安倍政権の100日評価 / 成田憲彦氏(全4話)

2007年2月23日

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成田憲彦(駿河台大学学長,元細川政権首席秘書官) なりた・のりひこ

1946年6月札幌市生まれ。東京大学法学部卒。国立国会図書館調査局政治議会課長を経て、細川内閣で総理大臣秘書官(政務)。退任後駿河台大学法学部教授となり、2007年から学長。著書に『日本政治は甦るか』、『官邸』など。専攻は比較政治、日本政治論。


第4話:「安倍政権が担う課題とは何なのか」

小泉さんの後に誕生した安倍政権は何を担うべきなのか。これは、非常に評価の難しい問題です。それは小泉構造内閣の評価ということになります。こういう改革をさらに推し進めるべきという立場の議論も一つあるのですが、全く別の立場の議論があります。

私もはっきりそちらの側に立っているわけではないので、明確に言い切れないところもあります。ただ、一つの考え方としては、小泉改革とは何かというとオイルショック後のレーガノミックスやサッチャリズム、つまり、世界では1980年年代の改革なのです。世界というか、英米は非常に徹底的に改革をやったわけです。

しかし日本は、非常に不徹底な改革しかできなく、課題が先送りになり、とにかく先送り先送りで来た。しかし、改革をやってトンネルの向こう側に出ないと、次が見えない。それがようやく、小泉さんのところではある程度できた。その間に、世界はもう一回り、二回りしてしまったということが、私の基本的な認識です。

では、世界は80年代の改革、レーガノミックス、サッチャリズムの後にどういう方向に行ったかというと、アメリカはレーガノミックスから、今はブッシュの思いやりある保守主義です。これは若干選挙目当て的なところがありますが、方向としては格差の縮小、弱者に対する社会保障の強化です。

イギリスのブレアの「第三の道」というものは、公的セクターの新しい役割の模索です。市場化だけではなく、市場化の次に公的セクターの新しい役割を見出す。ブレアはそれを具体的に特に教育でやっているわけです。それは福祉ではなく、失業手当ではなく、要するに教育のトレーニングをやって、もう一度労働のマーケットに返してやる、そのトレーニングをパブリックセクターがやるというものがブレアの「第三の道」です。

80年代の改革は、要するに「官から民へ」をやったわけです。その後に英米がやっていることは、官と民の新しい関係の構築です。加えて、官の新しい役割の発見ということをやっているわけです。しかし日本は周回遅れのまま、小泉改革で相変わらず「官から民へ、官から民へ」と言っているのですが、世界はもう進んでしまっている。


日本も、トンネルの向こう側に出なければならなかったから、「官から民へ」はやらなければいけないので、そこは残ってはいるものの、では市場化とか「官から民へ」が究極のゴールかというと、そうではないという部分があると思うわけです。

それを展望したときに、安倍内閣は小泉さんの路線をさらに徹底的に追及すべきなのか、それとも世界がその後辿ったように、新しい官の役割の再構築という方向にいくべきなのか、そこは私自身、まだ結論の出ていないところです。

言論NPOの今回のアンケートでも、小泉路線の構造改革をさらに徹底してくれという意見はどちらかというとマイノリティーで、格差問題とか新しい社会の組み立てをどう捉えるかに関心が向かっています。本来は、その辺りを明確にすべきなのです。

内閣が担わなければならないそういう課題を正面から受けとめないで、「美しい国」などと言っているようでは話になりません。戦後レジームからの離脱とか、そんなことが今の課題なのか。課題の選び方が全く間違っていると私は考えます。

加えて、やはり市場化ということについてもう少し原理的な勉強をしなければならないと思っています。資源の最適分配を実現しても、所得の最適分配は実現しません。資源の最適分配、市場ということが言われていますが、では、どういう所得分配構造をつくるかという議論が日本には不在なのです。

その辺りが格差論とも絡むのですが、どういうアプローチをしても資源配分は同じ結果になるということは「コースの定理」で有名ですが、どういうルートをとるかによって所得分配が違ってくる。そこの評価をする論理は経済学にはありません。


私は、「美しい国」には非常に批判的です。一つは、政策目標としてその方向性を全く示唆していないからです。要するに無内容であり、国民の支持を問うべきスローガンとしても不適当だということです。

もう一つは、戦前の行動右翼の発想と同じだということです。日本の行動右翼の特徴で、パトリオティズム(愛国主義)などとも違うところは、美学と重ねるところです。「美しい国」は典型であり、戦前の行動右翼的な発想との近さというものが非常に気になります。戦後レジームからの船出だとか、「美しい国」の基盤はイノベーションによる経済成長の追及だと言っていますが、イノベーションによる経済成長の追及というのは、戦後レジームそのものです。

行動右翼は、政治行動を美学と重ねるということと、心情の絶対化、思想の相対化という特徴を持っているわけです。戦争に突入して敗戦しましたが、日本民族の最大の反省点は、やはり戦前の日本人が合理的思考を欠いていたのではないかということでした。それを今、全部忘れてしまって、「美しい国へ」ということで合理的な政策はできるのか。それで戦後レジームからの船出と言って、そういう反省、あるいは敗戦や民主化という戦後のそこをすっぽりと落として、戦前に回帰して「美しい国」といった心情右翼的なことを言う。これは日本のトップリーダーの思考としては非常に恐ろしいことだと思います。

藤原正彦氏(お茶の水女子大学理学部数学科教授)の『国家の品格』が、なぜもてはやされるのか。行動右翼と重なるでしょう。それは心情の絶対化であり、西欧的な合理思想というものはだめなんだ、武士道の心情です。何か日本が行き詰ると、こういうものが出てくる。戦前の行動右翼、美学の世界に入っていく。「美しい国へ」ということはそういうトーンです。私はこうした傾向を非常に危惧しているのです。

小泉政権の郵政民営化の方が、よほど政策の方向性が明確でした。何をやりたいかが非常にはっきりしますから。ですから、安倍さんは小泉さんの継承者でもなかった。子どもで失敗するということはよくあるパターンですから、小泉さんの場合は、やはりそうだったのかもしれません。

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