「福田政権100日評価」座談会 (1/5) 福田政権の100日をどう見たか

2008年3月09日

080220_fukuda.jpg2008年2月15日
加藤紘一氏、添谷芳秀氏、若宮啓文氏が出席。


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工藤 「福田政権の100日評価」はどんな政権でも100日経ったら評価の対象になる、という、有権者との間で緊張感を伴った政治をつくろうと、昨年の安倍政権時から始めたものです。私たちは、この100日評価のアンケートから言論NPOが毎年行っているマニフェスト評価を開始したいと考えています。福田政権はすでに100日を超えているのですが、この100日時点を判断したアンケートの結果によると、まだ「何を目指す政権か分からない」という見方がかなり多いわけです。

 この傾向は安倍政権時の100日評価ともほぼ同じなのですが、ただ状況は全く異なっているように思えます。安倍政権の場合はこの100日の間に北京に行き、官邸機能の強化に取り組んだ。ただ、こうした動きや「美しい国」に代表される理念などが分かりにくく、それが国民の目線とかけ離れていたという認識があったように思えます。福田さんの場合は、安倍退陣を受けてこの国民の間の信頼の回復をこの100日間の間に目指したため、反発はあまりない反面、政権として何を目指しているのか、分かりにくいという問題もあるように思えます。

 ただ、年頭の記者会見ではこの100日を意識し、消費者主体というか、国民の目線から政策を組み立てるということを打ち出し始めています。そう考えると100日を経ってから、やっと考えていることが見え始めているようにも思えます。まずこうしたアンケートの結果も踏まえて、福田政権の100日を皆さんはどう評価しているのか。そこから議論を始めたいと思います。

福田政権の100日をどう見たか

若宮 このアンケート結果は、割合に感じが出ているなと思います。福田政権の評価では、外交がいいというのが多い。これだけははっきり見えますが、あとは何だかよくわからないというのが多いという結果ですね。発足時の期待と比べてどうかという設問については、そもそも期待していないというのがかなり多い(全体40.4%。安倍政権は36.0%)。

工藤 安倍さんのときは、そもそも期待していないという回答はメディアの記者などに多かった(48.0%。福田政権41.4%)。特にメディアの人に批判的な見方は多く、安倍さんに対する反対が大きかったといえます(支持しない:安倍政権の100日時は 62.0%。福田政権58.6%)。それから見ると、安倍さんよりも福田さんのほうが少し良いという状況です。

安倍氏と異なる「期待薄」の中味

若宮 安倍さんが期待されていなかった理由は、1つは思想的にネガティブな意味での批判があり、もう1つは多分、経験不足ということに対する期待感のなさでした。同じ期待しないという場合でも、福田さんの場合は、安倍さんに期待していないということとは、少し性格が違うような気がします。これはやばいぞ、という積極的な期待のなさは余りない。キャリアがないから不安だということとも少し違う。

 しかし、逆に言うと、安倍さんに比べると何をやりたいのかがクリアでない。改革なのか改革でないのかがよくわからない。外交だけはわかるが、あとのところがよくわからない。年齢で言えばお年もお年だし、突然、首相になった政権だし、もとより、ねじれで参議院はこの状況だ。だから、そんなに最初から期待しようがない、しょせんは総選挙をやらないことにはどういう政権になるのかよくわからない、そこまでのつなぎではないかという感じでしょう。選挙管理内閣的な性格があると最初から見られているので、それが最初からそもそも期待していないということで、その予想が半ば当たったまま来ている。

添谷 安倍さんが突然退陣表明をした直後の雰囲気は、福田待望論のような流れが一気にできました。理由は人それぞれあるでしょうが、朝日新聞的に言えば、やはり安倍さんのイデオロギーが心配だということもありましたし、私の個人的な見方としては、思想やイデオロギーの面で安倍さんがやろうとしていた改革というのは、しょせん日本社会では実現しない。要するに、戦後体制へのさまざまな不満を言っている限りにおいては一定の支持を得る、そうだなという雰囲気は一般的にあるのだろうと思いますが、では、それをどう変えていくかとなると、安倍さんのような思想やイデオロギーがぷんぷんにおいながら、例えば憲法改正などもそれをやろうとして実際のアジェンダに乗ってくると、何となく不安感を覚える。目標に近づけば近づくほど、何となく逡巡してしまうところがある。その辺が何となく不安といえば不安だし、危なっかしいといえば危なっかしい、そんな感じがあったのだろうと思います。

 だから、福田さんに期待したというのは、何となくそういうのが落ち着くのではないか、そういう落ち着きをもう一度求めたというのが、急速に福田さんへの流れができた社会的な雰囲気ですね。それが国会議員の方々、自民党の中でもそういう雰囲気に一気になったのは、やはり同じような空気や受けとめ方があったのかなという感じがします。

 大方の予想というか流れとしては、安倍政権の後は麻生さんではないかというのが安倍さんの退陣表明の前まではむしろ一般的な見方でした。それが急速に崩れたのが非常におもしろい現象で、それが福田さんへの期待感の背景なのではないかと思います。極めて漠とした一般的なことだけ言えば、安倍さんがやっていたことは、若干勇ましいけれども本当にできるのかなという感じでした。ですから、そういう意味では、緊張感を持って安倍政権を見ていたところが、突然の辞任表明で一気にふうっと緊張感が解けてしまった。その辺りが福田さんへの期待感の社会的な空気だったのではないかと思います。

無言のうちに外交面で大きく政策変換

工藤 当時、私が加藤さんに会ったときに、国民は落ち着きを求めているんだよとおっしゃっていましたが、この100日間の福田さんの動きをどう見ていますか。

加藤 安倍さんが辞めると言ったのは9月12日。途端に後継者は誰がいいかと某社が世論調査を始めたらしい。そうしたら、12日の時点では麻生さんが理想像だったらしく、13日の午前中まではそうだった、それが午後になって急に福田さんでまとまりそうだとなったら、世論調査の答えがぐるぐる変わってくるんだそうです。その日の夕方までの間に、総理としてどなたがこの国のためにいいですかと聞いたら、福田康夫というのが圧倒的になってしまったといいます。どの人がどのようにいいか、皆が判断しなくなって、誰でもいいわと。それで、誰になりそうかと聞かれているんだと思って答える。総理レースの予想投票みたいなものが最近の世論調査だと見たほうがいいのではないでしょうか。

 だから、福田さんがなった瞬間、これだけ自民党の中で多くの支持が集まるのだから、きっと落ち着いた、いい人に違いないというイメージができ上がってきて、そして、安倍さんがいかにも危うかったから、落ち着きや常識、バランス能力に対する回帰のようなものが非常に強く出たのだと思います。

 特に、福田さんの場合は、話すときにストレートにしゃべりません。少し外して対応するから、そこの余裕もたまらなく安定感を醸し出していたと思うし、今でもその評価はあると思うのです。ただ同時に、100日というハネムーン時期を過ぎて、ではこの国をどう持っていくかということになると、安倍さんの残した国会のねじれというとんでもない難しい問題にやはり予想通りぶち当たって、彼は今、苦吟していると思います。

 総裁になる流れがほぼ決定したようなときに、「ここで引き受けたら貧乏くじかもしれませんけれどもね」と言って批判を浴びた。けれども、あれはどちらかというと正直な話で、誰がやったって貧乏くじです。今、福田さんが突然、激しい病気になって執務不能になったら一体どうするのかといえば、ある意味ではまともな神経を持ってこの国の現状を考える人なら、誰も引き受け手がいないぐらいの難しい状況ではないでしょうか。

 だから、若宮さんが言ったように、あの人はとんでもない大きな政策変換を無言のうちにさっとやっているのです。それは、おっしゃるように外交面です。安倍さんのときは、韓国の大統領と話もできなかった。まして、金正日(北朝鮮労働党総書記)にメッセージを伝えてもらうということはできなかった。福田さんのときになると、ちゃんと電話で盧武鉉大統領に、今度、北朝鮮に行くそうですけれどもよろしく伝えてくれませんか、北朝鮮との関係打開を考えていますということを言った。盧武鉉大統領は帰ってきて、ちゃんと言っておきましたと。どういう返事があったのかまだ報道ははっきりしませんが、この変化を何の無理もなくやり遂げたことは大きな成果だと思います。

 国内政治の話は、これから誰がやっても苦しくなると思います。だから、福田さんも苦しんでいるのではないでしょうか。

年金の不用意発言で信頼感がた落ち

若宮 全くそうだと思います。最初は、支持率も案外高かった。これはご祝儀相場ということはありますが、やっぱり福田さんになってほっとした感じがちょっとあったと思うのです。ぶら下がり(首相に同行してのインタビュー)の話にしても、安倍さんのときはかなり一本調子で、あるときは高揚感がそのまま出る、そうでなければ官僚のつくった資料の棒読み的な紋切り型が多かった。それに比べると、福田さんになって、加藤さん流に言うと、少し外してしゃべる独特の、あるいはちょっとシニカルな言い方もしながら、どこかに愛嬌があるようなしゃべり方になった。それが、ある程度受けた時期があったと思います。

 もう1つは、大連立の話が出ました。大連立の評価はこの調査でも厳しいし、私も賛成はできませんが、もしあれがうまくいっていたら、小沢さんは何だという批判を浴びたかもしれないけれど、福田さんは大したものだということにになったのではないか。あそこがある種のピークで、あれが壊れてからは、大連立が壊れた反作用で民主党や小沢さんが強硬路線のほうに振れてしまった。あれ以降の国会は、誰がやってもまさにしんどいなということになった。

 また、福田さんは年金の問題を引き継いでいます。あれも福田さんの責任というわけではないですし、また安倍さんの責任というわけでもない本質的な問題はありますが、安倍さんの時の公約をそのまま引き継いでしまったわけです。あの公約にそもそも無理があったので、それを福田さんがもう少しきちんと意識しておいて、どう修正するかを考え抜いておけばよかった。しかし、いつもの調子でちょっと自然体で言ってしまったのが、非常に不用意な発言になって、あそこから信頼感が落ちてしまった。福田さんの大きなミステークだったと思います。それが修復できないままですね。

 また、薬害C型肝炎の結論はああいうところに落としてまあまあだったと思いますが、大変時間がかかった。これも、福田さん個人というよりは体制の問題なのかもしれませんが、あの結果に落とすなら、さっさとやっていればぐっとまた支持が上がっただろうと思います。しかし、もたついてしまったために、余り効果的でなかった。そういうことが幾つか重なったと思います。

 外交については加藤さんがおっしゃった通りです。ただ私は、安倍さんが中国との関係を修復したという点は大きいと思います。完全修復ではありませんが、安倍さんが右派の基盤に乗りながら靖国参拝を我慢して中国と関係を開いたことが、福田さんには非常にやりやすい状況を用意した。いきなり小泉さんの後、福田さんが中国との修復をやろうと思ったら、相当な反発が国内的にあっただろう。それを安倍さんがあそこまでやっておいたのは非常にラッキーで、逆に言うと、福田さんは自分が出番になるとすれば、安倍さんがそういうことをやった後だなということを頭に描いていたのではないかと思います。それは、安倍さんの大きな置き土産だった。

index(全5話)


Profile

080303_soiya.jpg添谷芳秀(慶応義塾大学法学部教授)
そえや・よしひで

1955年生まれ。79年上智大学外国語学部卒業。81年同大学大学院国際関係論専攻・修士課程修了。同大学国際関係研究所助手を経て87年米ミシガン大学大学院国際政治学博士(Ph.D)、同年平和安全保障研究所研究員、88年慶応大学法学部専任講師、91年同助教授の後、95年より現職。専門は東アジア国際政治、日本外交。主著書に『日本外交と中国 1945―1972』(慶應義塾大学出版会、1995年)、Japan's Economic Diplomacy with China (Oxford University Press, 1998)、『日本の「ミドルパワー」外交―戦後日本の選択と構想』(ちくま新書、2005年)などがある。

080303_wakamiya.jpg若宮啓文(朝日新聞論説主幹)
わかみや・よしぶみ

1948年生まれ。政治部長などを経て、02年9月から現職。著書に「忘れられない国会論戦」「和解とナショナリズム」など。06年1月、渡辺恒雄読売新聞主筆と雑誌で対談し、靖国問題の「共闘」で話題になった。連載コラム「風考計」をまとめた「右手に君が代左手に憲法」もある。4月から朝日新聞のコラムニストに。

080303_kato.jpg加藤紘一(衆議院議員、元自由民主党幹事長)
かとう・こういち

1939年生まれ。64年東京大学法学部卒業、同年外務省入省。67年ハーバード大学修士課程修了。在台北大使館、在ワシントン大使館、在香港総領事館勤務。72年衆議院議員初当選。78年内閣官房副長官(大平内閣)、84年防衛庁長官、91年内閣官房長官(宮沢内閣)などを歴任。94年自民党政務調査会長、95年自民党幹事長に就任。著書に『いま政治は何をすべきか--新世紀日本の設計図』(99年)、『新しき日本のかたち』(2005年)。

071113_kudo.jpg工藤泰志(言論NPO代表)
くどう・やすし

1958年生まれ。横浜市立大学大学院経済学修士課程卒業。東洋経済新報社で、『週刊東洋経済』記者、『金融ビジネス』編集長、『論争 東洋経済』編集長を歴任。2001年10月、特定非営利活動法人言論NPOを立ち上げ、代表に就任。

 加藤紘一氏(衆議院議員)、添谷芳秀氏(慶応義塾大学法学部教授)、若宮啓文氏(朝日新聞論説主幹)の3氏に「福田政権の100日」について議論を行っていただきました。