この一連の政治の騒動を見ていて、どうしても理解できない素朴な疑問がある。
なぜこの国の政治は、国民に「信」を問おうとしないのか、ということである。
発生後3カ月たっても被災地は瓦礫の山。避難所の劣悪環境から抜け出せないまま、被災者の11万人余は未だに生存の危機に直面している。原発震災の処理は遅れ、汚染地域から避難した住民は今後の人生すら描けない。
被災者の一人ひとりの命を救うためには、非常事態を宣言し、政府一体で取り組む局面だったが、この3カ月間、政権は迅速で有効な対策の方向すら示せないでいる。
そればかりか、首相の不信任を巡って党内分裂を招き、政治家同士の騙し合いは、嘘をついた、つかないの話となり、政治の亀裂の修復はもはや不可能となった。
それでもなお、菅政権の退陣を巡って、政権にしがみつく政治家と降ろしたい政治家が、毎日のように党内外で駆け引きを繰り返している。
この非常時に政治が機能しない、いやこの国の政治が壊れている。こんな政治を目前にして、こんな政治家、全員いらない、と思っている人も多いだろう。
私の疑問は、この状況に至っても、私たちは、この国の政治をただ見ていることしかできないのか、ということだ。
戦時下の英国でも、関東大震災後でも総選挙は行われた
こんな時に選挙なんてとんでもない、という意見があるのは事実である。だが、よく考えてみると、その根拠はいささか脆弱である。
1945年に英国では総選挙が行われ、戦争を指揮したチャーチルが退陣に追い込まれている。ヒトラーが自殺をした直後だから、戦局はほぼ決していたが、まだ戦争中である。
日本でも関東大震災時には、政治の混乱から5カ月後に解散が行われ、震災の影響で選挙人名簿の作成に時間を要したが8カ月後に総選挙が行われている。
選挙は民主主義を支えるための重要な装置である。であるならば、困難があるから、国民には信を問えないのは政治サイドの身勝手な言い訳に聞こえる。困難があるからこそ、国民の信を得た「強い政治」で難局に当たる必要がある、と思うからだ。
多くの有力メディアも、選挙はとんでもない、という風潮づくりに加担している。
しかし、その議論をつぶさに読んでみても、危機下では「政局」ではなく、みんなで力を合わせるべき、程度の論拠しか提起できていない。今の政権に力を合わせるべき、と署名入りで書いている記者もいる。
だが、これらの議論がおかしいのは、この国の政治の混乱は、大震災という自然災害によってもたらされてわけではなく、政権政党である民主党が事実上分裂し、政党間の対立から、政府が十分に機能しなくなっていることにある。
そうした政治の機能不全が、未曾有の震災での対応を遅らせ、原発事故に伴う日本社会のパラダイムの転換に向かい合えない事態を招いている。いわば私たちが直面しているのは統治の危機なのである。
しかも日本の首相は、米国のブッシュ大統領があの9.11で見せたように国民の合意や政治家全体をまとめ上げる力もなく、自己の権力を維持するために躍起である。そして、国民の強い支持を得ていない。
その政治の誰に力を合わせればいいのか。その現実を直視する論調は皆無である。いわばほとんどのメディアは、政局のどちらかに加担しながら、お互いの正義を言い合っているだけにすぎない。
その正義に、ぽっかりと穴が空いたように無視された存在がある。それこそ、有権者の存在である。
いまの政党は烏合の衆になっている
ちょうど菅首相の不信任決議が衆議院に提案された6月2日。同じ時間に偶然にも言論NPOはアドバイザリーボードの会議を行っていた。
アドバイザリーボードは、小林陽太郎氏、明石康氏、佐々木毅氏ら9氏で構成されている。この日は多くの人の都合が悪く、出席したのは前岩手県知事で、総務大臣も務めた増田寛也氏、オリックス会長の宮内義彦氏、大和総研理事長の武藤敏郎氏の3氏である。
当然、今まさに行われようとしている、首相への不信任決議がその議題となった。
私たちの問題意識は、今の日本の政治の状況をどう認識するか、である。
3氏との議論の中で、今、問われているのはこの国の「統治の崩壊」だと、言い切ったのは宮内氏だった。
宮内氏は、政治とは統治の仕組みと、政党、そして政治と行政の関係という3つの要素で構成されている、としたうえで、「そういうものが、うまくつながっていないと政治というのは動かない。私はそれらが今潰れてしまっているとしか思えない」と語り、さらに特に問われるべきなのは政党の在り方だ、として次のように語っている。
「今の政権政党は本当に政党なのだろうか。言うなれば、綱領のない政党です。綱領がないのに集まるというのは何なのだろうか。この指止まれというけど、何に止まっているかわからない、いわゆる烏合の衆なのです。綱領がない政党はあり得ない。綱領らしきものはマニフェストということで選挙を戦ってきたけれども、勝った途端にそこに書かれたものはどれもこれもダメだと言われている。自民党もそうだったし、今の民主党も政治を行うには相応しくない集団になっているのではないか、というのが実態だと思う。これは、全てやり直さなければいけない」
「解散、総選挙」でしか答えは出ない
政党が「烏合の衆」になっている。意外だったのは、宮内氏のこんな厳しい指摘に他の2氏も同調したことだ。
武藤氏も、不信任を巡る混乱の原因を、「民主党が政党として体をなしていないこと」とし、「出自から見ても、党の中には右から左までいろいろいて、とても1つの政策を標榜しているとは思えない。たまたま大震災が起こり、野党から不信任ということになったときに、色々な意見があって与党がまとまらない、という矛盾が浮き上がっただけ」という。
増田氏は、「結局、最後は、こうした政権を選んでしまった我が身の不明を恥じるしかない。政党政治はゼロから出発し直さなくてはならないが、その時には政治のゲームにうち興じている政治家には、二度と国政を託したくないな、というのが率直な思い」とまで、言い切る。
こうした日本の政治の状況をどう打開できるのか。これに対する3氏の意見は、時期の問題での意見に差はあるにしても、いずれも「解散、総選挙」でしか答えは出ない、ということである。
武藤氏は、「最も望ましくて、かつ可能なシナリオは、最終的には選挙をするべきだと思う。そうでない限り、この問題は整理がつかない。何らかの意味で、選挙までの暫定的な政権をとりあえずつくる。それで、きちんと選挙をする。その時が勝負になって、そこから新たな政治に転換していく、というのが最も望ましい姿」。
そして、こう付け加えた。
「極端な話をすれば、別に首相がどうであれ、政治がどうであれ、日本国民はこの震災を必ず乗り切っていく。その程度のまとまりと、知恵と力はあると思います。ですから、震災を全ての理由にして、政治の動きをそれによって封じてしまうことは、適当ではないと思う」。※1
なぜ解散したくないかその理由はきわめて単純
私たちが、「国民の信」を問うべきだと主張しているのは、今の政治の混乱のままでは、迅速にこの震災での被災者の生活再建や雇用の復興に答えを出すことは困難だ、と考えるからだ。
私も東北出身だからよく分かるが、梅雨が明け、夏祭りが終わる頃には厳しい冬の気配が迫ってくる。被災地にあまり時間は残されていない。
私は、こうした政治の危機的な病巣を棚上げにしても政治がその機能を取り戻す最大のチャンスが、この大震災だと思っていた。
被災者の命の救済や被災地の復興に、国民との合意を形成して、課題に対して政治が協力して一体として取り組む。政治が課題を通して国民と繋がる。それこそが、震災のみならずこの国の復興に道を開くと期待したからだ。
だが、震災対応が遅れるまま首相の退陣騒動に発展し、野党を巻き込んでこの難局に対応できる体制は震災後3カ月経っても実現していない。
そして付け加えるとすれば、この危機下で機能不全に陥っている民主主義そのものに、私たち自身がどう向かい合うのか、という問題がある。
民主政治では、有権者は自分の代表として政治家や政党を選び、政党や政治家はその代表として課題に取り組む。こんな緊張感あるつながりが、本来の民主政治に問われる関係のはずである。
その有権者の代表という姿を、今の政治に感じている人は皆無だろう。
この国の政党がなぜここまで崩壊の危機に至っているのか。その問題を有権者は真剣に考える局面に今、立っていると思うのである。
しかも、この局面においても政治の視野にあるのは国民の姿ではない。一度奪った権力を手放したくないという政治の力学だけなのである。
なぜ日本の政治は解散をしたくないのか。その理由は極めて単純である。
2年前の衆議院選挙で得た政治家の数をそのまま、なるべく長く維持したい、率直に言えば政治家の地位を守りたい、だけの理由である。
これを民主党の最長老の渡部恒三氏に直接聞いたことがある。
ちょうど、小沢一郎氏との誕生日を一緒に祝う会に出席した、その翌日の朝の勉強会の席上である。
首相は選挙を権力維持の道具としかみていない
地元の福島原発の被害に対する心労で毎日なかなか眠れずに、白髪が増えたという渡部氏は、スピーチで「原子力発電の事故の問題は、単に福島県が滅びる、滅びないというより、日本の国が滅びる、滅びないかの問題。国益優先、挙国一致で取り組むしかない」と力説する。
その渡部氏に失礼ながらこう聞いてみた。
「こういう国難の時は国民の強い支持がどうしても重要だと思うが、このまま選挙はやらなくていいのでしょうか」
答えは極めて明快だった。
「選挙をやれば民主党が惨敗します。今の小沢チルドレンの150人の中で残るのは5、6人でしょう。一票の格差というのがあります。それを直さないでやると、憲法違反だと言われる可能性があります。再来年の9月まで、あと任期は2年4カ月あります。だからあと2年は解散ありません」
私がどうしても理解できないのは解散に関する首相の認識である。国民に信を問うという、民主主義の基本を、権力維持の道具としか考えていない言動が相次ぐからである。
政治の混乱の中で、解散を巡って驚くべき首相の発言が何度かあった。
第一に、菅首相は不信任の可決の公算が高まりかけたまさにぎりぎりの段階で、党内の選挙に弱い政治家の反旗を抑え込むように、解散の準備をするように指示をしている。
さらに、新聞報道によると、様々な議員との会合で、大連立前提で名前が挙がった谷垣自民党総裁に関して「谷垣にやらせたら6カ月以内に解散をするだろう」と難色を示している。
首相が、解散に関して誰よりも慎重であることはわかるし、選挙の結果を意識するのも当然だろう。しかし、解散が、党内の反対派を抑える方便に使われたり、議席を失うことを避け、国民に選択を求めないとしたら、政治の目的は権力闘争以外なにものでもない。
より多くの人が望めばそれは必ず実現する
もちろん、私が、国民の信を問うべき、と主張するだけでは政治はそれを決断しないだろう。しかし、より多くの人がそれを望めば、それは必ず実現する、と私は信じる。
被災地では多くの市民や専門家が、被災者の生活救援に取り組んでいる。福島でも放射能汚染の健康のモニタリングが市民参加で動き始めた。
多くの人が、目の前の課題に一体となって取り組む。その支援の輪は、被災地が距離的に広がり、深刻な被害状況の困難の中でも確実に広がっている。
こうした国民側の立場に立った、課題に取り組む政治を私たち自身が強く求めなくてはならない。
私は今すぐに選挙を行えと、主張するのではない。なるべく早い実施を国民に約束し、それまでに政治が一体となって、被災者と被災地の再建に取り組むべき、である。その一方で衆議院の一票の格差の是正などの選挙準備を進める。
やる気になれば数カ月で出来るだろう。
だが、同時に、政党の再建や再編に取り組む必要がある。それを国民側が提起すべきである。そのためには、社会保障やエネルギー、安全保障など主要な政策ごとの選択肢を提起し、それを政治家に求める必要がある。
私たちのNPOはそれを議論の力で進めようと考えている。
このプロセスはかなり長期化する可能性がある。これだけ、政党政治が壊れている現状では、国民が何回も政治家を選ぶことによって、新しい政党なり政治家の像が、だんだん国民に伝わってくる。そういうプロセスを経ないと、新しい政治は作れないだろう。
ただ、これ以上、先延ばしには出来ない。だから、私たちは解散求める。そこから、この国の政治に変化を起こしたいからである。
政治の世界では今なお、権力に固執する首相のもとで、退任時期も固まらず、様々な政策課題が停滞している。
私たちはそうした政治に、全て白紙委任したわけではない、のである。
※1 「『政治の崩壊』を有権者はどう直視すべきか」の全容はこちらから