言論NPOは、民間の力を結集するプラットフォームに
~言論NPOが20年で果たしてきた役割と、期待すること~
(聞き手:工藤泰志)
工藤泰志:今年20周年を迎えた言論NPOにとって、高橋さんはなくてはならない存在でした。最初に高橋さんにお会いした時、「日本にものを言えるシンクタンクを作りたい」と言っていましたが、私も本当に同じ思いでした。そうして言論NPOを立ち上げ、高橋さんにもいろいろな形でご協力いただきました。高橋さんはこの言論NPOの20年をどのようにご覧になっていますか。
20年前と状況は変わらない。私たちは相変わらずまだ出発点にいる
高橋進:20年前に工藤さんと議論した時の状況が、実は今もあまり変わっていない。相変わらず出発点にいるような気がしています。それは言論NPOが何も成し遂げていないということではなくて、例えば、私の仕事に関して言うと、当時は情報を役所が独占していたわけですよね。民間から経済に関する政策提言などできる状況ではなかった。ですから、民間からもきちんとものを言えるようなプラットフォームを作りたいと考えていました。僕らが作った研究所も、まだ政策提言ができないという意味ではシンクタンクではなかった。政策提言ができる研究所を作ることができれば、それがシンクタンクになる。そういう志でやっていました。
工藤さんも、政治やマスメディアが情報を独占している中で、民間からきちんとものを言える、そういうプラットフォームを作りたいという思いだったと思います。
工藤:おっしゃる通りです。
高橋:そういう出発点から今日までどこまでできたのかと考えてみると、かなり民間からものを言えるようになってきたけれども、それで日本をどこまで変えられたのかというと......相変わらず僕らはまだ出発点にいるのではないか、と思うわけです。進展はしているけれど、日本の歩みはすごく遅いのではないか。経済に関する限り、20年経ってもまったく同じ地点にいる。ですから、僕らが何を成し得たのか、というとものすごく忸怩たる思いはありますが、それだけ根が深い課題であると思います。
工藤:高橋さんと議論したことが昨日のことのように思い出されます。日本でものを言えるような環境を作りたい、そして日本を動かしたいと思っていたんですね。そうした中で、高橋さんが民間の委員として政府の中に入っていったのは本当に嬉しかったです。
一方、私は市民側にいて、日本の政治や世界の課題を点検し始めたわけです。政府や政党が考える政策を、我々の目線できちんとチェックして、その結果を市民に伝える。そうして多くの市民が自分で政策について考えることができる環境を作りたい。そこで、マニフェストの評価体系を作ったのですが、あれは高橋さんと湯元健治さんがいなければできませんでした。私たちは本気で評価をしていましたよね。当時の私たちの取り組みを振り返って、高橋さんはどう思われますか。
政党の意識を変えたマニフェスト評価。その必要性は今も変わっていない
高橋:すごく意味があったと思います。当時、選挙になると各政党が政策綱領や政策集を出していたわけですが、どの党も都合の良いことしか言わなかったわけですよね。わざと体系的にせずにアピールしたい点だけを強調していました。
私たちのマニフェスト評価は、いろいろな重要な争点について、「あなたの党はどう考えているのですか」と聞き出すと同時に、各政党の考え方を横に並べて比較することによって、より各政党の考え方を炙り出すことができた。主張していることが本当に筋が通っているかどうか、ということのチェックができるようになったわけです。
政党から一方的に与えられた政策ではなく、こちらから問い直すことができる政策論争にしていくことが目的だったわけですが、政党の側もそこは分かってくれて、かなり広範囲にわたってきちんと政策を出してくれるようになった。そういう意味ではそれなりに意義はあったと思います。
ただ、これがどんどん定着していくと政党側としては苦しくなっていく。そうすると今度は、政党側からの一種の抵抗が始まって、「マニフェストみたいな形式は嫌だ」となる。そこからまたせめぎ合いになっていくうちにだんだんマニフェストというものが下火になってしまったのだと思います。
しかし、それでもあの当時果たした役割はやはりすごく大きかった。各政党が自分にとって都合のいいことだけを言っていないかどうかチェックしていく。例えば、何か補助金を出すというのであれば、その財源はどうするのか、というところまで見ていく。より体系的に政党の政策をチェックする。他の政党と比較してみるということがよりやりやすくなったのは、言論NPOのマニフェスト評価の成果だったと思います。
その必要性は今も変わっていないと思います。あのマニフェスト評価の運動があったので、各政党もそれなりに体系的なものを出すようになっていますが、それでも相変わらず都合のいいことだけを言っているのは変わっていませんから、そこをチェックしていくためのプラットフォームというのはあった方がいいと思っています。
工藤:私もまったく同じ思いです。高橋さんと一緒にやったマニフェスト評価では、評価体系や評価基準がきちんとしていました。これに則って政策を出してくれていたら完全に評価できるし、しかも課題解決のメカニズムが国民にとって見やすくなっていたと思います。
だから、これはやり続けるべきだったのですが、残念だったのはどこかのタイミングで「数値目標が入っていなければ駄目だ」という流れに転換してしまいましたよね。数値目標は確かに重要ですが、私たちの評価ではそれにこだわったわけではなくて、この政策は何を目的としているのか、何を実現したいのか、どのように実現するのか、いつまでに実現するのかということについて国民に対してきちんと説明義務を果たしてほしかったわけです。そうしないと国民は何も分からない。今回の衆院選を見ても状況は全く同じですから、もう一回プラットフォームを作らないといけないのではないかと思っています。高橋さんはどのように考えていますか。
政党の表と裏もわかるような評価のプラットフォームが望ましい
高橋:マニフェスト評価では採点基準は明確に示されていますから点数はすぐに上げられます。「政策集のここを変えてもっと良い点にしていこう」というような流れになってほしかったわけです。
しかし、政党側からしてみたら、政策集では詳細には書けない、そこまでしか書けない「裏側の理由」というものがあるわけです。政党内部の事情、既得権との関係、業界事情など「いろいろなしがらみがあってそれはできない。だからこういう政策集になっているのだ」というわけです。
ですから、次に何かプラットフォームを作るとしたら、そういう表と裏の関係がはっきりしないまでも、ある程度裏付けをもってわかるような仕方で評価していくことができれば、もう一歩も二歩も進んだものができると思います。
工藤:2009年、自民党から民主党に政権交代した選挙の際に、両党の政策担当者を呼んで各分野の公開評価をやりました。会場にはメディアの論説委員がずらりと集結しました。驚いたのは、そこでの政治家の真剣さです。公約が駄目だからといって彼らは何も考えていないわけではなく、とても真剣に考えている。その彼らがプラットフォームに出てきた時に本当の競争が起きていたわけです。この緊張感こそが政策論争には非常に大事でして、あのような形をもう一回作れたらと思います。そうなってきたら各政党もまた真剣に考えますよね。
資本主義や民主主義、あるべき経済政策を問い直すべき時期に来ている
高橋:経済の話をすると、先ほども言いましたがこの20年間、日本経済は変わっていないわけです。その間に例えば、財政出動で経済活性化しようとしたり、それができないとなると今度は超金融緩和で活性化しようとしたけれど、それもできなかった。結局、体質を変えなければならない、経済の構造を変えなければならないということをずっと言い続けてきたわけですが、それでもできなかった。そして今は「新自由主義でいろいろなものを自由化したり、市場に任せすぎたのが駄目だった。もう一度元に戻さなければならない」という議論が出てきている。さらに言えば、財政をもっと拡大すべきだったと現代貨幣理論(MMT)のようなものまで出てきてしまっています。
これは日本だけでなく世界でもそうですが、経済政策の座標軸みたいなものがぐちゃぐちゃになってしまっているわけです。そうしているうちに日本は何となく住みやすい国だと思っていたけれど、成長しないからどんどん生活水準が下がっている。国民はまだそれに気づいていない。かつて日本は先進国だったけれど、今一人当たりのGDPで見れば欧州の中進国レベルです。それに気づいておらず、まだ日本は豊かで良い国だと思っている。しかし、どんどん地盤沈下している。そうした中で、僕らが本当に幸せになる、みんなが生きがいを感じられる経済政策とは何なのか、ということについてもう一度きちんと問い直さなければならない段階に来ていると思います。
ここで政治とつながってくる。資本主義とは何か、民主主義とは何か。みんなを幸せにするための経済政策とは何か。その問い直しを20年間、日本はできていなかったわけですが、今こそしなければならない状況になっている。
工藤さんも言論の分野で似たようなことをおっしゃっていると思うのですが、20年前に感じたことは今もほとんど変わっていないと痛感しています。
工藤:バイデン米大統領がこれからの21世紀は民主主義国と専制主義国の対立になると言っていましたが、そこで「民主主義の有用性」ということを言っていたわけですね。有用性というのは役に立っているか否か、ということですよね。それをもう一回考えなければならないということも言っている。
私たちは中国に対してものを言っていかなければならないですが、米中対立が今後長期化するのであれば、同時に民主主義的な価値をもっと強いものにしていくための努力を始めないと、この有用性ということを証明できないのではないかと思います。
ですから、高橋さんのおっしゃっていることには全く同じ思いです。そもそも高橋さんのように発言する人自体が少なくなってしまっている。だから、もっと発言するということを考えなければならないわけです。
最後に高橋さんにお聞きしたのは、世界的に民主主義が後退している状況ですが、その根底にはやはり代表制民主主義の問題があります。民主的な統治の仕組みから市民が退出してしまってチェックアンドバランスが働いていないというような現象が世界各国で見られる。ですから、代表制民主主義の仕組みをきちんと機能させるための動きを考えないといけない段階です。それも結局20年前の原点に立ち戻るべきだという話になると思うのですが、高橋さんはどうご覧になっていますか。
次の20年で言論NPOが作るべき新たなプラットフォームとは
高橋:全く同じ考えです。米中のお話が出ましたが、米国でも格差が拡大している。例えば、今回のコロナ禍でも所得、資産の格差が医療格差などにもつながってしまっている。この状況が続いたら米国は本当に民主主義国家と言えるのか、あるいは資本主義国家として繁栄していると言えるのか。社会の分断がどんどん広がっている中、そういう問いかけが米国にもあるわけです。
一方で中国は専制国家になっている。ただその中で政府が今のところは上手く立ち回っているので、政治も経済もうまくいっているように見えるけど、いったい誰のために政治をしているのか、経済が回っているのか分からない状況にある。
では、日本はどうなのかというと、米国ほど酷くはないが格差が出てきている。かといって中国のようなやり方とは相容れない。そうこうしているうちにどんどん活力がなくなって沈んでいる。自分たちも資本主義、民主主義の社会の中で生きてきて、幸せになっているという実感がなくなっている。
そうした中で、米中、そして日本はどう変わっていけばいいのか。同じ課題があるし、日本だけの課題もある。グローバルに解決できる課題と日本自身が向き合わなければならない課題の両方がある。世界的に見ると資本主義バージョン2とも言うべき、新しい形の資本主義と経済のあり方を考えなければならない時期に来ている。
日本では民意がきちんと反映される政治になっているのか。民間が理想とする経済システムに変えていく力が政治家にあるのか。あるいは、民間の考えていることがきちんと政治に伝わっているのか。そういうところの問い直しが必要なのではないかと思います。
そこで話が戻りますが、個々人の力は限られているので、民間の力をある程度結集していくという意味でのプラットフォームがこれから非常に重要になってくるのではないかと思います。互いの意見を理解し、共通の基盤を作り、必要な政策を形作っていくための場。それがプラットフォームなのだと思います。従来は日本経団連や経済同友会、あるいはマスメディアがそういう場を提供していたのですが、今の日本には残念ながらなくなってしまっている。そういう意味で、民間の研究所、そしてNPOなどがプラットフォームを形成していって、みんなの意見を集約したり、仲介役を果たしていくということが必要になります。海外の場合はそういう場があるからまだ民意が反映されやすいし、個人も考えることができる。日本では、場がないせいもあって民間の意見が政治に伝わらないし、考えることもできない。国民の意識レベルが低くなってしまっているような気がしてしょうがない。だからこそ、20周年を迎えた言論NPOがそういうプラットフォームを是非作ってほしいと思っています。
工藤:ありがとうございました。