白紙に戻った新国立競技場建設問題の評価とその行方
――そこから得られた教訓を生かす
工藤:言論NPOの工藤泰志です。今日の言論スタジオでは、新国立競技場の問題を取り上げたいと思います。今日は7月24日ですが、5年後のこの日に東京オリンピックの開会式が行われることになっています。この開会式のメイン会場となる新国立競技場の問題は、二転三転して、最終的には計画が白紙に戻り、新しいスタートを切るという展開になりました。そのように迷走した新国立競技場建設計画は、どこに問題があったのか、そしてどのように立て直していけばいのかについて、今日は議論していきたいと思っております。
ということで、今日は3人のゲストに来ていただきました。まず、後藤・安田記念東京都市研究所理事長の新藤宗幸さんです。続いて、順天堂大学スポーツ健康科学部客員教授で、2016年の東京五輪推進担当課長も務められた鈴木知幸さん、最後に、建築家で武蔵野大学専任講師でもある松田達さんです。
また、今日は、私たち言論NPOに登録している約7000人の有識者に事前にアンケートを行っていますので、彼らの声も集めながら、議論していきたいと思います。
新国立競技場問題では7月7日、日本スポーツ振興センター(JSC)の有識者会議が、当初のコンペで採用された計画の総工費が1300億円から2520億円に膨らむということを了承しました。しかし、その10日後に、安倍首相が、これを白紙に戻すということを決断する事態になりました。安倍さんは、1ヵ月前から、文部科学省にその検討を指示していたのですが、それが急転直下、大きく変わることになりました。この問題を我々はどのように評価していけばいいのか、そして、この問題からどういう教訓を引き出せばいいのか、ということが、第一の課題になります。
これについて、有識者のアンケートでも聞いてみました。まず、「首相の判断をどのように評価していますか」については、68.3%が「白紙にしたことは評価しているが、見直しが遅れたことは評価できない」と答えています。「評価している」は23.9%ですから、両者を合わせて100%近いのですが、今回、白紙に戻したことを評価していて、あとは決断のタイミングの問題で意見の違いがあるという状況になっています。皆さんはどう考えているかということからお話をしてもらいたいのですが、新藤先生、どうでしょう。
新藤:白紙に戻したこと自体は評価していますが、安倍首相は、国会でも、記者会見でも、「2520億円の計画は国際公約であって、白紙には戻せない」と言っていました。「白紙に戻す」と言う1ヵ月前から政権内部で検討していた、と言っていたのですが、要するに、安保法制があまりにも不人気で、加えて新しい競技場の建設に批判が高まっていました。そういうことが、「白紙に戻す」ととりあえず言ったことの基本にあると思います。ただ、問題は、今後どのくらいの規模でどのくらいの競技場をつくるのか、ということです。そこは注目していかなければいけないと思っています。
工藤:ちょうど7月11~12日に新聞各紙の世論調査も発表されて、やはり従来の計画にほとんどの人が反対しているという結果が出ています。仮に計画がこのまま突っ走っていれば、かなり厳しい事態になる可能性もありました。鈴木さんはどう見ていますか。
鈴木:首相の思惑はともあれ、白紙撤回になったことは歓迎します。ただ、遅すぎます。私は2年前にこの建設計画が出たときから違和感を持っていて、ずっと批判し続けてきたのですが、一つの大きなポイントは、昨年9月に基本計画が出た段階なのです。建設費の中身が非常にメチャクチャであって、文科省から言われた結論に対して単に積み上げていた作り数字だったのです。それが後で分かるのですが、あの時点でひっくり返していれば、もっと余裕をもって良い検討に入れたのだと思います。
工藤:いろいろなタイミングで計画を撤回するチャンスはあったのに、なかなかできなかったということですね。
当初から疑問の多かったコンペ条件
鈴木:そうですね。文科省は「五輪に間に合わない」とか、本当は国際公約ではあり得ないのですが「国際公約である」と言ってきていました。
工藤:松田さんは、建築家の人たちも集めた議論づくりをいろいろなかたちで行ってきたのですが、今回の白紙撤回という決断をどのように判断しましたか。
松田:白紙撤回そのものは、「ようやく大きなことが動いた」という気持ちでいます。今、鈴木さんから、2年前に既に問題が明らかであったという話がありましたが、さらにさかのぼって3年前、2012年の秋にコンペがあって、その要項が発表された時点で、建築関係者の中では「かなり変わった条件でのコンペだ」ということが言われていました。一つは、設計者が最後まで携わることなく監修者であることです。今回のプランをデザインしたザハ・ハディド氏は、設計者ではありません。もう一つは、デザインに関して、1300億円というコストは目安でしかなかったことです。例えば、ヨーロッパのコンペだと、もう少し時間をかけてやるのですが、そもそも最初の段階から積算事務所と組んで見積もりを出すこともあります。それに比べると、総工費が目安の2倍になったことを考えれば、どうしてそういうことができなかったのかという印象です。あとは、決定までのスピードが速すぎて準備が間に合わなかったというのがあったと思いますが、今からやり直すということを考えると、当時、本当に時間がなかったのかどうか疑問です。そのあたりは、これから検証されていくことかと思っております。
1300億円の縛りはどこへ
工藤:鈴木さんと松田さんの話は一般の人たちには分からない部分があるので、もう少しお聞きしたいと思います。今の話は、コンペの時の要綱そのものに大きな問題があったということなのですが、よく分からないのは、1300億円という金額がまず決められていたのに、なぜそれが制約条件にならなかったのかということです。実際にデザインしてみたら1300億円を大きく上回ってしまったという話になると、費用の問題をまったく考えずに決めたということになるのでしょうか。
松田:一般論として、建築の場合に最初からすべての金額が決まっているということは、なかなか難しいです。例えば今回の場合、消費税は5%で試算していたとか、その後の物価上昇分が考慮されていなかったということはあると思います。もう一つは、審査員の側からしても、他人の設計に関してどれくらいのコストになるのかを見極めるのは非常に困難です。実質設計まで達しておらず、応募者本人も細かいところまで分かっていないかもしれないことを考えると、審査員だけが、どういうつもりで設計をしたのかということをすべて知っているのはなかなかありえないと思います。
工藤:ということは、1300億円というのは審査にはまったく関係ない数字なのですか。1300億円に近いとか、それがある程度担保されていることを証明しなくてもよいのでしょうか。
松田:例えば、いくつかの目安として、中国の鳥の巣(北京オリンピックの競技場)が600億円であったとか、日産スタジアムもそれくらいだったと思いますが、いくつか「この程度の規模ならこれくらいの費用」という想定はあったと思います。ただ、今回はJSCの最初の有識者会議の時に、いくつかの条件が決まっていました。「収容人員8万人であること」「開閉屋根を持つこと」「可動式座席を持つこと」という3つの条件があたかも簡単にできるだろうということで、2011年くらいに決まってしまっていて、それを条件にスタートしました。普通のスタジアムから考えると、1300億円というのは圧倒的に大きな金額なので、当時はそれで十分いけるだろうと踏んだのかもしれません。
工藤:他の競技場と比べると十分高額なので、3つの条件は十分満たすことができると踏んだということですね。そのデータとか経緯は公開されているのですか。
松田:有識者会議のデータはある程度公開されていますが、黒塗りになっているところも多いです。例えば、会議の中でどのような発言がされていたのかについて、重要なところは割と黒塗りになっているのを私も見ました。
工藤:鈴木さん、もっと分からないのは、普通であれば「良いものを造りたくても、お金がないならこの範囲で造るしかない」と考えますよね。ということは、費用が膨らんでもできるという打ち出の小槌的な仕組みが、主催者側にあるということなのでしょうか。
鈴木:最初のころは、そんなことは考えていなかったと思います。どういうスタジアムを造るかということで、私はずいぶんマスコミ関係から「1300億円をどこから根拠として持ってきたのか」と聞かれました。私が推測しているのは、1090億円で建設されているシンガポール国立競技場との比較です。1000億円を超える競技場は世界でほとんどないのですが、シンガポールでは屋根つきの海に面した大きな施設ができています。これが1090億円で、日本の建築費から類似的に推測して1300億円と考えたのではないでしょうか。
工藤:ただ、その後にいろいろな建築家が自分たちで計算してみると「1300億円では間に合わないだろう」ということになり、2000億円とか3000億円という議論が出始めています。ということは、目安くらいのイメージで考え、予算の縛りにこだわるようなガバナンスはなかったということなのでしょうか。
鈴木:当時のいきさつは想像の域を超えませんし、また専門は建築関係ではないのですが、私が真っ先に感じたのは「あれはスポーツ施設にはならない」という印象です。競技場の形状からしても、それから、あの中で芝が育ってスポーツ施設として豊かに50年使える施設だというイメージが到底湧きませんでした。そこから、私は違和感を持って、いろいろ調べていきました。
不明確な意思決定のメカニズム
――あいまいな独立行政法人の位置づけ
工藤:何が分かりにくいかというと、施工主が文科省の管理する独立行政法人で、彼らは収益を追求しているわけではありませんよね。すると、建設費をどんどん膨らませるというのは国の予算の問題ということになってしまうのですが、簡単に予算を膨らませて「何でもいいからやれ」ということが、日本の政治上あり得るわけはないですよね。これはどういうことなのでしょうか。
新藤:一つは、文科省にそういうコントロールの力が、技術的にも財政的にもまったくないということです。JSCほど浮世離れしていて、技術能力のないところはありません。
もう一つは、文科省が今回「見直せない」と言ってきた理由の一つに、2019年のラグビーW杯の開催時期の問題があります。ラグビーフットボール協会の会長は、まさに五輪の組織委員会会長である森喜朗氏です。それと、自民党内部の、安倍首相の父親である安倍晋太郎氏以来の関係が複雑に絡んでいると思います。もちろん推測にすぎませんが。だから、一体誰が決定しているのか不明確だということの結果ではないでしょうか。
工藤:そのガバナンスということですが、巨大なお金を使う国策のような状況をJSCがマネージすることは可能なのでしょうか。
鈴木:JSCの河野一郎理事長が今になって言っていますが、「我々は執行者であって、文科省に言われたことをやるだけで、決定権はない」ということです。文科省が、監督および判断をすることになったのです。
それと、ラグビーW杯の招致が決まったのは2009年です。ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟が2011年2月に総会で決議をするのですが、それが「ラグビーW杯を大々的に開くために、国立競技場の8万人クラスへの改修をする」ということだったのです。オリンピックに立候補しようとするのは、その年の6月でした。森会長は車にたとえて「自分がせっかく日産に乗ろうとしていたのに、後ろからすごい車が来て乗せられた」と言っていますが、完全に逆です。いけないのは、ラグビーの議連が「やれ、やれ」と言うものだから、文科省には当然、予算の裏付けを確保してくれるだろうという思惑があったことです。議連は、数名の人間の支配のもとに、ほとんど議論がなされないまま進んでいっている経緯があるのです。
工藤:今の話は非常に重要で、私たちの別の議論でも、超党派的な動きではほとんど誰も発言できなくなってしまうことが明らかになっています。どこに意思決定のメカニズムがあるのかなかなか分かりにくくて、雰囲気として何も言えない状況になるということです。しかし、彼らが本当に予算を持ってくるという確証はないわけですよね。
鈴木:確証はないですが、あまり大型の公共工事をやったことのない文科省が、議員連盟が「やれ」と言ったことに対して、その後「多様な資金の確保」という方針は示しましたが、「議員連盟が推してくれているのだから、当然、担保を出してくれるだろう」と思ったのだと思います。
工藤:すると、ガバナンスの主体は文科省にあるということですね。ただ、文科省は見直しの判断ができなかったという理解なのでしょうか。
鈴木:そうです。文科省は大型の公共工事をまったくやったことがないですから。
新藤:独立行政法人というものが、極めてあいまいな位置づけになっています。ある時には所管官庁が責められます。しかしある場合には、かつての独自法人でもなければ本省の直轄部局でもない、別の法人格だということで独法の責任にし、使い分けられてしまっています。今回も、その使い分けがかなり行われてきたのだろうと思います。それがかえって、責任の所在を不明確にしてしまっていると思います。