「責任ある決定」の仕組みという点で、日本の政治改革はまだ途上 ~言論NPOは、日本の民主主義の総点検を再開

2020年7月22日

 言論NPOは、日本の民主主義の仕組みの総点検作業を再開し、第1弾として7月17日、「政府の信頼はなぜ低下したのか」と題してWeb座談会を実施しました。

 議論には、言論NPOが昨秋発足させた「日本に強い民主主義をつくる戦略チーム」の共同代表を務める吉田徹氏(北海道大学大学院法学研究科教授)と内山融氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)、さらに、立法過程を中心に日本政治全般を研究する岩井奉信氏(日本大学法学部教授)が参加しました。


 議論では、今回のコロナ危機において、日本では市民が政府を信頼していないため、政府は私権に関わる有効な対策を打てず、結果として政府への信頼がさらに低下するという悪循環が生まれている、という認識で一致。

 また、政府への不信の要因としては、政治がエビデンス(根拠)に基づいて責任ある決定を下し、「ワンボイス」で市民に説明する体制の不在を挙げる声が相次ぎました。そして、専門家の知見を活用しつつ、各機関が一丸となって危機に対処する仕組みを整えるという点で、日本の政治改革はまだ途上にあるという見方で一致しました。


 また、今回のコロナ危機を日本の民主主義の改革につなげるための課題としては、公衆衛生という「リスクの社会化」が求められる領域でリスクを個人に委ねてしまったことは、国家の名に値せず、「政府の役割とは何か」を政府や政治家が改めて自己規定するべきだ、という厳しい意見が出されました。


「説明責任を果たさない政権」というもともとの印象が、危機下で増幅された

kudo.png 初めに、司会を務めた言論NPO代表の工藤泰志は、言論NPOが実施した有識者調査で、コロナ危機への日本政府の対応を65.8%と7割近くが評価していないことや、その結果、日本政府への信頼が「下がった」という回答が41.6%と4割を超え、「もともと信頼していない」と合わせると7割近くの有識者が政府を信頼していないことを紹介。

 加えて、様々な世論調査機関の国際的な調査でも、日本の国民は自国政府の危機対応への評価が突出して低いことを紹介し、こうした国民の意識の要因は何か、と3氏に尋ねました。


yoshida.png 吉田氏は、各国の世論から見る日本の二つの特徴として、「死者数は他の先進国より圧倒的に少ないにもかかわらず、政府への信頼は低い」、そして、「他国では、少なくとも危機発生当初にいったん政権への支持が高まっていたが、日本政府への信頼は当初から低いままである」という点を紹介しました。

 吉田氏はこの理由として、米政治学者ジョン・ザラーの世論調査分析をもとに「大きな事件の際、世論はもともと持っていた認識をより強める傾向にある」と説明。森友・加計学園問題など様々な問題で生じた「安倍政権は何か隠しているのではないか」という印象が、コロナ危機という、説明責任と透明性がとりわけ求められる局面で増幅され、政府への不信につながっている、との認識を示しました。


iwai.png 岩井氏も、吉田氏の説明に同意した上で、政策対応に一貫性の欠如が目立ったことに触れ「本来、危機管理は安倍政権の得意分野だと考えられてきただけに、国民の失望感は大きかったのだろう。その意味では当然の帰結」と、一連の調査結果を解釈しました。


uchiyama.png 内山氏は、今回のコロナ危機では自治体の首長や専門家が前面に出て対策を発信したことを挙げ、「国民の目には彼らの言動が断固としたものに映った一方、政府の対応は不透明で説明責任に欠ける印象を与えた」と分析。政府への不信は、首長や専門家と比べた相対的な評価の側面もある、と語りました。


地方や専門家との関係で目立った、責任回避の姿勢

 これに対し司会の工藤は、政治が信頼を保っている他国でも専門家は活躍しているが、「他国では日本と異なり、最終的な意思決定の責任を政治が負っている」と指摘。「一方、日本では政治不信が裏を返して専門家への期待を生み、それを政治もうまく利用してしまっている」と述べ、こうした責任の所在を巡る混乱を、政治学の視点からどう考えればいいのか、と尋ねました。


 吉田氏はまず、国と地方の関係について、感染症対策では国と地方が権限を共有しており、今回、北海道が全国に先駆けて外出自粛要請に踏み出したように、両者が協調しながらベストプラクティスを模倣し合う関係が理想だ、という見方を提示。その上で、休業要請の範囲などを巡って見られた国と地方の軋轢の背景を、双方に「損をしたくない」「世論受けしたい」という思惑があった、と分析しました。

 また吉田氏は、自治体同士の関係についても、同じ保健所でも運営主体が都道府県か、政令指定都市かによって情報共有のフローが異なるという問題を例示。「国と地方」と「地方間」の双方で、責任領域の重複による政策対応の穴が目立った、と振り返りました。そして、国と地方の関係がどのような制度であれば政策の実効性が増すのかは、政策分野によって異なるため、きめ細かな検討が必要だ、と提起しました。

 また、専門家との関係を巡っても、「専門家は、経済や感染症といった自身の専門分野に対する理解しかない」とし、本来、政治に必要だったのは「総合的、最終的な判断を下す役割だった」と断言。しかし、実際の首相の対応は、マスクの配布や全国一斉休校など、根拠が乏しいだけでなく目的や効果も不明瞭なものばかりで、政策や政権への国民の不信につながった、と語りました。

 さらに、こうした地方や専門家との関係を巡っては、決定事項に関係者が従い、最終的に決定権を持つ人が「ワンボイス」で国民に説明する体制をつくることが、国民の信頼を得る上でも重要だとしました。


 岩井氏はまず、日本政府における「危機」の定義は戦争や災害であり、今回のような感染症による危機を想定していなかったため、政府内でも、初動段階では医官ではなく警察や自衛隊の出身者が対応に当たっていた、と、初動の遅れにつながった事情を紹介しました。

 その上で、今回の政府対応の特徴を、「責任を取る決定ではなく、責任逃れができるような決定をしている」と表現。その象徴が、一緒に会議をしている大臣と専門家が別々に記者会見を開き、しかもその内容が微妙に異なっていることだとし、「国民から見れば何が本当なのかわからず、どう考えても不信感を持たれることになる」と批判しました。


 内山氏は、専門家が政策形成に参加する意味を、「科学的な根拠を提供する」ことだと説明し、吉田氏と同様に「その根拠を踏まえて政治家が主体的に決断するのが、民主主義におけるリーダーの在り方だが、日本にはそれが欠けている」と指摘。この点から、今回の政府対応は「専門家への丸投げ」と「根拠のない思いつき」の両極端に振れてしまっている、と断じました。


政治改革の副作用と、さらに改革が必要な部分とが浮き彫りに

 ここで工藤は、今回のコロナ危機では地方や専門家との関係だけでなく、戦略立案の母体である首相官邸そのものに意思決定の混乱が見られたことに言及。90年代以降の政治改革の目的は官邸機能の強化だったはずだが、今回の危機でそれが全く機能していない現状をどう見ればいいのか、と3氏に問いました。


 内山氏はまず、「官邸主導の政策決定は、エビデンスに基づいたものであって初めて効果が出る」と、改めてエビデンス不在の問題を強調。その背景として、官邸機能の強化により、政策立案の専門家である官僚の力が低下し、官僚組織全体の意見が政策形成に吸い上げられなくなってしまったことを挙げました。

 さらに工藤が、政府と専門家との関係における「責任主体の明確化」は、民主党政権時代に流行した新型インフルエンザ(A/H1N1)の総括会議でも提言されていた、と指摘したことに対し、「政権が代わるために官僚を取り替えていたら、前の政権の経験が失われてしまう」と苦言し、こうした観点から、官僚機構の専門性、中立性や継続性と、政治主導とのバランスをどう図るかが今後の課題になると語りました。


 また、内山氏は官邸の体制について「本来、内閣危機管理監が司令塔になるはずであり、その機能は自然災害に対してはかなり強化されてきた」としつつ、コロナのような未知の事態に対しては、「本当の集権化がされておらず、縦割り的な体制を引きずっていることが浮き彫りになった」と評価。

 吉田氏が述べた「ワンボイス」にも関連し、海外から日本への入国制限の根拠となる法令が、相手国によって異なり、その所管が各省にまたがっていることを例に挙げ、「各省のホームページも、国民から見て表現が非常にわかりにくい」と懸念しました。


 岩井氏も行政の継続性を巡って、過去の感染症の経験を今回のコロナ対策に活かした韓国や台湾と異なり、「過去の経験や情報を伝達していく仕組みが、日本には欠けているのではないか」と課題を挙げました。

 また、官邸で誰が意思決定権を握っているのか、ここ1~2年ほどの間に不透明になってきていたと紹介。「官邸システムが一種の制度疲労を起こしていたところに、今回のコロナ危機が襲ってきた」との見方を示しました。

 その上で、西村経済再生担当相が、国民への説明を含めてコロナ対策を統括する体制について「一つの形になってきた」としながらも、菅官房長官などとの関係で、西村氏にどのくらいの権限があるのかが不透明だ、との見解を提示。国民に対して権限の所在を可視化していく組織づくりが必要になる、と訴えました。


政府が信頼されないため、有効な政策が打てない、という悪循環

 吉田氏は、国民の政府に対する「信頼」に、改めて焦点を当てました。

 同氏はまず、「在外邦人を帰国させるための各国との調整などは、危機管理機能がうまく働いたところ」としつつ、コロナ対策全体を見れば、地方との連携も含め政策のバリエーションが広く、「これまで目指されてきた危機管理の在り方とは、違う形で取り組まなければいけない」と指摘。

 その上で、「日本は基本的に、危機に非常に弱い国家であり、危機に対応する政府への信頼が低いのは致命的な話。政府が信頼されていないと、私権を制限するような強権的な政策が打てない。すると、人々はますます不安になって、政府は信頼されなくなる。そうなると、ますます有効な政策を打ち出しにくくなる」と、日本が陥っている「悪循環」の状況について、自身の見立てを示しました。さらに吉田氏は、「感染者の検知や追跡にはIT技術の活用が有効だが、日本にはそれを可能とする法律も技術もない」と今回の危機の性質に触れつつ、「政府が国民を信頼せず、情報を透明にしないのだから、国民が自分の個人情報を隠すのは当たり前だ。それによって有効な政策が打てず、全体の厚生が下がってしまう」と重ねて強調。この状況を解決するためには、政府の多様な情報公開と、市民の政治参加という「厚い民主主義」の両輪を機能させることが必要だ、と訴えました。


 岩井氏は国民の「信頼」に関連し、連日のテレビ報道やSNSでの不正確な情報により国民の不安が高まる中、「トップリーダーが明確な情報や指示を出さなかった」ことが、政府に対する世論の評価が低い要因の一つだ、と指摘。「安倍首相は記者会見でも原稿を読んでいるだけで、自分の言葉でわかりやすく伝えようという姿勢がない。そうすると国民も、首相の言葉を信じようとは思わない」と述べました。


民間委託を巡る混乱の背景には
「公共領域を誰が担うのか」という哲学の不徹底がある

 続いて、議題は不透明な再委託や給付の遅れなど、民間委託を巡る混乱に移りました。

 岩井氏は、「日本の官僚は、全ての政策を自己完結的に実施しようとする傾向がある」と述べた上で、「例えば企業への給付金を一つとってみても、民間の金融システムを活用すれば、もっと迅速かつ自動的に給付が進んだはずだが、そのインフラが整っていない」と指摘。こうした「旧来的な昭和の時代の仕組み」の検証と是正が大きな課題になる、と語りました。

 一方、内山氏は、単なる発注のルールや行政のデジタル化の問題だけではなく、「公共領域を誰が担うのか」という哲学が徹底されていないことに問題の根源がある、という見方を提示。「北欧のように、国や自治体が大きな役割を担うシステムもあれば、英国のように市場メカニズムに委ねるシステムもあり、どちらが正解か、ということではない」としつつ、「日本の場合、行政改革によって公務員の削減や民間委託を進めながらも、実際の行政手続きを見ると、市場の効率性を活かすデジタル化が中途半端だ」という矛盾点に言及しました。


「リスクの社会化」が求められる公衆衛生で

リスクを個人化してしまった日本は、国家に値せず

 最後に司会の工藤は、各国の専門家と意見交換を重ねた結果、コロナ対策の成否を握るのはやはり市民の政府に対する「信頼」だ、という結論に行き着いたことを紹介。しかし、言論NPOがこれまで実施した世論調査では、日本の国民は、政府や国会、政党をほとんど信頼しておらず、政治家を自分たちの代表と思っていない人が多数を占める状況ですらある、と指摘します。

 一方、今回のコロナ危機を機に多くの市民が当事者として政治を考え、SNSなどで声を上げ始めていることに触れ、「こうした動きを、日本の民主主義の大きな変化につなげるためには、何が必要なのか」と問いかけました。


 岩井氏は、政治家への信頼が低いのは各国に共通する傾向だが、日本の特徴は、それだけでなく民主主義のシステム自体を市民が信頼していない点にあると指摘。これは日本の民主主義の成り立ちとも関係しており、そう簡単に解決する問題ではない、と語りました。

 一方、今回の危機で、「国家や政府の役割、目的とは何なのか」という論点が浮かび上がっていると述べ、日本の政府や政治家、政党がこの点をきちんと自己規定することから、民主主義改革の動きをスタートしなければならない、と訴えました。


 吉田氏も「政府の役割」に言及。「本来、政府の役割は、リスクを皆でカバーできるような制度をつくったり、それに対する信頼を醸成したりすること。しかし、90年代以降の日本は、教育や医療・介護など、本当は社会化しなければいけないリスクを個人化する方向に進んでしまった。その結果、市民は疲弊し、剥奪感を抱いている状況だ」と指摘しました。

 そして、政府の強権的な措置に頼らない個人の感染防止の努力によって、感染者数を低く抑えている日本の現状は、「リスクの社会化」が最も必要な公衆衛生の領域で、リスクを個人化してしまった帰結だ、という見方を提示。それでは国家の名に値せず、ましてやそれを政治家が「民度が高い」と喜んでいる場合ではない、と警鐘を鳴らしました。


 その後、視聴者との質疑応答を経て、工藤が「政治が責任をもって決断し、その中で専門家の英知も活かされる体制づくりが必要な局面だ」と議論を総括。「今回のような日本の民主主義や統治機構の総点検を続け、それをどう変えればいいのかという提案につなげたい」と語り、白熱した議論を締めくくりました。

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