新年の私の提案は「脱藩の勧め」

2023年1月01日

kudo2023_.jpg 2023年、新しい年の始まりである。

 今年もまた、一つ問題提起をしてみたい。私が、この新しい年に提案したいのは、少し古い表現となるが、「脱藩」の勧めである。

 私が言いたいのは、所属する組織や会社から独立すべき、ということではない。率直に言えば、精神的な「脱藩」である。

 全ての人がそうだ、とは言わないが、少なくない人が、未だに自分は観客席にいて、現状がそのまま持続可能だという根拠のない楽観論で自分の立場を守るだけに躍起になり、あるいは、陰謀論のような自分勝手な空想に逃げ込んでいる。

 これでは、未来に向かう新しい変化が始まるはずがない。

 私が、「脱藩」を提起するのは、こうした風潮が広がり、現状だけにしがみつくだけの閉塞感がより大きなものになる前に、未来に向けた新しい変化を多くの人に促したいからである。

 世界は、戦争と対立や地球自体の持続で、歴史的な困難に直面している。この日本では政治や政府統治への不信が高まり、将来への不安が高まっている。

 昨年、この場で「当事者としての姿勢を取り戻そう」と呼びかけたのはピーター・ドラッカーが言うようにこの局面で、「無関心」を装うのはそれ自体が、罪だと考えるからだ。

 しかし、この新年、私はこの状況からさらに一歩、踏み込まなくてはと考えた。自らの意志でこの状況を変える、それくらいの覚悟で今に立ち向かわない限り、この日本は未来に向かうどころか、混乱に陥る。そんな分水嶺に立たされているという覚悟が、新しい年を迎える私にはある。

 この閉塞感から、自らの意志で独立し、課題解決の意志を持った未来に向けた新しい変化を民間側から提起したい―それが、私の新年の決意であり、私の言う、「脱藩の勧め」なのである。


現在の「言論不況」はより複雑で扇動的、感情的になっている

 私が「脱藩」という言葉を持ち出すのは、20年前、私たちの活動を立ち上げて以来である。正確に言うと、私が、「脱藩」という言葉を主体的に使ったのはこれまで一度もない。が、NPOを立ち上げた時に、大手メディアが書いた記事の見出しに、「脱藩を勧める男」という文字が躍っていた。

 別に「脱藩」を意識したわけではないが、言論の状況に今も当時も変わらぬある種の「怒り」がある。私は、その自戒から、「言論不況」という言葉を世に問い、そして、長年勤めていたメディアを辞め、つまり「脱藩」し、言論NPOを立ち上げたのである。

 20年前も今と同じく、日本は瀬戸際にある。多くの課題を将来の世代に先送りする状況は今ではもう当たり前である。私が問題視したのは、それに対する民主主義社会の抵抗力が弱まり、言論機関がその責任を果たしていないことにある。

 かつて、論争誌の編集長をしていた私は、困難を主体的に解決するための言論の空間は小さく、それが益々、衰退していくことに危機感を募らせていた。

 世界や日本の変化をとらえて、世界の不安定化の中で日本はどのような行動を取るのか、どのような国を目指すのか、日本の将来や課題に挑む、議論も見られなくなった。私が「言論不況」を提起したのはそのためである。

 私の危機感は、こうした状況が、今ではより複雑になり、言論空間で溢れる声はより扇動的で感情的なものに変わったことにある。


言論の府の国会の議論は、インターネットと同化している

 この間、インターネットでの情報発信が当たり前となり、SNSで多くのコミュニケーションが日々拡大している。言論空間の主流はインターネットに移ったが、そこで日本の将来を巡る骨太の議論に私自身、出会うことはほとんどない。議論は多くの人の不安や関心に集まり、それに迎合する勇ましい声に見かけ上の支持が集まる。知識層と言われる人も自分のポジショントークがほとんどで、課題に挑む言論の空間として位置付けることに成功していない。

 その象徴的な光景が、国会の議論にある、と私は考えている。

 昨年の12月の初め、不覚にもコロナの感染にかかった私は自宅で国会中継を見ていて、驚いたことがある。国会で政治家は、隣国の脅威と防衛費の増額を競うように論じ、外交の議論が全くなかったからだ。私は、脅威に対して、抑止力を高まることに反対ではない。だが、それだけで平和が維持できるわけではない。

 世界が不安定化する中で、日本に外交の力が問われている。そのためには世界やこのアジアで日本がどのような生き方を目指すのか、それこそ、国民に見える形で政治家は議論すべきなのである。

 私たち言論NPOがこの10年、北東アジアで進めている「民間外交」では、米中対立下でもこの地域の危機管理と信頼醸成のために、その当事者の米国と中国、そして、日本と韓国の安全保障と外交の専門家が集まって協議を行っている。

 この北東アジアの紛争をどう回避し、この地域に持続的な平和を実現するのか、民間の舞台ですら、そうした協議が存在するのである。

 一度、外交を専門とする与党の政治家に質問をぶつけたことがある。「私も外交の議論はすべきと考えているが、世論がそれを許さない。軍事力の強化は国民の声であり、それを無視はできない」が、その回答だった。

 日本の政治は外交の課題に挑まず、言論の府であるべき、国会の議論は、インターネットの議論と同化している。これが、今の日本の言論風景なのである。


これからは横に議論し、横に結び付き、横に行動する時代

 私が、それでも日本の将来にまだ絶望していないのは、多くの人が日本の未来に希望を持ち続けているからである。


 私たちがこの20年間、毎年行う世論調査で二つの傾向が明らかになっている。一つは、日本国民の7割以上が日本の政治家に課題解決を期待せず、政党や国会、政府の信頼も、世界の民主主義国と比べても際立って低い状況にある。

 そしてもう一つは、国民の約6割がこの地域の平和や不戦を求め、そのための努力を政府に迫っていることである。米中対立で世界は対立と分断に向かっているが、その中でも、54.1%が「米中のどちらかにつくのではなく、世界の協力発展に努力すべき」と回答している。

 政治家が恐れる世論とこの声は明らかに異なる。しかし、私はそれが、本当の民意だと考えている。

 この民意は、サイレントマジョリティのまま、日本の政治への圧力として機能していない。日本の将来に希望は持ちながらも、それを実現する手立てが分からないから、具体的な世論調査の設問では「分からない」が急増している。

 これは、コミュニケーションのやり方やメディア媒体は変わっても、事実を報道、調査し、またはその事実を解説する機能や議論する空間がこれまで以上に必要なことを意味している。それらが機能しないために、大量の情報の洪水の中で、何が正しい情報なのか、それを多くの人は判断できないのだ。

 私が、「脱藩」という言葉に特別の意味を感じたのは、新しい年こそ、この状況に立ち向かわなくてはと考えるからだ。

 私たちは今、どのような変化の中にあるのか、自分でそれを判断するための努力を行い、直面する課題にしっかりと立ち向かうこと、未来のために意志を持って動き出すこと、それこそが、今、問われる「脱藩」だと私は考える。

 20年前に私との新聞の対談で友人が、こんなことを言ってくれた。

 「(徳川幕府の)幕末には横議、横決、横行と言う言葉があり、当時の藩を超えて、横に議論し、横に結び付き、横に行動していく、これからは横議、横決、横行していく時代だと思う」

 新しい年、私が「脱藩」を勧めるのは、意志を持って、当事者として課題に向き合う多くの人たちと、繋がるためである。課題に真剣に向かい合い、共に議論し、一緒に行動する。そんな未来に向けた新しい流れを、この国に興こすこと、それを私の新年の決意としたい。