2004/06/06 朝日新聞
参院の独自性は構造的に薄れている。マニフェスト(政権公約)で政党を選ぶ時代になり、法案の賛否も参院での議決が物を言う。参院に意味があるかどうかは日本が問われている課題に参院が役割を果たせるかどうかにかかっている。
いまの日本は戦後のさまざまな経済社会システムが持続可能ではなくなり、それをつくりかえる時期を迎えている。システムを維持することは将来世代に負担を先送りする。参院議員の任期と重なる6年間が、これからの日本の将来を考えるうえで重要な期間だ。
しかし、多くの政治家はいまの負担ではサービスが維持できないことを有権者に説明しきれていない。投票への影響を恐れ、将来の日本の姿を自信を持って語れないからだ。各政党も長期の展望を示し、選挙を通じて新しいシステムについての国民の合意を得なければいけないのに、できていない。
参院は候補者の多くが業界団体や労働組合を足場にしているから、時代の要請と深刻なミスマッチを起こしている。存在意義は薄れる一方だ。
専門知識を持った人や新しい時代の担い手になれるような「挑戦者」が参院に集まれば、面白い。今回の年金法案のように中途半端な議案を修正したり、解決策を提起できたりすれば、私たちも参院の動向から目を離せなくなるはずだ。
そうした人材を参院に送り込むには政党自体に魅力がないとダメだ。だが、昨年の総選挙でのマニフェストは、自民党も民主党も、本質的な違いが見えない。めざす将来像があいまいで、政党間で対立軸がつくりきれていない。無所属も含めた新しい動きが出てくることを期待している。
議員立法や委員会出席など国会活動の実績を調べて評価することは、有能な人材を見分ける点で一定の意味がある。サービスや給付の水準だけを約束するのではなく、必要になる費用の負担を正直に説明でき、6年の任期後の日本に責任を持てる候補かどうかで、投票を判断すべきだろう。
工藤泰志・言論NPO代表
2004/06/06 朝日新聞