インドネシア訪問を振り返って~アジアが抱える民主主義の課題とその克服に向けて~

2017年5月08日

 言論NPOの工藤です。今私は、インドネシアでのスケジュールを終え、次の訪問地ワシントンに向かうところです。インドネシアでの民主主義をめぐる対話は、私にとっても非常に勉強になりました。


大きな可能性を秘めた「未来対話」

 まず、青年会議所をベースにした、民間レベルの公開対話である「未来対話」について、私は非常に大きな可能性を感じました。民主主義の問題や、グローバリゼーションにおける両国の立ち位置について多くの人たちが考えており、特にジャカルタの人たちは選挙を終えて民主主義の発展に非常に期待をしている状況があったのですが、その状況を今の世界の文脈で考え直した時に、議論を広げていくことに苦労しているように見えました。

 私は議論のレフェリーとして若い世代の議論づくりに参加してきたのですが、手がかりさえ与えれば、日本とインドネシアの若者は議論に参加できる可能性を持っているということが分かりました。少なくともこの2つの国は、発展段階は違うにしても、民主主義や自由に関するリスペクトがあり、それぞれの国を変えようという強い意志を持っています。私はこの2つの国が、アジアの今後の未来や平和に関して、力を合わせる意味を感じました。

 会場からもいろいろな意見が出されましたが、その中でも日本とインドネシアは交流の段階を上げていくべきだ、お互いが課題に向けて一緒に取り組みたい、という声が会場からも出てきていることに、私は非常に驚きました。専門家だけではなく、多くの人たちが民主主義の将来や時代の変化を感じ取って、新しいアジアや両国関係を作ろうという意見に対して、非常に大きな賛同がありました。私はこうした動きが今後いろいろな形で広がることを、今後も全面的にサポートしたいと思いました。


アジアの民主主義は岐路に立たされている

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 翌日、私は言論NPOの事業として、マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシア、日本の5カ国で、民主主義について8時間にわたって議論しました。民主主義の定義の仕方、アジアが目指すべき民主主義の姿、そして民主主義という制度がグローバリゼーションの中で意思決定のスピードを上げていくことができるのか、そうした本質的な議論まで出ました。

 私はこの議論を司会として進行したのですが、アジアの民主主義は一つの大きな岐路に差し掛かっていると感じました。その理由として、アジアのいくつかの国々は、日本やインドのように民主主義を推進して発展したいと思っているものの、市民が民主主義を支える大きな担い手であることを認め、既得権益を壊すことによって政治の民主化を進めることに、前向きではない面があるからです。

 例えば、私はシンガポールに対して「グローバリゼーションの中で自由経済の利益を得ているシンガポールが、リベラルな自由主義や民主主義に関して、自分の国の政治はそうではなく権威主義体制ということに矛盾を感じないか、トランプの存在はあなたたちにとって理想的な展開なのではないか」と、非常に意地悪な質問をぶつけました。しかし彼らは、非常にデリケートな問題であり、周辺を取り巻く民族の問題もあると答えるにとどまりました。


「イスラム急進派の台頭」の問題

 同様に、我々はインドネシアとも議論をしました。インドネシアは民主主義という問題に日本以上にこだわり、新しい世代による民主主義の発展に非常に期待していました。しかし、インドネシアも大きな問題を抱えていることが分かりました。ジャカルタ州知事選で、前の知事は75%の市民層の支持を得ていましたが、イスラムを冒涜する発言を行ったということで、彼は選挙に負けてしまったのです。元々彼は中華系で宗教はキリスト教という同国の多様性の象徴であり、インドネシアの次世代のリーダー、ジョコ大統領の後継者としても期待された人間でした。

 彼は選挙戦の中でイスラムを刺激するような発言をしたとされていますが、良く調べてみると、そこにはイスラムの急進派の人たちが、グローバリゼーションによる多様化よりもイスラム教の原典に戻るべきだという主張の下、国を越えた一つのイスラム圏の権益を東南アジアに広げようという動きを見せており、今回もそうした人たちが彼の発言を取り上げて、それを大きな論点に作り上げてしまったという背景がありました。

 インドネシアは、グローバリゼーションの中で多様性を認めた民主主義の国を目指しているものの、テロやイスラム急進派というものが、この地域にも一つの足場を築きつつあるということが、多くのインドネシアの知識層と話して分かりました。


市民の悩みや怒りがドゥテルテ大統領を生んだ

 また、フィリピンの人たちはドゥテルテ大統領を熱狂的に支持しているが、彼が法的な手続きを経ないまま多くの容疑者を殺し、市民の権利を侵しているという問題を議論した時に、フィリピンからの参加者たちはそういう状況をなんとか変えたい、許されないことだと言っていました。しかし、多国籍企業の市場が参入し、それが権力者と繋がり、その中で力を持った人間と貧富の格差が広がり、民主的な課題解決が難しくなっている状況がある。そうした市民の悩みや怒りが、極端なリーダーシップを持つ民主的でない指導者に期待をしてしまっていることを、フィリピンの参加者も認めていました。

 考えてみればタイもまさにそうでした。民主化が進んだ国であっても、政権交代で既得権益を失う人たちが政権交代にNOと言う。民主化の推進は、様々な市民層の政治参加を促しますが、その中で国のガバナンスを統一できない脆弱性が、軍というものに期待をしてしまう。やはりこれも民主主義というものをうまく活用できなかった一つの現象だったと思います。


民主主義を支えるのは課題解決を志向する強い市民

 このようにアジアの国々は、民主主義の運用に関して、大きな問題を抱えているということが、今回の会議で改めて浮き彫りとなりました。

 しかし、私は、彼らと議論をしてある意味での手ごたえも感じました。それは、市民というものが強くならなければ、民主主義は脆弱なままであり、場合によっては壊れかねないという認識を、少なくともこの5カ国の参加者と共有することができたからです。先述した様々なアジア各国が抱える民主主義の問題点は、「民主主義を発展させるためには、市民が民主主義をどれだけ理解し努力するかにかかっている」ということを、我々に伝えています。民主主義の発展が、課題解決をする成熟した市民社会の方向に向かわないと、その国は逆流してしまうのです。民主主義は脆弱であり、脆弱な民主主義を強くするためには我々自身が課題解決に取り組むしかないということを、アジアの国々の参加者と改めて確認できたことは大きな収穫でした。


「個人の自由」の保障こそが民主主義の目的

 一方で、アジアでは経済発展やガバナンスのために、民主主義が形骸化しているという問題があります。確かに、社会が成熟しないうちは、強い安定的なガバナンス無しでは主権国家は課題解決のために動けない。そのために、様々なガバナンスの形態や政体が必要な局面があるということは認めざるを得ないのですが、私は参加者に対して、さらに追及しました。民主主義の目的は個人の自由を保障することであり、それは人類の財産であって、その自由な個人を人類の一つの到達点として考えなくて良いのか、と。すると、多くの人たちが口を閉ざしてしまいました。しかし、それがやはり民主主義が問われている課題であり、人類の長い歴史の中で辿り着いた一つの大きな到達点なのです。つまり、アジアの民主主義はまだ中間地点に過ぎず、これから民主主義をどう活かしていけば良いのか、アジアの中で我々はもっと突っ込んだ議論をしなければいけないと思ったところです。


東京での「アジア言論人会議」開催に向けて

 アジアの言論人会議は、アジアの様々な国と民主主義を取り巻く多くの課題を議論することでスタートしました。第2回目が今回ジャカルタで行われたわけですが、いよいよ今年の8月か9月に東京で開催することを決めました。その時は皆さんに、いろいろ形でご案内させて頂きます。グローバリゼーションの展開、民主主義の展開、そして宗教。こうした大きな問題に私たちは無関心ではいられない。そういう状況が今あるのだということを、今回私は改めて痛感しました。繰り返しになりますが、私は、そうした思いを持ちながら、これからワシントンに向かいます。また報告をしますのでご期待ください。

⇒ 第2回アジア言論人会議(第3セッション)報告
⇒ 第2回アジア言論人会議(第2セッション)報告
⇒ 第2回アジア言論人会議(第1セッション)報告