2001/11/6 日本経済新聞社
不況のあおりで、書店には売れることを第一に考えた本が並ぶ。目につくのはベストセラーを後追いする題名。そんな状況に風穴をあけようとしているのが、ボランティアや非営利組織(NPO)で個性的な出版に取り組む人々だ。
2年目を迎えた「角川出版事業振興基金信託」。角川歴彦氏(角川書店社長)が中小出版社の新規事業を支援するために個人資産100億円を拠出した。これまでの出資先は22社。ネイチャーサイエンス社(佐藤喜久雄社長)が7月に創刊した自然環境を考える月刊誌はその成功例だろう。
科学系の出版社に勤めていた佐藤氏は「最近の科学雑誌はテクノロジーばかり扱う。人間と自然について考える雑誌をつくりたい」と思い立ち、昨年会社を設立した。資金の確保もさることながら、悩んだのは販売ルートの問題だった。大手の取次会社は新しい出版社を相手にせず、いい雑誌を作っても、書店に並べてもらえないからだ。
だが、基金は900万円の出資を決めた上、角川書店に雑誌の発売元を引き受けるよう便宜をはかった。月刊誌の部数は約5万部と好調。基金の運営委員を務める長谷川弘道・角川書店常勤監査役は「角川社長は100億円はなくなってもいいと思っている。思い切ったアイデアなら、どんどん採用していく」と強調する。
現代詩作家の荒川洋治氏や作家の宮崎学氏らのグループは、中国・内モンゴル自治区生まれの留学生、ボヤンヒシグ氏の日本語の美しさに感嘆し、何とか本にしようと考えた。だが、詩文集、特に海外留学生の作品を本にしてくれる出版社を探すのは難しい。そんな時、荒川氏らは英治出版の「ブックファンド」を知った。本の出版資金を小口に分けて集め、本が売れれば配当金を出す仕組みだ。 20人以上の支援者から440万円が集まり、昨年4月「懐情の原形」(英治出版)が刊行された。本は発売後1年間で4400部と、無名の詩人では異例のヒットとなり、1口(10万円)当たり約16000円の配当金まで出た。「支援した人々が本の販売を出版社任せにせず、自ら本のすばらしさと購入を友人らに呼びかけた結果だ」と原田英治・英治出版社長は語る。
ボヤン氏は印税の受け取りを辞退、その資金などを基に、海外留学生の創作活動を支援する「ボヤン賞」が生まれた。今年2月、中国人の田原氏の詩に第1回の賞が贈られた。「本の出版に一般人が立ち上がった意義は大きい。出版の窓口はもっとあった方がいい」と荒川氏は語る。
従来の商業出版の枠を超えるこうした試みは言論界にも広がっている。「強者の論理が事実上の世界標準となるように、議論せずに物事が決まっていく。今こそ言葉が必要だ」。先月開かれた「言論NPO」の設立会見で、劇作家の山崎正和氏は語った。
「言論NPO」は、経営者、学者、官僚らが本格的な言論誌をNPOで作ろうと、元雑誌編集長の工藤泰志氏を後押しして生まれた。商業ベースでは採算がとれないが、会費を運営資金にする。今のところ会員は150人。来月末の創刊を目指して、ネット上で政策議論を展開中だ。利益ではなく「志」に基づくNPOの出版活動はこれからの時代、台風の目になるかもしれない。
2001/11/6 日本経済新聞社