竹中平蔵 (経済財政政策担当大臣)
たけなか・へいぞう
1951 年生まれ。一橋大学経済学部卒。日本開発銀行、大蔵省財政金融研究所研究官、ハーバード大学客員准教授、慶応義塾大学総合政策学部教授などを経る。経済戦略会議、IT 戦略会議の主要メンバーとして政策提言を行い、テレビ・雑誌など幅広い分野でも活躍してきた。主な著書に『研究開発と設備投資の経済学』、『対外不均衡のマクロ分析』、『経世済民―経済戦略会議の180日―』、『経済ってそういうことだったのか会議』(共著)、『みんなの経済学』など
記事
■ 需要と供給、両サイドの政策が必要
工藤 現在のような厳しい経済状況下では、サプライサイドの構造改革のみではリスクが伴うのではないか、あるいはマクロの需要政策を組み合わせないと構造改革の実行は難しいのではないか、という主張がなされていますが、いかがでしょうか。
竹中 私は、供給と需要の両方が重要だとずっと言い続けてきました。それなのに、需要を無視しているという言い方をする人がいる。これは大変不思議なことだと思います。
これまでの経済政策を振り返ってみれば、サプライサイドを強くするような構造改革にほとんど注意を払わず、とにかく当面の需要をつけるということをずっとやってきました。確かに、需要をつける政策には短期的な効果があります。つまり、その瞬間で見れば、需要は増えます。しかし、供給サイドでより根本的な問題を抱えているので、財政支出の効果が消えると底上げした需要はまた元に戻ってしまい、財政赤字だけが残るということになります。これまで、ずっとそれを繰り返してきました。それゆえ、ディマンドサイドの政策だけではだめで、サプライサイドを強くする政策をとりましょう、というのが小泉首相の言う構造改革です。
つまり、「構造改革なくして、本当の意味での景気回復はありません」と言っているのであって、「構造改革をやるけれども需要政策はやりません」などとは言っていないのです。ところが、そうしたレッテルを貼る議論がすごく強い。
ただ、需要をつける政策をとるとはいっても、それは旧来のやり方のままでやるということを意味しません。これは重要なポイントです。今までの需要政策は、財政をつけるだけのものでした。しかし、そのやり方はもはや限界にきています。つまり、これ以上大幅に財政を出すと、金利が上昇して債券価格が暴落し、大変な事態になりますというサインが出ていて、すでにぎりぎりのところまできているのです。
その意味では、今より早い時期に、比較的何の制約もなく財政をつけられる状況下において構造改革を進められればもっとよかった、と思います。そうした状況下では、痛みに対するケアを財政でしっかりやりながら、構造改革を進めるということができたからです。しかし今は財政を出すことには制約があります。それゆえ、需要のつけ方を変える必要がありますが、財政も全く出さないわけではありません。
「骨太の方針」では、来年度は30兆円の国債を出すと言っているのです。言い換えれば、これはGDP比で6%という財政刺激をやるということです。それなのに、小泉内閣の構造改革はディマンドサイドを無視したサプライサイド政策である、という批判がどこから出てくるのか、エコノミストとしては理解できません。
工藤 私たちも構造改革の重要性を唱えてきたのですが、同じような批判を受けてきました。構造改革の論点というと、構造改革か財政再建か、という二者択一の構図になりがちですが、これはなぜでしょうか。
竹中 確かに、経済は非常に厳しいのであり、毎日ため息をつくような思いをしています。しかし、ここで注意しておきたいのは、構造改革をしているから経済が悪くなっているということではありません。構造改革のほうはまだほんの入り口なのですが、世界的なIT不況の強烈な洗礼を受けているために経済が落ち込んでいるのです。ITに対する過剰な期待が、今、調整過程に入っているなかで、その調整が予想以上に長引いているという状況です。
IT不況を受けて、日本でも大変厳しい数字が出てくると思います。例えばシンガポールでは2四半期連続して年率でマイナス10%の成長となっているし、ドイツはゼロ%成長、アメリカの成長率も大幅に低下すると予想されます。日本経済は、こうしたアメリカ経済の減速から影響を受けていますが、影響を受けたらすぐ悪くなるという、その脆弱さにこそ日本経済の最大の問題点があると思います。
景気をよくしてくれとよく言われますが、景気という言葉は、非常にあいまいな言葉です。なぜなら、何を言っているのかがわからないからです。私は以前、『論争 東洋経済』という雑誌の対談で、「脱景気」という問題提起をしました。景気という言葉は、景色のことで、景気の気とは、空気、雰囲気を指しているそうです。つまり、景気という言葉は非常にファジーなものだということです。このファジーさが、実は政策論争を非常に歪めているという問題意識を、私はもっています。実際、景気についてマスコミで議論がなされる場合、明らかに全く異なった2つの議論をしています。
まず、人々が景気をよくしてほしいと言ったときには、日本経済が持続的に発展していけるような基盤をつくってくれ、ということを意味しています。これに応える政策は、まさにサプライサイドの構造改革です。
一方で、景気が落ち込んでいるといった場合には、総需要が目の前で落ち込んでいるということを意味しています。これに対する対策は、総需要を刺激する政策だということになります。短期的な総需要も、先ほど述べたように、すごく重要ですから、政府はそれに対する政策は引き続きやります。補正予算も考えています。
しかし、これは極めて短期的な問題であって、日本経済の脆弱さを改善するためには、あるいは「景気をよくしてくれ」という要望に応えるためには、長期的な発展経路を強めていくしか方法はありません。そのためにいくつか、やらなくてはいけないことがあります。
日本ではバブル崩壊後、景気ということだけに目をとらわれ、短期的な景気循環に対応する対策だけを考えてきました。これは私たち経済学者側にも責任があるのですが、もう少し、資産デフレというストックの問題も考えなくてはならないのです。目の前の対策だけを考えても、日本経済が本当の意味で出口に向かわなければ、解決を先送りするだけになります。
しかし、改革と景気対策が未だに二者択一で語られる背景には、経済や社会、あるいは政治に関する社会教育が恐ろしく欠如した結果だと思います。経済では、需要に対しては供給、生産に対しては消費という対立概念がありますが、戦後日本で培われた対立概念というのは、ただ一つ、弱者と強者です。そして、政府と大企業というのは強者であり、強者イコール悪というイメージができあがってしまっています。
■ 日本の改革を「アメリカ化」というのは矮小化だ
それと、よく言われる批判の一つに、小泉政権の改革はアメリカ的社会を目指すものだというものがあります。しかし、これほど矮小化された議論はありません。そもそも、アメリカ的、あるいはヨーロッパ的、日本的という言葉が何を意味しているのか、きちんとした説明を聞いたことがありません。
われわれが言っていることは、基本的には「市場メカニズムを活用しましょう」ということです。これに対して反対する人はいないでしょう。ところがそれを「アメリカ的」だととらえると、論点がどんどん矮小化されていきます。
さらに言えば、われわれは、市場がつねに100パーセント望ましい形での資源配分を実現するなどとは考えてはいません。当然、公的な関与を強めていかなければならない部分が存在すると思います。その部分には、きちっと取り組まなくてはなりません。
自助の社会という言葉がありますが、自分の力で自らを助けられる人が多ければ多いほど、本当の意味で自らを助けることができない、真の意味でのハンディキャップを負った人たちに対して手厚い保護ができるのです。
日本は、ハンディキャップをもった人に対する政策が薄いと思っています。その理由は何か。それは、本当の意味での弱者ではないのに、弱者ぶって、資源を横取りする人たちが世の中にはいるということを意味します。しかし、こんな不正義はないでしょう。
頑張れる人は、みんな頑張るべきです。そして、本当の意味でハンディキャップを負った人や、真の弱者に対しては、政府が介入することで資源の再配分を行うべきだと考えています。
そうした考え方を指して市場原理主義という言葉がどこから出てくるのか、私には全く理解できません。日本では、こうした形でラベルを貼って、議論を矮小化させることがしばしば見受けられます。例えば「学者だから」というラベルを貼って、学者は現実をわからない、といったような批判をして、その人が唱える政策の中身を議論しようとしなかったり、「財政再建」と言っているからといって、その点だけを取り上げ、政策の全体像、政策に対する心構えを見ようとしない、ということが生じます。
■ 竹中大臣の構造改革シナリオとは
工藤 竹中さんの改革のシナリオをお話しいただけますか。経済情勢がかなり厳しくなってきていますが、そのなかでどのようにして構造改革を進めようとしているのか。
竹中 まず、持続的な経済発展を妨げる要因を取り除かなくてはいけません。その第1に挙げられるのが不良債権です。正確には、不良債権というより、経済全体でバランスシート調整が終わっていないことが最大の問題です。銀行の問題もありますが、銀行が悪くなった理由は、銀行からおカネを借りて返せない企業がたくさんあることです。ですから、これは銀行の問題であると同時に企業の問題でもあります。まず、このバランスシートに積み残している負の遺産をきちんと清算しようというのが、第1のシナリオです。
次に、長期的に発展できなくなった理由として、民間でできることを政府が取り込んでいるということが挙げられます。本来、民間の活力がもっと発揮されるはずなのに、そうなっていない分野がある。それはなぜか。規制でがんじがらめにしているからではないか。そういった理由から、民営化、規制改革が改革プログラムの最初に掲げられているのです。
さらに、経済発展というのは、将来に向かってリスクをとって果敢に挑戦するという、起業家精神、チャレンジング・スピリットによってもたらされます。それがシュンペーターの言ったイノベーションです。ところが、そのスピリットが今萎えてしまっています。日本は廃業がどんどん多くなってきているのですが、新規にスタートアップする企業がほとんどありません。その背景の一つには、日本では、人々の資産が安全資産に偏っていて、リスクマネーとして資金が回らない仕組みになっているということがあります。そこで、チャレンジャーを支援する政策として、証券市場の仕組みや、企業金融の仕組みを変えていくことが考えられます。
また、先ほどIT不況だと言いましたが、ITがまったくダメだというわけではありません。ITは間違いなく21世紀を支えていくものだと思います、それに対する取り組み状況を見れば、アメリカなどと比べると、日本は1~2周遅れているので、それを支援していかなくてはいけません。これはまさに前向きの構造改革です。
構造改革に伴って痛みが生じるとよく言われますが、それは不良債権のようなバブルの負の遺産処理の過程で多少出てくるものであって、それ以外の、規制緩和、チャレンジャー支援、人材育成、科学技術振興などはすべて、日本経済を持続的に発展させるための前向きのものです。島田晴雄氏が、『明るい構造改革』という本を書いたのは、まさにそのとおりだと思います。そうしたことを組み合わせてやっていこうというのが構造改革です。
小泉政権の構造改革というのは、非常に大きな社会改革でもあります。この政策とあの政策とその政策といった形で、2つか3つやればいいというものではありません。社会のすべての仕組みを変えていく、非常に大きなものです。それゆえ、「骨太の方針」という形で、全体の方向性を示しました。そしてこの方向性でいいかどうかを問うて、参議院選挙で国民の支持を得たのです。
そして、その骨太の方針をいつまでに、どのように具体的な政策にしていくかを明らかにしようとしたのが「改革工程表」です。
改革を行う過程で、例えば人材教育のような形でおカネがかかるかもしれません。それにはおカネをつけるつもりです。それが結果的に補正予算という形になっていくでしょう。それは最終的には総理が判断することですが、いずれにせよ、改革の過程で需要管理はするつもりです。
■構造改革のスピードは遅いか
工藤 構造改革に関しては、マーケットから逆にそのスピードが遅いという批判もありますが。
竹中 遅いという批判は、甘んじて受けます。私も、批判する立場にいたなら遅いと言うでしょう。しかし、それ以上、早くやる方法がなかったということもまた確かなことです。
4年間の準備期間を経てから大統領になるアメリカと違い、日本の総理大臣は、総理大臣になってからあれこれ考え、始めるという面があります。「骨太の方針」は実は小泉氏が総理大臣になってから、2カ月で作成されたものです。これは、私なりにすごいことだと思っています。経済財政諮問会議の内部では、このようなことをやるというのは、以前は誰も考えていませんでした。
やや遅かったなと思うのは、「骨太の方針」を出したその後に、選挙のために1カ月のブランクがあったということです。選挙があったために、矢継ぎ早に政策を打ち出せませんでした。しかしそれも仕方ないことだと思います。国民からの信認を得るというプロセスを経たと考えれば、結果オーライだったのではないかと思います。8月には夏休み等々もあって、若干スローな面もありますが、国会が始まる9月までには改革工程表をつくろうと動いています。その意味では、実は確かに遅いのですが、現実的に考えれば、現在のような意思決定プロセスのなかで、2カ月で基本方針をつくり、その後2カ月で改革の工程表をつくるというのは、めいっぱいやっているといえると思います。
工藤 ありがとうございました。
(聞き手は工藤泰志・言論NPOチーフエディター)