言論NPOが20年で果たしてきた「言論」の役割と、期待すること

2021年12月20日

言論NPOは、市民が責任ある発信をしていくための環境づくりを
~言論NPOが20年で果たしてきた「言論」の役割と、期待すること~


 2001年、日本の中にしっかりとした言論の空間が存在していなかった状況を「言論不況」と名付け、「言論不況」からの決別を掲げて代表の工藤が言論NPOを設立しました。

 それから20年、日本や世界の「言論不況」は変わったのか、言論人や知識層に問われる役割とは何か、そうした中で言論NPOに問われる役割とは何か。言論NPOのアドバイザリーボードメンバーで、駐仏・駐韓大使を務められた小倉和夫氏(国際交流基金顧問)にお話を伺いました。(聞き手:工藤泰志)


kudo_.png工藤泰志:言論NPOは今年20周年を迎えました。小倉さんにはかなり初期の段階からご協力いただいていますが、20年前に私は「言論不況」ということを世に問いました。つまり、メディアもそうですが、知識人、言論人がきちんとものを言わない。課題にきちんと向かい合っていない。それが日本の未来を見えにくくしているのではないかと。

 ただ、それから20年経った今、この言論不況の問題がどうなっているのかというと、もっと深刻になっているのではないかという思いもあります。小倉さんはこの20年間をどのように見ておられますか。


20年後の現在の"言論不況"を取り巻く三つの問題

小倉さん.jpg小倉和夫:言論NPOは市民の力を強めて、その力によって世論を動かす、さらには世界を動かすという使命感でこの20年間やってきたと思うのですね。それはある程度成功したと思います。例えば、日中間対話、日韓間対話、民主主義対話。こういう取り組みの成功を見ますと言論NPOが対話の重要性というものを多くの市民に再認識させたと思います。対話、コミュニケーションを断絶してしまうということ自体が最大の問題で、開かれたコミュニケーションのチャネルは常に維持しておかなければならない。その精神を世に知らしめた。これは言論NPO20年間の活動の大きな成果であると思います。

 今、私は世論と政治が乖離していると思います。国政選挙の投票率が毎回のように5割台になっていることがその象徴ですね。例えば、女性の権利やLGBTQをめぐる問題、あるいは政治とカネの問題。そういう問題に関する今の社会のリーダーたちの態度と、世論の普通の人の感覚はずれている。この感覚のずれが乖離の背景にある。これがまず一つ目の問題です。

 ですから、そういうずれを言論NPOが埋めていく。政治と世論が乖離している部分がなぜ乖離しているのか、どうすれば埋められるのかということを考えていくことが、これからの言論NPOの使命の一つになるのではないかと思います。

 もう一つは、政治が世論に流されすぎているという問題があります。ポピュリズムという言葉がありますけれど、まさに世論に迎合してしまっている。これは非常に大きな問題です。例えば、何でもかんでも中国と韓国の悪口を言えばいいというような風潮があります。日中、日韓関係について、言論NPOは非常に健全なやり方で関係づくりを進めてきましたが、今のおかしな社会の風潮が政治にも反映されてしまっている。

 財政問題にしたって、今まさに巨額の財政出動をしようとしていますが、では財源はどうするのかという議論がなされていない。

 このように政治が世論に迎合して流されてしまっている。ここで「いや、ちょっと待て。よく考えよう」という流れになっていない。これがもう一つの大きな問題だと思います。

 第三の問題として、これは言論NPOにどうこうできる話ではないのですが、やはり今の社会には「夢」がないと思います。夢がないことが今の閉塞した状況を招いてしまっている。世論を誘引する、惹き付けていくためには、夢を与えないといけないと思います。では、夢を与えるためにはどうすればいいのかというと、発想の転換を図る必要がある。その転換を言論NPOがいろいろな人の意見を集約しながらやっていくべきではないかと思います。

工藤:私が特に小倉さんに聞きたいのは知識人、言論人の役割なんですね。今、世論に流されているというそれ以前にものを言う人がいなくなってしまっているのですよ。「これはおかしい」と声を上げる人がいなくなってしまっている。これは社会の中で発言しても意味がないという絶望感があるせいなのか、それとも言うことによって自分が何の得もしない、むしろ損をするだけだと思っているから声を上げないのかは分かりません。ただ、そういう声を上げるための舞台がどんどんなくなることによって、今世界が大きく構造的に変わっている状況なのにもかかわらず、これを理解するための言説がなくなってしまっている。今起こっているのは、ある目の前の言説に対して「けしからん。言っている奴をやっつけろ」というようなものしかない。だから、まったく未来が見えない。

 20年前も言論不況という構造でしたが、そうした中でも意外と言論人は頑張っていました。でも今はほとんど誰も頑張っていない。世界でもトランプ米政権の頃には一時期そういう状況にありましたが、その中でも知識層が発言を始めなければならないという機運は高まってきた。しかし、日本ではまだそういう動きが見えてこない。これは何が原因なのでしょうか。日本社会の中で何が起きているのでしょうか。


インターネット時代の言論のキーポイントは「責任」

小倉:それはやはり、インターネットの問題が大きいと思います。今までは発信者と受信者が明確に分かれていました。しかし今は発信者と受信者がイコールであり、受信者と発信者がイコールになっている。だから、そういう場でどういう議論をしていくべきか、ということ自体から考えていかなければなりません。今の状況を放置しておくとめちゃくちゃなことになってしまいます。

 こうしたインターネット時代におけるキーポイントになるのは「責任」だと思います。本来、人は自分の発信に責任を持たなければならないわけですが、ネット上の言論はまるで責任を持たないものが溢れているでしょう。だから、そういうものをどう扱うべきか、ということについて皆が真剣に議論しなければなりません。論壇が消失した一つの理由も、無責任な言論が蔓延って収拾がつかなくなってしまったから、ということもあるのではないでしょうか。

工藤:今のお話は現在の問題のポイントを突いていると思います。インターネットの議論の中で、多くの人たちがいろいろな情報をいろいろな形で見ているのだけれど、本質的な情報を見ていないわけですね。ある程度の情報しか得ていない中で感想を言い合っているだけになってしまっている。そうした中では真面目な論考があっても埋もれてしまう。面と向かっては言えないこともインターネット上ではどんどん言えてしまうこともそれを加速させている。

 この問題を世界の民主主義のリーダーと議論しても皆が同じ指摘をします。権威主義的な人たちが民主主義的なリーダーを個人的な問題で攻撃してくる。皆そうした攻撃を受けることに慣れていないから、結構萎縮してしまうと。彼らと話すと、初めはこう言っていました。「インターネットを使わない方がいい」と。フィリピンの政治家・アキノさんが言っていたことなんですが、「インターネットの舞台ではなく、リアルの中で百万人の民意と話し合おう。そうしてもう一回組み直そう」と言っていたんですね。だけど、この前また話してみたら「工藤さん、我々は間違っていた。やはり、インターネットの空間はもはや避けられない。そこで勇気を出して議論していくしかない。たとえ脅迫してくるような人たちがいたとしても、彼らよりも圧倒的に強くなれば流れは変えられる」と。「これが言論NPOが目指すべきことじゃないか」とも言われました。小倉さんはどう思われますか。


志を同じくする"友の会"ができれば、個人も勇気をもって発言できる

小倉:正しいと思います。ただ、ちょっと考え方が甘いとも思います。というのは、個人というのは守ってくれる人がいません。その個人本人しかいない。記者であれば、朝日新聞とかNHKなど所属する企業が守ってくれます。個人はそうはいかない。個人が自分を守り切ることはなかなか難しい。例えば、大谷翔平選手や大坂なおみさんのようなスーパースターであれば、誰かにデマで攻撃されても自分で発信すれば信じて味方になってくれる人も多いでしょう。ところが、普通の個人がいくら声を大にしてもそうはならない。

 ここで言論NPOの役割があるとすれば、志を同じくする友の会のようなものをきちんと作ること。これができれば「言論NPOのところで発信すれば味方が多いから安心だ」となる。発言の社会的責任は当該個人が持つけれど、言論NPO友の会も持つというわけです。そうなれば、一つの大きなインパクトになる。個人は個人で勇気を持ってやりなさいといっても著名な大学教授レベルでもそれはなかなか難しいですからね。

工藤:言論NPO関係者の間でも同じようなことは何度か言われましたし、私もそう思います。

 小倉さんから見て、言論人や知識層のあり方について何か苦言はないですか。20年前も改革をしなければならない時にメディアですら「いつまで改革などと言っているのか。そんなことよりもカネをばらまかないと国民は納得しないよ」などという論調が出ていました。そうした状況の中では、きちんと発言する人は孤立していましたが、それでも頑張っていました。でも今は本当にいなくなってしまいました。不満を言っている人はいますが、真っ向から議論したり、異論を述べて市民の心に火をつけるような言説が出てこない。知的な言論空間がなくなっていることが背景にあると思いますが、小倉さんはどうすればいいと思いますか。


水平的ではなく、垂直的な議論が求められる

小倉:そこは簡単ではありません。ですが例えば、同じテレビのディベートでももうちょっと真面目に、1時間、2時間の時間を取って工藤さんのような有識者が参加したものを放映すべきです。今はごく短時間の、それも調子のいい評論ばかりしているような人が出演しているものばかりです。視聴者は少なくてもいいから「ああ、そうかな」と思わせるものを作っていく。昔、フランスでは一冊の本を題材として、四、五人の有識者が議論するという番組がありましたが、これが結構高い視聴率を取っていました。現在には現在のやり方があるとは思いますが、何か新しいものを考えるしかないと思います。

 ただ、その際に注意しなければならないのは、インターネット時代では水平的な議論は皆がやるんですよ。しかし、垂直的な議論は難しい。つまり、歴史的・中長期的な話です。歴史を語るということは中長期の議論をするということなんですから。今はアメリカでもどこでも水平的な議論については皆意識が高いけれど、垂直的な議論が忘れられてしまっている。ですから、言論NPOの議論でも中長期的な視点、歴史的な視点を意識していくことが重要だと思います。

工藤:今、小倉さんの姿が故・小林陽太郎さんにだぶって見えました。小林さんは「すぐに反応してしまうような民主主義を言論NPOは目指してはいけない。きちんと議論して考えながら、ものを提起できるような舞台を作れ」と言っておられました。

小倉:例えば、日米関係について考えることは重要ですが、評論家的になってはいけません。私は以前、明治時代の岩倉具視から吉田茂に至るまでの政治家、さらには三島由紀夫や村上春樹といった小説家も含めて、二百人程度の著名人がアメリカをどのように見ているのか調べたことがあります。それを分析して、そこから学ぶことは何か、今の日米関係に活かせることはないかといくつかポイントを抜き出しました。

 例えば、こうしたポイントごとに今後の日米関係をどうすればいいのかということを議論する。そして議論した成果を書籍と出版する。将来的には日中関係、日韓関係でも同じことをやればいいと思いますが、まずは関係が複雑ではない分、日米の方がやりやすいでしょう。そういうこれまでとは違う、評論家的ではないディベートをやっていく必要があると思います。

工藤:確かに今はそういうことが必要な局面だと思います。皆歴史のことを意外と知らないですよね。言論NPOもそうした議論を作っていきたいと思います。

 最後に、言論NPOの「次の20年」に向けて期待していることを一言お願いします。


これからの20年間ではジェンダー問題など普通の市民が関心を持てるようなテーマを議論すべき

小倉:まず、ジェンダーの問題を取り上げてほしいですね。言論NPOはこれまでジェンダーの問題をあまり議論したことはなかったと思いますから。女性天皇の是非の問題にしてもこれは日本社会のジェンダーに対する意識の問題ですよ。地球温暖化のような問題で議論することも勿論よいのですが、こういう普通の市民が意外と関心を持っていて、なおかつちょっと知的な議論ができるようなテーマ。表層的な議論ではなく、この問題の背景には何があるのか、どういうことが起こっているのかということを掘り下げる。そうすれば市民は乗ってくると思います。

工藤:ありがとうございました。




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