私たち言論NPOの事務所は、とても少人数で運営しています。にもかかわらず、「世界を、日本を良くしたい」と強く願う国内外の多くの有識者、政治家、市民等を巻き込み、フォーラムの実施や国際会議の開催等を通じて、世界に非常に力強い流れを作り出しています。
私たちの活動は、とてつもなく大きく見えたり、全体像を把握しづらかったりするかもしれません。自分にとっては大きすぎる問題だと感じる方もいるかもしれません。ですが、我々スタッフも皆、「まずは知ることから始めよう」と、「自分にできることから始めよう」と、ここに集っています。
スタッフの想いにもし共感していただけるようであれば、ぜひ一緒に活動していきましょう。スタッフとして、会員として、サポーターとして、皆様と関わることができることを楽しみにしております。
言論NPOの "ひと"
事務局次長
2008年2月入職
立命館大学法学部卒。卒業後に言論NPOに参画して以降、フォーラムの企画・運営、その他コンテンツ制作、政策、会員を含む組織管理などを担う。
言論NPOに参画した経緯を教えてください。
何年も選挙が行われず無投票で当選をしている地元の田舎の町で、とある企業経営者の方が「今のままではいけない」ということで一念発起し、立候補したことがありました。そして、当初は負けるだろうと言われていたものの、住民が勝手連的にその立候補者を応援し、結果として数十票差でその立候補者が当選したのです。そういった出来事を目の当たりにして、「今のままではいけない」「何かを変えたい」と思う人が動くことで、何かが大きく変わるという"民主主義"というものは素晴らしいと、改めて思いました。そうしたことを、地方や国ベースでやっている団体がいないかと調べ始めた結果行きついたのが言論NPOで、今に至ります。
「民主主義」を守ろうと走り続けている言論NPOに身を置き長く活動していらっしゃった今、改めて、どういったことを実現したいと考えていらっしゃいますか。
国際社会でも日本でも、今まで当然だと思っていたことが全て崩れ始めていると感じています。子供や孫の世代の日本や世界がどのような状況になっているか、想像すらできません。それでも、先人たちが今の世代に引き継いできた日本や世界を次の世代にしっかりと引継ぎ、少しでも良い形でバトンを渡すことができるよう、微力ながら何かできればとは思っています。
国際部部長 西村友穂 Yuho Nishimura
2010年1月~
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の国際関係学(国際政治)専攻を卒業。留学・在学中は地域の環境保護団体でのボランティアや国会議員のオフィスでのアルバイトに従事。卒業後は言論NPOにて国際対話・調査の企画・運営に携わる。
言論NPOとの出会いを教えてください。
言論NPOについては知人の紹介で知りましたが、当時はマニフェスト選挙が注目を浴びていた頃で、その中で、評論家的な評価ではなく、有権者への適切な判断材料の提供のため、各党の公約と政権の公約の実行度を厳しく且つ細密に評価していたまっすぐな姿勢に感銘を受けました。当時HPで掲載していた公約評価等は、学生には専門的で難しく感じましたが、中庸で中立・客観的な立場から、日本の民主主義の強化のために市民社会に情報を伝えたいとの姿勢が伝わってきました。
日本の民主主義のための活動に感銘を受けられたのですね。言論NPOに参画されて以降、そういったマニュフェスト評価等をされてきたのでしょうか。
言論NPOに参画してからは、もともと関心のあった政策評価・政権実績評価の業務ではなく、たまたま担当職員がいなかった日中の民間対話「東京-北京フォーラム」の担当を拝命しました。以来12年以上、本対話の企画・運営に従事し、中国側関係者との協議のため、北京には50回近く訪問しました。この対話の関係で私が初めて中国を訪問したのは2010年でしたが、世界金融危機後にいち早く国内経済を回復させ、グローバル経済を牽引した中国のダイナミックな勢いや人々のエネルギーに圧倒されたのを覚えています。2010年代は日中二か国のバランスや二国間関係を取り巻く環境が激変した時で、政府間の対立も激化するなど「東京-北京フォーラム」の運営も難しい時期が続きました。国情が大きく異なる中国との民間対話では意見の食い違いも多いですが、日本にとって最も重要な隣国であり、喧嘩をしながらも民間で中長期的に継続して対話を行っていくことが肝要だと思います。
10年間ずっと東京―北京フォーラムに携わっていらっしゃるのですね。今後、その対話を続けていくということも含め、言論NPOのスタッフとして実現したいことを教えてください。
東アジアの安定した発展と協力関係の強化に努めたいと思います。20年、30年先の日本の未来を考えた場合、中国をはじめ東アジアの国々との協力関係は、日本の経済、貿易、産業、安全保障、グローバル課題への取り組みでも不可欠であり、少子高齢化が進む日本社会において活力を与えてくれる重要な存在です。地理的、政治的、文化・宗教的に隔たりはありますが、それでも次世代が共通の基盤を模索し協力関係を強めていかなければなりません。「東京-北京フォーラム」などの言論NPOが進める民間対話の取り組みがその一助となればと思います。
秋山千皓 Chihiro Akiyama
2022年 6月~ インターン生
東北大学大学院農学研究科卒業予定。在学中は、RICE Universityでの研究インターンシップ(中谷医工計測技術振興財団)やPaderborn大学での短期留学を経験。また、課外では国際NGO Habitat for Humanityの学生支部での活動、国内NPOこころの森の活動に従事。言論NPO参画後は、コンテンツ作成や広報活動に携わる。
言論NPOとの出会いを教えてください。
修士二年の春、私は就職活動を終え、民間企業に身を置くことに決めました。ただ、「営利企業に身を置いたとしても、社会的意義や世界全体を広く視る目は持ち続けることができる人間でいたい」という想いから、JICAが運営するPARTNERという国際協力分野に特化した求人サイトでインターンを探し始めました。そこで出会ったのが言論NPOです。
就職活動後のインターン参画だったのですね。学生生活はあと1年もない中、なぜ応募しようと思ったのでしょうか。
言論NPOの活動における大きなキーワードである「政治」に関しては、正直なんの経験も知識もなかったのですが、「世界で起こっている変化をリアルタイムで知り、自分なりの視点で捉える目を養ったうえで就職したい」と応募しました。現在は東北在住のため、リモートとオフラインのハイブリットで (月に1度ほど1週間ほど東京に滞在する形)で活動しています。
言論NPOから就職先へ経験を活かす、という意識をお持ちのようですが、具体的にどのようなことを目指しているのですか。
就職までの約半年間、12月の東京-北京フォーラムと3月の東京会議の内容をより多くの方に届ける、ということに貢献したいと考えています。そして言論NPO卒業後は、インターンで養った視点を大切にしながら、高校生の頃からの関心ごとである国際開発に携わりたいです。民間企業において「国際開発×ビジネス」のスキームを作り上げていくということが、私の1つの目標です。また、これはやや抽象度が高すぎる表現かもしれませんが、一日本人として、一地球人として、かつて訪れた発展途上国で出会った住民に、今まで私を導いてくれた方々に、恥じない生き方のできる、世界のどこかで起こっている問題を見て見ぬふりをしない、そんな大人になりたいです。
2022年 8月~ インターン生
早稲田大学国際教養学部3年。2年生の秋から約1年間、デンマークのコペンハーゲン大学にて交換留学を経験。言論N P O参画後は、広報活動やフォーラムの議事録作成に携わる。
言論NPOとの出会いを教えてください。
留学先の大学で現地の移民政策を学んだ際に、政党のマニフェストやメディアでの感情的なメッセージにより世論が動き、社会がより排他的な政策に寄っていった過程を目の当たりにしました。その際に、社会問題について安易な言動に流されるのではなく、自分で考える力を身につけたいと強く思うようになりました。また、将来は本質的な課題や長期的な影響を分析して課題解決のための政策立案に貢献したい、という想いを抱き始めました。そんな中で、社会課題の調査や提言を行うシンクタンク業界に興味を持ち、帰国後にインターンシップをネットで探していたところ、言論NPOのWebサイトに辿り着きました。
数あるシンクタンクの中で、なぜ言論N POに応募しようと思ったのでしょうか。
言論NPOが行う議論をWebサイトやYouTubeで見ている中で、課題を本質から捉え直す様々な視点に刺激をもらいました。「言論NPOの"言論の力で課題に立ち向かう"というミッションをもっと間近で体感したい」という想いが強くなり、インターンシップへの応募を決めました。
言論NPOにインターン参加して、どんなことがよかったと思っていますか。
一番は、政治や社会の問題に対する自らの立ち位置を問い続ける機会に溢れていることです。課題解決の最前線の議論を、多様なネットワークを築いて繰り広げる言論N P Oの活動はとても刺激的で、世の中で起こっていることについて当事者として考えるようになりました。また、言論N P Oに関わる全ての人の熱い思いに触れるたび、私は何を持って世の中に貢献できるのかを考えさせられます。時に、自らの至らなさに挫けそうになることもありますが、そこも含めて、新たな視点や関心を与えてくれる言論N P Oでのインターンは、自らの成長が実感できる場だと思っています。