2016年は課題解決に向けて勝負をかける1年に |
田中 工藤さん、あけましておめでとうございます。
工藤 あけましておめでとうございます。
田中 2016年になりましたが、何と言論NPOにとっては、15回目の正月になりますね。
工藤 おかげさまで、15回目の正月です。私も「びっくりポン」です。
様々な課題に挑戦してきたが、新しい年こそ勝負
私たちは、日本に強い民主主義を機能させるためには、個人が自立して課題に挑んでいく、そして、課題に挑む言論の舞台が日本に必要だと思いました。そういったことが日本のメディアには足りないのではないかと、2001年に言論NPOを立ち上げました。当初は、こんなに長く続くということは想定していませんでしたが、「継続は力なり」で、この15年間、いろいろなことに挑戦してきました。
そうして、日本の民主主義の立て直し、アジアの平和構築、世界の課題解決など、やらなければいけない課題に、必死に取り組んできて、正月を迎えたという感じです。
そして、新しい年こそ、勝負だと、思っています。
田中 今、工藤さんがお話された中でも、重要なキーワードがあって、だからこそ私も言論NPOの活動に参加しているのですが、民主主義、そこにかかわる個人の自立、ということばは最初から工藤さんが一貫して言い続けていることだと思います。昨年末には安倍政権の3年目の評価結果も公表されました。工藤さんは、民主主義のインフラを作るのだ、ということで言論NPOは頑張ってきたと思いますが、いかがでしょうか。
民主主義を機能させるためには、有権者の強い覚悟が必要
工藤 私たちが考えなければいけないことは、民主主義はゴールではないということです。民主主義の仕組みがあるからそれでいいのではなく、それを機能させなくてはならない。それは、私たち有権者次第だということです。
田中さんも昨年からピーター・ドラッカーの話でいろいろな発言されていますが、つまり、ナチス、ファシズムがなぜ民主主義から生まれたのか。つまり、多くの人がそれを求めたのです。経済的な行き詰まりから、多くの人が強い力を期待し、多くの人たちが無関心を装った。そこにこそ、私たちが考えなくてはならない、民主主義の脆弱性があるのです。民主主義は、基本的人権や自由や平等など多くの個人的な権利に基づいた仕組みです。しかし、それを機能させるためには、市民側の強い覚悟が必要なのです。では、その覚悟は何かというと、人任せ、政治任せにはしない、ということです。自分でこの社会の課題に対して挑んでいく。また代表制民主主義の下では、政治に依存するのではなくて、自分たちでこの国の課題について考え、その解決を政治に求め、さらに政治の行動を監視していく。そうしたが参加意識が問われているのだと思います。
政府間外交が機能できない隙間を埋めることができるのが「言論外交」
私がこの間、実践してきた「言論外交」という言葉も同じで、この10年間、周辺国との政府間外交は何度も中断しました。「外交」は政府がやることだというのは分かっていますが、それが途切れてしまうという事実を、私たち市民はどう考えればいいのか。その間にも解決すべき課題は、深刻化していたのです。その背景には、国民感情の悪化や、ナショナリズムの問題があります。つまり、世論の悪化が、政府間外交をより強硬なものとし、交渉自体ができない、という環境を作ってしまったのです。では、そんな時に誰がこの状況を解決できるのでしょうか。私が、民間の外交に取り組んだのは、国境を超える課題で、政府間外交や国家というものが、十分な機能を発揮できない領域があるのだ、ということを知ったからです。
その領域を埋めるために、市民なり、個人が動かなければいけない。昨年、言論NPOが、北東アジアに平和をつくるための作業を開始したのは、そのためなのです。私たちの取り組みは、平和をつくるための国民間の対話を進め、その課題に取り組む世論を喚起する取り組みです。そうした作業が平和のための政府間外交の基礎工事になると思うのです。
田中 昨年は、言論NPOはインドネシアとの対話、ドイツとの議論も行い、それぞれに強いインパクトがありました。特に、私が印象に残ったのは、戦後70年と民主主義というテーマで、日独対話を行ったことです。戦後70年の振り返り方、反省の仕方が日独で対照的であったということが、私たちも改めてわかるような対話になりました。工藤さんはどういう経緯で企画されたのでしょうか。
「過去を忘れてはいけない」ということを思い知らされたドイツ訪問
工藤 昨年1月にドイツのベルリンで講演をしたのですが、その際にいろいろな施設を回って痛感したのは、戦争の歴史にきちんと向かい合っていたことです。これは非常に重要なことだと思いました。この数年、多くの国を訪ねましたが、あの戦争への向かい方が誠実で真剣なのです。例えば、安倍首相はオーストラリアのアボット元首相と非常に仲が良いので、オーストラリアの人たちは、非常に日本のことは大好きだし、経済や安全保障でも様々な協力が始まっています。しかし、オーストラリアの戦争記念館に行くと過去の日
本の侵略の戦争をしっかりと展示し、休日になると未だに子供たちも出席し、戦争を体験したお爺さんから、話を聞いたりする集会があるのです。私は、日本が今後発展していくためにも、過去を忘れてはいけないのだ、ということを感じました。その上で、それを踏まえた上でその後の発展について、日本とドイツの間に、民主主義の形も含めて、どのような違いがあるのだろうかと考えました。それで、ベルリンの訪問中に東京に来ませんか、ということでお誘いをして、東京での日独対話が実現したわけです。
田中 ドイツの話に言及させていただければ、ドイツがナチスの過去に向き合うプロセスというのは、非常に辛くて、長いものです。ドイツ人がドイツ人であることを名乗ること自体、憚られた時代があって、それを超えて今があるということでした。
私が日独対話の挨拶の中で、ドラッカーの言葉を借りて、ドイツ人がナチスを選んだのは、結局国民だったのだ、ということを申し上げてしまったのですが、そのことについても、非常に冷静にドイツの出席者は受け止めていました。
過去の歴史を踏まえて、しっかり考える議論の舞台が必要ではないか
工藤 そうですね。ドイツの中でもかつては、ナチスと国民は違うのではないか、という議論がありました。しかし、ドイツに行って理解したのは、自分たち国民がナチスの台頭を許したのだ、ということを多くの人が考えていたということです。
昨年の暮れに、NHKスペシャル「新・映像の世紀」を見て、アウシュビッツを描いた最後のシーンが強く印象に残っています。ユダヤ人の虐殺という余りにひどさにドイツ人にもそれを見せるべきだという、ことで多くのドイツ人がアウシュビッツを訪れるのですが、この光景を見て、ドイツ人は口を合わせたように「私たちは知らなかった」と言うわけです。しかし、そうしたドイツ人にユダヤ人は、「あなたたちは知っていた」と言うのです。あの終わり方は私にとって非常に強烈でした。つまり、みんなが、過去に本当に向かい合っているわけです。戦争に対する国民や市民の責任と言うもの、今日的な問題として考えるべきなのです。
日本の平和主義というのは、過去の戦争の反省から出てきており、世界に対する姿勢が問われます。そうした行動を世界が期待しているわけです。
こうした平和や民主主義のあり方に関して、日本の社会の中にも自分たちとしてしっかり考える議論の舞台をつくっていかないとダメだと思ったのです。そういう意味では、ドイツとの対話はおってもよかったし、あれを契機にもっと多くの国ともいろいろな議論をしなければいけないと思いました。
田中 今の工藤さんの説明に少し加えさせていただければ、やはりファシズムを支持していた時代のドイツ国民について、ドラッカーは「無関心の罪」という言葉を使っています。
だから、ユダヤの問題に関しても、知らなかったでは許されないし、知っていても見て見ぬふりをした人たちが、一般の方も、知識人も多かった。それが大きかったのだ、ということを言っていますが、果たして日本はどうなのでしょうか。
様々な課題解決に挑んでいくことができるのが民主主義の強み
工藤 それがまさに、言論NPOの役割なわけです。つまり、デモクラシーや民主主義というのは、先程も言ったように、単なる仕組みがあればいいのではなく、放っておけば衆愚化していきます。例えば、政治というのは、国民の不安に便乗していくような政策の立て方をするわけです。そういうポピュリスティックな政治の展開というのは、非常に危険だと思います。
民主主義の仕組みについては、インターネット等の普及で多くの人たちの情報を得る手段は多様化し、発言するチャンスは増えました。参加は民主主義にとって必要なものですが、だからといって、それで民主主義が強くなるわけではないのです。民主主義が強くなるためには、多くの人が解決すべき課題を認識し様々な舞台に参加したり、投票によって課題解決のために大きな動きが始まる必要があるのです。
多くの人は将来に不安を抱え、そしてメディアの影響も有りナショナリスティックな勇ましい声が強まります。しかし、多くの人が望んでいるのは、平和であり安定した生活なのです。それをどう実現するのか、その役割をすべきなのは、知識層や言論人なのです。そういう人たちがこの国が直面する課題に無関心、だとしたら、誰がこの状況を変えるのでしょうか。私が,言論の役割を強く期待するのは、その力こそが、民主主義の骨格だからです。
今、田中さんが、多くの人たちは「無関心ではないか」とおっしゃいました。しかし、今の日本の将来を考えた場合、介護に不安が大きく、高齢化が進む中でそれをどう解決すればいいのかわからない、というのが現状です。財政や多くの社会保障の問題、そしてアジアや世界の平和の問題もあります。そうした課題解決に向けた動きがどの分野で始まっているのでしょうか。私が,今年こそ、正念場だと考えているのは、そうした問題に本気で議論し,解決のために取り組まない限り、そして、政治がこうした不安に便乗し、課題解決に向かわず、選挙だけを意識した話題づくりしか、できないとしたら、この国の未来は描けないのです。
私たちは、そうした日本の課題や民主主義の議論をこれまで行ってきましたが、いよいよ今年、それをもう少し前に進めなければいけない、という段階にきたと感じています。
課題解決に挑む人たちが競争する空間こそ、民主主義には必要
田中 とかく、市民社会ユートピアみたいなものがあって、多くの人が参加すれば、良い市民社会ができる、という風に語られがちです。しかし、そうではなくて、そこから課題解決に向けて、それも論理的に、あるいは知性的に挑む動きがないと、ポピュリズムから脱出できないということですね。
工藤 誰がこの国の将来のための課題や平和、民主主義のために闘っているのか、その姿勢を多くの市民は見ているのです。課題解決に向けた様々な動きが生まれ、挑む人たちが競争していかなければいけない。課題解決にはパッションは必要ですが、解決のためには、論理的で知性的な議論や取り組みが不可欠であり、課題を共有する人たちの協働が必要だと思っています。そうした空間が広げることも、私たちのミッションなのです。
田中 まさにそれは、言論NPOが設立した時に、「当事者性のある言論」という言葉を使われていましたが、まさに無関心の対局が当事者性ですね。
課題解決に挑む人たちのネットワークをつくり、大きな流れを作り出すことが今年の目標
工藤 この15年、当事者として今の課題に向かい合おうと、そうした思いでやってきました。大変だったのですが、課題を共有する人が確実に広がっていることを実感しています。
この間、もう一つ痛感したのは、世界の課題などについても当事者として考えないといけないと、いうことです。私も4年前から毎年、多くの国際会議に出席しているのですが、世界での日本の存在感や発言力の益々弱いものとなっています。
世界では、個人では課題に挑んでいる人はいるのですが、みんなバラバラに個人として参加しているのが実体で、しかも日本国内に世界の課題を議論する空間がほとんどなく、世界の課題は遠い話となっている、のが現状なのです。
しかし、国境を越えた世界の課題も私たちの生活や将来に繋がっているのです。むしろ、日本が世界に課題に積極的に発言し、その解決に挑むような流れを作り出したいのです。2016年、私がやりたいのは、まさに課題に挑んでいる人たちのネットワークを作り、そうした言論の空間を作りたいということなのです。
この国の課題や、国境を越えた課題もきちんと議論しあって、この国の将来につなげるような仕組み、言論NPOが当初目指した「言論」のネットワークを更に大きくしたい。そして、日本の民主主義や地域の課題、世界の課題解決に関しても発言していく。そういう流れをこの国に作りだせるかが、言論NPOの今年1年の課題だと思います。
私は、日本の将来に残された時間はあまりなく、今年は大きな転換点になると考えています。多くの問題がある中だからこそ、課題から逃げてはダメなのです。必ず課題解決の流れをつくり上げなければいけない。今年、言論NPOが勝負の年だと考えているのはそのためです。年明けから、私もいろいろな事に挑戦していきたいと思っています。
田中 具体的に、いくつかかいつまんで計画を教えていただけますか。
2016年、言論NPOの活動が目指すものとは
工藤今年大きなものとして、夏の参議院選挙です。やはり、選挙の大事さを、我々はもっと考えるべきだと思います。確かに、安倍政権はいろいろな形で課題に対して挑んでいますが、選挙の時に日本の将来を語り、ビジョンを示し、それに対する課題解決の方法を国民に提示する。そうしたことを示していない公約について、我々有権者は「ノー」と言うべき段階に来ていると思います。ですから、選挙前からきちんとした議論をしていく必要があります。
加えて、私は北東アジアの平和をどうしても実現したい。これまで、中国や韓国との間で二国間の対話をやっていましたが、いよいよアジア全体の平和的な秩序を作るための基礎工事に入りたいと思っています。
最後に、今年、新しい事業として考えているのは、世界の課題に対して挑んでいくことです。気候変動の問題、テロの問題、平和の秩序や、世界的な統治に対する様々な課題があります。その中で、国の脆弱性が明らかになり、大国が平和の秩序を壊していくような、いろいろな困難や危険が始まっています。我々は、無関心でいいのでしょうか。こうしたことに関しても、遠い社会のこととして捉えるのではなく、自分たちの問題として考えていくような言論の舞台を日本に作らないと、国際社会の中で、日本の役割はどんどん落ち込んでいってしまうと思います。
個人で頑張っている人たちは、たくさんいると思います。そうした人が発言できるような言論の舞台をつくり、人材を育成して、世界の中で発信していく。そういうサイクルをつくりたいと思います。
田中 今、世界にフォーカスして議論したのですが、参院選の問題もあって、今回もいろいろと評価をされていますが、内政、特に、社会保障や財政などの議論も続けていかれますよね。
工藤 当然です。言論NPOは、昨秋から4つの言論に取り組んでいます。1つは民主主義を機能させるための議論の舞台を更に動かしていきます。それから、アジアの平和をつくっていかなければならない。その二つが、私が譲れない、信念なのです。
もう1つは日本の将来についてです。日本の将来がまさに見えない、今のままでは様々な形で大きな課題を解決しないどころか、ひょっとしたら大変な事態になるかもしれない。そうした将来課題の議論を始めます。
そして最後は、世界課題についての議論を始めるということです。
この4つの議論をするためには、当然、言論NPOだけでは無理です。いろいろな人たちに参加していただいて、議論のネットワーク、そして議論の舞台をもっと大きなものにしなくてはなりません。
私が15年前に立ち上げた言論NPOが、本当の勝負をかける段階にきているのだな、と思っています。
田中 期待しています。ありがとうございました。