『北京-東京フォーラム』を通じて見えてきた民間外交の新しい意義
~強い民間の交流がもたらすアジアの新しい価値観や共生の可能性~

2011年9月30日

9月30日にダイヤモンドオンラインに寄稿した原稿です
日本ではこの1か月間、政治は大きく動き、野田政権という党内融和を掲げた新しい政権が発足している。民主党政権になってわずか2年の間に3人目の首相交代である。
その最中、私は今年で7回目となった『北京-東京フォーラム』という民間対話を運営するために北京でその作業に追われていた。
今回はこれまでとは少し話題を変えて、この日中対話の報告を通じて政府と民間の役割について私なりの考えを説明してみたい。


共同世論調査でわかった
対日・対中感情は双方で悪化

この日本と中国の民間対話は、ちょうどその代表選の候補者選びの最中、8月20日から3日間の日程で、北京で行われたものである。日本のNPOである言論NPOと中国の4大メディアの1つである中国日報社が事務局を務め、日本と中国を代表する有識者で構成されるそれぞれの実行委員会が共催する形をとっている。日本側は、かつての国連事務次長の明石康氏が実行委員長を務めている。
日本では、この代表選の報道にかき消されメディアの扱いも小さかったため、対話の存在自体を知っている人もそう多くはないだろう。が、中国ではこうした日本での報道姿勢に疑問の声が出るほど、議論の内容や動向が連日、CCTVなどの中国のテレビや主要新聞で大きく取り上げられていた。
私たちのNPOは、このフォーラムに先立って、日本と中国の共同世論調査の結果を記者会見で公表している。
そこで明らかになったのは、昨年9月の尖閣諸島の漁船拿捕問題や日本の原発の震災事故時の対応が影響し、両国民の感情は再び大きく悪化したことである。尖閣問題では、日本政府の対応に反発して一時は7年前と同様に、中国では反日デモも広がった。
 日中関係に何が今、起こっているのか。こうした世論の悪化の原因に真正面から向かい合おうとしたのが、今回の対話の目的だった。


安全保障対話では激しいやりあい
メディア対話では日本側に同意も

その日、対話の舞台には、日中の各分野の専門家や経営者、政府の関係者まで約110人のパネリストがまさに手弁当で集まった。
日本からは石破茂自民党政調会長、蓮舫行政刷新担当大臣(当時は首相補佐官)、山田啓二京都府知事、山口廣秀日本銀行副総裁、長谷川閑史経済同友会代表幹事、主要メディアの編集幹部ら50氏がパネリストとして出席し、中国からも唐家璇前国務委員や王晨国務院新聞弁公室主任など現役の大臣2氏、閣僚級の要人や企業経営者、メディアの幹部ら60氏がこの民間対話の舞台に発言者として参加した。
会場に集まった延べ2000人の一般の参加者や大学生も、この日行われた安全保障、メディアや政治、そして経済、地方の5つの対話で議論に加わり、パネリストと討議ができる。その大部分はインターネットで議論が中国国内に中継された。
私はこの対話の目的は、「喧嘩できる関係をつくること」と中国側に敢えて説明している。儀礼的で本音で話せない対話などいくらやっても相互信頼につながらない、と思うからだ。
今回、多くの人が集まったのは、日本と中国が直面している懸案の大きさを物語っている。尖閣諸島を始めとする領土問題、中国の経済発展や大国化や軍事増強に伴う様々な懸念。その一つひとつが、両国間の世論の悪化につながっている。
民間の対話がそれらの答えを出すきっかけとなれるのか。参加者の多くはそれを自覚し、集まっているように、私には思えた。
その発言のすべてをここで採録することは目的ではない。が、驚いた議論もあった。
安全保障の対話では中国の空母建造が取り上げられ、中国の軍事の透明性に対して激しいやり取りがあり、中国側からは、日米安保に傾斜する日本外交の独自性を求める一貫した発言が目立ち始めた。こうしたぶつかり合いの一方、これまででは考えられない議論も飛び出た。
メディア対話では世論の悪化がテーマとなったが、尖閣事件で日本の巡視船が漁船に強引に衝突したと報道した中国メディアがほかの中国人記者から批判され、震災や中国で起こった新幹線事故では、メディアの立ち位置は国民の生命を守ることにあるべき、という日本側の主張に同意する中国人記者も多かった。


本気の議論とそれが両国民に伝わる
対話の舞台づくりを目指した

私が中国と日本との民間対話を今回、ここで取り上げるのは、これからの日本の政府と民間の役割を考えるうえで、この対話が1つの意味ある問題提起をしている、との強い思いがあるからだ。
私自身、かつて外交は政府が行うべき分野だと信じていたことがある。ところが、何か事件があるたびに広がる国民間の感情的な対立に、本来、政府の領域である外交の分野でも、民間ができることはいろいろある、いや場合によっては民間だからこそできることがある、と考えるようになった。
ここで断っておきたいが、私は別に中国の専門家ではないし、言論NPOという非営利組織も中国やアジアとの友好事業を行うために立ち上げたものでもない。
それでも、言論NPOが行う議論づくりが、中国との民間対話という形で国境を越えることになったのは、私なりの切羽詰まった危機感があったからだ。
直接のきっかけは、今から7年前、中国の各都市で反日デモや投石騒ぎが広がり、その一部が、日本企業が経営する販売店にまで及んだ時である。
この騒動は、当時の小泉首相の靖国参拝問題がその引き金になった。中国でのデモは日本のニュースで連日取り上げられ、日本でもナショナリズムに火が付くように中国に対する反発が高まっていた。
政府外交は首相会談も停止し、事実上止まっている。メディア報道は国民間の感情の対立を煽るだけで、多くの交流事業が、政府関係の悪化を理由に相次いで延期に追い込まれた。
その頃、私はこう考えた。
このまま相手を攻撃するだけのナショナリズムの火が広がり、手が付けられない事態になったら、「この状況を誰が打開できるのだろうか」。むしろ政府が動けないからこそ、民が動くべきなのではないのか。
私が目指したのは仮に政府関係がどんな状況にあろうとも、民間ベースでは、本気で議論が出来て、その議論が両国民に広く伝わる、そうした対話の舞台づくりだった。


政府外交と民間交流の
間にある「公共外交」

北京に単身で入った当時のことは、今でも鮮明に覚えている。私は、多くの人のサポートで中国側の様々な機関を訪問し、私の思いを伝えた。その交渉はそう簡単に進んだわけでもない。一言では説明できないほど多くの議論を経て、その夏、北京で立ち上げたのが、「北京-東京フォーラム」という民間対話だった。
私はこの対話を始める時に、いくつかの約束を中国側と交わしている。対話は国民間の相互理解を深めるために行うもので、あくまでも本気で行うこと、そして可能な限り、議論は公開し、そして国民間の認識をこの対話に活かすため、共同で世論調査を行うこと、である。
そして10年間は、対話を継続することも合意された。
もちろん、そのすべてが簡単に合意されたわけではない。世論調査の実施を提案した際には、協議の最中に会議が打ち切られることも何度かあった。
今から考えると、日本の小さな非営利組織との共同事業に中国側が合意したのは、私の個人的な説得だけでは理解できない、中国側の事情もあったはずである。政府関係が冷え込む中で、中国側もまたこうした日中関係の悪化に苦慮し、それを改善する方策を模索していたからだ。
それから7年が経ち、私たちの民間対話も今回で7回目を迎えることになった。
その間、日中関係は、政府の首脳会談が再開され、中国首相は東北の被災地にお見舞いに訪れるほど政府の交流も進んでいる。成長を続ける中国経済と日本経済は、切っても切れない状況となった。
そして、多様な民間の交流事業がこの2つの国の間で動いている。私たちの対話の規模も年々大きなものとなり、中国では、この対話を政府外交と民間交流の間にある、「公共外交」という言葉で位置づけられるようになった。これは私たちがいう、セカンドトラックの対話、ということである。
この間、表面上は確かに改善傾向が進んだが、私たちが行っている世論調査や対話を通じてはっきりとより鮮明になったことがある。あの7年前以上に、両国関係は厳しい状況に追い込まれていることだ。そして、私たちが進める民間対話、つまり民間の外交も重要な局面に立たされている。


互いの感情の悪化は
どうして進んだか

こうした状況の悪化はこの7年の間に、2つの面から進んでいるように思われる。
第1に中国は、経済格差などの経済成長の歪みを表面化させながらも、GDPの総額で日本を追い越し、確実に大国としての地位を固めたこと、である。軍事的な拡大と海洋における様々な自己中心的な行動は、周辺国にも脅威を与え始めている。
それに対して、この7年間に日本の首相は6人も変わった。その間に日本政府のアジアに関する独自の外交姿勢は見えなくなり、戦略の構築ができないままアメリカなどとパワーバランスを構築することで中国に対抗する色彩が色濃くなった。
かつて日中の政府間で合意された戦略的互恵関係の具体化も進んでいない。
こうした中で、尖閣諸島での問題が起こり、2つの大国の間に存在する領土問題に、2つの国民はナショナリズムの傾向を強め始めている。
こうした中国と日本との地位の逆転は、私たちの民間対話にも色濃く反映されるようになった。今回のフォーラムを利用して、私は様々な中国政府の要人とも会見したが、いまでは挨拶のように日本の政治が話題にされることが多い。
ある要人からはこんな発言もあった。「日本の内閣はもう少し長く続くことで政治も安定する。私は決して日本政府のことを批判しているわけではないが、中国では日本の立て直しは容易ではない、という悲観論も出ている」
第2に、日本人の意識は明らかに中国の大国化に不安を高めて、反発し始めている、ことだ。私たちが今年7月に行った世論調査では、8割もの日本人が中国にマイナスの印象を持ち、今の日中関係を「悪い」と判断する国民も半数いる。


相手を知ることで
不安が高まるという逆転現象

これまでの7年間の世論調査で明らかになったのは、両国民間の相互理解があまりにも脆弱な構造にあることである。
さすがにこの7年で減少はしたが、今年の世論調査でも中国の国民の4割近くが、今の日本を軍国主義だ、といまだに理解している。お互いの国民の交流が不足する中で、相手国に対する認識を自国のメディア報道などに依存していることが、歪んだ相互理解を生み出している。
こうした構造がある以上、お互いの国民間の交流の促進は今なお推進すべき重要な課題である。だが、その後明らかになった現象は、相手を知ることで不安が高まる、という逆の現象である。これは私自身もそうだし、ビジネスで中国とつながっている多くの人にも共通の理解だろう。つまり、相手との違いを覚悟したうえで、お互いが共生できる道を探し出す、そういう高い次元の交流が問われ始めているのである。それこそ、私たちが目指した民間対話の意義なのである。
私は政府の外交とこうした民間の対話、つまり民間の外交は車の両輪と同じだと考えている。しかし、日本の政府が外交面で世界の信頼を失い始めている以上、私たちに今問われているのは、それこそ、冷静に未来を志向し、課題を乗り越える対話である。


絶叫したりナショナリズムを
振りかざすのは愚の骨頂

こうした段階での民間対話の意味をどう考えたらいいのか。日本側の実行委員長を務めた明石康氏は、私との対談でこう語っている。

工藤:政府間外交とこうした民間対話の役割をどう考えますか。
明石:私は、民間外交は政府間の外交を補足し、補強する大きな役割を担っていると思います。政府間の関係が悪くなっても民間外交のクッションで支える、良くするということもありうると思います。しかしその反面、民間外交が悪くなると政府外交が持っている歯止めがなくなる、そうならないように、啓蒙された合理性を持った世論というものはどうやったらつくり上げることができるか、ということを、民間の有識者の中で真剣に話しあうべき段階にきているのではないかと思います。
 この北京-東京フォーラムは非常にユニークな対話です。「民間」ということを狭く捉えるのではなくて、広く捉えて、そういうNPOの社会的な役割というのも両国の政府自身が認め始めているわけですから、外交問題についてその限界まで試してみるという大きな使命を担っているのではないかと思います。アメリカやヨーロッパは、こういう対話で進んでいることを示してきましたが、アジアでもこういうことが起こりつつある。この20年の低迷から、日本が這い出して元気をつけるためにも、こういうことを、もっともっとやるべきだと思います。
工藤:ただこの7回の間に、対話の難易度が上がってきたと思います。初めは圧倒的に国民間の相互理解が乏しく、お互いのことを知らない。そのことを交流の力で改善していこうということでした。ただ、最近、中国が経済的に力をつけて、軍事的な問題も出てきました。中国をどのように見ていけばいいのか、日本の国民もまだつかみ切れない段階です。つまり相手が見えることによって、逆に不安が出てしまっている。
明石:ただ、これはやっと対話の糸口が見えてきた、と考えるべきです。日中関係の難しさは他の国も感じている難しさと同時に、隣国であるがゆえの難しさの両方があると思うのですね。隣人同士の付き合いはどうしてもややこしいことが多いのですが、それは覚悟の上で、1つひとつ丹念に取り上げ、丁寧に誠実に解決していく。やたらに相手に対して絶叫するとか、ナショナリズムを振りかざすとかいうのは、愚の骨頂だと思います。そういう不毛なことにならないように、私たちの対話も理性的で、客観的な感情に走らないものにしていかないとなりません。


強い民間の交流がもたらす
新しい価値観や共生の可能性

政府の外交が、国家の利益を競い、パワーバランスだけを意識したものだけならば、国家の競争と対立でしかアジアの未来は描けない。そうではなく、民間や市民の強い関係がこれからのアジアには必要だし、強い民間の交流でしか、アジアの新しい価値観や共生の可能性は見つけ出せない、と私は思っている。
もちろん、それが実現するためには相当長い時間を要するかもしれない。が、そのための努力はアジアの未来のためにも、し続ける必要がある。
こうした私たちの努力は、そのままこの日本の未来にも直接あてはまるように思える。
野田首相は就任後、国連などで一連の外交を行ったが、国連の演説で私たちが見たのは、多くの世界の大使が退席する中で演説をし続ける日本の首相の姿であった。
こうした野田政権の評価は別の機会にするつもりだが、この十数年、日本の政治は未来を競えず、直面する日本の課題すら先送りし、さらに言えば政党政治自体が混乱の最中になる。こうした内向きな政治は、世界からもすでに孤立をし始めていたのである。
自国の未来を切り開けず、グローバルな問題でも貢献できず、存在感を失う日本。「この状況を誰が打開できるのだろうか」。
7年前に私が自らに問いかけたこの質問を、今、私は皆さんと一緒に考えたいと思っている。