松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。
第4話:「安倍氏が掲げる『美しい国』とは『誇り』である」
安倍首相が今回、衛藤晟一さんを落選しているにもかかわらず自民党に復党させようとしたのは、彼の内閣に歴史認識といった意味でのメインのブレーン、同志が全くいないからです。塩崎さんはブレーンですが、美しい国とか歴史や文化、つまり国の誇りとは何なのか、日本人の誇りとは何なのかいうことを語る人ではない。まさに実務的なステーツマンです。幹事長の中川秀直さんの場合には、むしろ森さんから引き継いで、送り込まれている政局のわざ師という側面が非常に強い。「美しい国」を言葉で語るところで、具体的に相談できるメンバーが全くおらず、小泉さんはそんなことは全く関知しないという感じでしょう。
ですから、安倍さんはむしろ、中曽根康弘元総理のところに週に1回通っていると言われています。憲法改正にしても教育基本法の改正にしても、戦後政治の総決算、占領政治を超える、という方向性によって、歴史哲学をある意味では一貫して持っているのは中曽根さんだけだからです。しかし、中曽根さんはもう政局を取り仕切るバイタリティーはないから、長い見通しの形でこれとこれだけはやっておきなさい、靖国に行けば中国との国交の問題が頓挫してしまうから、靖国参拝は自分の信条であって、その自分の信条と国家指導者の政治的な判断というのは別にしておきなさい、そういう大局的な原則を教わっているわけです。
では、安倍さんが実現していくべき「美しい国」とは何なのか。安倍さんの「美しい国」とは、民族の誇りを意味しています。彼の言葉では、アメリカの占領体制がある意味でずっと続いており、その下でつくられた教育基本法や憲法を変えていく、経済も市場原理主義ではなく、教育も国家が指導して公教育をやっていくという方向が分かります。それが要するに、美しい国になる。つまり占領体制や、アメリカ一辺倒が醜いということです。
では、アメリカの占領体制の中でつくられたことを変えて、取り戻すべき日本の原点は何かというと、伝統的な自民党員であれば、地方の文化的伝統とか地域のコミュニティーというところをみんな知っている。しかし、彼の場合には、東京の町の中の政治家の家庭で生まれて、そのような体験がない。そこで公教育と言えば、それは愛国心という言葉で言われるものに近くなってしまう。これに対して郷土愛ということを、私が提案しました。教育基本法前文で、「国と郷土を愛する態度を涵養し」となりましたが、郷土愛、つまりパトリオティズムであって、ナショナリズムになってはいけない。「国を愛する態度や心」の表現には公明党が反対しました。
パトリオティズムというのは、訳の1つは愛国心ですが、それは本来的にいうと祖国愛であり、同時に郷土愛なのです。訳が難しく二重性を持っているから、パトリオティズムという言葉で私は言っているわけですが、要するにパトリ、あるいはギリシャ語で言うとパトリアに対する愛となるわけで、これはファーザー、ファータ、つまりキリスト教で言うところのパードレと同じ語源です。神父さんと同じ語源で、「シンプ」さんの「プ」は「お父さん」です。パトリアというのは、父祖の地です。それは父祖の地の神様であり、父祖の地で育っている両親であり、その同胞であり、彼らの郷土であり、これを全部愛するということになるわけです。ですから、それがそのまま祖国愛という言葉にもなってくるし、同時に郷土愛という、ふるさとの風土を愛する、あるいはふるさとの昔の友達を懐かしく愛するという意味になる。
安倍さんは本来、そのパトリオティズムを実現するために、公教育の再生ということを言っているわけです。ですから、教育再生会議のメインテーマは公教育です。公教育を再構築し、復活させなければならない。しかし、そのようなメインテーマからすると、「美しい国へ」には、教育バウチャー制度とか教育に自由競争を持ち込めばいいという主張が入っていますが、安倍さんとしてはそれよりもやはり、パブリックの役割を再構築したいはずです。戦前に戻れば「滅私奉公」つまり国家教育になりますが、しかし公という概念は、教育基本法には入っていなかったのです。そのためにパトリオティズムのような形で公教育というものを国民に教えていくべきだという立場にあるのです。
現在の教育再生会議の方向は安倍さんが望んでいたものなのか、かなり疑わしく私には見えます。第一、文部科学省の意見が入りすぎている。それに、ばらばらの立場の人が入ったために、あれを入れろ、これを入れろという話になっています。それであのような全然まとまりのない構想になってしまった。その中で一番メッセージ性が強いのが、バウチャー制度や、ゆとり教育を改めろということです。
しかし、安倍さんには、やはり社会の公的な役割を強化するという思想があります。そこは小泉さんとは全然違います。小泉さんが新自由主義、市場原理主義だったとすれば、安倍さんは小泉さんの形をひっくり返しているのに近い。小泉さんの、例えば二項対立の設定と抵抗勢力、そして敵には刺客を送るという対立候補を立てて徹底的にたたくというやり方ということにも、安倍さんは反対でした。政治的なDNAを見れば、安倍さんは常に岸信介のDNAと言いますが、お父さんの安倍晋太郎さんの方のお祖父さんは安倍寛で、小泉さんのお祖父さんは小泉又次郎という、近衛体制の翼賛選挙の地ならしをした人だったのです。その翼賛選挙に反対すると言っていた一人が安倍寛でした。近衛の翼賛選挙は、「おれの政策に反対するやつは全部刺客を向ける」という形でした。その形を小泉さんはとった。それをじっと見ながら、安倍寛の孫である安倍晋三は、そういう翼賛選挙的なやり方はよくないと思っていたはずです。