「日本の知事に何が問われているのか」/石川静岡県知事

2008年1月19日

石川 嘉延(静岡県知事)
いしかわ・よしのぶ
1940年生まれ。64年東京大学法学部卒業後、自治省(現総務省)入省。静岡県総務部長、自治大臣官房審議官、自治省行政局公務員部長などを経て、93年静岡県知事に就任(現在4期目)。知事就任時から「行政の生産性向上」を重視し、日本で初めての本格的な「新公共経営」を確立。2003年には「政令県」制度を中核とする内政構造改革を提唱し、市町村合併の推進や権限移譲に取り組むなど、理論に裏打ちされた地域経営を実践している。

第2話 道州制の前に、都道府県を半数ぐらいに集約すべきだ

 今、日本の国内の統治構造は、国と県と市町村という3段階になっています。私は、今の都道府県は多過ぎると思う。だからと言って、すぐ道州制の議論になってしまいますが、それについては非常に疑問があります。私の考えは、まずは都道府県を集約して数を半分にするというものです。

 市町村のほうは平成の大合併で随分少なくなりましたが、これをさらに推し進めて、もっと自治度の高い基礎的自治体にしていくべきです。民主党が言っているように、全国を300ぐらいにまとめてというのは、基礎的自治体を集約して能力を高めるという意味ではいいのですが、それが単純に300で全部仕切れるかと言えば、そうでもないので、ある程度段階を追ってやらざるを得ないのではないかと思います。

 静岡県では、これまで政令市をつくることと、平成の大合併に乗じて、できるだけ市町村の数を集約するという2つのことをやってきました。これは、市町村の自治度をより高めていくと、必ずや県の役割の見直し議論につながると考えてのことです。市町村は基礎的自治体ですから、住民の日常生活に直結したような行政サービスは全部市町村がやればいい。ところが、それだけでは完結しないような産業政策、高度医療や高等教育、あるいは文化政策といったものは、より的確にやろうとすると、市町村を越えた広域団体でないとできない。

 静岡県は380万という人口と全国第13番目の面積を有していることを考えると、国が今、地方出先機関でやっている地域行政権限をここに全部よこしても、十分対応し切れます。この中間団体と市町村とは完全に役割が違ってきます。このように役割を変えると、広域団体は広域団体として意味ある仕事に特化し、市町村は住民に直結する行政をできるだけやるという仕分けができるのです。現在国と県とで分け合ってやっているような仕事を全部中間団体に任せれば、国は身軽になって、本来やるべきこと、国でなければできないことにもっと力を注ぐことができるはずです。そういうことを前提に、私は「政令県構想」という名前で日本の統治構造の改編を提案してきているのです。

 現在人口が少ない県にも、警察本部と県教育委員会が設けられていますが、非効率です。幾つかの県が合併すれば合理化されるし、組み込まれる従来の県を1つの政令市に改変する、それも現在の政令市と比べより権限を移譲される型に制度改正してしまえば、現在の県と警察・教育機能を除くとほとんど変わらない役割を果たせます。さらに政令市の区について、一定の自治体的な機能をもっと持たせるような改善をする。そうすると、今現在の県のアイデンティティーは、政令市になったからといって激変しない。しかも、区に地域自治組織的な機能を与えれば、大合併した大きな行政市町村とそう変わらないような実態になる。そういうことを前提にしながら都道府県合併を促進させていくことが望ましい。

 今の道州制議論のように、国が強制的に全部区域を決めて再編成するというやり方は、今の日本では機が熟してないと感じています。一昨年、ある商社マンが雑誌に都道府県合併に関する論文を書いていましたが、それは私とほぼ同じような発想で、47都道府県を20県ぐらいにする。その論者は、例えば中国地方は、今の道州制議論では中国地方でくくるという案が多数説になっていますが、本四架橋の存在なども踏まえると、鳥取、岡山、香川、高知を一緒にするべきだと。また、島根、広島、愛媛と一緒にして、徳島は明石・鳴門架橋で兵庫県にくっつける。そのほうが実際的だという議論です。私も、そのほうが経済圏にも見合って、なかなか良い案ではないかと思います。

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 現在の発言者は石川静岡県知事です。

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