「日本の知事に何が問われているのか」/石川静岡県知事

2008年1月19日

 「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
 現在の発言者は石川静岡県知事です。

第1話 行政「運営」の時代から地方「経営」の時代に

 他の県のことは分かりませんが、少なくとも静岡県では、知事の役割というのは経営者の役割に大変似ています。

 かつて、戦後日本は、中央集権タイプで国を運営し、それがうまくいった時代には、国家運営の大方針だけでなく、地域行政の枠組みと具体的指針まで国が決めてくる。したがって、地方がやるべきことは、それを自分のところでいかにうまく取り入れて、実行するかということでした。そこでは、「行政」の下につく言葉は「運営」がぴったりくる。ですから、我々も口癖のように「行財政運営」と言っていました。

 ところが、昭和50年代の中ごろからそういう中央集権的な国家運営形態がある程度限界に来て行き詰まるようになり、その頃から「地方の時代」と言われ始めたのです。地方の実感としても分かるのは、国からいろいろ下りてくる方針というのが余り役に立たない、それより、自分たちが地域で見たり感じたりしていることを基に政策を組み立て、それをうまく実現するために国に応援してもらうほうが良いということです。例えば、地方から、こういうものに補助してくれ、こういう仕組みに変えてくれと、国にいろいろな要望を出し、地方が自由にやることの邪魔をしないで応援をしてもらう体系のほうがよりふさわしい。そういう時代状況になってきている。

 そういう状況の下で、地方自治体をどのように切り回していくかというと、これは「運営」というより「経営」という観点で、あるべき地域像を自ら描いて、それを実現するために、どこから取り組んでいくか、どこに突破口を見出して理想像を実現するか、ということになります。これは全く経営と同じです。最近やっと「新公共経営」という言葉が出るようになりましたが、公共経営なのです。私は、知事になる前からそういう認識を持っていて、知事になってからも、その線で一貫してやってきました。

 そのような観点に立つと、地方分権とか地方自治の拡充に向けては制度が変わらないと実現できない部分もありますが、では、それが実現するまで何もやらないで良いかと言えば、そんなことはない。分権ができていないからできないなどというのは言い訳にすぎないと思います。自らの主体性を持って方針を立てれば、時間は多少かかっても、国を動かすなり変えるなりして、自分がやらなければならない方向に沿った手段をいろいろ獲得できる。そういう考えに立ってやってきました。

 私は、「闘う知事会」に対しては、積極的に反対まではしませんでしたが、自分たちがやっていることを踏まえて、国を変えるという、その限りで賛成していました。ですから、国から何かもぎ取ってくるという意味の闘いではなく、ちゃんとやるべきことをやって、しかし、それでもこういう障害がある、我々がやればこういう実績が出るのだから、もっときちんと分権にしてくださいという具体的主張がなければならない。実績もなければならない。そう思ってやってきたのです。

 この考え方に立つと、具体的な分権の方策については革命的な議論になります。例えば小泉内閣のときに20兆円ある補助金を5兆円削るという話がありました。そうすると、最初の議論では、どこの自治体も賛成できるようなものがノミネートされます。それが実際には3兆円ぐらいしかなかった。残り2兆円をどうするかというところで、私は、それなら真っ先に公共投資をやめる方向へ行くべきだと主張しました。

 これを実行すると、現状と比べ、地方団体間や市町村間で大変な不均衡が発生するというので意見はまとまりませんでした。ところが、本当に分権をやるという立場に立つと、そこを乗り越えて、投資的な事業について自由度がもっと増せば、地域経営という観点で考えると、大きく前進するはずです。私は、そういう実感を持っているから主張したのですが、多勢に無勢、採用されません。もともと無理だと分かっていたのですが、言うだけは言う必要があると思って発言はしたのです。ですから、三位一体改革というものも本当の分権改革にはならないのではないかと危惧していました。今では、やはりそうだったなと少し醒めて見ています。

全5話はこちらから

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