工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。さて私たちは2015年を通して、日本のデモクラシーについての議論を開始しています。2月に行った日本の政党政治についての議論を一歩進め、日本の民主主義について、ドイツの民主主義と比べながら、新しい視点を得ていきたいと思っています。まずゲストのご紹介です。東京大学社会科学研究所教授の平島健司氏先生、津田塾大学学芸学部国際関係学科教授の網谷龍介氏先生、そして最後に神戸大学大学院国際文化学研究科准教授の近藤正基氏先生にお越しいただきました。皆さんよろしくお願いします。
メルケル首相の「過去の総括が和解の前提」との発言に約8割の有識者が賛同
さて、先日メルケル独首相が訪日しました。安倍総理とメルケル首相との議論の中で、私たちが考えなければならない点が「歴史認識問題」と「和解問題」でした。これは安倍首相との共同記者会見でも質問されましたし、その後のメルケル首相の講演時にも話題になり、メルケル首相ご自身の意見を伝えていました。その中で「過去をきちんと総括することが和解の前提となる」との発言がありました。私も1カ月前にドイツに行き、北東アジアの中での戦後70年という問題を議論したときに、日本と近隣国との対立状況を非常に懸念する声が数多く寄せられ、世界でこの問題が非常に関心を持たれていることがわかりました。そこで、短時間でしたが、今回のテーマに関するアンケートを行いました。その中で、「過去を総括することが和解の前提となる」との発言に賛成するかどうかを尋ねたところ、「賛成」と回答したのは60.6%、「どちらかといえば賛成」が15.7%となり、8割近い有識者がメルケル首相の発言に賛同していることがわかりました。こうした状況をドイツの専門家の皆さんはどのように捉えているかお伺いできますか。
平島:日本側は予測していなかったでしょうが、私は直截な意見を述べていただいたと思っていますし、発言には賛成です。シュピーゲルという雑誌のメルケルの訪日に関する記事では、「ヘーフレッヒェ・マーネリン(礼節をわきまえた警告者)」という見出しになっていました。そう批判してくれる友好国が世界にあることは、日本にとって大変幸運なことだと思いました。
工藤:メルケル首相の発言は、自分がアドバイスする立場にはないと事前に述べた上で、自身の意見として話していました。メディアの質問に答えた側面もありますが、関心を持っていたからこそ発言したと思います。
地政学的な条件から和解という選択を迫られたドイツの過去
網谷:私はメルケル首相の訪日時、日本国内にいなかったので、その後、ドイツ語の原文を読みました。そこで1つ注意すべき点は、「和解の前提に『なる』」ではなく、「和解の前提に『なった』」と過去形で言及していたことです。一方で、今回の発言全体で彼女が伝えようとしていたメッセージは、大きな枠としての外交の在り方です。ドイツ外交で基本になっている「予測可能性」、「多角的外交の重要性」、そして「ヴェルトオッフェンハイトWeltoffenheit(世界に開かれていることの重要性)」に言及しており、それを上手く伝えるために、岩倉使節団の話から始めていました。直接的に歴史の和解の問題というよりは、むしろ日本にとっては大きな枠で外交を捉えることが大事ということだと思います。
近藤:メルケル首相の発言はドイツでは一般的な意見です。私は、日本のメディアの取り上げ方に多少問題があると思っていて、特にドイツが行った過去の克服を美化しすぎていると感じています。ドイツは長らくナチス党員の公職追放、あるいは記念碑や追悼施設の建設にも積極的ではなかったですし、1980年代になってようやく進めたという経緯があります。一貫してドイツが過去の克服に取り組んできたわけではないので、ドイツをあまりに美化することはできません。またドイツの場合は、地政学的に周辺のヨーロッパ諸国と良好な関係を保たなければならない事情があります。例えば、貿易依存度も日本の倍以上あり、良好な関係がなくては経済的にも立ち行かなくなる。そうした状況下で選択を迫られたことで、過去の克服に取り組んできた経緯があります。だから単純に日本との比較は難しいので、ドイツが模範例というわけにはならないと思います。
工藤:確かに、メルケル首相のメッセージはもっと大きな枠組みの「外交:という話もありましたし、和解の問題は地政学的な要因からドイツと日本で単純に比較するのは難しいということはわかりました。ただドイツはナチスやホロコーストなどの世界史上の大犯罪に向き合いながら、再びヨーロッパの大国として仲間入りするために様々な取組みを行ってきました。こうした取り組みは、前提の違いがあるから無関係と言えるのか、あるいは色々違いがあるものの、日本に新しい視点を提供してくれるのでしょうか。
平島:確かに過去の克服は、メルケル首相の前任者であるシュレーダー前首相が属するいわゆる1968年世代から始まりました。それ以降は、研究者を含め様々なレベルで粘り強く隣国と対話を続けてきました。その背景にはもちろんナチズムの歴史がありますから、やむを得ずという側面もあります。しかし継続してきたことは事実で、その姿勢に学ぶところはあると思います。但し、地政学的あるいは政治的な状況がヨーロッパとアジアでは全く違うので、そうした相違点を踏まえた上で、主体的に取り組む姿勢が重要だということだと思います。
工藤:もう1つお聞きしたいのは、ドイツの政治家の間では、過去の行為に対して様々な意見が出ているのでしょうか。つまり、ポーランドで跪いたブラントを代表に、道義的な責任を負う姿勢を示しています。ドイツ国民、そして政治家は一様にそれを踏襲しているのか、あるいは様々な意見があるのでしょうか。
平島:党派的には中道右派は中道左派より自国の国益を追求する見方をするでしょうし、またシュレーダー自身もブラントやシュミットの時代に比べれば、やや国益重視的な態度を見せたということもあると思います。しかしブラント以降の過去に対する取り組みの基本的な姿勢は、政治家個人の間で多少の意見の相違はあるでしょうが、補償の問題、和解の取り組みなど、たくさんの積み重ねがあり、政治家の間で共有されているでしょうから、基本的には一致していると認識しています。
政治家の失言が多い日本とスピーチコードが明確なドイツの違い
工藤:網谷先生、ドイツと日本の政治家を比べた時に、歴史認識に違いはあるのでしょうか。
網谷:数量化した調査はないと思うので完全な印象論ですが、少なくともある時期まではドイツの方が政治家はこう話す必要がある、というコードがきちんと決まっていました。確かにナチス問題に関する危険な書籍は本屋には置けませんが、例えばチェコから戦後追い出された人たちについての「我が懐かしき故郷」の様な書籍は数多く置かれています。だからドイツ人一般が一様に戦争にかかわることすべてについて反省したわけではありません。しかし政治家には、これは言及してはいけない、政府の公式見解はこれだというスピーチコードがあります。周辺国との関係もあり、それを守らなければメインストリームからはじき出されます。それが積み重なって少しずつ浸透してきたということだと思います。日本では「総括」というと1回やって終わりというイメージかも知れませんが、ドイツでは60年70年という長い時間をかけてようやくここまで来たのであり、基本姿勢を決めた上で問題が出てきても順番に対応している。そのスパンの考え方は必要だと思います。
工藤:今のお話に関連して、日本の場合は「総括」が明確でなく、見解も変わっていったりふらついたりしているように見えるのでしょうか。
網谷:いわゆる問題発言というものがあります。そうした発言が政治的に必ずしも致命的にならないのはどうしてかと疑問に思います。ドイツとはそこが異なっており、ドイツで失言をすれば一発で政治家にとっての致命傷となり、その後大臣や首相になることはあり得ません。そのマナーが日本には多分ない。日本の「失言」の方が一般人の感覚には近いのかもしれませんから、それが良いのか悪いのかは分かりませんが。
工藤:今の話について近藤さんはどう思いますか。ある局面までは軽はずみな発言に対して厳しい世論もあった。しかし中国などの台頭などから地政学的に北東アジアのパワーバランスが大きく変化してきており、国民が様々な不安を持つ中で、軽はずみな発言でも許される環境がある気もするのですが。
近藤:日本との比較は一概には難しいと思います。さきほど平島先生や網谷先生がおっしゃった通り、ドイツではその後の政治キャリアが傷つけられると思いますが、日本については非常に難しいです。
ドイツには戦争の記憶を絶えないようにする試みが数多く存在する
工藤:例えば、ドイツはナチスやホロコーストを絶対に防ぐために民主主義の仕組みを作っていますが、一方で周辺国を侵略した歴史もあることは事実です。その事実については、最終的にどういう形で和解になったのでしょうか。統合の中で謝罪するプロセスを経て収めたのでしょうか。
近藤:統合したとはいえ、お互いに不信感も残っていると思います。ただドイツの場合は透明性を持って謝罪をした、ということに尽きるのではないでしょうか。日本と大きく異なる点は、至るところに文化的な施設があることです。そこで透明性を有する事実を打ち出していくことで戦争の記憶を絶えないようにするという試みが長らく行われてきました。そこは日本と異なる点です。
網谷:どこが同じでどこが違うか、ということを組み合わせて考える必要があると思います。ドイツの場合も、第一次世界大戦後の時はフランスなどとの間で歴史認識問題がありました。そして、ベルサイユ条約なども含めて、お互いに失敗したと思っているところはあり、それを踏まえて第二次大戦後の処理があります。また第二次世界大戦後は、ドイツはいわゆる戦後賠償は支払っていません。あくまでもナチスの不法行為に対してお金を出すという基本的スキームです。ナチスは国際的な問題だけでなく、国内の民主主義の問題であるからこそ、国内外で同じ理屈が通る構造になっています。ただチェコから追放されたドイツ人の問題やポーランドの領土が奪われた問題など、細かなところは今でも残っていると思います。
工藤:結果としては地政学的な要因と欧州統合のプロセスの中で、ドイツが必要とされる状況がありました。そして謝罪を持ち出してうまく浸透していきながら、その問題を解決したというニュアンスの発言をメルケル首相はしていましたが、そのような理解でよろしいでしょうか。平島さんどうおもわれますか。
平島:その通りだと思います。陸続きの国々であることから、歴史的な戦争の経験を踏まえながら、戦後はともに復興を目指しました。とりわけドイツはフランスと強い結びつきを築きながら、多面的な関係の中で過去に対する共通の理解や和解を深め、そして謝罪が込められてきたのだと思います。