日本の民主主義に対する信頼は立て直さなくてはならない - 議論の再開にあたっての私たちの覚悟

2020年7月13日

言論NPO代表 工藤泰志


kudo.png いよいよ言論NPOは、7月13日から議論を再開する。

 私たちは、多くの人たちと同じようにこの3月から活動を自粛してきた。何よりもスタッフの健康を考えたが、世界やアジアとの対話ができなくなり、そのための作業も全て停止した。ただその間でも、私たちは次に向けた準備を進めてきたのである。

 私たちの準備は、日本の将来に向け、まさに今、言論の役割を発揮するためのものである。

 コロナウイルスの感染の脅威はまだ続いており、当分、劇的な収束が期待できないことがはっきりしてきた。東京では自粛の解除後、感染者が急増しているが、回復はこうした危機を繰り返しながら、かなり長期化するだろう。これまでの多くの危機がそうだったように、コロナ後の世界はこれまでとは全く異なる世界を生み出す可能性がある。

 それでも、私がその行方に期待をもっているのは、世界のほとんどの人がこの危機を実際に体験し、家族や友人の命を心配し、社会を持続させる多くの仕組みや仕事の大切さを感じとったことにある。

 この日本も未来に向けて変われるのではないか。そうした手ごたえを感じているのは私だけではあるまい。もちろん、そのためには相当の努力が必要である。今回のパンデミックだけではなく、異常気象や社会的な困難に私たちはこれからも断続的に直面するだろう。

 しかし、もはやそれは、他人事ではなく、無関心を決め込むことはできないのである。

 私はこの間、毎日のように世界の国の多くの専門家や政治家、研究者とテレビ電話で意見交換を続けている。その中でハッキリと分かったことがある。

 この危機に十分に対応できたかは、権威主義や民主主義という政治体制の問題ではない、ということである。

 そこで問われたのは信頼のインフラである。市民は政府を信頼しているのか、政府はリーダーシップを取り、この危機に迅速に対応し、市民の状況に耳を傾けたのか。

 昨夜、意見交換したドイツ連邦議員のマティアス・バルトケ社会保障委員会委員長は危機管理で最も重要なことは、政府が人々を説得できるかだ、と言っている。どんな対策も人々が適切に行動しないと効果はない。そのためには政府自体が、市民に信頼されないとならない。そうした国こそがパンデミックの対応に成功したのである。

 そうした意見は、世界の多くの論者から聞いた。

 私たちが議論の再開にあたって、日本の危機管理の問題から議論を始めたいと考えたのは、日本の将来も同じだと考えたからだ。私たちが将来に向けて、日本の困難を解決するためには、危機感を市民と政治が共有できるかにかかっている。ここでも信頼のインフラこそが極めて大事なのである。

 私たちの議論の準備は、まさにそのために組み立てられている。

 私たちの議論は、解決すべき様々な課題を明らかにするものである。しかし、その目的はその解決に多くに人が力を合わせることにある。

 世界やアジア、そして日本の未来が不透明だからこそ、こうした舞台を再開しなくてはならない。そうした強い思いで、私たちは作業を継続している。

 多くの人に緊急のアンケートをお願いしたので、回答していただいた方も多いだろう。この場でお礼を申し上げさせていただくが、その中に驚く数字が見られた。コロナ対策で日本政府への信頼が下がったと回答したのは41.6%に及んでいたのである。日本のコロナでの死亡者は欧米と比べても圧倒的に少ないが、政府の信頼は他の国と比べても大きく下がっている。

 多くの人は、この矛盾に対する答えを持っているに違いない。私が言えることはただ一つである。日本の未来のためにも、日本の民主主義に対する信頼は立て直さなくてはならない、ということである。

 私たちの議論は、そのために始まるのである。