2020年東京五輪の開会式をちょうど5年後に控えた7月24日、言論スタジオでは、「新国立競技場の迷走の問題点とは」と題して、新藤宗幸氏(後藤・安田記念東京都市研究所理事長)、鈴木知幸氏(順天堂大学スポーツ健康科学部客員教授、元2016年東京五輪招致推進担当課長)、松田達氏(建築家、武蔵野大学専任講師)の各氏をゲストにお迎えして議論を行いました。
まず、司会の工藤から、今回の議論に先立ち行われた有識者アンケートの結果が紹介されました。安倍首相は7月17日、2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設計画について「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで計画を見直すと決断した」と表明しましたが、この首相の決断をどのように評価しているかを尋ねたところ、「白紙にしたことは評価しているが、見直しが遅れたことは評価できない」が68.3%と7割近くを占める結果となりました。
この結果を踏まえて、工藤は今回の首相の決断についての評価をゲストに尋ねました。
3年前のデザイン・コンペの時点ですでに問題があった
これに対し各氏も一様に「白紙にしたことは評価しているが、見直しが遅れたことは評価できない」との見方を示しました。
まず、新藤氏は、「安保法制によって内閣支持率の低下が顕著であった。それを取り戻すために今回の決断に至ったのではないか」と指摘した上で、「これまでのものを見直すという方針は打ち出されたが、どのような競技場にするのかという方針はまだ示されていない。重要なのは『これから』であって、そこは注視していく必要がある」と語りました。
続いて鈴木氏は、「昨年5月に新デザインの基本設計が公表された時点ですでに問題点は明白だった。その時点で見直すことができれば、もっと余裕が出てきたはずだ」と後手に回った対応を批判しました。
松田氏はそれよりさらに前、2012年11月の新国立競技場基本構想のデザイン・コンペの時点ですでに問題があったとし、「要綱そのものに問題があり、例えば、最優秀賞受賞者は実施設計者ではなく、デザイン監修者という位置付けであった。また海外のコンペでは、予算を考慮して積算資料を提出する場合もあるが、このコンペではそれがなされず『1300億円』というのはあくまでも『目安』にすぎなかった」と指摘しました。
ガバナンスの欠如が事態の悪化を招いた
鈴木氏も、「1300億円というのは、おそらく当時話題になっていたシンガポールナショナルスタジアムが総工費1090億円だったので、それを参考にしたにすぎず、明確な算定根拠などない。予算を意識したガバナンスがきわめて不明瞭だ。しかも、文科省は大規模公共事業の経験が乏しいことも事態の悪化に拍車をかけた」と述べました。
新藤氏も、「まず、日本スポーツ振興センター(JSC)に独立行政法人特有のガバナンスの問題があったし、JSCを所管する文部科学省にも監督能力が欠如していた。さらに、2019年のラグビーW杯を新国立競技場でやりたいと考えていた(今年6月まで日本ラグビー協会会長だった)森喜朗氏に対する配慮から、自民党内でも異論を出しにくいという事情も相まって、全体としてガバナンスが曖昧になっていった」と分析しました。
これを受けて鈴木氏は、「スポーツ議員連盟、ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟などは超党派の組織であるため、政治の中で止めようとする動きが弱くなる。さらに、文科省も『超党派なら予算が付きやすいだろう』と思ってしまっていた」と一連の問題の背景を説明しました。
五輪という本筋とは関係のないところで膨れ上がった計画
続いて工藤は、「新国立競技場の計画には、収容人数8万人、開閉式屋根など色々な条件があったが、こういった条件の根拠は何か」と問いかけました。
これに対し鈴木氏は、「『8万人』というのはサッカーのW杯を招致する際に必要とされるものであり、実は五輪でもラグビーW杯でも明文で求められているものではない。屋根に至っては芝生の生育にはマイナスなので、スポーツの観点からはむしろマイナスなものであり、これは音楽イベントにおける音響のために必要なものである」と述べ、五輪という本筋とは関連性の薄い条件であることを指摘しました。
松田氏は、世界各地のスタジアムの事例を紹介した上で、開閉式屋根の技術的困難さを指摘。「これによって設計上の困難も生じるし、コストも時間もかかっていく」と述べました。
新藤氏は、「各所から色々な要望があったとしても、日本の財政状況を考えると、予算上の最低ラインは死守していかなければならない」と警鐘を鳴らしました。
新しい建設計画では何が求められるのか
次に、工藤は、新国立競技場の新しい建設計画において、特にどのような点を重視すべきかを尋ねたアンケートで、「アスリートがパフォーマンスを発揮しやすい施設にすること」(47.5%)、「施設の維持管理費をスリム化すること」(46.1%)の2つが5割近くに上ったという結果を紹介しつつ、ゲストにも同じ質問を投げかけました。
これに対し鈴木氏は、「屋外型の大規模施設は総じて収益率が低い中、いかに維持費を抑えるかは重要な課題となるが、新国立競技場の年間維持費40億円というのは高すぎる。これを構造的に抑えるためのシステム化が求められる」と述べた上で、「スポーツ振興くじ(toto)から維持費を補てんしてもらう仕組みが良いが、そのためには国民に対してしっかりと説明して、理解を得る必要がある」と主張しました。
松田氏は、新国立競技場だけでなく公共建築や都市計画全体に共通した課題として、「市民参加や合意形成の手段をどう確保するか」というプロセスの問題点を指摘しました。松田氏は、「例えば、高さ制限を15mから75mに変更するなど、都市計画の大幅な変更にもかかわらず、東京都都市計画審議会はずさんな審議で認めた。さらに、原案の公告・縦覧は2013年1月21日から2月4日に行われたが、意見書の提出は一通もなし。これは都市計画の認知不足が最大の問題でるが、そもそも市民の大多数は参加方法を知らないわけであり、市民が関与するための仕組みに課題がある」と述べ、スイスのようにレファレンダム(市民投票)を活用するなどして、市民が都市や公共建築を作るプロセスに関わっていく、ということが必要との認識を示しました。
さらに松田氏は、建物そのものについては、「人口減少社会における巨大建築とはどうあるべきか、ということを提起するものにしていく必要がある」と語りました。
新藤氏は、「国際的な約束の一つであった、周囲の景観との調和が重要」とした上で、「今後の整備プロセスには国土交通省も関わってくる。大規模公共事業に関わった経験は豊富であるが、『周囲の景観との調和』はあまり考えない傾向があるので、注視していく必要がある」と述べました。
「無責任集団体制」を乗り越えるために
最後に、今回の一連の混乱における責任の所在について議論が移ると、松田氏は、特定個人や団体の責任というよりも、日本特有の「無責任集団体制」に言及した上で、「例えば、監修者、設計者、施工者がバラバラであったり、国と都の連携も取れていない」ことを指摘しました。
松田氏は続けて、「政治家や専門家が市民の声を意識するようにするために、両者の意見をつなげるような仕組みが必要だ」と主張しました。
鈴木氏は、この無責任体質が、「行政の単年度主義」に起因するものとして、「公共事業に関わるシステム全体の改革が必要だ」と主張しました。
新藤氏は、「誰が計画を推進していく主体なのか明らかになっていなかったのが、今回の混乱を招いた」とした上で、「まず、最後の責任は首相が負うという体制をきちんと作る。その上で、これからきちんとした計画や理念を打ち出していく必要がある」と語りました。
議論を受けて工藤は、「この問題は『白紙に戻って良かった』で終わらせてはいけない。市民の立場からも『ここから始めていく』ということを強く意識しながら考えて続けていかなければならない」と述べ、白熱した議論を締めくくりました。