1942年生まれ。65年東京大学法学部卒。東京大学助教授を経て、78年より同教授。2001年より05年まで東京大学第27代総長。法学博士。専門は政治思想史。主な著書に「プラトンの呪縛」「政治に何ができるか」等。
第2話:「安倍政権に見られる政治的脆弱性、認識、課題設定」
小泉さんが終わって安倍政権に何が問われているかだが、これは言論NPOのアンケート調査にもあるが、俗っぽい意味で言うと、小泉さんがこれはやめよう、つまり壊すことを進めたとすれば、安倍さんは今度は新しくこうしようというところに基本的なスタンスがあると思う。
あえて言えば、その結果が「美しい国」に持っていきたいという論理の展開となっている。おそらくご本人はそう思っているのだろう。
だから、彼の話を聞いていると、小さな政府という言葉は使っていない。むしろ、基本的に政府の役割は非常に制限的に考える小泉さん時代と比べると、安倍さんの方がはるかに政府の役割に対してポジティブな物の見方をとっているように感じる。
ある意味では、霞ヶ関の人たちにとっても、安倍政権というのは決してアゲンストな政権ではないという面もある。小泉時代は政府の役割を消極的にとらえる。だから、小さくしようという話だった。安倍政権は、小さくするのかしないのかどうかはよく分からないが、全体のニュアンスは、小さくしていこうという路線とは大分ニュアンスが異なる。
だからこそ最初に手をつけたのが教育改革なのだと思う。ここで政府の頑張りを見せなければいけないし、教育基本法の問題にも彼は大変執念を持っている。そこのトーンの違いを独自色として小泉政権に対して打ち出すということについては、私はかなりはっきりしていると思っている。
ただ、これが難しいのは、果たしてそういう政策がいいのかとか、様々な現実を踏まえた議論が出てきたときにそれをうまくコントロールできないと、さらに混乱を招いてしまうことだ。
小泉さんは、いろんな意味で自民党を壊した。それは事実で、今の党内の状態は非常にわけがわからない状態になっている可能性がある。その中でこう行こうと安倍さんは言おうとしているわけだが、皆がついてこなければ、そのわけのわからない状態の中へ安倍さん自身が埋没してしまうという危険性が孕んでいる。
自民党政権は300議席あるからそう簡単には崩れないが、それだけ議席があると妙な崩れ方をするのが一番心配だ。つまり、実際崩れているのに、政権は続くという可能性がある。多数の議席を持ったときの政権というのは、どうしても守りに入るから必ずしもうまくいかない。次の選挙が怖い人が増えてくる。
だから、言論NPOが主張している国民に訴えて、約束をするという話は言うは易く、やりたくない人が多い。そうすると最後まで、とにかく自民党政権だけはもっていくという話になるから、A内閣はつぶれるけれども、同じ基盤の上にB内閣ができるという話になっていく可能性がある。
総理だけが代わるたびに、さらに悪くなっていく可能性もある。だから、もし安倍さんがうまくいかないということになると、次がうまくいくという保証はないと私は思う。
しかし、解散はしたくない、できない。もたせていく。その間に国際情勢や経済情勢は変わるということが、めぐり合わせ次第では予期せざる結果になっていき、小泉内閣は何をやっていたのか、というような話にまた戻らんとも限らない。
安倍政権には、選挙の洗礼を受けていないことに伴う脆弱性があると私も思っている。国民に対してはある意味で小泉マニフェストの上で仕事をしている。ところが、人は違う。ニュアンスも違う。改めて国民との間で約束をつくることができるのなら、これを実行しますというロジックがうまく使えるが、それがなかなか使えない。
しかし、議席はたくさんある。ということだから、安定しているようで、内実は空洞化が進む恐れがある。
国民とのつながりがはっきりと見えないから、支持率が下がり、政権の基盤が混乱してくると、それを支える最後の力がいまひとつ弱い。国民の洗礼を受けていないということが、結果としてうまくいかない場合にメルトダウンの可能性につながるのではないかという気がしているわけです。
もちろん、安倍氏は、国民に何かを伝えているつもりにはなっているのだろう。「美しい国」、そして「憲法改正」。しかし、自民党の中から、それではとてもじゃないが、選挙にならんという議論が出てきている。
そこには意見両論はあるが、国民の感覚と少しずれが出てきているという意識があるものだから、それを調整するために、また会議をつくって検討するという動きになる。
先ほども言ったように、「美しい国」という大目標と実際の政策との関係が、結局、余りはっきりしない、あるいは国民には伝わっていないということを気にしているからだろう。
この理念と今取り組むべき課題とのずれには、恐らく認識の問題があるように思える。今の状態をどういうふうに見ているのか、だからこういうふうな政策でいこうという点が、去年の骨太方針の上にただ乗っているという感じがしていて、内閣として本当に自分たちはこういう認識だというものがあった上での議論をしているのか、あるいは小泉さんが去年やったことに妙に遠慮しているのか、それはもう余り興味がないのか、よく分らない。
だけど私が一番分からないのは、広い意味で経済のところのメッセージは何がコアなのかということだ。はっきり言えば、小泉内閣時代に比べると政策の実感が伝わってこない。
「上げ潮」といっても本当に「上げ潮」なのかよく分からないが、まあそう言っているねという感じで、そもそも現実をどう捉えているのかということについて感覚が沸かない。
それとそのために政府は何をするのということも結局、伝わってこない。あるいは今までしていたことを止めるという判断でもいい。政府は何をするのということ、それが経済の上げ潮につながるコアのものかが判断できない。マクロ政策に任せて何とかやっていけば上げ潮になるでしょうとか、そういう見込み論で現実を説明しようとするから、非常に他力本願のように聞こえてしまう。
アジアとの問題で言えば、首脳会談を例えば経済の問題との絡みでどう考えるのか、外交の問題をやるのか、それから安全保障の絡みでどうやるのかとか、いろいろ絡め方があるが、はっきり言えば、首脳会談をやるということ自体が目的ではなく、それが始まりだということだ。しかし、次がこうあって、最後はここまで行きたいという目標があった上で始めたことなのかはいまだに分からない。
北京で会談を行って、中国との間でコミュニケを発表してことは非常に重要なことだと思う。が、その後、歴史の共同研究で学者が行ったとか、首脳外交が今後も続くらしいとかという話はあるが、結局、中国とつき合って何をしたいのか、何を実現しようとしているのかという意思というものが見えない。それがあって初めて自己主張するという話になるわけだが、その自己主張の中身が伝わってこない。
日中関係は一気にはいかないけれども長期戦略や中期戦略が何段階かあった中で、去年より今年は、それこそ自己主張の内容がより具体化したとか、こういう提案があったとこか、そういうものが見えないと、このアジア外交も非常に薄い感じで、私は下手すると止まってしまう可能性があると思っている。