梅野修 (共同通信政治部次長)
うめの・おさむ
1958年生まれ。81年共同通信入社。大阪社会部を経て90年に政治部。自民党や野党、外務省、首相官邸などを担当、2002年8月より政治部次長。
大石格 (日本経済新聞政治部次長)
おおいし・いたる
1961年生まれ。東京大学法学部卒。国際大学国際関係学科修士課程修了。85年日本経済新聞入社。政治部で首相官邸など担当。国際2部で外務省など担当、99年から2002年まで那覇支局長、この間、沖縄サミットを担当。03年から政治部次長。「連立政権の研究」や「ビジネス新語英訳事典」の共著。
金井辰樹 (東京新聞・中日新聞政治部)
かない・たつき
1963年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、中日新聞社(東京新聞)入社。92年から東京本社政治部。99年からワシントン特派員として米国総局勤務後、2002年に政治部、選挙企画など担当。「マニフェスト」の著書。
倉重篤郎 (毎日新聞政治部編集委員)
くらしげ・あつろう
1953年生まれ。78年毎日新聞入社、水戸支局、青森支局、東京本社整理部を経て政治部。その後、経済部、千葉支局長を経て政治部編集委員。
嶋名隆 (朝日新聞政治部次長)
しまな・たかし
1959年生まれ。横浜市大商学部卒後、83年朝日新聞社入社。前橋支局、北海道報道部、東京社会部などを経て94年から政治部。首相官邸、自民党、野党、選挙本部などを担当。2003年4月から政治部次長。
牧野義司 (ジャーナリスト、言論NPO理事)
まきの・よしじ
1943年生まれ。早稲田大学院経済学研究科修了後、68年毎日新聞社入社。経済部記者としてマクロ、ミクロ経済取材に関わり、88年ロイター通信に転職。2001年日本語ニュースサービス編集長。現在は経済ジャーナリストとともに、アジア開発銀コンサルタントやNPO活動。言論NPO理事。
2003年の日本の政治にとってのキーワードの1つはマニフェスト(政権公約)。衆院総選挙で、自民党、民主党はじめ各政党は、この政策本位の新しい政治スタイルに取り組むために政策公約を掲げ、その政策の目標数値、財源、実現年次などをアピールした。メディアは、このマニフェスト選挙について、どう報道面で取り組んだか、また問題や課題は何だったかを、主要メディアの政治部デスク、編集委員ら報道の現場の担当者に率直に語ってもらった。これが、日本の政治を変えるきっかけになるかどうかが最大のポイントだ。
言論NPOが主催した主要メディアの政治担当デスクや編集委員などとの座談会「マニフェスト選挙でメディア報道はこう対応--報道の現場担当者が語る問題点と今後の課題」では、さまざまな角度からの問題指摘があった。具体的には、まず、各メディアとも、今回の衆院総選挙を、政権選択を問う選挙であると同時に、各政党が、これまでのような言いっ放しに終わる公約ではなく数値目標などを示して政策を競うマニフェスト選挙であるとの位置づけで積極対応した、という。
ところが、各政党の政権公約は、政策の数値目標などの形ばかりにとらわれて、理念や、この国の将来像をどういったものにするかといったものを国民に示しきれていなかった。そればかりか、年金などの重要な政策課題については、ほとんどが、あいまいなものになっていた。このため、メディアとしては、それらを争点化することで、むしろ意識的に問題を浮き彫りにし、政治に対して政策の実行責任を迫ることが必要といった指摘があった。
その際、メディアが何らかの形で政策評価を積極的に行い、有権者に対して政権選択の判断材料を提供し、それを通じて政治に緊張をもたらすべきだとの意見もあった。メディアがこれまでの政局報道から政策報道への切り替えが求められているためで、その観点から、毎日新聞が独自に政策評価報道を行ったことについては、高い評価が出た。ただ、メディア自身に政策評価能力があるのかどうかなども議論になり、むしろ、メディアとしては、政権を担った政党の公約の実行をチェックし責任を問うていくやり方の方がいいのでないかという指摘もあった。
また、マニフェスト選挙報道をめぐって、二大政党制実現をめざすべきか、各政党を公平に扱う報道の原点に立ち返って臨むべきかで議論が分かれた。「自民党と民主党の直接対決」「二大政党制」へといった形での報道傾斜が逆に、有力な無所属候補や市民運動候補、あるいは他の政党などの弾き飛ばすリスクが出かねないためだった。
ただ、各メディアとも、このマニフェスト型政治を定着させることが、日本の政治にとっては重要との点では一致した。そして、今後の国会質疑や参院選などの国政選挙などに問題が反映されるように、メディアが政策公約の実施をチェックを続けることが必要との点でも意見一致した。
「政権選択」「マニフェスト」選挙と位置づけて対応
工藤 政権選択を問う選挙とか、いろいろ言われた今回のマニフェスト選挙の裏側で、メディア報道がどう変わったのか、また変わろうとしたのか、あるいは日本の政治を変えることが出来たのかといったことが、私たち言論NPOの関心事です。そこで、まず、それぞれどういうことを考えて報道しようとしたのか、そして自己評価もしていただきたい。
嶋名 私どもは、総選挙を、政権選択を問う選挙と同時にマニフェスト選挙だと位置づけた。つまり従来の総花的な公約でなくて数値目標や達成期限を示して政策の実現を競うことが、政策本位の政治を進め政権選択の可能性を高めるマニフェストは、その有効なツールと考えたのです。
ただ、マニフェストと言っても、当初は、各社ともどういうふうに日本語に訳していいのか悩んだ。しかも、これまでの選挙公約とどう違うのか。財源の裏づけを含め本当に実現可能な内容なのか。政党ごとにどこがどう違うのか。言葉が上滑りしていかないように各党の内容をきちんと照合し、比較検討していく。マニフェストをめぐる各党の思惑や動きと合わせて、多角的に丁寧に読者に情報を提供しなければいけない。そういうことが非常に大切だと考えました。
このため、解散前からマニフェストをめぐる各党の思惑などを追った「公約の意味」企画から始まって、主要6党のマニフェスト、政権公約が出そろったところで「公約点検」企画、さらに国と地方や年金、経済、雇用、治安といった課題を全国各地の実態を紹介しながら、政治がどう処方箋を示そうとしているのかを、大型ルポ形式で展開、さらに識者のインタビューによる解説や専門記者、論説委員の政策ごとの検証企画、マニフェストの先進地である英国の視点などを幅広く展開した。繰り返しですが、できるだけわかりやすく多面的に紹介していくことを心がけました。
金井 我が社は、マニフェストに早い時期から取り組んできた経緯もあり、衆院選に向けてどういう対応をしていくか、部内や社内でいろいろ議論しました。総論的には、そこまで突出して取り上げる必要があるのか。これは最初に言い出した民主党だけにプラスに終わって広がりがないのでないか。そもそもマニフェストで世の中は変わらないのではないかという議論が国民の中にあったように、社内にも、それがありました。
そこで、我々が行ったのが10年前の選挙制度改革論議との比較。あのとき過半数の人は小選挙区の方が政権交代可能で、政策本位で二大政党になって、いい政治になるという期待があったと思う一方で、でも、民意を反映する、死に票がなくなるとかいう意味で中選挙区の方がいいという論も確実にあった。そんな検証を経て、マニフェストというか、政策中心の選挙にした方がいいか否かという議論に関しては、それはした方がいいに決まっているとなり、最終的に、かなり意図的に紙面を割いて取り組むに至ったのです。
その際、我々が一番心を砕いたのは、この公約、この政権ができると、おれたちの生活がどう変わるのかというところにとにかく持っていきたかった。風が吹けば桶屋がもうかるじゃないですが、政権がかわったときにもうかる桶屋、損する何とか屋はどこなのかということに最後までこだわっていこうと。
例えば高速道路無料化が、大きなテーマになったものですから、高速道路を無料化してもうかるのはだれか。もちろんタクシーの運転手さんとかドライブする人でしょうが、ドライブする人がふえるから、いま閑古鳥が鳴いている伊豆や鬼怒川の温泉はすごく喜ぶのじゃないかと、伊豆の温泉の女将の取材に行かせた。また、アクアラインがタダになると木更津の人はきっと大喜びするだろうと思い、木更津商店街に取材に行ってもらった。ところが、木更津の商店街で買い物せずにみんな横浜に行ってしまうのではないかと思って、それは困ってしまうという声だったりする。政権がかわって政策が変わることによって、一番末端で影響を受ける人たちに触れる努力をし続ける報道をしたつもりです。
大石 うちの社も政策本位の政権選択が最も望ましいのでないかという点では同じです。その際、各党の主張をきちんと報道することにまず重点を置き、各党がマニフェストを発表した時に、2ページ特設面で政策比較一覧表をつくりました。そのときに、社内で一番気をつけようと話し合ったのは、各党の主張を報道するのは当然として、この党はこの点は主張していませんというところも気をつけるという点でした。
ある特定の問題について、その党が丸ごと全く触れていなかったときに、比較一覧表でどこかが空白になってしまう。新聞は、どこかに丸々白いところができてしまうのは何となくみっともないという感があり、そういうのをつくりたくないんですが、今回、一覧表の一番下にコメント欄をつくって、この党はこの問題については主張していない、全く触れていないということをわざわざ書くようにした。主張していないことがよいとか悪いとかいう評価とは別に、読者が気がつくように報道したつもりです。
あと、基本的にはできるだけマニフェスト本位でやりましょう。政策テーマごとに各党の主張はこう違うとか、この党がこういう主張を生み出した背景は何だったとかいう企画もかなり長期的にやりました。マニフェストは推進した方がいいと思いつつも、マニフェストにもまやかしがありますみたいな企画もやりましたし、そういった意味では多角的にできたのではないかと考えています。
各政党の扱い、公平か二大政党制かで当初は手探り
梅野 一言で言うと手探りの報道だったかなという印象ですね。つまり各党を公平に扱うのか、それとも二大政党制という話で自民、民主中心に展開するのか、そこがかなり手探りだった点です。共同通信としては、解散から投票前日までにかけて連載企画とか、あるいは1 ページ特集などを随時やりました。有権者の判断材料を提供する趣旨もあって、それをやったのですが、最初のころに自民党と民主党だけを取りあげたことについて、共同通信の加盟社から、ほかの党は触れないのか、これで公平性を担保できるのかという指摘がありました。
それももっともだなということで、それ以降は、できるだけ公平にという観点も入れ、社民党や共産党を含め各党の主張を同じように紹介しました。特に公示後はそういう形で出さざるを得なかったですね。
ただ、総じて言えば、今回のマニフェスト報道は、各社が力を入れて展開したと思いますし、それによって、政策の争いもさることながら、次の選挙に向けてかなり実績を評価できる目安ができたかなという感じがします。次の選挙のときにそれがどの程度達成できたのかを検証しやすくなったという意味で、一歩前進かなという感じがします。
倉重 今度の選挙をどうとらえるかということで、(2003年)8月ごろ、われわれとしても取り組みを考えた。 9月に自民党総裁選があり、そう遠くない時期に総選挙もあるし、来年(04年)の夏には参院選もある。自民党総裁選を含め国政レベルで日本の進路を問う選挙が3つもあることを考えたときに、ちょっと違った報道をしてもいいのじゃないかと考えたのが1つ。それと、失われた10年から日本経済がどう立ち上がっていくかという流れの中で経済の舵取りでも新たな選択の場面に立っている。しかも外交、安保でも北朝鮮、イラクがあって、アメリカとの関係をどうしていくのかという問題を突きつけられていることもある、それに少子高齢化のもとでの年金問題もある。いずれも政治が取り組まなければいけない課題。最後は国民に投票という形で進路を決めてもらうのが民主主義政治なので、そういった材料をどうやって提供するかということを考えたんです。
たまたま、民主党が自由党と合併してスケールが大きくなり、政党として若干バランスがとれてきて、かつマニフェストがうまく絡んで、二大政党、政権担当能力のある野党ができるのかというような期待感もある。その辺が重なって今回のマニフェスト報道キャンペーンが実現したと思うんです。我々も、そういうことであるならば、それに乗ってどこまで出来るのかやってみようと。基本的には幾つかの重要な政策に民主党と自民党の主張をまず並べて、最後にできたら、どちらがいいのか我々のわかる範囲で評価したいという形で、ずっと報道したんです。途中には、6党あるうち2つの政党だけ特別抜き出して比較することの公平性の問題もいま指摘の点があったのですが、民主党がそれなりの努力をして問題提起をして自民党を引きずり込んだと考えて、そこは割り切って2つの政党についてやってきました。
投票率の低さは意外、マニフェストは浸透せず?
工藤 いま、お話を伺っていると、政治や政権に対して緊張感を持つ紙面づくりができるような一歩を踏み出したのではないか。それが今回のマニフェスト選挙の一つの意味だったと思うんです。あと、政権公約の持つあいまいさを、メディアの報道の中でかなり追及したこともあります。争点を明確にする努力もされたし、あいまいさの裏側で生活実感をわからせるような努力をされているところもあった。そういう意味では、政策報道というか、選挙報道のあり方が、ちょっと変わってきているのではないかという気がします。
ただ、がっかりしたのは投票率の低かったことです。マニフェストで、ワッとなっていたにもかかわらず、そこまで大きく質的に変えていないのは、しようがない問題なのかどうか。そこあたりが多分、報道側から見れば一つの評価のポイントになっていくような気がするのですが......。
牧野 確かに、史上2番目の投票率の低さは一体何が原因だったのか検証が必要です。その場合、政治サイドからの政権公約のアピール内容に問題や課題があったのか、有権者の意識がそれをしっかり受け止めるに至っていなかったのか、とくに無関心層が根強かったのか、あるいは、メディアの報道の仕方、伝え方にまだ問題があったのか、という点が検証のポイントです。今回の座談会のテーマでもある、マニフェスト報道が政治を変えられたか、ということともつながる問題です。
大石 われわれの報道が、政治を変えたかどうかとなると、まだ変わってはいないのでしょうが、先ほど梅野さんが言ったように、これから変わる第一歩にはなったと思うんです。問題は、今後、政府・与党側がマニフェストの主張どおりのことを進めていくのかどうか、メディアの側がきちんとそれを検証できるのかどうか、ということでしょう。
その点で、問題提起したいところがあります。1つは、例えば自民党は、一番最初に総務会を通って発表したマニフェストと、その後に小泉総理が記者会見で発表したもの、最終的に総務省に届け出をしたマニフェストは、読み比べると内容が違うのです。自民党は、いわゆるマニフェストと重点政策とは別のものだとか言ってましたが、マニフェストそのものも、実はコロコロ都合よく変えているところがあります。本当に、自民党が主張した点は実は何だったのかというのを今後検証していく上からも、もともとの主張は何だったのか、そこをあいまいにされてしまうと検証できなくなるので、そこをまずはっきりさせる必要があるということです。
もう1つは、そもそもマニフェストとは何なのかという問題です。例えば失業率を4%台前半にしますと主張した政党が今回あったのですが、目標や政策実現までの期限を定めますというところが特徴と言われているマニフェストで、失業率はここにしますというのがマニフェストなのかどうか。失業率は、日本だけで何とかなる問題だけではなく、アメリカの景気が減速したらどうなるのかとか、そういう問題があったりするわけですね。最終的に経済成長率は幾つにしますとか、失業率は幾つにしますとか、そういった不確定要因があるものを、そもそも公約できるのかどうか。
治安維持のところでも、警察官を何人ふやしますと公約できても、検挙率を上げますとか、そんなことはそもそも公約できるのか。そうすると、マニフェストで公約すべきことは何なのかという点はもう1回、メディアの側も考え直した方がいいところもあるのでしょう。
金井 そもそもマニフェストは、個人的には全く同感なのですが、さらに広げて考えると、今回のマニフェストは、数値・財源・期限という定義にとらわれ過ぎた。つくる側もそうですし、報道する側もとらわれ過ぎた部分が大いにあるのではないかと思います。
だから、大石さんの指摘のように、失業率とか経済成長も、いかに数字を入れるかというのにとらわれている部分が政党側にもあったと思うし、我々報道する側も、何だ数字がないじゃないかといったところで、特に早い時期はそういう視点で一義的に見る傾向が多かったのではないか。その後、我々報道する側もだんだん練れてきて後半はもうちょっと深みが出たと思いますが、当初は違った気がします。
数値はないよりあった方がいいというのは、そうなのでしょうけれども、逆に言うと、国民的に物すごく関心のある教育という問題について、しかも教育基本法改正なるものが近い将来大きな政治課題として上っている中において、教育の理念とかいう話は、今回の選挙戦でほとんどなかったように思います。教育について多少語られたのは、クラスの人数を何人にするかとか、週5日制を見直すとかなんとかいう民主党の議論がありましたが、理念的な部分が非常に欠落してしまっていたのではないか。今までの公約と違うということでタガをはめた数値・財源・期限という言葉によって、若干デジタル型選挙になってしまったゆえに欠落した部分があったのじゃないかと思っています。
マニフェストは数値や目標設定とらわれ過ぎ、結果的に理念欠落
工藤 今のお話で、目標設定のわかりやすさを追求するために、実を言うと、そこは目標の妥当性をきちっと評価しなければいけないのですが、理念がやはりないですよね。ただ、失業率の問題では若手失業者を何十万人減らすとか、そういうことはできるんです。イギリスでもそうでしたよね。そういう形の率でなくて、数という形はできるんです。
梅野 私は、マニフェストに関しては、まだ懐疑的で、多分に一時的な麻疹(はしか)みたいなものでないかという感じを持っています。これが本当に定着するかどうかはまさにこれからだと思うんです。
1つ、データを言いいますと、選挙の前後にやった共同通信のいくつかの世論調査で「マニフェストを重視しますか?」「重視しましたか?」という質問項目に必ず入れていたのです。そうすると、解散、選挙の公示ごろは4割近くが重視すると答えている。ところが、選挙を終わって事後の世論調査では、投票のときに重視したと答えた人は3割を切っていて29%ぐらいしかないです。つまり、選挙の前は4割近くが重視すると言いながら、実際に選挙後にマニフェスト重視で投票したのは3割ぐらいなんです。これは何かということです。
つまり、新聞とかで連日マニフェストと言っているから何となく知っているし、何となく聞いている。しかし、それは実際に投票行動の判断基準になり得ていたのかどうか。そこの検証が必要だと思います。
工藤 メディアの伝え方の問題もありますね。やっぱり難しいのですかね。
梅野 第一義的には政党の問題だと思いますよ。われわれの伝え方は、政党が出したマニフェストをちゃんと伝えています。我々も試行錯誤でしたから、不十分だったのかもしれませんが、まず政党の対応がこなれていなかったと思います。いずれにしても、投票基準としてマニフェストがどの程度重視されたかというと、有権者の側には、まだまだ十分浸透しなかったということだと思います。
倉重 金井さんが言われたけれども、政党のマニフェストも、まとめてみると確かにごつごつしているんです。数字にこだわって書いており、我々もそれにこだわってまとめをしますからね。しかし、ふと考えると、全体像を貫く哲学とか理念みたいなものがどこにあるのかなと思って見渡すと、意外に民主党、自民党とも読み取れない。
実は幾つかの争点について抜き書きして並べてみたのですけれども、最後に国のかたちをどうするのだとよく議論される点で読み込もうと思ったら、どこにも出てこないのです。それで困ってしまって、そのときだけは比較できなかったのだけれども、そういう骨太の部分が本当はあるのです。大きな政府、小さな政府、新保守主義か社民主義か、いろいろあると思うのですけれども、民主党も言うべきところをどうも言っていない、自民党も答えるべきところを答えていない、我々もそれを争点化し切れなかった。だから、わかりにくくて、一言で性格づけられないのですね。
マニフェストと言いながらも一体何を言っているのかわからないという部分があり、そこが有権者、国民に届かなかった。それがゆえに投票率が低かったと言えるのかもしれません。いろいろ聞いてみると、有権者も票を使い分けたんですね。小選挙区は自民党へ入れて、比例は民主党へ入れる。要するに、それは政策で選んでいないのです。ということを考えると、マニフェストについては、雰囲気は出たけれども、第一歩目はそんなに浸透していなかったなということもいえますね。
工藤 政策本位と言いながら、まだまだだった、ということですかね。
各党政権公約のあいまいさが随所に、象徴は年金問題
嶋名 倉重さんが今言われた国のかたちという意味で言えば、一番端的にあらわれたのは年金の問題だと思います。年金は本来国のかたちをめぐる理論が反映しなければいけない。つまり、国が老後の暮らしの面倒をどこまで見るのだというところにかかわってくるわけです。給付を優先して高福祉高負担で大きな政府なのか、負担を抑えて経済活性化に期待する小さな政府なのか。そこが自民党と民主党を見てもかなりあいまいだった。厚生労働省の案は給付優先で、そこは公明党がはっきり言っている。経済界は、経済を殺してしまう年金制度はもたないと。自民党はそこをあいまいにして、当初は年内に改革案をまとめて来年の通常国会に出すはずだったが、民主党が消費税を財源にすると仕掛け、国庫負担の2分の1引き上げも結局、自民党はどんどん入れざるを得なくなった。
だけれども、小泉首相が最後は、給付水準も負担率も公明党に近いところを出してきた。要するに、どこを目指そうとしているのか。公明党に選挙での支援を得たい、連立政権という制限もあるのでしょうが、小泉首相の哲学が見えない。構造改革を進めていけば当然、自由競争重視で、小さな政府ということだけど、年金制度に関して言っていることはかなり大きな政府。片や民主党にしても、給付水準について最初ははっきりしたことを言っていなくて、これも公明党あたりから突っ込まれ50%から50%前半は維持したいと。ある種、大きな政府を否定していないわけです。
外交とか安保はなかなか票にならないということで、民主党も自民党もそこを余り争点にしようとしない。必然的に内政面の論争になるが、では、どこがどれだけ違うのかというと、なかなか有権者にはわかりにくい。年金制度を見ても、それぞれの主張を見ても、どれが本当に自分たちの老後の生活にはプラスなのか。例えば現行制度と比べて国民にそのよしあしがどこまでわかったかというと甚だ疑問です。
もっと言えば、朝日新聞の出口調査でも、政策公約を重視したか、人柄を重視したか、それとも政党の党首を重視したかというデータを調べたのですが、 44%の人が政策公約でした。その意味では、初めてのマニフェスト選挙というのはそれなりに有権者の投票基準としては効果があったかなと思うが、本当にどれだけマニフェストを読み込んで自民党と民主党の違いをわかって民主党に入れた、あるいは自民党に入れたのかというと、そこはなかなか検証が難しいかなと思います。
工藤 年金問題とか、あの辺も民主党が仕掛けたといっても、メディアが迫っていったわけですね。あいまいなところをメディア側がかなり突っ込んでいくことによってそれが争点化するという作業があったと思います。そうでもないですか。
嶋名 年金問題に関しては、そういう傾向があったと思います。我々の生活にとってプラスなのかマイナスなのかというところを示すためには、給付と負担の問題をあいまいにすべきではない。政党同士も、そこがあいまいなままだと政治の責任は果たせないという部分もあって、公明党が民主党のあいまいさを、また民主党が自民党のあいまいさを突く、そして我々メディアもその辺を指摘していく。識者のインタビューを通じて、あるいは専門記者の分析で追及していくと、例えば小泉首相も給付水準の話を言わざるを得なくなった。民主党も給付水準については同様です。
年金問題における今回のマニフェスト選挙のあり方を見ると、政党同士が論争し、メディアも加わって公約をかなり具体的なものにつくり上げていった。まだ全然十分ではないですが、あいまいさを形の見えるものにするという点で、やや肯定的にとらえてもいいかなとは思います。
「政権取れない政党にマニフェスト策定資格なし」は暴言
金井 もう1つ、今回の反省点というで、議論が実は整理できていなかったなと思うことがあります。それはマニフェストなるものが政権をとって実行する政策、要するに政権選択の選挙と政策本位の選挙が、途中からごっちゃになっていた部分があるのじゃないかな、と思うのです。
僕も個人的には、政権をとらない政党の政策というのはあまり意味がないと総論では思いますけれども、途中から特に民主党などが言っていたことは、公明党がマニフェストと言っているけれども、自分で単独政権をとれないのに何がマニフェストかと。それがある種、正論として語られていたような感じがします。しかし政権をとって実行する政策はもちろん一番ストレートでいいのですけれども、政権をとれなければ実現を図る政策はないのかというと、必ずしもそうばかりではないのかなという気がするんです。
例えばイギリスの第3党、自由民主党なるものは立派なマニフェストを掲げて10~15%ぐらいの得票率をとっている。彼らは政権が100%とれない政党ですけれども、それなりに彼らの政策は生かされていって存在しているし、掲げた政策をマニフェストと呼ぶことに対して、イギリス国民はだれも文句を言わないわけです。公明党などが今回の年金財源の定率減税廃止なんて言っているのも、僕は、政権を単独でとれないから言う資格がないというのはあまりにも乱暴な議論だったのではないかと思っています。
とにかくマニフェストと政権選択という2つのキーワードが途中からごっちゃというか、かみ合い過ぎてしまって、政権をとれない政党の出す政策が一段も二段も格下に見られたという事実はあると思います。最たるものが無所属の候補の政策は何の意味もないという議論になっていくのです。特に無所属の候補の場合は公選法のマニフェスト解禁からも外れてしまったので、法的にも格下に置かれてしまったわけですけれども、その問題が今回非常に大きかったのではないかと個人的には思います。
工藤 梅野さんの話で気になったのは公平性の問題です。政権選択とからめた判断で報道するか、公平性でもってすべての政党を取り上げるか、悩みがあったということですか。
梅野 公平性についてはまさにこれからなんでしょうね。選挙結果から見ると、社民党とか共産党支持層は民主党に確実に流れていますよね。それは今回の報道ぶりがかなり影響を与えているのかなというのは感じます。ただ、二大政党制を目指すということであればそうならざるを得ないわけだし、そこはまだ整理がついていないところが各社ともあるのではないでしょうか。だから、これからマニフェスト選挙がもし定着するとすれば、そこのところをどう考えていくのか。報道機関として、どちら側につくとか、そういうところまで問われる場面が出てくるのかもしれません。
「自民・民主直接対決」「二大政党制」報道が無党派など弾き飛ばす?
牧野 この点は、まさにポイントのところです。メディアの報道の仕方が二大政党制、政権選択あるいは、自民党と民主党の直接対決といった形での報道姿勢になると、いや応なしに、それ以外の政党、さらには有力な無所属候補がはじき飛ばされかねない。事実、神奈川8区の選挙で、民主党の岩国哲人氏に敗れた元首相秘書官で無所属の前代議士の江田憲司氏が、「二大政党制を全面に押し出すメディア報道に敗れた」といったコメントをしたようだが、敗退した悔しさを報道姿勢にぶつけ、公平な選挙報道を問うた点は、今回のマニフェスト報道とからめて、考えさせられる。
共同通信の加盟新聞社は、配信してきた共同通信に対して、何で自民党と民主党だけを取り上げるのか、ほかの政党だってあるじゃないかとし、梅野さんらも、それ以降は各政党に配慮した。その判断は正しい。あとは、共産党にしろ、社民党にしろ、有力無所属候補にしろ、敗れた場合、メッセージの発信力が弱かっただけのこと、政権を担えるような政策を出し切れないから淘汰されたのだ、我々メディアが別に意識的にやったのではないというふうに言うしかないのでないか。
嶋名 うちも報道に関してはなるべく不公平がないようには気をつけたし、主要6党で言えば、あとの4党のデータも必ず入れるように配慮しました。しかし、どうしても議席の多さからしても自民、民主が大きくならざるを得ない。それと、政権選択の選挙とマニフェスト選挙は実は表裏一体というか、結局、政権選択を問うという形で小選挙区制度で闘い、マニフェストを出して具体的な政策の実現を競っていけば、それは二大政党を選ぶかという形になっていかざるを得ない。つまり、今の与党か、政権に近い野党第1党のどちらを選ぶのか、必然的にそうならざるを得ない。私も最初はそこまではっきりとは思わなかったのですが、結果を見たら明らかにそうなっています。
結局、政権選択を問う中身がマニフェストではないかなと思ったんです。それはさっきから出ている共産党や社民党の支持者が今回かなり民主党に入れたというところも、単に政策を競うだけだったら明らかに違うわけですから、政策だけでは、はかれない。まさに今回どちらに政権を託すかということでいえば、自民党ではだめだという点で民主党に流れたという状況があったと思います。
ただ、それで結果的に二大政党色が強まったわけですが、政権選択を競うということはイコール二大政党で、二大政党制が本当にいいのかどうかというのは、また別だと思うんです。これは各社や個人で判断が分かれるところです。
金井 イギリスでは、この政党をエンドースするというところまで、アメリカと同じようにやっていると聞きます。さらに、この政策を実現したいと思って自由民主党を支持しているあなたは、ここの選挙区に住んでいればこっちに入れるとこの政権ができますという戦略的投票法指南みたいなことを書いている新聞社も結構クオリティ・ペーパーの中で、タクティカル・ボーティングとか言うらしいです。ここで言うなら、今回は社共支持の人は民主党に入れなさい、そうすれば民主党政権ができますよみたいなことまで書いている新聞社が結構あるようです。
工藤 ところで、メディア側は、マニフェストで何を評価するのですか。例えば政権公約について、数値だけを取り上げてしまうことは本質的な理念が見えなくなるという指摘もあったのですが、評価する側から見れば非常に簡単なんですね。こうだなと採点する数値がありますから。しかし、その先になってくると、さきほど倉重さんが言われたような描いている目標はどちらの方向なのか、ということが問われてくる。メディアの中でも、今までの報道の体制をこういうふうに変えていくとか、多分いろいろさまざまな挑戦があると思うのですけれども、そこあたりはどうですか。
毎日新聞独自の政策評価報道はメディアの新しい試み
牧野 私は、そういう意味で毎日新聞が今回の選挙期間中に独自にやった自民党民主党の2党マニフェストの政策評価報道を評価したい。政策に携わる官僚や、問題意識のある企業関係者も、メディアの新しい試みだ、素晴らしいと評価していた。
有権者に対して、客観的な判断の材料を提供するという意味で、これは誰かがやらなくてはいけない。メディアが単独で政策評価をやれるのか、あるいはシンクタンクとか言論NPOを使ってやるのか、いろいろなやり方があると思うけれども、率直に言って、なかなか大変な作業だ。
私は、今回のマニフェスト選挙で、政治ジャーナリズムも政局報道から政策報道へというスタンスを変えていく場合、具体的に各党が出した政策をどう評価するか、その評価能力をみんなが持たないと、政策報道に脱皮できないと思っていました。どこかのメディアがやるかなと内心、期待していました。
工藤 みんなかなり踏み込んできているんですよ。だから、多分それなりの悩みとか、あるいは手ごたえを感じ始めているのではないですか。
大石 経済問題は、確かに評価が比較的しやすいと思うんですよ。基準という点でも、うちの社の場合には経済研究センターみたいに、それなりに、こういう経済政策が望ましいのではないかみたいなことを研究しているところもあります。それに基づいて評価することは可能だと思うんですね。問題は、教育問題とか、効果がすぐ出るかどうかもわからないし、多分にイデオロギーに絡んでいる問題とか、こういうのが確かにメディアの側としても非常に評価しにくい。特に日本的な、メディアは常に中立ですという立場にいると評価できないというのはそのとおりだと思うんです。
倉重 マニフェスト報道して、自民と民主、2党だけ取り上げるのはある程度やむを得ないとして、政策別に議論させていくと、それぞれの代表者の議論を載せて、これはこっち、これはこっちと。それを聞いて、我々が図表か何かうまく使って議論をきれいに整理して違いを明らかにする。と同時に、この人だけでは信用できないから、社会的にある程度の信用力のある識者にコメントを、どちらがいいのか、ある程度価値観を持ってそれぞれの見方としてコメントしていただく。これまではそれが精いっぱいという感じでした。
ところが、今回の場合、それなりに勉強した記者が、各党の政策を比較し、この辺はまだちょっと足りないとか、言及されていないとかいう指摘が出てきた。そこで、もうちょっと踏み込んでプラス・マイナス、政策別に採点できないかという欲求不満、ストレスがたまってきて、それぞれの取材担当者がもう少し議論して、ある程度我々が政策について判断を読者に提供できるようなスタイルはできないかと思ったのです。言論NPOがそういう形での政策評価、基準、イギリスの尺度を使ってやっているという話を聞いたので、合体してできないかとなり、実現したのです。
実際問題として、やってみて非常にリスクがありました。公示後に入ってやったのですが、まず2党を取り上げること自体がどうなのか、それから、霞ケ関官僚とか政治家の族議員が一生懸命つくったものを我々ごとき記者がそんなに偉そうに採点していいのかと。しかし、意外と好評だったですね。新聞社は今までこういうことを一切してこなかった中で、多少努力したことは自負できる。ただ、その評価の中身については、そうではないのじゃないかという指摘もいろいろありました。でも、政策報道への第一歩です。