第2話 岐路に立つ日本の改革-福田政権は何ができるのか
工藤 今は改革をきちんと検証する段階という見方は皆さん、共通していますが。
高橋 改革には光と影があるとか、改革をしたからこんな問題が出たとかという議論があるわけです。改革をしても、それで自動的に例えば地方がよくならないとか、所得が増えないという意味で考えれば、改革を進めるときに使っていた論理や経路がどこかで切れているかもしれない。であれば、そこを修復しながらやっていけば、改革はさらに前進していくということはあり得るだろうと思います。
ただ、私が申し上げたいのは、そういう段階を踏んでさらに改革を前に進めたいというふうに考えている人たちばかりなのか、ということです。むしろそうではなくて、これ幸いと元に戻したいと思っている人たちが相当いるのではないか。それは改革が進んだとは言っても、既得権の構図は壊れていない、あるいはその構図というのが変わらないままに今そこが壊れ始めているので、支持基盤を回復するためには元に戻さないとだめなんだというような、改革をさらに前進というよりは、反改革的な動きというのが出てきている。それはかなり危ない兆候ではないかなというふうに私は思います。
改革をやってみて分かってきたのは、成長すれば自動的に貧困層まで含めて分配が増えていく、あるいは地方もよくなる、これは恐らくそうではないということがわかってきた。これは、改革のやり方がおかしかったのか、あるいは改革の影の部分というよりは、日本で改革をやったから生まれた固有の問題ではなくて、実は80年代以降、欧米先進国でみんな経験している問題なのではないか。そうだとすると、それはまさに改革の影ということではなくて、むしろ先進国が共通に立たされている新しい構造問題でないのかと。そこにもう1度光を当てて、必要な改革の修正をしていくとか、補強していくということが必要だと思います。
齊藤 日本の今直面している問題にグローバルな共通点があるというのは、おっしゃる通りだと思います。特に分配の問題に関して言うと、技術革新の果実のあらわれ方が、通常経済学で言うところの中立的技術進歩で起きると、経済全体の生産性が上がってくれば労働所得も上がり、資本所得も上がって、全般的にひとしく果実を分けていくのですが、多分今のタイプの技術革新というのは、そうした中立型ではなく、成長に貢献できる労働や資本のクオリティーが非常に求められますから、そういうところには成長の果実が流れても、そうでないところに流れない。その意味で、もう昔のように、パイを増やせば皆が幸せになるというような感じにはなかなかならないのは確かだと思います。
中小企業の話は産業構造の問題、日本特有の問題もあるかもしれません。確かにBRICsと言われているような中進国が発展し、さまざまな意味で国際的な競争が激しくなってきていますから、そういう意味で、そこにうまく適応できる企業とできない企業ということの差が広がっていると思います。地域の問題は多分、後から議論が出てくると思うので、ここでは申し上げませんが、今、日本の経済の直面している問題の全てが、政策の結果だというつもりは全然ないのですが、それでも、政策の進め方としてまずかったなと思うのは、レトリック的なことで底上げ政策とか、新成長戦略というような形で政策を進めていく手続が否が応にも期待感を高めてしまって、実際の政策の効果の期待値と現実の間のギャップをあえてつくってしまったことです。この辺のところをうまく切り分けていかないと、高橋さんが言われるように、今度は逆の論理に、だから改革はだめだというような論理に使われてしまいかねないわけです。本来、きっちり構造改革をやるべきところなのに、一部の既得権益の人たちの利益を守る形でそうした構造改革が進まなくなるということもあると思うわけです。
政治的な手続としてパワフルでないのかもしれませんが、先ほど言ったように、一刀両断のような議論ではなく、メカニズムやロジックをある程度忠実に追っていって、政策の及ぶところと、世界の経済環境の中で起きていることを切り分けていく丁寧な議論を進めていかないと、本当の意味での改革を進めていく上でも、少ししんどいのかなという気はしています。
櫨 民主主義の世界では、皆が反対するとなかなか前には進めないものです。改革のせいかどうかは別として、格差は広がってしまった。これは改革のせいではないと理解してもらうのはかなり厳しいと思う。国民は、その辺はもう区別できなくなってしまっているわけで、そういう意味で、何かそこに手当てをしない限り先に進めない状況になってしまっている。
改革の一番基本的な考え方というのは、市場機能を使って日本経済をもっと活性化していこうということですが、そこに競争というものが入ってくる。それをこれからも進めていくためには、確かにお金はないし、財政だけには頼れないけれども、こういう形なら格差を縮小していけるのだというものを何か見せない限り、なかなか先に進めない段階に来てしまっている。教育の話でも、例えば東京だとお金のある人の子どもは公立から私立に流れていってしまう。では、所得の非常に低い人たちはどうするのか。財政再建も必要ですが、やはり必要なところにはお金を使わないとどうしようないというところに来ているのではないでしょうか。
高橋 私も改革の進め方を検証すること、改革の結果であろうがなかろうが、現実に政治問題になっている弱者の問題に対してきちっと手当てをすることは間違いなく必要だと思います。改革を後退させないためにもそういうところに手当てをすることが必要だと思います。
ただ、それを旧来からのやり方のように、パッチワークみたいに、症状が出てきたところにぺたぺたと膏薬を張っていくようなやり方では、カンフル剤にはなったとしても、物事の根本的な解決にならないと思います。例えば今、地方に行くと、改革に対する怨嗟の声が物凄く強い。一番よかったのは小渕内閣のときだと、そこまで言う。農民でも建設業の経営者の方でもなくて、立派な商工会議所の会頭をやっているような方でさえ、そういう言い方をする。そいう意味では、改革のせいでこうなったというふうに思っている方は多いと思います。
今の状況は、少し手直しをしていくという程度のことで解決できるような問題ではなくなってきていて、かなり政策のパラダイムのシフトまでを求められるようなところまで日本は行き詰まっているという気がします。そのため、検証作業をしながら、どういう座標軸だとか、ストーリーの立て直しをするのか、これを大くくりで検証するなり、考え直していかないと、なかなか手当てについて答えが出てこないという気がする。
現実に、地方再生などで、政府は既に何がしかの金をつけるとか、いろいろ動いていますが、結局それをやっても、所詮一時しのぎにしかすぎない。地方がだめになっている根本的な問題の解決にはつながっていかない。そうするとまた期待値のお話になりますが、改革しようがしまいが、結局は結論は同じということになっていくのではないかという危惧を非常に持ちます。
工藤 聞いていると、日本の改革は一つの岐路に立っていることが分かります。ただ、パッチワークで継ぎはぎするのではなく、中身を検証しながら、何を最終的に目指していくのか。そういうストーリーの練り直しを行う段階にも来ています。そういう視点から言えば、今の政権には何が期待できるのでしょうか。
櫨 正直言うと、福田政権で物すごいことができるというふうに考えるほうが、やや期待値が高過ぎます。今の政治状況を考えると、例えば参議院もねじれているし、正直なところ福田政権ではそう思い切ったことはできない。本当はこういうことをやるべきだということを抜きにすれば、多分、今の政権は、前政権のときに積み残した年金や政治と金の問題などを片づけるだけで多分、精一杯ではないかと思います。あえて改革の話に戻れば、先ほど根本的解決にならないと高橋さんは言われましたが、私は時には、これは本当に病気に効く薬じゃないが、余り痛ければ、解熱剤を飲む、鎮痛剤を飲むというのも止むを得ないのではないかと思っています。
それは一時凌ぎに過ぎないとは思いますが、これだけ地方から怨嗟の声が出てきてしまえば、それを抑える必要がある。何か物すごい特効薬を我々が手にしていて、それを打てば治るということが分かっているのでしたらそれをやるべきですが、例えば地方の格差の問題でも一発で格差がなくなるという処方箋は私は思い当たらない。一歩後退かもしれないけれども、多少地方の反発を抑えるための何らかの方策はしようがないと思うのです。
高橋 ただ、カンフル剤を打つときには、どうしても財政のことが問題になる。例えばカンフル剤を打つのであれば、その財源をどこから持ってくるのか、既存の歳出の見直しという形で改革を進めながらカンフル剤を打っていくのか、それとも増税をやるのか。カンフル剤を打つときであっても、一緒にどういう改革をすべきなのか、あるいは守るべき改革は何なのかというところは考えていかなくてはいけない。
例えば地方に金を回すと言っても、ではどこから回すのか。多分お役所は今までこっちに使っていたものを回しますという言い方をまずはすると思いますが、それなら最初に使っていた金というのはそもそも要らなかったのでは、という議論もしなくてはいけない。今まで都市部に使っていたものを地方に回しますというなら、都市に使っていたものでもっと削るべき金があったのではないか、という議論をしなくてはならない。そういう意味では、金を使うのであれば、財政の歳出の中身の見直し、それから、行政改革をしてからお金を動かしていく。ただ、カンフル剤を打つということで流されていくというのは非常に危ないと思います。
水野 福田政権は何ができるかという点については、私は別に福田さんがどうこうではなく、民主党であっても、あまり期待できないと思います。今日本が置かれている困難な状況を今の自民・民主の2大政党の枠組みで解決するには難しいと思います。小泉さんの改革でいろいろな格差とか問題が出てきたわけではないというのは、本当にその通りだと私は思います。例えば少子化の問題でも日本、ドイツ、イタリアとか、後から追いかけてきた韓国とか、そういうフルスピードで戦後走った国ほど問題が噴出している。これはむしろ日本で今起きている格差とか、少子化とか、高齢化というのは、今までの成功の代償であって、欧米が300年かかってきたところを日本は100年でフルスピードで走ったことの矛盾が今噴出してきていると思う。
そう考えますと、これからの日本というのは、ほかの国がやっている改革よりも、もっと痛みを伴うような改革をしないと、恐らく解決できない。レーガン、サッチャーがやってきたこと以上のことを本当はやらなきゃいけないでしょうが、それが日本でできるのか、ということです。
民主主義の中で進めるには、そういう改革は恐らくワンジェネレーションぐらいかかってしまうでしょうから、極端に言えば、自由と安全を保障するという政府の役割について、俺たちの代のときは、政府は自由と安全を保障してくれないのかと。次の子供たちのためにあなたたちの世代は我慢してくれということを政治ははっきり言えるかどうかですね。多分そんなことを言ったら、その政権は選挙で落ちます。だから、どの政権がいろいろやったとしても、それは恐らく決め手にはならない。
そういう意味で、本当のことを言う時期に私は来ていると思う。改革をやってもバラ色の世界があるわけではない。改革をやれば下がり方をこの程度に食いとめられますという問題ですが、それをやらないと未来を描けない、今はそういう時期だと思います。
公共投資について小泉元総理が予算を半減しました。高度成長のときから公共投資の30年ぐらいの各国の累積額と、公共資本ストックの対GDP比で見ると、日本は累積だけは突出して多いけれども、ストックは全然ほかの国よりも増えていない。
ストックが増えていないということは、この公共投資も本当に公共投資のためではなく、半分ぐらいは所得移転だったことを意味している。所得移転を公共投資という名前でやっていたものだから、分配を削られた六百何十万人の建設業のところがいまだに立ち直れないということが起きている。
こうした状況が続いていたのは、日本の財政の構造、歳出構造に相当問題があるからだと思います。建設省の予算だからと思って公共投資だと思っていたら、そうではなかった。省庁別ではなくて、機能別という予算にしないとこういう実態は誰も分からないと思う。それを国民に見えるようにしなくてはいけない。
Profile
齊藤誠(一橋大学大学院経済学研究科教授)さいとう・まこと
1960年名古屋市生まれ。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学(MIT)経済学博士(Ph. D.)。住友信託銀行、ブリティシュ・コロンビア大学(UBC)経済学部、大阪大学大学院経済学研究科等を経て、2001年から現職。著書に『新しいマクロ経済学 新版』(有斐閣、06年)、『資産価格とマクロ経済』(日本経済新聞出版社、07年)など。
高橋進 (日本総合研究所副理事長)
たかはし・すすむ
1953年東京都生まれ。エコノミスト。立命館大学経済学部客員教授、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授等を歴任。2005年民間出身者として3人目の内閣府政策統括官として登用された。
水野和夫(三菱UFJ証券株式会社 参与 チーフエコノミスト)
みずの・かずお
1953 年生まれ。80年早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了、八千代証券(81年合併後は国際証券)入社。以後、経済調査部でマクロ分析を行う。98年金融市場調査部長、99年チーフエコノミスト、2000年執行役員に就任。02年合併後、三菱証券理事、チーフエコノミストに就任。2005年10月より現職。主著に『100年デフレ』(日本経済新聞社)、『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞出版社)。
櫨浩一(ニッセイ基礎研究所 経済調査部長)
はじ・こういち
1955年生まれ。78年東京大学理学部物理学科卒、80年同大学院理学系研究科修了、90年ハワイ大学大学院経済学部修士。81年経済企画庁(現内閣府)に入庁(経済職)、国土庁、内閣官房などを経て退官。92年ニッセイ基礎研究所入社、2007年から現職。専門はマクロ経済調査、経済政策。著書は『貯蓄率ゼロ経済』(日本経済新聞社)。他に論文多数。
工藤泰志(言論NPO代表)
くどう・やすし
1958年生まれ。横浜市立大学大学院経済学修士課程卒業。東洋経済新報社で、『週刊東洋経済』記者、『金融ビジネス』編集長、『論争 東洋経済』編集長を歴任。2001年10月、特定非営利活動法人言論NPOを立ち上げ、代表に就任。