白石隆氏(政策研究大学院大学 客員教授)
添谷芳秀氏(慶應義塾大学東アジア研究所所長、法学部教授)
司 会:工藤泰志(言論NPO代表)
第1話 これまでの鳩山外交をどう見たか
工藤泰志 鳩山政権発足後100日に私たちが行った「有識者アンケート」で最も評価が低かったのは外交でした。普天間の米軍基地移転に伴う大混迷が評価に反映したと思われます。民主党のマニフェストでは日本外交の中軸である日米関係に関して「緊密で対等」な関係を作るために「主体的な外交戦略を」を構築すると書かれています。
これまでの動きを見ても、そうした「主体的」な外交がどういうものか、分からないまま、基地の移転問題に明け暮れており、この混迷は日米関係に直撃しています。鳩山首相は5月までに移転先を決める、と言っていますが、まだ先行きは全く分からない状況です。まずこの問題から議論を始めたいと思います。
「主体性」を求める議論は最悪
添谷芳秀 「主体的外交」というものは曲者です。ほとんど全ての政権がそう言っているし、安倍さんも声高に言ったわけです。日米同盟と憲法を前提にした日本外交はそもそも主体性が根本的に制約されているわけです。そこに「主体性がない」という議論が起きるのはある意味では自然なことではあるのですが、その次元にとどまっているとやはり外交にならないということは戦後繰り返し証明されてきたことです。
そういうフラストレーションを持つのは極めて一般的な感覚で、言い方によれば極めて素人っぽい感覚です。「主体的外交」を作ろうと言ったときに、そう簡単に答えがあるわけではない。そういう意味で鳩山政権は「主体的な外交は何か」というところが見えないままに、非常にアマチュア的な問題設定を行ってしまった。
野党であるうちはそういうことは言えても、政権党では無理だということは、もうすでに戦後史のなかで証明されている話なわけです。
それからもう一点、「アメリカには一方的に依存し過ぎだ」という議論の前提自体も間違っています。「主体性」を取り戻す時のフラストレーションの対象がアメリカに向くのは国民感情としてはずっとあったわけです。それが左も右も両方にあったというのが日本の政治の複雑なところですけれども、それはある意味、自然な現象と言えます。しかし、「主体性を確立してアメリカとの対等性を獲得するんだ」というのは、言葉だけの話であって、では具体的に外交政策をどうするかという時には形にならない。
それをなぜかと考えると、あの戦争の歴史があって、ましてや憲法や日米安保条約の制約がある。その中でアメリカに依存せざるを得ないというのは、これはもう日本にとっての当たり前の現実であって、そこを問題にしても戦略論は始まらないという深い現実が戦後の日本にはある。そこに対する専門的な洞察がないままに、鳩山政権は上滑りした議論のまま外交の問題に入ってしまった、という感じです。
普天間がその象徴になったというのも、またある意味で最悪です。なぜアメリカが重要か、というときの根源的な問題はやはり軍事なわけです。軍事的なアメリカのプレゼンスがなければ、東アジアの中で日本外交の戦略は成り立たない。しかも普天間の問題はなぜ辺野古に決まったのかというと、それは他に代替案がある、ないということは議論の余地があるとは思いますけど、やっぱりギリギリに詰まった案で、しかもそれは軍事的な論理がコアだったわけです。その軍事的な論理の部分を従属の象徴であるかのようにして、主体性を求めるような議論をする。これはもう最悪の問題設定だと思うわけです。それを今の政権はやってしまった。そこに社民党も乗じた。沖縄の人たちの気持ちもある意味当然あるのだけれども、まあ10年くらい時計の針が戻ってしまったような状況になってしまっている。
ただ挽回する余地は十分にあると思います。つまり今の対米外交はどうせ形にならないから。やっぱりそこをもう一度確認してやり直さなきゃいけない。そんな感じがします。
米との同盟関係は日本外交の資産
明石康 鳩山内閣の外交政策は、添谷さんと重なるのだけれども、非常にムード的だったと思います。「これから外交政策を変えるんだ、自分たちは自民党とは違った革新的な意欲でそれに当たろう」というポーズだけが目立った面があって、それがいろんな意味でマイナスの影響をもたらし、ムードだけに過ぎなかったという面が出てきていると思う。
しかしその中にも、歓迎していい要素はいくつかあって、ひとつはやや欧米志向であったと一般的に考えられていた外交政策をもう少しアジア志向に変えようではないか、欧米からアジアに向かおうという方向性は、割と日本人の中にあったそういうモヤモヤしたものを、うまくとらえたやり方だったと思います。それから、鳩山さんはアメリカでオバマが出てきた後に出てきた。そして、二人とも「変化」を唱え、今までのそれぞれの硬直した外交を変える面があった。核軍縮についての鳩山さんの姿勢は、まさにオバマのプラハ演説に盛り込まれた、「核のない世界」というものに共鳴している。環境外交に関してもオバマがブッシュと違って、そういうものに少し積極的になろうとしていた矢先に、環境問題で大胆に切り込もうという姿勢を持った鳩山さんが出現したから、新鮮味を持って迎えられた面があったと思いますね。
日本は民主主義国家で憲法に基づいて政治が動いている。そういう意味では今回の政権交代は革命ではない、あくまでも革新ですね。しかし、何かそこに、「革命的なことをやれるのではないか」という、ちょっと肩に力が入りすぎた形になって色々問題が出てきたわけです。しかし、特にアジア外交と対米外交、日米の同盟関係というものは相互に矛盾するものでも何でもなくて、よく考えると日米同盟を強化することによって日本がアジア外交でより発言力を増しうるわけですね。そこらへんを平面的に捉えて、二者択一でなくてはならないという非常に薄っぺらな考え方がある。
こういうものは弁証法的に進むものであって、アメリカとの関係を強めることで中国も東南アジア諸国も安心するという面が大いにあるわけで、アメリカとの関係を日本外交の資産として、むしろ、活発で弾力的なアジア外交を展開するうえでの手段にすべきだったのに、何かそこら辺を誤解して変なことにしてしまった。
それから、内政と違って、鳩山さんが当初に言っていた「試行錯誤で行きます」ということは外交に対してはあまりにも甘過ぎる。やはり外交は相手があることだし、その国の政策の一貫性が問われるわけで、学者や専門家の意見もきちんと踏まえたうえで行動しないと、いろいろ誤解を招く。第一はアメリカとの誤解ですね。その上、東アジア共同体を言い出したためにASEAN諸国も「なんだ」と。なんで今まで、ASEAN+3にしろ+6にしろ、とにかく東アジアにおける共同体の歩みはASEANがまず本家本元にならなければならないのに、どうして日本が言い出したのか、という気持ちになったし、中国も不可解の感を持ったと思います。こういうものは現在ある程度解消されてきたし、オバマ大統領が日米同盟50周年に出した声明を見ても、日本の安全保障に対するアメリカのコミットメントは揺るぎないもので、グローバルな色々な共通のチャレンジに我々は手を結んで立ち向かうという姿勢の再確認がありました。
そこで言えるのは、同盟関係はただ一枚の条約ではなくて、国と国との信頼関係に基づくもので、国と国との信頼関係は人と人との信頼関係と違っているようで実は似た面もある。それを築き上げるのは何十年もかかる困難な作業だけど、突き崩すのは極めて簡単だと、いうことです。その怖さを新政権は知らなかったんじゃないか。鳩山さんは気付いていなかったのではないか。それで、今回、日米関係が傷ついた。僕はやり方次第で修復されるに違いないと思いますが、修復はそう簡単ではないと思います。
特に日米関係は日本にとって極めて重要だし、とても多くの利益をもたらすものであったし、この問題についてはアメリカが日本に多くを与えているのに日本がそれを十分に理解していないというもどかしさ、挫折感が噴き出したのだと思います。日本も、日米関係は大いに相互の利益の上に立っているのだし、日米だけではなくアジアとの関係でも世界についても日本はそのおかげで得るものが多いのだということにやっと気付き始めたのだと思う。しかし、この3カ月余りのゴタゴタは不幸なことであったと思います。
国の将来の見取り図なければ、外交の基本は維持を
白石隆 3つあります。ひとつは中央公論に書いて、読売新聞でも結構話していることですが、日本は今、非常に大きな変化の中にあるというか、我々が世界の中で日本をどういう国として作っていくのかについて、経済大国という目標は完全に説得力を国民的に失ってしまっている、ということ。客観的に中国に抜かれるというのももちろんありますが、それ以上に日本人がその経済大国という目標を信じなくなってきている。その時に、我々が日本をどういう国として作っていくのかということが、実は期待されているのにその答えが見つかっていない。そんなに簡単に見つかるとも思わない。少し時間がかかる。
多分すぐに答えは出ない。そうすると、今までやってきた外交の基本はそのまま維持するしかない。その場合の外交の基本というのは、日米同盟を堅持し、同時にアジアにおける相互依存関係を推進していくということ。それをオート・パイロットでやっているということは意識した方がいい。
明石さんが言われたように、今の政権が100日ちょっとで何をしたかというと、アセットを壊している。人間関係が一番いい例だ。例えば日米関係というのは、これはカート・キャンベル氏(東アジア・太平洋担当国務次官補)があるトラック2の会議で非常にうまい言い方をしていたが、小泉さんの前はこうなっていたと(合掌から指先が離れて掌だけが付いている状態)。つまり、実務家レベルは非常に密接にやっていたけれども、トップのコミュニケーションはあまり良くなかった。小泉さんになってトップがよくなった(合掌状態)。だから非常によかった。安倍・福田でもまたこうで(指先が離れる)、今はこうなっちゃった(両掌が平行に離れている状態)。要するに本当に危機です。
何で危機かというと、ここ(掌の部分)をやっていた人たち、カート・キャンベルだとかマイケル・グリーン氏(戦略国際問題研究所(CSIS)上級顧問・日本部長)だとか、日本にもそういう人は外務省とかに沢山います。ある意味では日米同盟に人生を賭けた人たちがいるのに、その人たちをないがしろにして、そういう人間を「早く外せ」などというバカなことを言っている閣僚もいる。そうすると、この人たちは寝てしまう。そうなったら信頼関係も何もない。そういうリスクがあるということを分かってやっているならいいけど、分からずにやっているのが問題です。その意味でアセットを大事にしろというのが第1点。
2番目は、添谷さんが「素人っぽい」と言いましたが、主体性のところはまさに素人で、これはルサンチマン以外の何物でもないと思っています。もうひとつ、日本の政治家、それから論壇もかなりひどいなと思ったのは、言語が極めて単純ですね。リアリズムの言語だけなのです。相互依存の言語だとか、ましてやコンストラクショニズムの言語とかを全く分からずにやっている。だから「中国」というと、中国はもう未来永劫ずっと「中国」という同じものがあると思っている。アメリカだってそう。しかし、1960年代のアメリカとオバマのアメリカは非常に違う世界です。そういうことすら分からずに、「これから(日米中を)正三角形にする」とか、本当に素朴リアリズムの言語でやっている。こんなことで国際政治が分析できると本当に思っているのか。
だから素人といっても、単にルサンチマンだけではなくて、教養もない。これは非常に深刻です。例えば、日米の問題にしてもその基礎に軍事同盟というものがあり、そこでは軍事のラショナリティ(合理性)、軍事におけるロジックが非常に重要です。それをわからずに、例えば所信表明演説の中で、「命となんとかの...」と言うのは、もちろんそこに安全保障の意味を込めていると僕は読んでいるんですが、どう読んだってトラディショナル・セキュリティのことは入っていない。信頼関係を作ればそれで本当に大丈夫だと思っているのだとしたらとんでもない話です。
3番目に、官邸に問題がある。政策決定は政務三役が非常に重要になっています。これは内閣府でも明らかで、政務三役で主なことは決まります。外交政策の場合、外務省の政務三役、大臣の岡田さんはよく分かっていると思う。たとえば「正三角形」に対して、「それは違う」、日米関係は同盟関係で、日中関係は友好協力関係だ、とはっきり言っている。しかし、官邸はどうか、よくわからない。
鳩山さんは頭はいいと思います。2時間くらいの会議をやって、みんなが色々な議論をして、最後にまとめるとき、勘所をきちっと押さえたまとめをする。しかし、鳩山さんとして一本、筋があるか、となると、よくわからない。その時その時、みんなが納得するようなまとめをするけど、かれ自身に揺るぎない軸があるかというと、よくわからない。
そしてこれは結局、最初のポイント、日本という国をどうするのかという問題に戻ってくる。いま日本の多くの人たちはこれを求めていると思います。それを出すのが政治のリーダーシップと思いますが、その大きな見取り図をいますぐ出せないのであれば、そしてこれはそう簡単に出ないだろうと思いますが、そうであれば、もっとじっくり保守的にやった方がいい。
言論NPOでは、鳩山政権の評価議論を随時公開します。第1回目は、「外交政策」です。日本の外交に今、何が問われているのか、鳩山外交はそれにどう答えたのか、を白石隆氏、明石康氏、添谷芳秀氏の3氏が語り合いました。司会は言論NPO代表の工藤泰志です。