増田寛也氏
(株式会社野村総合研究所顧問、元総務大臣)
武藤敏郎氏
(株式会社大和総研理事長、元日銀副総裁)
司会: 工藤泰志(言論NPO代表)
第4話:本当の「政治主導」とは何なのか
第3話:「権力の暴走」に自制は働かないのか
第2話:民主党のマニフェストは既に頓挫している
第1話:国民に向かい合う政治ができていない
【番外編】「事業仕分け」をどう評価するか
工藤 鳩山政権のこの半年の評価で全くプラスの評価がないのか、とよくメディアに聞かれます。その時には評価できることがあるとすれば、事業仕分けだ、と私は答えています。何よりも予算編成の一過程が国民に目に見えるかたちで行われ、税の使われ方に説明義務が問われてことに対して評価できるからです。ただ、問題もあります。先にも議論となりましたが、官僚を「被告席」に座らせる手法は、政治の責任が曖昧になりかねないという問題があります。皆さんはどうお考えですか。
武藤 この仕分けを今後も続けるというのであれば、考えるべき課題もいくつかあるように思います。例えば、仕分け人が一体どういう基準で選ばれるのか、それから、仕分け事業の対象になったものは、今回は447件ですが、他にも国の事業は沢山あるわけですから、どういう基準で仕分けに上げられるのか、という問題があります。また、無駄を排除するというのはわかりますが、その判断基準は何かということも少しきちんと決めないと、来年以降の仕分け作業は難しくなるように思います。仕分けの機能が、ある意味で非常に有効だと思うのは、与えられた目的の達成のために、このやり方が有効なのか、それとも他のやり方があるのか、という、目標に対する政策手段の効率性、有効性の議論をする場合です。しかし、目的達成のための政策、つまり目的やその実現の手段としての政策を議論するのは、政治の役割だと思います。「この目的が必要かどうか」を仕分け人が判断するのはおかしい、と私は思います。これは政治の仕事です。
いわゆる業界の利害や地域の利害によって、どうしても削減ないし廃止できなかった予算は、我々の経験からも確かにあります。そういうものに関して、テーブルの上に全部明らかにして、一般人の新しい視点で判断するということは、案外に有効な場合があります。ところが、年金や医療、地方交付税制度とか、要するに法律体系と国家のシステムに結びついたようなものは仕分けには全くなじみません。それは、全く別の専門家が集まって、じっくり議論して政治が判断すべきことです。
したがって、何をこの仕分けで対象にするかということは、おのずと対象が限られると私は思います。そのような限られた事業については、この仕分けは有効であり、今までにない判断が実現していく可能性が大いにあると思います。私は、正常な予算編成のプロセスにこの手法を組み入れるとするならば、改善が必要だと思います。仕分けの対象や判断基準をどうするかということは、今回は時間があまりない中での作業でしたが、今後はもう少し早めに決めるべきだと思います。
増田 武藤さんが言われたように、問題なのは、政治主導での予算編成のプロセスだとか、更に言えば税制の問題が必ずセットになっていますが、こうした予算編成のプロセスや税制を決めるプロセスはいつまでに、どのように政治主導で進めるのか、をしっかりと定める必要があります。昨年は、この作業がかなり遅れたように思います。最初の年なのでまだきちんと決められていないという根本的な問題があるのは分かりますが、来年もこうした混乱を続けているわけにはいかない。やはりスケジュールややり方は事前に決めておくべきと思います。
2つ目に言いたいのは、今回は予算を編成する際に、事業仕分けを使っていますが、使い方としては、事業のやったことの事後評価として仕分けを使うことの方が、効果があるのではないか、ということです。こうした事後評価は、会計検査院もやっていますが、そう大したものではありません。3つ目としては予算のどういう段階でああいう人たちの意見を使うのかという、プロセスを次からはもう少し工夫した方がいいと思います。
予算というのは憲法上も内閣が国会に提出することになっています。内閣の中では、財務省の査定を通じて決めていくという編成手続きがあります。ですから私は事業仕分けも、その編成過程の中での、色々な多様な観点もあるという、ある種多様な意見のうちのひとつであって、そういう意見を柔軟に取り入れながら、きちんとした査定プロセスを経て、最終的には政治家が政治主導で判断するものだと思います。そこに、政治プロセスでは決められない、科学技術予算などの大物の予算も持っていく。あるいは「JICAにこんな無駄があります」なんていう問題は、仕分けで出てきた意見をほぼその通り入れていくにしても、説明は全て政治家がやる。
私は、むしろここまで財政がきつくなり、かつ、いい予算を組まないといけないときに、何かあの仕分け人の人達の知恵を予算の創造のところにもっと活かす方法はないかと、いうような気持ちがあります。予算を削減するのは、それこそ政治が覚悟すればある程度はできるのです。でも、増やす良い内容の予算を創るのはわずか10万でもそう簡単なことではない。そこにこそ民間の声や知恵が必要と思うのです。
工藤 事業仕分けを見ていて考えさせられたのは、東大などの学長がずらっと並んで記者会見をやったり、ノーベル賞をとった学者が記者会見をやったりしましたが、あれが国民の目にどう映ったのかなということです。つまり、「すごい専門家の人たちが専門的な理解がない仕分け人に発言している」と思ったのか、それとも「このすごい人たちを抵抗勢力」だと思ったのか、そういうところが今は問われているのではないかと思っています。
つまり、科学技術の発展そのものはいいと言っても、その使い方には無駄な使われ方がある可能性はあるわけです。今まではそこになかなかチェックが入らなかった。研究者はその分野の職人ですから、研究の理念や目的だけを語ってしまう。仕分け人の発言の仕方にはそれに対する不勉強さがありましたが、問題はその目的ではなく税金の使われ方の無駄なのであり、そこに甘い考えがなかったかどうか、それを語れない日本の知的なものの存在そのものが、問われ始めているようにも思うのですが。
武藤 それは、科学技術ばかりではなく、予算に共通した問題です。プロジェクトものの科学技術予算は、公共事業と全く同じで予算の削減には抵抗があるわけです。そうした事業には大学や企業の研究者が集まってくるわけで、予算が「廃止」となると、大勢の研究者達の生活問題に直結します。それをシビリアン・コントロールするということは非常に重要なんです。
これは企業でも同じです。大企業がひとつのプロジェクトをするときに、見込みがなくなってもなかなか止められない。それで、惰性で続けて損が出る。そういう問題を、仕分け人みたいな常識集団が、問題提起するということは案外いいことかもしれない。
このノーベル賞学者の抗議の話で問題なのは、仕分けが終わっていない段階で、直ちに総理が出てきて「仕分けの結論と違うような政治判断があり得る」と言ってしまったことです。これでは、何のための作業か分からない。全て終わった段階で政治が冷静に判断すればいいと思うのです。もうひとつ指摘したいのは、この仕分けとは別に、各省が自ら仕分けを始めるという現象が起ったことです。大臣自らがやり始めた。ところが、元々の要求自体が各省の大臣及び政務官、が政治主導で決めたはずなのです。そもそも、現在の仕分けの対象は民主党になってから要求を出し直したのですが、イメージとしては自民党時代のものだと、みんな思っていたわけですよ。今回はそうしたイメージは通用するかもしれませんが、これが続いていくうちに、来年になればもう少し違う段階になり、3年目になると、自分たちの判断を自己否定できるかどうかという問題になるわけです。
したがって増田さんが言われたように、事業仕分けはどのように予算の中で位置付けられるものなのかが課題です。今は少し過大な役割や期待を担わされ過ぎています。
増田 当時、仕分け人を務めていた中村圭子さんに会ったら、「仕分けをやったのはいいが、その内容に反対するノーベル賞学者の人たちが会見した途端に、その日のうちに首相が「仕分け結果を見直す」ということを言い出して、「やっていられない」と憤慨していました。誰しも、その仕分けの後にもう一度政治のプロセスがあることは知っているのですが、仕分けの最中に裁定があるのであれば、せっかくの予算の透明化のプロセスがむしろ不透明になる。
来年以降も予算編成に、透明化のプロセスを入れないといけないのですが、やはり国民にしてみれば、仕分けで出てきた結果と、最終の仕上がりの間に変化があったとすれば、それがどういう風に変わったのかというところが一番知りたいところだと思います。そこを民主党は、ここまで川を渡ったわけですから、しっかりと説明することが問われていることだと思います。
あと、民主党はこの仕分けもそうですが、やはり、木から森を見ていくやり方です。それはそれで大事だとは思いますが、同時に、もっと森から木を見ていくようなやり方が必要だと思います。それを何か工夫しないといけません。
<了>
増田寛也氏(株式会社野村総合研究所顧問、元総務大臣)、武藤敏郎氏(株式会社大和総研理事長、元日銀副総裁)、工藤泰志(言論NPO代表)