ワシントンで痛感した
 変わり行く世界と取り残される日本

2012年5月01日

2012年4月27日 にダイヤモンドオンラインに寄稿した原稿です

2年半もの空白

野田首相は4月末、初めての米国への公式訪問を行う。民主党政権になって初めてだから、2年半もの間、日本の首相が公式に同盟国を訪問できなかったことになる。

この意外な事実を知ったのは、3月に私がワシントンを訪問した時である。

米国の老舗のシンクタンクでフォーリンアフェアーズを発行する、「外交問題評議会(CFR)」が呼び掛け、英、仏、独、露、中、韓、豪、ブラジル、南アフリカなど世界19か国のシンクタンク20機関が参加し、「カウンシル・オブ・カウンシルズ(CoC)」が3月12日に発足した。

国際社会が直面する課題や脅威について世界に強い影響力を持つシンクタンクが集まり、解決策を探り、世界に公表する。その設立メンバーに日本から選ばれたのが、「言論NPO」だった。

ワシントンでの設立総会に参加した私は、2日間のCoCの会議の最中、世界のシンクタンクだけではなく、ブルッキングス、ヘリテージ、CSIS,アメリカンエンタープライズなど、アメリカの有力なシンクタンクのアジアの代表らとも議論を重ねた。

その際に、偶然に出会った日本政府の友人から、首相の訪米の調整で苦労していることを聞かされた。


実は、私がワシントンを訪問するのは、今回が初めてである。別にアメリカが、私の関心の外にあったわけではない。

私自身は8年前から行ってきた中国との民間対話を、アメリカを巻き込んだマルチの対話にどう発展させるべきか、この1年ずっと考えていた。

世界はアジアを軸に変化を強めている。世界の関心は台頭する中国に向かい、アメリカもアジア重視に転換した。そして、軍事面では不透明さを抱えたまま拡大する中国との間で新しい緊張関係が生まれ始めている。

大国のパワーバランスの力学が支配する国際政治に、市民の対話がどう風穴を開けられるのか、そのためにも私はこの訪米のチャンスを積極的に生かそう、と考えていた。

ワシントンは3月初旬だというのに、初夏のような陽気で桜も咲き始めていた。
だが、その日差し以上に私を刺激したのは、世界で動き出す民間レベルの新しい変化と、アメリカの日本の政治に対する厳しい視線だった。


言論NPOが選ばれた理由

私がワシントンで痛感したことを説明する前に、このCoCという新しい世界のシンクタンク会議と言論NPOとの関係を、簡単に説明しておきたい。

まず、なぜ言論NPOが世界を代表するシンクタンクのメンバーに選ばれたのか、である。私自身も、外交問題評議会から正式に招待を受けた際に、その理由がわかっていたわけではない。

出席した世界の20のシンクタンクは、英国のチャタムハウス、ロシアの現代発展研究所、フランス国際関係研究所などの世界でも有数のシンクタンクである。

それに対して言論NPOは10年前に発足したばかりで、有権者や市民に立ち位置を置いて政府や政党の政策評価などを行う、若い非営利組織である。

私や他の理事は当初、言論NPOがこの8年間、手掛けてきた日本と中国との民間対話が、世界で評価されたものだ、と思っていた。

この対話は、悪化した日中関係の改善で大きな役割を果たし、かつ中国国民の様々な政策課題の認識を把握するために毎年、共同の世論調査を行い、その結果は英語で世界に伝わっている。

しかし、それが直接の理由でないことは、設立会議の議論に参加してすぐにわかった。


一言で言えば、世界の変化は、国家ではなく市民を主役に動き始めている、ということである。

私が驚いたのは、多くのシンクタンクが自分らをNGOと語っていたことである。彼らは大きな組織を抱えているが、その立ち位置は市民側にあり、世界の課題に対する強烈な当事者意識を持っている。

今後、このCoCは、インターネット会議などで継続的に議論を進め、それぞれの団体が、自国の輿論形成や政府への働きかけを行い、議論の力で世界の課題に挑むことになる。

そうした課題に取り組む以上、シンクタンクは政府や特定の利害から中立で独立し、自発的に課題に挑む存在でなくてはならない。

この点で、言論NPOは時の政権や政党や特定の団体から距離を置き続け、活動の資金はすべて一般の寄付で確保している。つまり、言論NPOは、国民が強い有権者に変わることで、この国の民主主義も強いものになる、という立ち位置で議論を行っている。

もちろん、20のすべてのシンクタンクが政府から完全に独立しているわけではない。しかし、世界や多くの国の統治が揺らぐ中では政府のつながりだけでは、世界が抱えている課題に答えをだせない、ことを何よりもシンクタンク自身が知っている。

私が設立メンバーに選ばれたのも、言論NPOが日本国内では数少ない市民側の立ち位置を持つ独立、中立のシンクタンクだからだろう。


取り残されるという実感

CoCの10時間に及ぶ討議は、中東やアフリカで進む市民の決起や、イランの核開発、そして中国の人民元とドルの問題、そしてグローバルガバナンスをどう立て直すのか、に向かって進んだ。いずれの出席者も世界の統治機構がなかなか機能せず、信頼を失っているという認識を共有している。

世界では核や環境などの脅威や課題が迫っているのに、国連や様々な国際機関も先進国中心の枠組みでは、中国はじめ新興国の台頭で、答えを出せなくなっている。

その解決のために何を私たちはなすべきか、それがすべての議論で問われた。

討議に加わって、私が痛感したのは世界的な課題に世界のシンクタンクまでも当事者として取り組もうとする、世界の変化である。

しかし、それは次第に私自身の焦りに変わり始めた。

世界は新しい秩序づくりに向かっているのに、日本の政治は、自分の国の課題や未来に関して意思決定さえできず漂流し続けている。この状況をまず変えないと、世界の変化に日本自体が本当に取り残されてしまう、と思ったからだ。


私がワシントンで、日本の置かれた厳しい現実を知ることになったのは、会議2日目の夕食の時である。国務省の次官(経済担当)のホーマッツ氏がその時のゲストスピーカーだった。

その際に、私は思い切ってこう質問してみた。
「日本は米国と同盟関係だが、首相は2年半もワシントンを公式訪問もできない。これは日本の国民としても理解しがたい。日米間に対話の空白があることをあなたはどう思うか。」

その時の回答は、意外なものだった。次官は、日本政府との間に対話不足があることを認めた上で、こう私に語りかけたのでる。

「確かに日本政府との間には対話が不足している。しかし、これは別に日本だけの問題ではなく、新興国との対話で忙しくなっているためだ。ただ私は、日本政府よりもむしろ、あなたのようなNPOや日本の市民と対話を行うことのほうが大事だと考えている。」

日本人の勇気ある質問に対するサービスもあったろう。ただ、アメリカ政府の高官が、政府よりも市民との対話を公然と期待する、その真意を私はつかみかねていた。


会場からの痛烈な質問

私がその意味に気付かされたのは、その翌日行われた外交問題評議会のパネルデスカッションの席上だった。

私は、フランスとロシアのシンクタンクのトップと一緒にパネラーとして出席したが、司会者のこんな紹介に初めから面食らった。
「工藤さん、あなたは日本がワシントンから無視されている、と思いますか。」
司会者は日米間にある雰囲気を軽いノリで使っただけである。ただ、それを簡単に聞き流すわけにはいかなかった。

私はこう言い返した。
「もちろん。でも逆に聞きたい。同盟国である日米がそんな関係でいいとあなたは思いますか。」
フランスとロシアの2人は、日米の応酬を楽しんでいたが、私は真面目だった。
私は何も、日本政府を擁護しようなんて思ったのではない。しかし、民間の議論の場ならそれがワシントンでも本音で堂々と言い合うべきだ、と考えた。

ただ気になったのは、会場の冷ややかな視線だった。
会場には世界的に有名な経済学者や国務省、国防総省の役人が詰めかけている。
突然、1人の女性が手を挙げて、こう質問を私に突き付けた。彼女は、沖縄で少し前まで勤務していたという。
「では、その状況を誰がつくったのでしょうか。」
 

私のNPOが日本で行っている政府の政策実行の評価では、民主党政権の外交、安全保障の評価は、点数をつけられないくらい低い水準になっている。しかし、海外では私もそうした日本の政治を背負う日本人の1人として、政府と同じ評価を受けるしかない。

その女性の表情を見て、この質問が、日本の政府に対する批判よりも、私自身に向けられたものだということはすぐわかった。つまり、そうした政治を許していることを、あなたは市民としてどう感じているか、という痛烈な問いかけである。

私は、こう答えるしかなかった。
「日本は民主主義の国です。だから、民主主義のやり方で日本の政治を考えるしかない。今、日本は市民が政治を変える局面にある。その変化を注目してほしい。」
それは質問に対する答え、というよりも、私自身の決意そのものだった。


問われているのは市民自身

私のワシントンでのデビューは、ある意味で殴り込みのような真剣勝負の議論の連続だった。
しかし、はっきりと分かったことがある。

日本は世界に無視されているのではない。本当の変化が問われている、ということだ。

私が言論NPOを立ち上げた10年前、ジャパンパッシングということが言われ、そして今ではジャパンナッシング、とまで言われるようになった。世界の関心は日本から素通りし、日本自体の存在自体がなくなっている、という意味である。

今でも覚えているが、10年前のある外国の雑誌には、レーダースクリーンから日本列島の映像が消えている漫画が掲載されていた。
『声が聞こえないだけではなく、姿も見えない日本』
それを言論の力で立て直そうと考えたことから、私たちのNPOの歩みは始まった。

確かにアジアでは中国が台頭し、日本の存在感はますます薄くなっている。たが、日本の姿が見えなくなったのは、世界への主張どころか、日本自体の課題解決で意思決定もできず、もう解決に時間がないのに、自分たちの政治ゲームをし続ける日本政治への強い失望である。
その間、首相は毎年のように変わり、政権も変わったが、少なくても日本の政治に期待する声は、私のワシントン滞在中にはなかった。そうした政治を本質的に変えるしか、日本は変わらない、と世界は見抜いているのである。

では誰がそれを変えられるのか。
私がワシントンで問われたのも、市民の力であり、有権者の責任だった。世界の目は日本の政治家ではなく、有権者に向けられている。
逆に言えば、日本の変化の主役は政治家ではなく、それを選ぶ有権者にある。この状況は私たちが変えることができる、ということだ。


有権者が決断するとき

その後、野田首相のワシントン訪問がなんとか決まったが、こうしたアメリカの厳しい視線がこれで変わったわけではない。
そして最近では、石原都知事がそのワシントンで、尖閣諸島を東京都が購入する、と発言し話題を作っている。

私自身は、この発言は日本国内の政治ゲームのためのパフォーマンス、としか評価していない。発言の先は日本の政府であり、その舞台にワシントンが使われただけである。  
確かに、石原発言は、領土問題を「存在しない」と言い続けるだけで、解決の展望を示せない現在の日本政府に、解決を迫る強烈な直球になったのは間違いない。自分の領土と主張する中国に対する、強い自己主張にもなった。

しかし、東京都が購入しても日本国内で所有権が移転されるだけであり、この領土問題の解決に向けて新しい糸口を見出したわけでもない。
石原氏自身、この問題を解決する決意まで持っているわけではないだろう。この発言は中国を刺激したが、日本の今の政治にはこの問題を処理する力も期待できない。
その点では、野田首相の訪米も同様である。党内の基盤もまとめられない首相は何を世界にメッセージとして打ち出せるのか。
世界を政治のパフォーマンスのために使う、という発想から、日本の政治はもう卒業すべきである。

実は私は、このワシントンの訪問後、北京に向かい、この領土問題については民間の対話の中で解決に向けた議論を行えないか、と提案し協議を行った。
この話は次回に譲るが、政治が機能しないならばそれを市民の力で進めるしかない、というのが、私の基本的な立ち位置である。

2012年、世界の変化はアジアを軸に大きく動く可能性もある。
それを、日本から始めるためには、有権者がこの国の政治と未来を決断しなくてはならない局面になっている。
そのための議論の舞台を作る。それが言論NPOの役割だと私は考えている。