【論文】小泉改革の本質 「小泉政権の構造改革の柱とは」(会員限定)

2001年8月03日

shimada_h020425.jpg島田晴雄 (内閣府特命顧問、慶應義塾大学経済学部教授)  
しまだ・はるお

1943年生まれ。慶大大学院修了後、米ウィスコンシン大学で博士号取得。著書に『新生日本のシナリオ』、『「生活直結産業」が日本を救う』、『日本再浮上の構想』など多数。経済財政諮問会議の専門調査会メンバーとして、小泉政権の経済政策を影で支える。最近は首相特使として訪米し、日米首脳会談の根回しをした。


小泉政権は「聖域なき構造改革」に挑むことを表明しているが、ここでは、その具体的な中身について述べたいと思う。

■小泉政権が取り組む「後始末型」の構造改革

まず、早急に取り組むべき課題として、不良債権の直接償却と、それに連動して生じる企業・産業の再編が挙げられる。つまり、直接償却の対象とされてしまった負債超過の企業には、市場から退出してもらおうというものだ。

第2に、直接資本市場に個人のおカネが入ってくるようにするための資本市場改革がある。

第3に、社会保障改革がある。少子高齢化などの要素を考慮すると、社会保障を支えるための税負担を高めなくてはならないし、長期的には社会保障の給付は減らさざるをえない。既存の社会保障制度全体の見直しが必要な時期に来ている。こうして小泉政権は、短期的、また中長期的な課題に「聖域なく」踏み込もうとしているのである。

だが、これらの改革を実施したからといって、経済の展望が開けるというわけではない。なぜなら、これらは患部を切り取りウミを出すという、いわば後ろ向きの改革だからだ。私はこれを「後始末型」の構造改革と呼んでいる。

思えば日本では、これまでの政権が問題の「後始末」を先送りし続けてきたために、経済に対する負担が非常に大きくなり、それが足カセとなって経済の浮揚力をそいでいる。この問題に誰もが気づいているけれども、改革を実行する勇気がないままにここまできてしまった。

ここにきて小泉首相が、国民に痛みを覚悟してもらって構造改革をやります、といったことに対して、国民が支持するようになった。ここに事態の深刻さが表れているといえるだろう。

つまり国民は日本の行く末を案じて、痛みに耐えるから改革を実行してくれ、という気持ちで小泉さんに政権を託したのだと思う。なにしろ民主党支持派から共産党の支持者まで小泉政権を支持しているということなので、政治家より国民のほうが健全な意識を持っていて、責任感もあり、将来に対するある種の展望ももっている。その意味で日本にはまだ、幸運なところがあるといえる。


■「後始末」は「前向き」の構造改革とセットで進めよ

ところが、こうした追い風を受けて「後始末型」の構造改革に踏み込もうとすると、実は大変難しい問題が生じてくる。つまり、これらの改革は国民の負担を増やしたり、雇用機会を喪失させる類のものなので、それだけを実行した場合には、経済心理がより冷え込んでデフレが深刻化し、経済が悪循環に陥る危険性を十分はらんでいるのである。それゆえ、後始末型の構造改革に加えて、「前向きの構造改革」を一緒に進めないと、経済の展望は開けない。

一例を挙げると、過去の経験から、破綻した金融機関が1兆円の負債を抱えていた場合、それを整理すると約2万人程度の雇用が失われることになる。財務省は、「銀行が抱えている不良債権は大体13兆円なので、それを処理すると、約26万人の失業が出ることになる。この数字は、世間で言われているほど大きなものではない」と説明している。一方世間では50万~100万人、あるいは、もっと増えるとも言われている。しかし、実際にどのぐらいの失業が発生するかはわからない。

というのも、確かに数字を固定して足し算すれば、また13兆円という数字が正しければ、財務省の言うような結果になるかもしれないが、株価が、あるいは地価が変動しただけでこうした数字も連動して動くし、国民が将来不安を持てば、デフレになって産業界は投資を手控えるので、状況によっては財務省のいう数字の何倍という規模での雇用機会喪失が起きる。

逆に株価が上昇したり、将来への展望が開けるようになれば、そこまで深刻な事態にならない可能性もある。

そこで、単なる気分ではなく、しっかりした根拠に基づいて国民に前向きの期待を持ってもらうことが、失業を出さないで済む、また増大した失業を吸収するという意味で非常に重要な課題となる。

実は小泉政権の経済戦略には、その前向きの構造改革が、構造改革の一つの柱としてきちんと盛り込まれている。それについて、詳しく述べておきたい。


■「雇用創出型」構造改革案作成の内幕

われわれは、上で述べた前向きの構造改革のことを「雇用創出型」の構造改革と呼んでいる。ここでわれわれというのは、内閣府の経済財政諮問会議に初めてつくられた本格的な専門調査会のことだ。この調査会の正式名称は「サービス部門における雇用拡大を戦略とする経済の活性化に関する専門調査会」であるが、牛尾治朗氏が会長を務めているので、通称「牛尾調査会」と呼ばれている。

この調査会のメンバーは、会長代行の島田晴雄と、慶應大学の樋口美雄先生、政策研究大学院大学の大田弘子先生からなっていて、非常に小回りの効く専門家だけの調査会となっている。この調査会では、前向きの構造改革案を戦略的につくって、5年間で500万人の雇用を創出するという方針で動いている。

では、どの分野で雇用を創出するかといえば、サービス業、特に個人・家庭向けサービス、社会人向け教育サービス、企業・団体向けサービス、住宅関連サービス、子育てサービス、高齢者ケアサービス、医療サービス、リーガルサービス、環境サービスなどである。われわれはこれらを9分野と呼んでいる。

日本の過去10年間を振り返ってみると、第一次産業、第二次産業、政府部門で、合わせて8%の雇用収縮となっている。これに対して、第三次産業では「失われた10年」といわれた1990年代でも約12%の雇用増大がある。その第三次産業のなかでも特に、9分野と呼んでいる部分は、過去10年間の伸び率が22%になっている。

数字で見ると、サービス業は、全体で3900万人の雇用を吸収している(2000年の数字)。そのなかの、1200万人程度を雇用している部分の伸び率が非常に高い。もちろんそれには理由がある。高齢化、環境への配慮、情報化が進んでいるので、それに対応したサービスにチャンスが広がっているし、人々の所得が高まり経済が成熟化しているので、個人向けのサービスも非常に増えている。企業向けサービスは、情報化対応という切実な問題があるので増加の仕方が著しい。

3900万人が働くサービス業では、過去10年間に400万人の雇用が生まれている。その前の1980年代には、10年間で650万人の雇用が生まれている。そう考えると、2001~05年までの5年間で500万人の雇用を生み出すというわれわれの案も、荒唐無稽な、不可能なものではない。10~15年かければ達成できる数字を、前倒しして5年間で一気に実現することはできないかと、われわれは考えている。

それを実現することの意味は非常に大きい。なぜなら、それが成功すると、後始末型の構造改革で失われた雇用をすべて吸収しておつりがくる、ということになるからだ。

そして、国民の多くがこのような前向きの構造改革を理解したとき、非常に前向きのマインドが出てくる可能性がある。それが投資や消費を誘引すれば、経済の活性化につながる好循環を引き起こしうる。


■資産活用サービスの育成で500万人雇用を目指す

そこで、5年間で雇用を500万人増やすための具体的な方策だが、日本にある資産を有効に活用できるようにしなくてはいけない。

まず、日本には、教育水準が高くて訓練が行き届いている、人的資産という最大の資産がある。人的価値が最大限に発揮されるようなサービス産業群をつくらなくてはならない。

例えば若い夫婦にしてみれば、子育てや親の介護、さらに炊事・洗濯までやってくれるサービスがあれば、自分のもっている人的価値を最大限に活用して仕事に打ち込むことができる。高齢者はさまざまな意味で移動に苦労するが、自家用運転手産業があると、心おきなく生活できる。そうしたサービスを育成することが必要だ。

また、住宅という資産を社会資本にしなくてはならない。その意味は、要するに住宅資産を大切に使おうということだ。日本では、4400万の家計に対して、住宅を5100万戸もつくって、30年経ったらそれを壊すというばかなことをしてきた。

しかし、これからは新しく増やす時代ではない。建築後50年経った家でも、入ればすぐにインターネットにアクセスできるし、水回りは完璧といった具合に、もっている資産をいつもピカピカにしておくという時代に入っている。すると、住宅の管理、メンテナンス、リフォーム関連のサービスが必要になってくる。

金融資産を有効に活用するためのサービスも必要だ。例えば投資信託の目論見書を見ても、普通の人には何が書いてあるかわからない。それを解析して評価し、顧客にレクチャーして選択させるというサービスが考えられる。

それから、企業について見れば、得意な分野に専念するために、労務管理や顧客管理などの事務は、外部の専門サービスを使ったほうが効率的だ。今では、企業のもつさまざまなデータを一括して管理するデータベース・テクノロジーが完全にできあがっているが、全国の何百万という中小企業が、それを活用できるところまでは来ていない。そこをなんとかしなくてはならない。


■規制緩和と労働市場の再構築が急務

こうした前向きの改革を進めるために、重要なことが2つある。ひとつは、そうしたサービスを自由に提供できるようにするための規制改革であり、もうひとつは失業、転職が怖くないように労働市場を再構築することだ。特に労働市場の再構築は重要だと思っている。

旧労働省はこれまで、高度成長という環境の下で、労働者が一歩でも外に出ると損をするということで、企業から労働者が出ていかないようにしてきた。しかし構造転換の時代には、労働者が企業から出ていくようにしなければ、企業は構造転換ができない。

それゆえ今後は、企業から出た労働者が路頭に迷わないように、また将来向け自ら自己投資をし、技術を身につけて、次のチャレンジができやすいように市場システムを変えなくてはいけない。

現在、さまざまな状況の人が、それに応じてさまざま働き方をしている。短時間就労もあれば、裁量労働もある。派遣、出向、パートタイマーもある。今後は、このように需要側、供給側のニーズに応じてサービスを提供する時代だが、労働関係の既存の法律、制度も含めて、労働市場はそれを前提としていない。それゆえ、働き方によっては失業保険をもらえない、保険に入れないといった、さまざまな問題が生じるようになる。

われわれは、こうした状況を改め、各個人にトータルなセーフティネットを張って、非常にチャレンジしやすい社会を構築することを目標としている。

それが実現できれば、たとえ不良債権の直接償却で何十万人もの雇用機会が失われたとしても、人材の再配置・吸収が行われ、もっと所得が生まれて経済が活性化することになる。

労働市場の再構築は、決して短期的な話ではない。この30年ほど誰も取り組んでこなかったことを一気にやるという話なのである。この改革が成功したときには、非常に大きなインパクトをもつことになる。日本人の働き方、ひいては生活の仕方は本当に変わることになるだろう。そうした長期的かつ本質的な問題をにらみつつ、短期的にも役に立つことをやっている。それが小泉政権の改革の意味である。


■改革への追い風が吹いている

ここまで述べてきたことを具体化するには、さまざまな困難がある。一例を挙げれば、社会準備教育サービスを提供するために、市場のニーズに応じて大学を変えたい、とわれわれが主張していることに対して、文部科学省は絶対許さないといっている。理念を政策化していくうえで、これからが正念場になる。

6月には経済財政諮問会議が、構造改革の「骨太の方針」を発表した。その柱のうちの一つが、われわれの「雇用創出型」の構造改革だ。

この「骨太の方針」を実現までもっていけるかどうか。つまり、まずは7月の予算折衝で「骨太の方針」を予算化することができるかどうか。それが、内閣府を試すリトマス試験紙になる。内閣府が設けられたときに期待された役割は、他の諸官庁の総合官庁として仕事をするということだった。「骨太の方針」を予算化できたとき初めて、内閣府はつくった価値があった、ということになる。

今は、改革へ向けた追い風が吹いている。われわれが歴史の流れを議論しているときに、「俺が歴史を変える」という人間が出てきて、経済戦略の方針を打ち出した。その方針の柱の一つがわれわれの議論している改革案だが、その全体のうえに竹中平蔵氏が座ることになった。その意味では、二人三脚のような形で、大きな流れができつつある。

小泉政権の構造改革は、戦後のキャッチアップを終えて久しい日本が、生活者が安心と真の豊かさを享受できる本当の先進政治経済に向けて、本格的な経済構造の転換を現実にすることでもある。それこそが、小泉政権の構造改革の本質なのである。 〈了〉