計画をそろそろ撤回しようかという話になっていますからね。

工藤:つまりこれはポピュリズム政治ですよね。不安のある問題について課題解決を迫るのではなくて、なんとなくやりますという形で、国民の不安に迎合するだけの政治っていう状況でしょう。

竹中:(ポピュリズム政治)になりかねないと思いますね。ただ、消費税に関しては、景気の腰折れよりは、もうちょっと待ってというのが彼らの説明でしょうけどね。

工藤:景気の腰を折るからやらないってなったら、きっとずっと出来ないですよ。

竹中:ただ彼らの説明によると、もう少し待てば賃金が上昇するので、そうしたら物価が上昇するだろうと。物価が上昇すれば金利も上がるんだけど、そしてこれは楽観的なんですが、金利が上がる前に物価が上昇するので、そうすれば税収も上がって、ある程度回復すると。でも、例え実際にそうなっても、財政収支の改善への効果は高が知れている。やはり増税しないといけないと思うので、そこは向き合っていないと言えると思います。

工藤:確かに、竹中さんがおっしゃったように、財政見通しも含めて考え方を説明しなければ駄目だし、こうした事態を許してはいけないと思うんです。すると有権者は何をすればいいのか。ジャーナリストや研究者を含めて、ある程度政策論争の基盤というのをやはり作っていかないと、やり放題になってしまう危険性を感じませんか。

内山:そうですね。政治というのは希望を語るのはもちろん大事ですが、悪い事態にどう備えるか、国民に覚悟を迫るというのも政治の大きな役割で、それがない政治はまずいと思います。

工藤:網谷さん、日本の有権者は今後、どうしたらいいのでしょうか。

新聞・メディアに求められる政策論争

網谷:今の状況に当てはまるかわかりませんが、1990年代に昔の同僚がやっていた研究で、みんな、選挙公報とかポスターとかを真面目に読まないんですが、あれを分析すると、ちゃんと政治家のポジションとかが、きれいに出るんです。ですから是非、馬鹿にしないで、有権者一人ひとり、自分のところにくる選挙公報やポスターを見て、どういう人かな、と考えてもいいんじゃないか。書きたくないことは省略するでしょうが、嘘は多分書かないと思うので、実は字面を見ただけでも、ある程度のことはわかると思います。ただその先については、離合集散が出来る政党システムや政治のあり方の中で、一体何に投票したらいいんだと聞かれたら、確たる答えはないです。でも、そんなに情報がないわけでもないので、馬鹿にせずに、ある情報はキチンと見ていただくというのが一つ。それから政策論争に関して言えば、国民にそこまで判断を求めるというのはやや酷だ、というところもあるので、竹中さんもさっきおっしゃっていましたが、もう少し新聞やメディアとかには頑張って欲しいと思います。

工藤:今の状況は、政党というものを民主主義の大きなインフラとして期待する、という議論が前提にあるわけです。ただそれが期待されていないとなると、候補者個人を見なければいけなくなる。候補者個人が何を実現したいのか、今までの発言と修正した部分をどう説明するのか。そういうことを問うていくということが、いろんな形で出て来れば、結果として、政治が国民に対して何かを語らなければいけないという風に思いますよね。それぐらいの行動を有権者がしなければいけないような気がしているのですが。言論NPOは、それをやろうと思っているのですが、どうでしょう。

出でよ! 有権者に痛みを語る政治家
内山:政治家は、痛みを伴うことを言えなければいけない。そのためには支持基盤がしっかりとしていなければいけない。有権者としても、しっかりと責任感のある政治家というのを応援する。責任ある言動を出来る方を応援することが大事なのではないかなと思いますね。

工藤:竹中先生どうですか。

竹中:個人がどういう主張をしているかを判断するというのは、個々の有権者にとってはかなりしんどい話じゃないかなと思いますね。

工藤:だから、やはり誰かが質問しなければ駄目ですね。

竹中:そう。誰かが質問しないと。

工藤:僕たちも努力していますが、候補者に全部、質問状を出してそれを公開するとか、そういうことしかないんですね

竹中:そういうことになりますよね。私は職業柄、政治家と関わる機会はたまにありますが、政治学者になる前は、もちろん政治家との接触なんてなかった。政治家に直接、あなたはどう思っているんですか、なんて聞くチャンスはなかなかないと思うので、それは誰かが代わってそれをやらなければいけない。メディアに対する信頼が低いのは残念ですが、やはりメディアに、もうちょっと頑張ってもらわないと、という気はしますね。あともう一つ、政党の安定という意味では、やはりすぐ政党を変えるような政治家に投票するのかという判断は、我々に求められていると思います。ですから逆に今回、枝野さんの政治信条はともかくとして、動かなかった人たちがいるわけですよ。ああいう人たちが当選すれば、あたふたしても駄目なんだな、というのが逆にわかるかもしれないので、それは有権者一人一人がそういう判断を示すことは出来ると思います。

二大政党制と多党制 日本に適しているのは
工藤:内山さんにお聞きしたいのですが、今までの議論は二大政党制をベースにした政治というのが、日本社会の中で有効だという概念になっている。やはり二大政党制が日本には必要なんでしょうか。

内山:僕はそうは思いません。昔と比べて、現在の利害、利益や価値観が多様化していますから、もっと多党制でやるべきだと思います。無理して二つのブロックでやろうとするから無理が生じるんだと思います。

工藤:竹中さんはどうお考えですが。

竹中:私は中途半端にやっているからいけないんだと。もっと二大政党制に振り切るべきだと思っています。要は、小選挙区も比例代表制もくっつけているわけです。だから単純小選挙区制にして、そうしたら共産党も根を上げてリベラルの方にくっつきますよ。そうしたら中道左派になるかもしれない。僕はリベラルではないのですが、日本のリベラルの人たちはしんどいですよ。そこに共産党というものがあって、票を奪うわけですから。内山先生は、二大政党制は良くないという風におっしゃったけど、まだ日本は、そこの実験を仕切れていないと思うんですよ。ですから、一度やってみたらどうなんだ、と主張したいですね。

工藤:網谷さんはどうお考えですか。世界の状況を見ると、政党というものを軸にすれば、比例代表の方が民意を吸収できるという概念・形もありますよね。

網谷:はい。そうなんですが、ただ比例代表で都合良く三つ、四つお行儀の良い政党が並んでくれるとは限らなくて、結局、色んなところでボピュリスト政党が出てきて過半数を作るのは非常に難しくなってきている。ドイツでさえ、今回そのようになってしまいました。他方で敷居をどんどん下げていくと、オランダみたいに10個も政党があって、最大の政党が全体の20%ぐらいでしかない、ということになる。多様化するというのはそういうことです。そうだとすると、ちょうど良いところを探るというのは、制度設計の方からやるとなると実は難しくて、「Electral Sweet Spot」 (選挙制度の当たりの良いポイント)という論文もありますが、実はどこの国もそれについては困っているんです。ただ竹中さんがおっしゃるように、今の日本の選挙制度は中途半端になってしまっているという側面はあると思います。二大政党制が良いかという話は別にしても、中途半端な状態による弊害はあると思います。

工藤:なるほど。さて、選挙を通じて国民が政治に参加し、課題解決に自分の一票が行使できる。日本の課題解決とか、自分たちの生活にプラスになったり、将来に対する一つの大きな流れを作れるという期待があるから、民主主義の利益が共通利益になる。しかし政党が政策をどんどん変え、数だけになってしまうと選べなくなってしまいます。そういう状況が今、ようやく見えてきた。これを私たちはどう考えていけばいいのかということですが、最後に「有権者はこの選挙に、どうすればいいか」について一言ずつ頂きたいと思います。


総選挙に一言

内山:その候補者がちゃんと一貫した言動をとっているか、それを見て欲しいと思います。

網谷:期待しすぎずに参加してほしいということです。

竹中:とりあえず選挙に行くこと。

工藤:本日は、皆さんどうも有難うございました。民主主義の議論については、私たちがどんどん追求していきますので、今後もよろしくお願いいたします。


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