約束としてなぜ不合格なのか 工藤が語りま 私たちのマニフェスト評価の作業は、有権者に選挙の際に一つの判断材料を提案したい、ということで6年前から始めています。
そこにはある目的があります。政治に何でもお任せするような政治ではなく、有権者が政治を自ら選んで判断していくような、強い民主政治を作りたい、という強い思いです。
この気持ちが、言論NPOが真っ先に取り組んだマニフェスト評価の原点にあります。
そのために私たちの評価は、あくまでも「国民との約束」にこだわっていあます。政治が国民に提案する公約が約束としてふさわしいのかを、形式や実質の二つの側面から八つの評価基準を用いこの7年の間に5回にわたって評価してきました。特に、今回はその評価作業をオープンにするため、10分野で自民党と民主党の政策別討論会を事前に開催する中で、評価作業を行いました。
今回、まとめた報告書は、これまで言論NPOが公開したものと若干異なります。八つの評価項目に対する点数もすべて公開しております。
全ての作業結果を公開しようと考えたのは、日本のマニフェストが一つの転機を迎えていると判断したからです。
マニフェストは確かに有権者との約束にふさわしいものです。しかし、その体系性なり課題解決の本質的な議論が抜けてしまうと、それがばら撒きのリストに変わってしまう。その危険性を私たちは感じました。
そのために今回は、言論NPOがどのような基準で、またどのような課題認識で評価を行なっているのかをすべて皆さんに公開し、評価項目ごとの具体的な評価の点数も公開して、皆さんの判断を仰ぐことにしたのです。
約束としてはどちらも「不合格」
今回の自民党と民主党の評価は、自民党が100点満点では「総合点」で36点、民主党が31点になりました。
これはかなり低い数字ですが、ただ2年前の07年の参議院選に時にも私たちは自民党に26点、民主党に27点をつけましたから、今回が特別低い評価ということではありません。
この総合点は、「外交・安全保障」から「政治とカネ」まで17分野の個別の評価点数の平均点がその基礎にあります。
ただし、17分野の点数を積み上げた合計の単純な「平均点」は自民党が36点で民主党は27点に過ぎません。
この「総合点」と「平均点」の違いは、総合点には「マニフェスの策定手続き」というマニフェストの立案過程に関する評価を加え、そこに20点の配点をして100点としたため、「総合点」では点数が少し動いたということです。
この30点前後という評価をどう判断するか、ですが、これは約束として体をなしていない。どちらも不合格だと私たちは判断しています。
しかも今回は、政権交代という歴史的局面の中での選挙です。それでも政権を判断するための約束に信頼をもてない、これはきわめて深刻な事態だと私は考えています。
日本の政治が国民との約束を大事に考えるというのならば、私は2年前と同じことを今回も言うしかない。「マニフェストを作り直してほしい」ということです。
評価はなぜ厳しいのか
では、なぜここまで評価が低くなったかということです。
これには三つの要因があります。まず、この二つの党のマニフェストは、約束としての形式的な物差しで見ると、今回も非常に大きな問題があったということです。例えば、目標の数値基準なり期限は約束としてとても大きな要素ですが、それが明らかな政策項目は今回の自民、民主のマニフェストはそれぞれ15%、 13%しかないわけです。
つまり約束の形になっていない。しかも、マニフェストそのものが、その政策の目標、手段といった体系性を持っていない。そのために約束としての形式を判断する形式要件で点数がとても低くなった。
次に、マニフェストそのものが日本の直面している課題の解決に対して、具体的な約束になっていないという問題があります。依然、内容はスローガン的で、特に外交問題のあたりは交渉の「心構え」みたいな言葉で語られている。これは、全く約束と言えません。
最後に、マニフェストの策定にも大きな問題がありました。このプロセスは非常にわかりにくいものですが、私は、マニフェストの作成は、党内の党首選挙からそのドラマが始まっていると考えております。
つまり、党内がマニフェストの作成または決定に関しては一丸となって支持し、その実行に関しては首相なり党首が全責任を負うという形になっていなければ、策定過程に問題があるといわざるを得ません。
しかし、自民党に関しては、マニフェストの作成が遅れ、党内では途中まで自分のマニフェストで戦う、という人たちがいました。麻生首相の姿はマニフェストの中で非常に限定的です。つまり選挙を経て、政権を得たときに誰がこのマニフェストの約束を実現するのか。そのメッセージが国民に伝わらない構造になっています。
民主党は鳩山代表が党首選で掲げた「友愛主義」はマニフェストの骨格になっていません。しかも、マニフェスト自体の政策がアメリカとのFTAの問題のように、重大政策でありながら反発が高まると後から変更になる。これでは、党内におけるマニフェストを軸とした政策決定のメカニズムが確立しているか、かなり疑わしい。
党内でマニフェストを決定し、それが政権公約になり、国民の信を得てそれを実行するというのがマニフェストのサイクルです。
党内の政策の決定メカニズム、つまり党内のガバナンスに問題があるとすれば、どんなに政治主導の制度を整えても、約束の実行に問題を生じる可能性が高い。それを私たちは考慮しました。
評価基準に従ってマニフェストを評価する
今度は言論NPOの評価基準に基づいてマニフェストを見てみます。私たちのマニフェストの評価体系は、「形式基準」と「実質基準」の二つで評価を行なっています。
形式基準とは、内容が約束として認められるような要件を備えているか、を問います。これは数値目標などの測定可能性だけではなく、内容の体系性が問われます。
その課題になぜ取り組むのか。目的や理念など、明確な目標をどのように実現するのか。それが体系的に語られないと、これはまずいわけです。
しかも、マニフェストは現在の日本に問われた課題解決の設計図になっていなければなりません。
この場合は現状や課題の認識が決定的に重要になります。この認識を誤ると、課題設定ができないために、政策自体が意味を持たない、状況を更に悪化させてしまうということがあります。
つまり、言論NPOの評価は、課題認識に裏付けられた政策目的と成果、つまり政策を実行したことで社会にどのような影響をもたらしうるかを求めるもので、その判断の上に立って、私たちは課題解決の政策手段の妥当性を判断し、その実効性を判断しているのです。
こうした評価を皆さんに理解していただくために、私たちは今回の評価書の中に、言論NPOが考えているその分野の課題認識を参考資料として全部つけました。私たちが設定する課題認識のソリューションのスペースの中で、政党がどのような解決策を国民に提示できるか、そこまで踏み込んでいかないと、実質的なマニフェストの評価はできないと私は判断しております。
その上で言わせて貰いますと、まず形式的な問題としては、先ほどから言っているように、二つのマニフェストには共通して体系性がない。数値目標についても不十分です。
ここで私が、特に強調したいことは、体系性を持っていないマニフェストは、ばら撒きリストに変わってしまう可能性があるということです。これは自民党と民主党のマニフェストに共通する傾向ですが、特に今回の民主党のマニフェストに顕著です。
約束というのは問題の課題認識や解決策があってはじめて、その手段として予算や支出があるわけです。それを飛び越えて支出だけを並べて、その財源を明らかにしようとしても、それはあくまで支出の計画表に過ぎなくなる。
これはマニフェストとは全然違うものだと判断せざるを得ないわけです。
言論NPOとしては、例えば民主党のマニフェストが提案している既得権益に縛られたムダを削減し、それを本当に必要な人たちに振り向けることは非常に大事だし、政治に大きな変化をもたらすものだと考えています。
しかし新しく支出するものの内容が政策目的と一致せず、公正なものでないとすれば、それ自体が壮大なムダを創る、壮大なばら撒きになってしまう可能性もあるのです。例えば、民主党がマニフェストで掲げた「子ども手当」や公立高校の実質無料化だけで、年間約6兆円が必要になります。
これは昨年の税収の約46兆円の13%にもなります。
こうした異常な予算の再配分をマニフェストで提案しても、負担の問題は提起していない。それをおかしいと思わない感覚自体、サービス競争がもたらす怖さだと考えます。
そのために私たちは、支出の内容についてもすべて評価基準で判断しなければならないと思ったのです。
個別の政策はどう評価したか
個別の問題に関しても言いたいことはありますが、一言程度にとどめます。まず自民党は、政府で行われている政策を並べているだけですから、体系性があるけれども新しさがない。それからこれまでの実績に伴う総括がない。その教訓をベースにして新しい課題設定ができていない。
つまり、約束のPDCAサイクルが全く働かないまま、マニフェストの作成だけを間に合わせたという内容になっています。
マニフェストは党のカタログではなく約束ですから、国民に約束を提案して、その信を問おうという気迫がないと、今後も政権を継続し、約束に基づいた政治を行なう意志を本当にもっているのか、それを疑われることになります。
個別に言えば、消費税増税とか、財政再建の実行をマニフェストで約束していることは評価できます。しかしこれは、景気回復という仮説の前提条件付きの約束であり、景気が回復しなければこの問題が全部発動しない。
さらに、この景気のために、2年間は経済対策をするという形でマニフェストは主張しており、そうした危機後の出口戦略と財政再建の道筋が整合性をもって語られていないという問題があります。
また、環境、医療、農業などに関しては、利害団体との関係に配慮しているために、抜本的な対策を打ちだせないという問題があります。
これに対して民主党は、個別の政策面では、約束としてかなり新しさを感じさせるものがあります。例えば今回の私たちの評価で最高点を取ったのが、医療の 62点でした。ここでは医師不足や地域の医療崩壊という現状認識の下に、その解決のための成果目標を設定して期限と財源を明らかにしています。これはマニフェストとしてはかなり完成度が高いものです。
同じような課題認識でほとんどの政策を民主党が作っていれば、点数はかなり上がりました。しかしそうなっていないところに大きな問題があるわけです。現に、個別の政策では先進性がありながら、マニフェスト全体や他の政策との整合性から政策自体の先進性を失わせている項目はあります。
例えば環境などの問題に関しては、これまでの京都議定書の目的が達成しない理由として、省エネや企業の自主行動計画頼みでは無理だとの判断から、排出権取引市場の創設などを提案しましたが、今回のマニフェストではその導入時期がはずされました。そして、この環境の問題の上位に、暫定税率の削減という、つまり環境政策の目的と相反する車社会のサービスを提供する政策がおかれてしまった。
つまり個別政策にはっきりとした後退があるのに、それに対する説明もない。個別の政策の先進性を、全体設計の中でそれを壊してしまう。
これでは党内における政策の調整、決定メカニズムがばらばらでマニフェスト型になっていないといわざるを得ません。
問われているのは「政党政治」そのもの
今回全体としてマニフェストを見て言えることは、「日本の政党は未来を競っていない」ということです。
日本の課題で最も大きなものは、急速に進行している少子高齢化・人口減少にどう対応しているか。この一点に尽きます。自民党は「安心社会実現会議」の報告書を軸にその骨格をまとめています。課題の設定でその方向は妥当だと判断しますが、公助・共助・自助のバランスを含めた目指すべき社会のあり方を国民に提起できてはいない。
また、年金・医療でも現状の問題の把握が遅れ、結果としては若い世代に負担を押し付け、世代間のギャップを広げることを黙認しています。
これに対して民主党は、少子高齢化の時代にどう臨むのかについて、課題設定自体に問題があります。少子高齢化の社会は、明らかに経済のパイが縮まります。そのパイを広げる経済対策を全く語らないまま、所得の再分配政策自体を自己目的化している。これでは、この対策はつじつまが合わない。
しかも、急増する社会保障費にサービスについては、誰がどのようなバランスで負担するか、その考えを提示していない。これは国家の運営にとっては致命的な問題であると私たちは考えます。
急増する社会保障を租税だけで対応するのはかなり難しい、と私は考えます。自民党が行ってきた構造改革は、問題はありますが、少なくとも自助の割合を増やす為に競争型社会を目指したということができます。しかしその反面、公助の設計が不足しているところに自民党の問題がありました。
自民党は、今回のマニフェストで曖昧な形ではあるが、消費税の増税を一応は提案した。これは、自民党の公助に対するひとつの答えとも言えます。
では民主党はどういう社会像を描いているのか。問題はそれが全くマニフェストに書かれていないことです。
規制緩和など民の成長に関する政策は全く描かれていない以上、民主党は大きな政府を設計せざるを得ない。ではその負担はどう提起したかというと、マニフェストではそれを先送りしている。
むしろ、自らのばら撒き色の強い支出計画を進めるためには、行政には効率化を迫るという矛盾した政策を並べている。
これでは、政策の全体的な設計の甘さがあるといわざるを得ません。年金制度では保険料と税を分ける問題提起は妥当ですが、ではどう設計するのか、答えは出していない。
つまり、自民党、民主党ともに、人口減や高齢化に伴う課題解決に答えを出せないまま、選挙対策でサービスの競争を行なっている。そうだとしたら、これはマニフェストの書かれ方にとどまらず、日本の未来に対してこの二つの政党は「無責任」としかいいようがない。
政治が、この選挙で未来を語れず、そのツケは若者の未来に先送りする、というのであれば、この選挙で問われているのは政権交代ではない。日本の政党政治の信頼そのものではないか、と私は思う。
まだ選挙が公示されるまで時間はあります。自民党・民主党には日本の未来に向けた責任あるマニフェストを再構築することを、言論NPOはこの場で提案したいと思います。
(この文章は、21世紀臨調が8月9日に開催した「政権公約検証大会」での工藤の発言を一部修正したものです)
⇒マニフェスト評価 詳細はこちらす 「日本の政治は未来を競っていない」