言論NPOが20年で果たしてきた役割と、期待すること(地球規模課題編)

2021年12月13日

世界の課題が複雑化する時だからこそ、言論NPOの真価が問われる
~世界課題に対する言論NPOの取り組みと、今後への期待~

 言論NPOが開催している「東京-北京フォーラム」や言論フォーラムのパネリストとしてご参加いただいている経済協力開発機構(OECD)事務次長、財務官などを歴任した玉木林太郎氏(国際金融情報センター理事長)に、今起こっている世界の変化、そうした変化の中で、言論NPOに期待していることなどについて、お話を伺いました。(聞き手:工藤泰志)

kudo.jpg工藤:私たちは今、世界の大きな変化の中にあるのですが、なかなか日本にいるとその変化を感じる機会というのがメディア報道を通じてしかないという状況です。そのため、多くの日本人が世界で起こっている大きな変化や危機について、真剣に考えられていないのではないかと思っているのですが、玉木さんは世界の大きな変化と我々日本の対応をどのようにご覧になっていますか。


世界が直面している課題に取り組むためには、
ファクトとエビデンスに基づいて議論することが求められている

tamaki.jpg玉木:戦後長いこと様々な変化が起こってきましたが、今、世界が直面している多くの変化は、構造的、非連続的、そして同時発生的という点で、恐らく今生きている人たちが経験したことのないタイプの変化だと思います。そのため、前例のない対応を迫られている、という意味で極めて特別なものだと思っています。

 日本で分かりやすい例を順番に挙げていけば、一つは感染症、二つ目は人口動態の変化、日本は少子高齢化が進んでいます。それからDX(デジタルトランスフォーメーション)と言われる技術革新が急激に私たちの生産から消費までを変えている。

 最後に、日本にあまりピンとこない例として気候変動への対応とか、伝統的な家族や性の在り方、男性・女性の認識の変化、それから社会の中の富や所得の配分の問題が挙げられます。こういった日本ではあまり気づかれないもの、そういったものが同時に、かつ非連続的なチャレンジとして押し寄せてきている。一つを解決しただけではなかなか前に進まず、同時に幾つもの課題を考えながら進めなければいけない。そうした時に必要なのは、まず事実を知ることです。つまり「非連続的」というのは今まで我々が直面し、何とかしのいできたタイプの変化ではなくて、教科書がない変化であって、「俺たちは石油危機を乗り越えたんだから」という過去の経験が必ずしも解決の役に立つか分からない。むしろ、解決の妨げとなる知識としてあるから、そこは新しい気持ちをもって、今我々にとって何が必要か、何がその解決のための近道なのか、ファクトとエビデンスに基づいて議論すること以外に答えはないのだと思います。

工藤:そうした議論は、なかなか日本でも行われていなくて、議論というより発言する人が少なくなっています。こういう状況においては、いろいろな人たちが、どう気づけばいいか考えることが非常に難しくなっています。まず言論側というか知識層の中にそういう議論がまず始まっていくことが大事だと思います。

玉木:その通りです。日本が苦手とする一つの理由は、やや高齢者が多いこと、さらに日本は幾つもの困難を乗り越えて豊かで平等で幸せな社会を築いてきたという過去の成功体験、この成功体験を活かして問題の解決を図るんだ、という発想に特に高齢者はなってしまう。しかし、そもそも我々の拠って立つ社会の基盤自体が変わろうとしているからこそ、「今の変化は特殊だ」ということを認識しておく必要があるのです。これは多分、私を含めてお歳を召した方にとっては最も苦手なチャレンジなのかもしれません。

工藤:確かに、それぞれの直面している課題が大きく変わり、その中で大きな危機に直面し、生活にも色々な形で影響してきています。だからこそ、この課題をどう考えるべきか、という模索が多くの市民の間で始まっていくのだと思います。

 つまり、自分が経験したことのない変化に直面していることに気が付き始めているものの、答えはないし議論もない。政府は政府で、このままでいいみたいな感じになっています。

玉木:これを危機だと捉える面では、多くの人たちが何かとてつもないことが起こり始めているのではないか、と思いつつ、一人一人のレベルでは今まで通りに、と気持ちが全面に出ている。危機によって失われていくものに対して、誰か救ってよ、という議論が余りにも多すぎます。

工藤:台風みたいに黙っていれば通り過ぎていく、という話ではありません。

玉木:はい、違います。

工藤:もう戻れないと、いうことを我々はまず覚悟する必要がある、そういうことから始めよう、ということですね。

玉木:ええ、その通りです。

工藤:関連して伺いたいのは、世界の不安の裏返しかもしれませんが、国家というものを軸に物事を考える傾向が非常に強くなっている気がします。他国に対する排外性や、国際協力よりは国家となり、そこに米中の対立が重なっていく。世界が協力しないと乗り越えられないような大きな変化なのに、それに対して協力っていう形の流れがなかなか作れない。この矛盾も非常に大きいと思います。


我々の経済、社会システムを揺るがすような危機に対しては、
国家ではなく、経済主体、社会の構成員それぞれが考える時期に来ている

玉木:私は長く国家公務員をしていましたが、2000年頃から、どうも従来の国家、政府の機能が浸食されてきていると感じています。その最大の理由の一つは、情報が拡散していること、つまり、誰にもでも情報が理解できる。だから政府だけが知っていて、政府だけが全体のコントロールをできるという時代ではなくなり、皆が薄く広く知っている。その結果何が起こったかというと、皆都合のいい情報だけを自分の頭の中に入れて、それで行動しようとする。新聞を見ると、気候変動の脱炭素のためにこんなこと、あんなことと色々なエピソードが連ねてありますが、それが本当に経済社会の変革の役に立つのか、あるいは外国の同じような企てと比べてどう違うのか、というような公平な判断をすることができるような情報が流れてこないのです。だから、「日本企業もよくやっているじゃないか」といって多くの人たちは幸せな気分になって新聞を閉じる。そうしてほしいと新聞の読者は思っているし新聞もそれに合わせて作っている。

 様々な意味で国家のリーダーシップ、特に危機に対応するためのリーダーシップを過去のように期待することは非常に難しい時代になっていると思います。しかし、米中対立のような国家間の対立のような話が入ってきてしまうと、国のシステムとしての機能に過度な期待を寄せてします。安全保障の問題であれば、どうしても国民単位での安全保障っていう話になるでしょうが、世の中は軍事的な安全保障の問題だけではなくて、今起こっている危機というのは地政学的な側面は常にあるわけですが、我々の経済、社会システムを揺るがすようなのチャレンジなので、国家というよりは様々な経済主体、社会の構成員、それぞれが自分はどうしたらいいのか、と考えないといけない時期にきているのだと思います。ですから、あまりお国に頼っても、頼りにならないと思います。

工藤:今の話は言論NPOにも通じるもので、国境を越えた課題に対しては、別に政府がアクターなのではなくて、我々市民や専門家もアクターだ、という立ち位置でやってきました。しかし、今直面している課題は、僕たちにとってもかなり大きなレベルの難しい問題で、色々な人たちの意見を集めるだけではなくて、言論の機能が大事かもしれません。

 つまり、何が大事なのか、それをどう考えなければいけないのか、ということを考えなければいけない。昔は「論壇」というものが存在していて、ある意見に対して反対する人たちもいたけれども、それに対して違う議論が出てきていました。そうしたサイクルが日本の中で起こっているのではなくて、僅かばかりの均一した情報が皆にシェアされて、皆分かった気になって、全員が評論家になってしまっている、というのが現状ではないでしょうか。

玉木:全員が即席評論家にはなるのですが、その尻は誰が拭ってくれるかというと、多くの人たちは、お上がやってくれる、ご厚誼がやってくれると、まるで江戸時代みたいに「お上任せ」という結論になる。少なくともマインドセットはそうなっているケースが多いと思います。

工藤:今の話は言論NPOが考えている視点を見事に言って頂いて本当に嬉しいです。我々は市民がきちんと強くなろうと言っているのです。つまり最低限起こっていることを自分で考える力をつけようと。そのためには色々な人たちの話も聞いて色々なものを読まないといけない。事実を知り、考える。ただその環境をサポートする言論人や知識層の役割も大事で、そうしたサポートをしながら市民社会を強くしていかないと、今直面している課題は乗り切れないなと思っています。考えてみるとそれは20年前に言論NPOを立ち上げた時の思いなのです。それが何も変わっていないというよりも、もっと複雑で深刻になっている気がしています。

玉木:20年前に比べて、課題に対するチャレンジが大きくなっていると思います。まず何よりも、謙虚に今の事態を理解し、ファクトに基づいて頭を整理し、そして他の人たちはどんな議論をしえいるか、ということをバイアスをかけずに眺めて、それで一所懸命答えのないところにどうやって答えを見出していくかを考える。よく使う言葉ですが、各自が書いたノートを見せ合って解決を目指す、という極めて平凡な努力しか答えはないのだと思います


世界の課題が複雑化する時だからこそ、言論NPOの真価が問われる

工藤:今の「平凡な努力」、非常に光って感じました。我々はそういう局面だということを考えないといけない。言論NPOは全てではありませんが、少なくともそういうことのための努力は大事だということを思い出させる、そうした場であり続けたいと私は思っています。言論NPOは2021年11月21日で、20周年を迎えてようやく成人式となりました。余りにも課題が重すぎて、これをどうするかと悩んでいるんですが、最後に言論NPOの20周年に期待することをちょっと言って頂ければと思います。

玉木:まずはおめでとうございます。この20年間工藤さんのリーダーシップやスタッフの方々のご苦労は並大抵のものじゃなかっただろうと思います。しかし、これからますます宿題が積みあがっていく。夏休みが終わる直前の8月29日くらいの気分になっていらっしゃる方も多いと思いますが、とにかく上から宿題を片づけないわけにはいかない。8月31日は迫っていますので、これからこそ言論NPOの真価が発揮できる時なのではないでしょうか。次の20年のご活躍を期待します。

工藤:覚悟を固めて本気でやりますので、玉木さんにはこれからもご協力いただければと思います。よろしくお願いします。どうも今日はありがとうございました。

玉木:ありがとうございました。

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