アメリカ大統領選と日米関係

2016年6月19日

第一話 オバマ大統領の広島訪問をどう読み解くか

工藤泰志 工藤:言論NPOの工藤泰志です。さて、今日の言論スタジオは日米関係を議論したいと思っております。5月26日、27日に伊勢志摩サミットが行なわれ、27日には、オバマ大統領が現役のアメリカ大統領として初めて広島を訪問しました。その時の演説を聞いた多くの人は、私も含めて感動したと思います。今、日本とアメリカが非常に良い関係ではないかと演説を見て思った人もいるだろうし、オバマさんがよく来てくれたと感動された方も多いと思います。

 しかし、一方でトランプ氏が出馬しているアメリカ大統領選を見ると、日米関係の前途を不安に思う方もいらっしゃると思います。こういう形で議論することは余りなかったのですが、今回は日米関係について、一体、どういう状況で、どうなっていくのかということについて今日は皆さんと話をしてみたいと思います。

 今日は3名の方に来て頂きました。慶應義塾大学総合政策学部教授の中山俊宏さん、東京財団上席研究員の渡部恒雄さん、防衛大学校総合安全保障研究科教授の神谷万丈さんです。皆さんよろしくお願いします。

 私は、オバマさんの演説を聴いて、非常に誠実な振る舞いと人類における核と広島の意味を的確に語られていたことに感銘を受けたのですが、日米関係においてアメリカ大統領が広島に来たことの意味をどう考えればいいのか。当然そこには、安倍政権の外交の力というのもあるかと思いますが、皆さんはどう見られているのか。演説の感想でもいいので、そこからお話頂ければと思います。まず中山さんからどうでしょうか。

非常に心を動かされた今回のオバマ大統領の広島訪問

 中山:やはり、すごく感動したというのが素朴な感想です。アメリカの大統領があの場を訪問し、なおかつ被爆者と言葉を交わすというのは、これまであまり現実的なものとして考えてこなかったので、その意味においては非常に心を動かされましたし、おそらくオバマ大統領は、これまでのアメリカ大統領のなかで日本国民との心の絆、繋がりという意味では、非常に太いものを築いたのではないでしょうか。メディアでは民間の歴史家である森重昭さんと包容し合っている姿が多く報じられましたが、私は、坪井直さんと笑顔で語り合っている姿を見て、何となく肩に重くのしかかっていたものが取れたような気がしました。それで全てが解決したわけではありませんが、そういう感覚を覚えたオバマ大統領の訪問であり、その限りにおいては非常に良かったと思います。ただ、冷静になって考えると、大統領選挙との絡みでいろいろな事故も考えられたわけです。トランプ氏があれを選挙の争点にしたり、日本国内の反応などもあり、今回の訪問については少し懐疑的なところもあったのですが、結果として、ああいう形まとまったので、ほっとして良かったかなと思っています。

 後で話すことになると思いますが、核軍縮ということに関していえば、オバマ大統領の訪問で、何かが具体的に変わるのか、新しい発言があったのかというと、少し冷めた見方もせざるを得ないところもありますが、象徴的な行為としての広島訪問は、私は非常に心を動かされましたし、良かったのかなと思っています。

工藤:渡部さん、日本にとってオバマさんが広島に来る意味という問題と、アメリカにとって現職大統領が広島に行くという意味はどういうものだったのでしょうか。

日米両国にとってのオバマ大統領の広島訪問の意味

 渡部:まず、アメリカにとっての意味という点でいえば、オバマ広島訪問は非常に政治問題含みだったと思います。つまり、トルーマン大統領が原爆を日本に投下したこと、日本に対してというよりも、アメリカが他国、あるいは人類に対してといってもいいかもしれませんが、この出来事をどう考えるは、アメリカ国内で合意が得られていない問題の1つです。肯定的な意見が主流にある一方で、それはいかがなものかというリベラル側の反応があります。なるべく史実を客観的に見るべきというのがリベラル側の意見で、1995年にスミソニアン協会の航空宇宙博物館が、エノラ・ゲイ号という広島に原爆を落としたB29を展示しようとした際に、リベラルな博物館側が、被爆者や被害状況の写真も展示しようとしたところ、退役軍人の団体や保守派から「そういうものは展示するべきではない」との反発がありました。

 なぜならば、アメリカは広島原爆投下によってアメリカ人兵士の命を救ったし、日本の人達が不要に殺されることも防いだという肯定的な姿勢を取っていましたし、いまも主流の意見です。この姿勢を否定するべきではないという立場がリベラルな博物館を批判して、アメリカ中で保守対リベラルの大論争になりました。こうした歴史から、原爆投下は今でもアメリカではなかなか合意が得られない政治問題だった。

 日本でも、従軍慰安婦や、南京の虐殺などで、リベラル派と保守派で意見が割れています。広島への原爆投下は、アメリカではそういう問題でしたから、今回、オバマ大統領は広島によく来れたな、というのが率直な感想です。

 しかし、ふたを開けてみると、戦後71年が経ち年を重ねて、相当にアメリカ社会がリベラルになってきているということ、戦争の生き残りの方も少なくなってきて、賛否もだいぶ穏やかになってきたということなのでしょう。ただ実際にオバマ大統領が訪問するまでは予断を許しませんでしたから、オバマ政権は、まずケリー国務長官を訪問させてその様子を見て、大統領訪問を決断したのだと思います。

 次に、日本にとっての意味なのですが、日本人にはひっかかりが1つあるわけです。日米同盟への支持は非常に高くて、現状国民の8割ぐらいが日米同盟で日本を守ろうと考えており、同盟への支持は高いのです。しかし、近隣諸国との歴史認識の問題だと日本は加害者として批判される側ですが、広島に関しては、日本はどちらかというと被害者としての意識のほうが強いのです。アメリカは日本に近隣国との歴史的な和解を期待している一方で、アメリカというのは日本に謝罪するような態度を見せていない。これがひっかかりです。しかし現実には、日本人の中でも別に大統領に謝って欲しいと思っている人は少なくて、むしろ大統領に来てもらい核廃絶のメッセージを世界に発信して欲しいと思っている人が大半だと思います。そもそも、核兵器の発射ボタンを持っているアメリカ人に、実際の原爆の被害の状況をその目で見て欲しいという気持ちが強いのだと思います。そういう意味で、大統領の広島訪問は日本にとっては意味がすごくあったと思います。

工藤:神谷さん、岸田外交、そして、G7の議長国である日本がアメリカ大統領の広島訪問を実現したということは非常に大きな話だと思います。よく努力したと思うし、オバマさんも「来て良かった」と話していました。オバマ大統領を広島に呼ぶことの意味とは何だたのでしょうか。

安倍・岸田外交による日米関係の深化がオバマ大統領の広島訪問に繋がった

 神谷:今、渡部さんの指摘で半分以上済んでいると思いますが、大半の日本人は、戦争とに関して言えば、日本が何も悪いことをしていないとは思っていませんがが、広島については、程度や内容の差はあるにせよ、アメリカのやったことにおかしいところがあるだろうとどこかで思っている節がある。しかし、それを言うならば、やはり、広島や長崎についてアメリカ人は正当化だけするのではなくて、原爆投下がもたらした結果についてきちっと向き合って欲しいという意識があって、「謝る」ということではなかったわけです。先ほど渡部さんが言及されたように、もし日本人が謝れということを言ったならば、オバマは来なかったでしょうし、他の様々な問題に飛び火して大変良くないことが起こったと思います。大変良かったことに日本では、政治家もあるいは一般の市民もそして被爆者という方々も、アメリカに謝罪を求めることをほとんどしなかった。そうではなくて、ともかく一体何が原爆というものの現実なのかを見て欲しい、それを訴え続けたことが良かったと思います。これまでアメリカの大統領や国務長官は広島に来ようとしなかったにもかかわらず、今回広島訪問を実現させたことは、安倍外交、岸田外交の成果でもあるし、広島云々以前に、日米関係でいろいろありましたが、この3年余りの間に随分と関係を高めてきたことが信頼感に繋がったのではないかと思います。その意味で非常に成功だったと思います。

 もう1ついえば、アメリカ人の間には、原爆というものについては非常に複雑な感情があったと思います。在郷軍人会といいますか、ベテラン、元軍人達は、もちろん自分達のやってきたことが間違っていたと言いたくはないわけで、原爆投下の意義を強調するのですが、これまで、それだけではなかったわけです。例えば、ニューメキシコに原爆博物館というのがありまして、それを何年か前に見に行った時、当時のCBSラジオの記者が、エノラ・ゲイなどが帰還したテニアン島から報道した時の原稿を見たのですが、「やったぞ、日本をやっつけたぞ」といった勝ち誇ったトーンではなく、「今ここにあるのは、何かとんでもないことが始まってしまった。我々はとんでもない時代に入ってしまった、そういう雰囲気だ」という意味のことを、原爆投下直後にアメリカの大メディアは報道していた。そうしたものが現在も博物館に展示されているし、そういう感覚はずアメリカ人の中にずっとあるわkです。ただ、大統領の広島訪問に繋げるには、いろいろなハードルがあった。それをよくぞアメリカも、日本の側も乗り越えさせたと率直に評価したいと思います。

工藤:中山さんにもう少し伺いたいのですが、オバマさんは「核なき世界」、核軍縮に対して、就任直後から取り組んで来ましたが、なかなか上手くいっていませんでした。しかし、その任期の最後に、原爆を投下した広島の地を訪れることは単純な思いではなく、非常に深い思いだと思うのですが、オバマさんは、今回の訪問で何を実現したかったのでしょうか。

「核なき世界」へのメッセージを象徴的な意味で完結させるための広島訪問

中山:2009年4月、オバマ政権発足直後に、オバマ大統領は「核なき世界」を訴えた「プラハ演説」を行いました。当時はオバマ大統領自身も自分の言葉で世界を変えられると、言葉である種、アメリカを変えたわけですから、その延長線上に自分の言葉が世界で非常に響くという自信の下にああいう演説を行ったのだと思います。

 それから、今回の広島訪問も単に思いつきではなく、彼は学生の頃から国際関係論をコロンビア大学で勉強していましたが、当時から学生ジャーナリストとして、核軍縮の記事を書いていました。それから、上院議員時代も核廃絶というよりは、核物質の管理、lose nucleus、流出核の管理等に非常に大きな関心を示していて、その意味では、急に思い付きでやったというわけではなくて、そこに至る系譜みたいなものがあったのですが、いざ、大統領になって、ああいう形で演説をして、ノーベル平和賞までもらってしまった。オバマ大統領にしてみると、自分のメッセージを象徴的な意味で完結させるためには、大統領の任期中に行かなければいけない場所ということで、多分、自分の中で位置付けていたのが広島だったのだと思います。私は、4月上旬にアメリカに行った時に、色々な人と話をすると、「もう我々が伝えられることは全て上に上げている。後は大統領と周辺の決定に委ねられている」という状況でした。大統領本人が相当強くこだわって、スピーチの原稿も公開されていて、大統領自身が手を入れていました。これは今回の広島の演説だけではなく、オバマ大統領は言葉の人なので、重要な演説は全て自分で手を入れているということだと思いますが、当初は「所感」ということで、数分だろうという予想でしたが、ふたを開けてみると17分強と、立派な世界観に基づいた演説ということで、やはり、オバマ大統領個人にとっても極めて重要な問題として位置付けられていたのだと思います。

 ですから、オバマ大統領はまだ若いですし、大統領を辞めた後、いろいろなことに取り組んでいくと思いますが、主として、内政に取り組むのかと思いつつ、この核軍縮というテーマも、大統領を辞めた後の重要アジェンダとして位置付けているのではないかと思っています。

工藤:渡部さんと神谷さんに伺いたいのは、日本政府、岸田外務大臣、安倍総理が、今回のオバマさんの広島訪問にこだわった理由とは何だとお考えでしょうか。

戦後、日米間に刺さっている1つのとげを抜くことができた

渡部:岸田さんと安倍さんで違う部分と同じ部分があるかと思いますが、2人の思いとして共通しているのは日米関係、同盟を強めることの象徴として非常に重要だと思っていたことだと思います。一方で、中山さんの話にあったように、オバマ大統領の広島訪問によって政治的な飛び火があって、例えば、トランプがオバマの訪問を叩き出したりとか、日本の国内でもオバマが謝罪しないことに強い批判が来たりすると、かえって同盟を弱体させる火種になる可能性があった。最終的に、オバマ大統領が訪問を決断した後は、おそらく覚悟をきめて、訪問を上手く成功させれば、日米関係は非常に強まるのだという信念で動いたのではないかと思っています。

神谷:安倍さんというのは、戦後のもやもやした問題に、ともかく一旦、ある程度の片を付けたいと強く思っている人だと思いますが、今回の問題についても、そういう意識はあったのだと思います。つまり、日米は憎み合い、殺し合いをした間柄から71年で、ここまで近い同盟国、友好国になったわけですが、ひっかかりがいくつかあるうちの1つのとげを抜いた。そして、それは、基本的に成功したと思います。日本でも圧倒的多数、ほとんど100%に近い人が今回の訪問、演説を良かったと言っていました。私は、オバマ大統領の広島訪問時はたまたまニューヨークにいましたが、ニューヨーク・タイムズは大きく一面で取り上げていて、その模様を伝えていました。日本では、一部に外国では淡々と報道されていたとありましたが、決して抑えた報道ではなく、大きな、歴史的な出来事として報道された。そういう意味では、刺さっていたとげは抜けたのだと思います。

 ただ、重要なことは、これはご質問からずれてしまうのですが、中山さんが少し言及されたように、これで核廃絶や核軍縮がぐっと前進すると日本人が考えてしまうと、大変な間違いです。つまり、核軍縮や核廃絶というのは、相手があることなので、オバマ大統領がいくら言葉の力で訴えかけて、世界中の多くの人を感動させても、他の核保有国がどうするかによってしか、実は結果が決まらない。これは、碁や将棋等と同じで戦略的状況、自分の手だけ考えてもダメで、自分がこういったら、相手がこう来る、それに自分がこう来るというやりとりがあって初めて結果が出るものです。核軍縮とか核廃絶になると、直前に実験を行なって、党大会で自分が核を持っているぞということを高らかに謳った北朝鮮もそうですし、その他の一部の核保有国は依然核兵器を重視しているので、なかなか難しいものがあると思います。

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