第4話 本当の政治主導とは官僚を使いこなすこと
安倍政権では政治家などが総理補佐官に就いて脚光を浴び、その位置づけについて大統領制と議院内閣制の違いなどが議論されていますが、この点はアメリカの場合はすっきりしています。大統領が行政権の全権を持っていて、それの補佐官ですから、大統領の命に従って大統領の持っている権限は何でもやれるわけです。国務長官と国防長官との関係のことがよく言われますが、所詮、権限は大統領にあるのですから、どちらに合わせるかは大統領が決めます。
ところが、日本の場合は、外交問題そのものは外務大臣の権限です。内閣も外交をやりますが、内閣の大方針に基づいて個々具体の外交交渉は外務大臣がやる。防衛省ができれば、防衛に関する具体的な措置は防衛大臣の権限です。しかし、補佐官は、いかなる理由でも権限がない。総理大臣の補佐役で、使い走りなのです。議院内閣制だから、それは仕方がないのです。財政担当の補佐官がいても、財務大臣の方に決定権があるのは当然です。そうでなければ、内閣というものはおかしくなってしまいます。非難されているとしても、分担管理原則というものが現にあるわけです。それは憲法上の内閣制度の基本から来ていることですから、否定するわけにいきません。経済財政諮問会議で経済財政担当の大臣がいかに張り切っても、個々具体の、例えば税法改正などは、最終的には財務大臣が国会に提案する責任者になる。
ですから、補佐官には、総理の気持ちを所管の大臣に伝える役割しか与えられていないのです。補佐官に各省に対する指示権限を与える法案をつくろうとしても、憲法を改正しない限り、無理でしょう。
アメリカモデルにならって、総理大臣のリーダーシップでスピーディーに意思決定するのは大事ですが、それを我が国の議院内閣制のもとで実現するために、例えば、財政は財務大臣任せではなく、総理が経済財政諮問会議で大方針は決め、そこには財務大臣も入っているわけですから、決めた方針に基づいて具体化することは財務大臣がやる。予算編成の大方針が決まれば、具体的な予算編成の作業は財務大臣です。ところが、以前は、政策の大枠まで主計局が決めていました。財源が増えているときは誰も文句を言わないので良かったのですが、削り込まなければいけないときは、役人だけでは手に負えないわけです。
外交・安全保障面でも、今回、国家安全保障会議をつくることで混乱は整理されると思います。その場で大方針が決まり、決まった方針に基づいて外務大臣や防衛大臣が仕事をするわけです。そこに総理補佐官が入り込むわけではありません。他の分野でも、例えば、山谷さんが教育問題で総理の意を体して言っていても、具体化は、教育についての行政執行権限を持つ伊吹文部科学大臣しかいません。総理大臣に権限があるわけではない。山谷さんは取次役として総理の意をうまく文部科学大臣に伝え、それを執行面に反映させる役割です。
安倍さんは、物の言い方がオーソドックスで、小泉さんのようにワンフレーズでないからマスコミ受けはしませんが、ことの基本は十分わかっていると思います。
総理補佐官というものは、いわば、秘書官よりも一格上の存在です。特定の政策テーマを与えられて、それに基づいて総理にお仕えするというものであって、ラインではない。秘書官との違いは、秘書官のような単なる連絡役ではなく、ある程度政策面についても自分の意見を持って、総理に進言するところまで言えるということです。補佐官の大きな役割は、各省にまたがるようなテーマについて、総理の意を体して関係者の間の意見を聞き、各省調整の方向づけをする。最終的には総理が閣議で決めますが、事前に省庁間の調整を補佐官の段階でやっておけば非常にスムーズにいく。レゾンデートルはそこにあるのでしょう。省庁間の調整は、役所同士が突っ張り合って、いたずらに時間ばかり経つことが多い。役人のレベルではおりられません。かつては、補佐官の役割は事務の官房副長官がやっていました。なだめたりすかしたりしていました。
補佐官が行う意見調整は、そこで物事が決まるわけではなく、そこで方向が決まれば、所管の大臣がそれを受けて実行に移すというものであり、補佐官が指揮命令権や指示権を持つということは、今の議院内閣制では絶対にあり得ません。
そもそも政治主導というのは、官僚を排除することではなく、官僚をうまく使うということです。それが政治主導です。官僚を排除するというのは、使う側に力がないときに、そういうことになる。力があれば官僚を使いこなします。力がないと、官僚に使われてしまうと思うから、遠ざけろという議論になる。ですから、官僚を遠ざけるような政治主導を言う人は、自分で、自分に政治力がありませんと言っているようなものです。
小泉さんは、官僚を上手に使っていましたが、安倍さんも慣れてくれば、これからだんだんにそうなります。もともと性格はいい人ですから。官僚機構というものは、役人も指導者を見ていますから、使う人の力量によって動き方は変わります。ですから、昔から本当に力のある政治家は官僚主導などということは全く心配していませんでした。この人は政治家として一級の人だ、国のために大変にすばらしい人だと思えば、官僚は自ら一生懸命ついていきます。指導者に力があれば、官僚主導などという思い上がったことを彼らは絶対起こしません。役人はやはりその分野の専門家ですし、そのために月給を払っているのですから、力がある政治家は官僚をどんどん使わない手はないのです。