2019年参院選挙の争点とは何か ― 社会保障政策 ―

2019年7月17日

2019年7月11日(木)
出演者:
西沢和彦(日本総研主席研究員)
亀井善太郎(PHP総研主席研究員、立教大学大学院特任教授)
三原岳(ニッセイ基礎研究所主任研究員)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

⇒ 2019年参院選挙の争点とは何か 社会保障政策 / 経済政策 / 財政政策
 言論NPOは今回の参議院選挙で何が問われるべきなのか。世論調査結果から、日本の将来に悲観的な理由として多くの人が高齢化や人口減少に有効な対策が見えないことを挙げました。そこで、各党の「社会保障」に関する公約について議論しました。

 与党も野党も公約ではしっかりとした提案がなされず、今回の選挙で政治は、給付と負担を含めた社会保障の全体像を示すべき、との見解で一致しました。


kudo.png工藤:言論NPOの工藤です。私たちが6月に行った世論調査では、日本の将来を、悲観的に見ている人が47.2%と半数近くという結果となりました。また、そうした日本が直面している課題の解決に対して、政党に期待できないとの回答が55.2%となり、今回の参議院選挙の意味を鋭く、問うています。

 では、日本の国民は、日本の将来の何を悲観的に見ているにか、その理由を尋ねたところ、「急速に進む高齢化と人口減少に対して有効な対策が見えないから」が79.2%、社会保障制度や年金などで自分の将来に不安を感じている人が52.5%で続きます。

 つまり、多くの国民は、人口減少に伴う人口動態の大きな変化や高齢化に大きな関心を持ち、これからさらに深刻化するこうした日本の危機に、真剣に取り組まない政治に覚めて見始めている。

 私はこの点では、社会保障の議論が、この参議院選で最も注目しているのですが、こうした国民の視点から、公約は全く提起されていない。こうした問題を私たちの評価作業に参加する三人の専門家、日本総研主席研究員の西沢和彦さん、PHP総研主席研究員の亀井善太郎さん、ニッセイ基礎研究所主任研究員の三原岳さんの3名にお越しいただき、議論したいと思います。

 まず、お聞きしたいのは、本来、この参議院選では政党は何をこの社会保障分野で国民の伝えるべきなのか、そして、国民は何を判断しなくてはいけない、のでしょうか。


今回の選挙で政治は、給付と負担を含めた社会保障の全体像を示すべき

nishizawa.png西沢:日本の社会保障は、国の一般会計から大きな財政赤字を出しながら給付され続けている。このことが、将来に対する不安だと思います。

 若い人も含めて日本人は「こんなに借金を出し続けながら社会保障は持続可能なのか」と思っているはずです。ですから、本来であれば、政党は誠実に国民に説明しなくてはならないはずです。

 「社会保障の給付はこれぐらいになり、そのためにはこれぐらいの負担が必要で、それは保険料で何%ぐらいになる」か、と。しかし、そんな政党はないわけです。選挙では、給付を増やすということは言われていますが、それをどのように負担を賄うかということには一切触れられていない。

kamei.png亀井:金融庁のワーキンググループの報告書が先日、出されました。新聞記者の人はあまり読まずにあの記事を書いたのだと思いますが、いわゆる老後に必要な資金が2000万円足りないということで話題になった話です。この問題が噴出しても政府・与党はきちんと受け止めなかったし、野党もきちんと受け止めないまま選挙に突入してしまいました。

 あの報告書は我々専門家からすれば当たり前の話です。一般国民からしても「そりゃそうだよな」という話です。年金だけで老後を暮らしていけるとは思っていないし、実際に今の高齢者と話をしていても、預金を取り崩しながら暮らしている。ですから、当たり前の話なのですが、その当たり前の話を封印してしまったというのは最大の問題です。

 西沢さんの話を別の角度から話すと、私たち主権者である国民からすると、自分が年をとった時にどうなのか、あるいは今、老後の支え、そして準備としてどういう負担をしているのか。私たちは、高齢者を支えるために年金を払っているわけですが、次の世代の負担まで考えた時に今のままでいいのか。

 そこは、制度の持続性という問題と、私たち一人ひとりが受益者として、あるいは負担者としてどうなのか、という点の全体像をきちんと見せる必要があります。

 何が大変なのか。制度が大変なのか、私たち一人ひとりの将来が大変なのかがわからない。私たち一人ひとりの大変さを軽くしようとすると、制度が大変なことになる。そこはある種のトレードオフがありますが、そうした絵姿をそれぞれの政党が選択肢を示し、その上でどの政党に任せるのか、それを判断するのが選挙なのですが、どの党もそこから目をそらしたというのが今回の大きな特徴だと思います。

mihara.png三原:三原:少し角度を変えて、私の専門である医療・介護について話をします。医療・介護は2025年問題が前から言われていて、団塊の世代が75歳以上になるのが2025年で、その年に医療・介護費は爆発的に増えると言われています。さらに最近、政府が言いだしている2040年問題は、同じく人口の規模が大きい団塊ジュニアが高齢者になる一方、労働力の減少が顕著になることを指します。そうした節目の見通しも示しながら将来はこうなる、負担はこうなる、労働力はこうなる、ということを見せないと国民は判断できません。

 その観点で各党の公約を見てみると、細かい施策は沢山入っていますが、2025年、2040年に向けてどうするか、という負担の話は一切出ていません。社会保障の話はどうしても負担は嫌われて、給付充実が好かれますから、そういう傾向が各党に共通しているというのが実態で、これでは国民は選べない、という亀井さんの視点はその通りだと思います。

工藤:先程の話にでた金融庁の報告書の問題ですが、これをどうして封印したのか、というにが、私の最大の疑問です。「100年安心」というのは、かなり前にそうした議論があり、マクロ経済スライドの導入等、システム上の立てつけは出来た。その時に、年金は100年安心だと政府が言っていたのですが、これは制度を言っていたのですが、国民の多くは、その「安心」というのはシステムの安心だけではなくて、自分の老後の安心と併せて考えていたと思います。

 しかし、政治はなぜ、あんなに慌てふためいて報告書の件を封印しなければいけなかったのか。

 大きな問題点は2つあって、システム自体が壊れているのか、それともシステムは機能しているけど、もらえる額がどんどん少なくなっている。年金をもらって自分の老後の生活を考えている人からすれば、個人の不安がぶつかり始めている。そうした問題を選挙で話題にしたくなかったし、野党もその準備ができていない。ただ、今回の参議院選挙の争点を個人の生活を軸に考えるためには、絶好のテーマだったと思います。

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国民に説明してこなかったツケが回ってきた「老後資金の2000万円不足」問題

西沢:金融庁の報告書の前段として、今年は5年に1度の年金の財政検証の年に当たっています。前回の2014年の時は6月3日に出ていましたが、どうも参議院選挙後に出されるようです。政府・与党は財政検証の結果が選挙前に出て、年金が争点になるのを避けたいという思惑があったようです。

 そうした中で、金融庁の報告書が出たもので、「何だ、これは」と過剰反応をしてしまったのだと思います。

 ただ、報告書の中身は、年金だけでは老後の生活が苦しくなるから自助努力が必要であり、高齢期になれば認知機能も低下していくだろうから、金融機関も悪さをしないように、高いリスクのあるものを売りつけたりしないように襟を正しなさい、というメッセージであり、そこまで大騒ぎするものでもなかった。しかし、工藤さんがおっしゃるように、社会保障制度を考える絶好の機会だった、には事実です。

 高齢期の生活を支えるのは、公的年金、私的年金、就労です。これは所得階層によって異なり、低所得の人は公的年金により多く依存したり、高所得の人は私的年金にウェイトを置いたりと多様であるはずです。しかし、金融庁の報告書であるがゆえに、解決策が私的年金に少し偏ってしまった。それはそれで不幸なのですが、公的年金、私的年金、就労というソリューションを議論するのは本来政治の役割であり、あるいは厚生労働省や経済財政諮問会議の役割であって、それを金融庁がやってくれたがゆえに、あのようになってしまい、大変、気の毒だなとも思いました。

工藤:結局、なぜ、焦ったのしょうか。「安心」というのは、貯金などしなくても大丈夫だよと、本当はできもしないことですが、その印象のままにしておきたかったからですか。。

西沢:今から15年前の2004年の年金改正で、「100年安心」とういキャッチフレーズを使った。この「100年安心」という概念は、年金給付を抑制するから財政的に制度が持ちますよ、という狭義の「100年安心」でしかなかったのです。しかし拡大解釈されて、あたかも潤沢な年金が将来にわたって保障されるかのように言ってきてしまい、国民もそう思っている人がかなりいる。それとの齟齬を政府は恐れたのだと思います。

工藤:しかし、多くの人が将来に不安を感じているのに、やっているフリをして支持を集める、というのは、よくないのでは。

亀井:2004年の年金改正の時に消費税を上げて、税を半分まで入れるので、基礎年金を安定させますとなった。もう1つは、マクロ経済スライドを導入して、経済成長、物価上昇が進めばそれに対して実質給付を段々と減らしていき、それによって、世代間格差を是正していく、制度の持続性を高めるということになったわけです。

 だから、制度としては100年安心かもしれない。そのために、わざわざ年金の財政検証を5年に1度行うことになった。5年に1度年金の財政を検証することによって、必要な対応策を打ち出しましょうという設計です。今年はその年に当たっていて、いつも春に出していたのですが、今年はなぜか秋に出てくる。つまり、5年前にも、厚生労働省はこういうことをするべきではないか、というオプションを出していましたが、結局、政治がしり込みしてしまいました。今回もそういうオプションが出されて、政治に何かしらの対策を促していくとは思いますが、政府の機能として大事なことは、解決策を打ち出すということももちろん大事ですが、社会に対して大事なことは、将来の状況までを織り込んだ上で、課題を示し、それに対するいくつかのオプションのどれを選ぶのか、ということを国民に示し、政治家を選んで国民が選択していくというプロセスが回っていくのがデモクラシーの正しいプロセスだと思います。ただ、今の政治はそうした情報を、国民と共有するプロセスがまるでないというのが最大の問題です。

工藤:見事に今回の報告書の問題も、封じ込まれました。

三原:今、一連の話があったので時代を振り返ると、2004年に年金未納問題で小泉さんが選挙に負けて、2007年に消えた年金問題で安倍さんが負けた、という参院選を巡る苦い思い出もあり、政府が封じ込めてしまったというのが実態なのだと思います。野党も2007年に参議院選挙で勝ったので、これは争点だと言って「2000万円足りない」ということだけをつまみ食いして批判している。これは、与党も野党も不真面目だ、ということだと思います。

西沢:年金をカットしなければ、制度が持たないのです。それが前の年金改革でした。与党の政治家は口が裂けても「カット」という言葉は使いませんが、野党は「カット」と批判するだけだから、議論ができない。ただ、これは「カット」なのです。それをきちんと言えばいいのに、言わないのが問題です。

亀井:私は、政治とメディアの両方に問題があると思います。つまり、短い言葉で何かを印象付けようとして、そこばかりに終始している。私は本来、政治というのは言葉を尽くさなければいけない営みだと思っています。これはメディアも同じです。政治は言葉を尽くして、本当に大事なことを国民に伝えて、国民に選んでもらう立場なのです。

 ところが、そこを何かイメージのある言葉にして、悪いもの、良いものというレッテルを貼って、分かりにくくさせて選択させない。そういう意味では、政治がデモクラシーを軽んじているのだと思います。

工藤:この年金や社会保障、日本の将来というのは国民の関心事なのです。それに対して政治が課題解決に向けて競い合わないと、選挙に行こうと政治にワクワクしませんよね。

亀井:そうです。結局、国民は議論に参加できない。今回の選挙も、社会保障や財政を争点に考えれば、真面目に考えている人ほど、誰に、どの党に投票すればいいか分からないと思います。


2000年代から提起されてきた問題を放置してきた政治の責任

工藤:そこでお聞きしたいのは、年金という問題で、今、何が問われているのでしょうか。

西沢:私は、年金や社会保障というのは、政府に任せるのはもう荷が重すぎると考えています。政府は負担と給付のコントロールをしないし、情報も出さない。さらには、A案、B案といった選択肢も選ばせてくれない。そうした中では、政府に任せることは極力縮小して、後は企業や家計等、自分自身に任せるようにして、政府の肩の荷を下ろさないと立ちいかなくなるのではないかと思っています。

 年金に関しては、再分配は政府にしかできないので、政府の役割は最低保証的な機能に限定する。基礎年金だけはきちんと政府が税でやり、それに上乗せする部分については、企業や家計に極力任せていく。言ってみれば、年金民営化みたいなものが必要だと思います。

 そうしないと、今ですら政府自身でコントロールできていないのに、任せろと言っても、給付はするけど負担を国民に話さないので、給付と負担のアンバランスは拡大していく一方だと、思います。

工藤:昔も一時は、そういう議論がありましたが、今、そうした大改革をやるには、強いリーダーシップが必要ですが。

亀井:大変だと思います。今の政治は結局、統治したフリなのです。実際には責任を持てないのに、責任は持てます、というかたちになっています。それはダメだし、野党がそこを正確に突けていない。例えば、私は高齢者の貧困が大問題だと思います。それから、最近ニュース等ではっきりと見えるようになってきましたが、実は親と一緒に住み、親の年金で支えられている引きこもりの人たちが、結酷いるということです。

 こういう人たちが突然貧困に陥るという問題があります。貧困問題というのが、これからの日本で年金問題とセットになって出てくる可能性があります。この問題をどうしていくのか、という点は2004年、それから2007年の社会保障国民会議以降、真面目な議論がなされていません。その都度、こうした問題が出てくるはずだ、という問題提起がなされていたにもかかわらず、政治が向き合わず、放置してきた12年間なのです。

工藤:今の話は全面的に賛成です。今の引きこもりだけではなくて、東京圏では特にそうですが、高齢者が一人で暮らしていて起こる孤独死。現実的に都市部では色々な問題が起こっていますが、こうした問題が、選挙では全く議論にならない。これに対して、何か公約はありましたか。

三原:国民民主党がイギリスをまねて、「孤立担当大臣」というものを置くと言っています。それ自体は課題の先取りという点ではその点だけスポットで見れば評価はできますが、パッケージングとして政策をどうするのか、といった点は各党にありません。また、そこにはどう負担を求めるのか、といった観点もないので、全般的に見れば非常にひどい公約だと私は思います。

工藤:亀井さんがおっしゃるように、ニュースでは高齢化や年金に伴う事件が現実に起きている。そうした中でも、政治はこうした問題に取り組まない。政治が議論していくためにどうすればいいのでしょうか。

亀井:こうした問題には取り組まなければなりません。この際、私は選挙が終わってからでいいので、社会保障国民会議のようなものをもう一度立ち上げた方がいいと思います。特に、社会保障で対立することで誰が損をするかというと、私たち国民、さらに言えば将来生まれてくる人たちが損をするのです。そうであるなら、この問題については政治に対立させない。色々な問題が起きているものの、2007年以降は、政治はまともに対応しておらず、その後は、ロードマップをこなしたか、こなしていないかだけしか検証していないわけです。

 そうすると、新たに見えてきた様々な課題について、もう一回統合して、例えば孤立という点に象徴させてもいいかもしれないし、あるいは単にお金の問題だけではなくて、社会参加という形で、社会とどうかかわっていくか、という問題について広い意味での社会保障という形で考えていかないと、連帯の考え方は出てこないと思います。


2025年問題に問われるのは、地方自治体が実情にあった適切な提供体制を作れるか

工藤:三原さんが冒頭おっしゃったことに非常に興味を持ったのですが、2025年に団塊の世代が後期高齢者になって、その後、そのジュニアが高齢者に加わってくる。今ですらそうした人たちが首都圏に数多くいて、その対応が全く追いついていないという現実がある。それにもかかわらず、今後、さらに後期高齢者は爆発的に増えていく。こうした状況に、行政や政府は対応できるのですか。それとも、こうした状況を放任することになるのでしょうか。

三原:医療・介護が年金と明らかに違うのは、お金だけでは解決できないということです。年金はお金で解決できるので、ある意味で国家がコントロールすれば済む話なのですが、医療・介護というのは現場があり、そこで働く人とケアを受ける人がいて、現場の調整がある。そういう意味では、地方自治体の役割が大きいと思っています。医療であれば都道府県、介護であれば市町村が、その地域の実情に応じてサービスと負担の関係を調整しながら、適切な提供体制を作っていく。これから高齢化が進む都市部と、人口の減っていく田舎ではやることが違うはずなので、全国一律というのは無理です。

 しかし、今回の公約を見ると、そうしたことに言及している政党自体がありません。ただ、厚生労働省はその点については分かっているので、都道府県や市町村に権限は下ろしているのですが、公約を見ると都道府県や市町村に頑張ってもらいます、ということをメッセージとして書いてある党はありません。国民からすれば、その辺の選択肢がわからないから、何か起きたら「国が悪い」という言うわけです。そうすると政治家は何かわからないけど、厚生労働省にやれと言って、何かを行ったフリのする政策をやっている、のというのが実態です。

工藤:政治家は現場の困難に気付いないと、話が動きません。


昭和に先祖返りした平成の政治の一方で、
  今後は地域社会が問題解決力を持ち、自らも解決主体になることが必要に

亀井:政治家は分かっていないように思います。というのは、今の三原さんがおっしゃったことが、この前の統一地方選挙のテーマにはなっていません。これは政治家が一時代遅れていて、まだ昭和の政治、つまり何かをしてあげる「施す」政治をやっているのです。

 本来、そうではなくて、平成以降、社会課題の解決を社会そのものに委ねていかなければいけない時代に入っているはずだし、令和の時代はそれを本格化しなければいけない時代なのですが、未だに自民党はじめ各党が先祖返りしていて、「俺がここやった」という箇所付けのような話に戻っているわけです。

 昭和の終わりに「これはやってはいけないよね」と言って平成にシフトしたはずなのにまた戻ってしまった。そうした結果、今の政治はパターナリズムがより強くなっていて、何かをしてあげましょう、という話が増えてきている。年金はお金で済む話なので国家がコントロールするか、もしくは国家ではない主体にコントロールさせていくという話なのですが、今の医療・介護という話は、地域社会そのものが問題解決力を持って、お互いの中で自らも解決主体になって動いていく、ということをやっていかなければいけないし、そのためのコーディネーターであり、調整役が地方自治体だと思います。さらに言うと、優れた地方自治体の首長は、「私の一番の仕事は、地域の課題を地域に共有することだ」と言っています。これは優れた政治家ですが、こうしたことをやっている国の政治家は少ないのが現状です。

工藤:現実的に起こっている現象というものに多くの人が不安を感じているのであれば、そうした課題を考えていかないといけない、ということです。

 ただ、レトリックで現実をごまかそうというか、気付いていないふりをしている政治家もいます。

亀井:気づいている地域は変えています。そうした地域は、確かに光明は見えているし、そうした地域は元気です。実際に、新しい産業も起きています。単に社会保障の話だけではなくて、経済、社会が色々な形で動いていくし、市民参加が様々な形で増えているから、結果として元気なお年寄りが多くなっています。


様々な問題で政府は統治したフリをしている

西沢:公約や最近の政策を見ていて不思議なのは、幼児教育の無償化というのがポッと出てきたということです。2012年6月に当時の与党・民主党と自民・公明党の3党で合意をしました。その時に消費税を5%を上げる際の使い道として、1%は基礎年金へ、1%は社会保障の充実へ、3%は後世代の負担先送りというフレームを作りましたが、そこには幼児教育の無償化というものはどこにもありませんでした。ところが、最近になって、幼児教育無償化がポッと出てきました。そのプロセスは何なのか。結果として、その政策は金持ち優遇ですし、あるいは長時間保育を助長することにもなりかねません。そうすると、保育士も不足するなど、良いことは何もありません。

三原:幼児教育の無償化という話は、安倍さんが2017年の解散総選挙の時に、消費税の増税を延期する時に言い始めたのだと思います。同じことが「介護離職ゼロ」にも当てはまります。「介護離職ゼロ」と言っても、国がやれることは限られています。地方自治体が介護人材を集めなければいけないし、むしろ企業が働き方改革でやらなければいけないことだと思います。しかし、国がやると言ってしまっていますから、結局、何でもかんでも国が抱え込んでしまうということの典型が介護離職の問題だと思います。その後どうなったのか、と言われても誰もフォローしていないと思います。

西沢:幼児教育無償化でも、結局11時間まで無償化することになっています。ただ、11時間も子供を預けると子供も疲れる。亀井さんがおっしゃられたように、子育てしながら働くという社会課題を解決するために、幼児教育の無償化ではなくて、夫と妻で子育てをシェアするとか、企業で努力して会社で時短勤務するなど、働き方を変えることで公的な負担を減らすということを社会に投げかければいいのに、なぜか無償化となってしまう。

三原:まさに介護離職の話と同じ構造です。全て政府が抱え込んでしまう。

亀井:社会課題の解決というのは、本来、社会そのものに解決する機能があるはずなのです。それぞれが解決する機能があるはずなので、それを国家が引き受けた瞬間に壊れてしまうのです。

工藤:そもそも、これは国家が引き受けたのでしょうか。国家は引き受けたフリをして、選挙をやっているだけではなにのですか。

亀井:その通り。だから、やっているフリ、統治したフリです。

工藤:ばら撒きですよね。これ見抜かないと危ないですね。

亀井:どういうわけか、今、政治家そのものが何かしなければいけない、ということに何か追われています。むしろ、「しなくていい」のです。リーダーとしてはそれを社会に委ねていく。場合によっては、国会議員は地域の首長や議員とつながっているのだから、これは地方でやるのだよね、という調整の話をしていかなければいけないのに、「それは引き受けました」、「確かに」といった陳情のやり取りのような昭和の風景が、また増えています。

三原:野党がそういうところを突っ込めばいいのです。昔の民主党は、「新しい公共」を提起し、市民社会に開かれた公共、という話がありましが、今、そういうことを誰も言っていない。

亀井:野党にその頭がない。発想がそこに至りません。

三原:与党がそういう動きをするのはやむを得ない面もありますが、野党が与党に対抗できる政策を示さないから問題です。

亀井:与党は何でも僕がやった、ということを言った方が政権を維持できるわけだから、そういう習性になります。しかし野党は、それはやり過ぎだ、と言わなければいけないのに何もやっていない。野党がここの所、真面目にやったのは、モリカケぐらいですよ。申し訳ないけど、真面目にやっているように見えないし、本質を突いていないのです。

 そもそも野党に政権をとる気がありません。国民民主党は比較的真面目に公約を書いていますが、真面目に書きすぎて細かくて何だかわからない。他の政党については、公約の最初に「政権とる気はありません。僕たちは政権をとる気はないので、無責任なことを言います、いいですか」と書いてあるように読めます。多分、あの公約をあぶれば文字が浮かび上がってきますよ。笑

工藤:有権者にとって、今度の選挙で一番重要なことは何ですか。どういうことを基準に選べばいいのですか。


国民も統治客体意識、行政依存から脱却しなければいけない

西沢:亀井さんが1997年の橋本行革の研究をされていて、その中で引用しているのが、国民の統治客体意識の脱却と、行政依存主義の脱却ということでした。我々国民も統治客体意識、行政依存主義で政治にお任せしているにもかかわらず、文句だけ言う。本来、我々も自分で選択するという行動をとらない限り、負担という結果責任を負えない。そうした意味で、我々も統治客体意識を助長されてきた。

 これからは、日本のエリートは国民の民主主義を育てるべきだと思います。政治は選挙前だから情報を出さないとか、むしろ考える機会を奪うようなことをしているわけです。つまり、国民自身も、政府も民主主義を育てようとしてないということだと思います。

工藤:全体的に忖度する傾向を感じます。今は、全ての課題で今は、こういう発言はしない方がいいとか、自粛している。今、おっしゃったように、橋本構造改革の時に原点があると思いますが、当時は日本の債務が300兆円程度でしたが、将来、団塊の世代が後期高齢者になると危険なので、早く財政再建をやらないといけない危機だと言っていました。

 しかし、今や日本の債務は1000兆円を超えています。あの時、日本の将来に向けて改革しなければいけないという局面でしたが、その後、色々な政権が出てきて、公共事業やったり、加藤政変があったり、小泉政権が誕生しても、結果として同じところを解決できていません。何が問題だったのでしょうか。

亀井:最大の失敗は2009年に政権交代が失敗したことだと思います。みんな、政権交代をすればどうにかなる、と思っていた。その点が凄く安易だったのです。私が国会議員をやっていたのはその前の3年間ですが、2007~2009年は、国会議員はみんなシンクタンクにどんな政策があるのか、と聞きにいきました。あるいは、NPOや現場に行って、どんな社会課題があるのか、どこに困っているのかと聞きに行きました。今、誰も来なくなったでしょう。当時は、左右、イデオロギー対立関係なくあらゆるところにみんなが行き、政策競争が確かに起きていました。しかし、今の公約は「死骸」です。

 ここはもう一回緊張感を取り戻すことが必要だと思います。そのためには政権交代の緊張感が必要なのです。今回は参議院選挙ですが、そうした緊張感をどうやったらもたらせるか、ということを考えるしかないと思います。

工藤:今回の公約を見ると、何か変化の兆しが見えますか。

亀井:まるでありません。

工藤:社会保障の分野で何かありますか。


日本が直面している課題を示し、国民に解決方法を提示することが本来の政治

西沢:実務的にはいろいろとアイデアはあります。例えば、年金に話を戻すと、所得代替率という指標がありますが、我が国の所得代替率は時代遅れの定義で、夫がサラリーマンで妻が専業主婦の世帯を言います。そうではなくて、貧困率の将来推計をしている研究者がいて、確かな数値らしいので、それを目標にする。これからは、単身女性の高齢者が増えるなど、貧困率は上がっていって、このままだと50%になってしまう。

 そうした現状を、我々の党は20%まで下げる。そのためには、年金、貯蓄、就労をこう組み合わせるという風にすればいい。

 この所得代替率の定義がおかしいということは研究者がみんな思っていることです。そこを起点にして、解決策をどう組み合わせるのか、ということを各党に問えばいいと思います。

工藤:ある意味でアウトカムをベースにして、期待される政策手段の整合性をどう説明できるかということですね。

亀井:だから、2020年はこうします、2030年は今のまま行くとこうなりますと課題を提示する。その課題に対して、私たちはこうした政策を打っていきます、ということを単にお金だけではなくて、社会参加のあり方、それぞれの人の生き方のイメージを示すことも含めてやっていかないと難しいと思います。

工藤:三原さんに伺いたいのは、最終的に東京圏の巨大な高齢化や孤立化というのは、東京圏だけで解決できないという話ですよね。だから、地域で高齢化のピークが終わったところとの連携ということを考えているのですか。

三原:政府はそう考えていますが、それは解決策ではないと思います。もし移住の選択を促せるような環境の整備と情報が出せるのであれば、例えば、私が地元の岡山に帰るとか、そういうのはあっていいと思いますが、国民に行かせるというのは無理は話です。これから大都市部をどうするか、ということは国が考えなければいけないことであると同時に、地方自治体が考えなければいけないことだと思います。

 他の地域に比べれば、東京圏の高齢者は比較的裕福な方が多いと思うので、民間企業が役割をどう果たしていくのか、民間企業のサービスを使ってお金で解決できるところがどれぐらいあるのか。全部自治体がやるのではなくて、NPOが絡むのか、民間企業が絡むのか、自分でどれだけできるのか、ということをきちんと考えていく必要がありますが、大都市部の自治体にそこまでの危機感はない。そういうことが起きているのは、むしろ田舎の自治体です。これから人口が減っていくので、自治体だけではやっていけない。

 そこで、住民の皆さんと一緒にやっていく、という住民参加型の街づくりをやっているところは、危機感を持っている。しかし、大都市部の自治体には現時点でそこまでの危機感はありません。


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