【インタビュー】不良債権処理には強力な公的介入が必要(会員限定)

2001年9月13日

塩崎恭久 (衆議院議員)
しおざき・やすひさ

1950年生まれ。東京大学教養学部卒業、ハーバード大学行政学大学院修了(行政学修士)。75年日本銀行入行。93年衆議院初当選。大蔵政務次官、自民党法務部会長、外交部会長等を歴任。現在、自民党財務金融部会長。主な提言・寄稿に「日本版SECを創設せよ」「金融動乱第二幕は資産市場の再構築がカギ」等。

要約

工藤 小泉改革がスタートしましたが、最優先課題とされる不良債権処理をどう進めるのか、具体的な戦略が見えないと言われています。経済がかなり厳しい状況の中で、政治が強い主導権を持って、この事態を打開するぐらいの覚悟が必要なように思うのですが、「骨太の方針」には、民間の自主性で進めるということが書いてある。果たして小泉内閣は不良債権処理や構造改革の具体的な手順、戦略を描いているのでしょうか。この点について、塩崎先生はどうお考えですか。


■ 不良債権処理は民間任せでは進まない

塩崎 「骨太の方針」は、あらゆるものを一度「がらがらぽん」して、全く新しい社会の枠組みを作ろうというものだと思います。その中のメニュー自体は経済戦略会議のときから提示されていたものですが、実際には政治的な決断を持って実行しようとせずにここまで来てしまいました。それを小泉内閣は「今度はやろう」と言っているのですから、それ自体は全く正しい。道路特定財源の見直しや、特殊法人の見直し、それに今地方が大変心配している交付税の問題なども含めて、諸制度を全て「聖域なく」見直していく方向性に関しては、全く賛成です。

ただ、問題があるとすれば、工藤さんが先ほどおっしゃられた、不良債権問題だと思います。不良債権処理が最重要課題と述べておきながら、「今までの10年間なぜ処理が進展してこなかったのか、その分析と反省に基づいて、今度はこれをやります」、という手段が書かれていない。この間、私的整理のガイドラインができましたが、銀行や、不良債権と言われている借り手企業に委ねても、実際の処理は全く進まないと私は見ています。

例えば、不良債権処理は法的整理が原則だと言いますが、では、誰が法的整理まで追い込むのか。これまでの債権放棄よりもはるかに厳しいガイドラインをルールとして作ったのですから、民に任せたら、多分これまで以上に先送りになってしまうのではないでしょうか。

民主導ではうまくいかないというのは、この10年間の教訓だと思います。その意味で、私はもっと踏み込んだ公的管理が必要だと思っています。これまで唯一公的管理をしたと言えるのは、長銀と日債銀、この2つだけです。中途半端な資本注入などでは、処理は進まないのは当然です。

日本でもようやく改革を唱える首相が現れたということで、ファースト・ハンドレッド・デイズではありませんが、今はまだ世界も小泉首相の登場を歓迎してくれています。しかし内心では、具体的に不良債権問題をどう処理するのか、あるいは経済の生産性、収益性をどう上げるつもりなのかという部分については、納得していないと思います。

その問題は、私もいろいろと考えてきましたが、最終的に物事を動かすためには、やはり金融監督当局の強力な裁量行政が行われて、検査などを的確に行い、銀行の資産評価を厳格にするという、われわれが98年に主張していた手法をとる必要があると思います。当時の政権は、われわれの主張を採用しませんでしたが、結局、問題は何も解決していないのではないでしょうか。厳格な査定と強力な公的管理から始めないかぎり、また同じことを繰り返すことになり、全てが水泡に帰してしまうのではないでしょうか。


■ RCCを活用して企業再生のメカニズムを作れ

工藤 塩崎先生の考える、具体的な不良債権処理のシナリオというのは、どのようなものですか。

塩崎 不良債権処理に関して、破綻懸念先の11.6兆円をオフバランス化すると言っていますが、それくらいであれば基本的に業務純益に毛の生えた程度でしかない。

今いちばんの問題は、破綻懸念先ではなく、要注意先、なかでも要管理先の債権です。しかも、実は第一分類と呼ばれている債権のなかにも、極めて危ないところも含まれていると言われています。倒産したそごうも、当初の分類ではせいぜい要注意先ぐらいでした。

これらの企業をどのように再生させるのかが重要だと思います。その際、政府による強力な介入が必要となります。ガイドラインは、ある意味では一つの教科書のようなものであって、誰かが押さなければそれは実行されない。なぜなら痛みが伴うからです。企業自身が倒産や失業のリスクを負いながら、それをやるわけにはいかないだろうし、銀行がそれを全面的に実行すれば、必ず資本が足りなくなってしまう。すると、結果としては、資本注入が必要になるかもしれませんね、という話が出てくる。

いずれにせよ、いわゆる要注意先の企業を、無理やりにでもリストラを図って再生させていくメカニズムが必要だということで、私はRCC(整理回収機構)にそのための新たな機能をもたせるべきだと思っています。

「骨太の方針」の中にもそれらしいくだりが少し入っていますが、基本的に引き受けるのは破綻懸念先のみなので、それでは意味がありません。RCCがなぜそんなことをしなくてはいけないのか、という意見もありますが、では、逆に、他にどこがやるのかを考えたとき、RCC以外にはないと思います。例えば、サービサーはどうかといわれますが、サービサーは企業の再生を考えるのではなく、不良債権の回収を考えるだけです。

アメリカのRTCには、8万人がかかわり、うち7万人は民間人だったと言われています。その人たちが、5年の間に不良債権を処理しなくてはいけないということで、必死で頑張って、不良債権の流通市場や、バルクセールの市場、それに都市の担保不動産を活用した再開発の手法などができたのです。

私は、RCCに5年のサンセット法案(事業の存廃を定期的に見直すことを義務づける法律)をかけて、5年間のうちに全部処理しようと背水の陣で一挙に処理を進めるのがいいと思っています。その際、そこで働く人たちは、別に職員にする必要はなく、契約でいいと思います。民間人と契約をして企業再生本部を作り、そこでいわゆる要注意先の企業をどんどん再生することが大事なのではないかと思います。


■ 財政再建は不良債権処理が済んでから取り組め

工藤 不良債権処理は経済にとってはデフレ圧力となりますが、マクロ的にはどのようなバックアップ体制をとるのか。やはり金融と財政ということになってしまうのでしょうか。

塩崎 マクロの金融政策は、言ってみれば絵の背景みたいなものです。ないよりはいいけれども、それだけを実行しても、大してプラスにはなりません。ぶよぶよの贅肉のある人は、いくら暖房をたいても、やはり贅肉質のままです。それで筋肉質になるということはありません。不良債権の問題は、企業がうまく商売をやれないので、経営スタイルを変えなくてはいけないというミクロの話ですから、マクロ金融政策でカネをじゃぶじゃぶと出したところで、何も変わらないと思います。

本来やるべきこと、つまり産業再生と不良債権の処理が行われるときに、マクロ的にバックアップするために金融政策をさらに緩和するのであれば、意味をもちます。金融政策の緩和が先にあったところで、何の解決にもならないし、むしろ政策的な選択の余地を減らしていくという意味で、私はマイナスだと思います。

工藤 財政はどうですか。「骨太の方針」では、30兆円のキャップをかけるという話も出ていましたが。

塩崎 財政再建については、財政がニュートラルであるかぎりにおいて、今実行しても構わないと思います。ただし、マクロで政府支出を減らすことが目標になってしまうと、いわゆる「橋本リスク」が生じてきます。

不良債権処理をすれば、どうしてもデフレ効果が生じますから、これをどうオフセットするかということは、当然考えなければいけないと思います。その意味で、30兆円というキャップを初めからかけて、その実現にエネルギーを費やすのは、順番としてはまだ早い。マクロの政府支出を押さえ込むのは、まだ早いと思います。

ただ、だからといって借金をむやみやたらに増やしていいと言っているわけではありません。私は、基本的なプライマリー・バランスをこれ以上悪化させるべきではないと思っています。そこで、国有資産の売却や民営化を提案しているのです。NTTやJTの株をはじめとして、不動産としての資産も政府はたくさんもっています。これを大々的に売却すれば資金はつくれます。さらに民営化による売却益もあります。

こうした資金を使って、デフレ効果をオフセットする意味で、例えば電子政府や、eジャパンの前倒し化、都市の再構築といったような、将来につながるインフラ整備のための投資はどんどん拡大すればいい。これらは、どのみち必要なものです。順番としては、財政を立て直すのは、不良債権の問題にめどがついてからでないと無理だと私は思います。それが私の考えるシナリオです。

工藤 緊急経済対策で打ち出された、不良債権処理の方向が具体的に戦略化されていないだけではなく、財政から始まっていろいろなメニューが出てきてしまっていて、どこにプライオリティがあるのかが曖昧なまま、改革が総花的になってしまっているという意見があります。それに対し、塩崎先生のお話はかなり戦略的ですね。現在、そうした戦略は描かれているのでしょうか。


■ 政治家も哲学が問われる

塩崎 改革を進める際、大事なのは3つあって、一つは物事の順番、二つめは工程管理、つまり時間軸、三つめが執行体制です。この3つが確立されていなければ、どんなにいい絵を描いたところで、結局それは絵に描いた餅でしかない。この点は、竹中平蔵大臣にも申し上げています。果たして本当に改革が進むのか、あるいはこれまでと同じ結果に終わってしまうのか、その結果が出るまでには、あと1~2年かかるのではないかと思います。

わが国がこの3年間で110兆円国債を増やして借金したということは、国民1人当たりにすると、約90万円になります。この3年間、構造的な改革を実行せずに、借金だけが100万円近くも増えてしまった。これを負担するのは国民の皆様方です。これに対して、私たちは政治的な責任を大いに感じて、二度とこうした失敗はしないようにしなくてはいけません。98年のような過ちを犯すことなく、あのときとは反対の道をとらなくてはなりません。だから、今まで述べたようなシナリオになるのです。

こうした改革を実現していくとき、重要なのは何か。哲学をもって冷静に考えるということです。例えば、郵政民営化についても、何のために民営化が必要なのか、その政策目的を冷静に考えたうえで議論をしなくてはいけません。今のように、民営化か民営化でないか、という対立軸だけで物事を考えていくと、過去の自民党の醜い派閥の論理が出てきて、哲学に関係なく、例えば経世会は民営化反対で固まり、小泉さんを担いでいるいわゆる派閥の人たちが、哲学に関係なく民営化だと言う、といった事態が起きる可能性があります。このような対立でつまらない分裂をするのはばかばかしい、と私は思います。政界再編をするなら、派閥の論理ではなく、哲学に基づいた再編をするべきです。

工藤 そうですね。やはり一度、国民に信を問うたほうがいいですね。

塩崎 そうしないと、今回ほど国民が期待していることはないのに、何だ、いままでと同じではないかと、失望されることになりかねない。年末にかけて、構造改革を具体化していくときには、そうした対立が目に見える形で現れるのではないかと思います。例えば医療改革の問題一つとっても、実は大きい政府か、小さい政府か、という哲学の問題になり得る話であって、分裂含みの原因の一つになる可能性があります。そうすると、政治家一人一人についても、なんだ、この人はこういう考え方だったのか、というのがだんだん明らかになってきます。地元へ帰るたびに自分の考えを言わなければならないし、分かれ道に来るたびに、あなたはどちらの立場ですかと新聞記者にも聞かれることになる。われわれ政治家にとっては苦しいけれども、立場が明らかになるという意味で、政治がより面白くなっていくことになるのではないでしょうか。

工藤 今年はまさにそういう歴史の流れのなかにあるということですね。どうもありがとうございました。

(聞き手は工藤泰志・言論NPOチーフエディター)