2017年10月5日(木)
出演者:
小黒一正(法政大学経済学部教授)
亀井善太郎(立教大学大学院特任教授、PHP総研主席研究員)
加藤久和(明治大学政治経済学部教授)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
工藤:今日は社会保障の評価を行います。この分野は非常に重要だと私は思います。言論NPOの7月の世論調査では、国民の6割が日本の将来に不安を感じていることがわかりました。理由を尋ねたところ、8割の人が、少子高齢化という将来に対して適切、有効な政策が打ち出されていないという不安を感じていました。この問題が、今度の選挙でどのように取り上げられ、対策が講じられていくのか、専門家の方々と話をしていきたいと思います。
ゲストを紹介いたします。法政大学経済学部教授の小黒一正さん。立教大学大学院特任教授でPHP総研の主席研究員も務める亀井善太郎さん。明治大学政治経済学部教授の加藤久和さん。
まずみなさんにお聞きしたいのが、今回の解散の大義についてです。消費税の使い方の中で、現役世代に対する社会保障の充実や教育促進という問題を入れてきました。つまり、全世代型の社会保障という考えが出てきたわけですが、こうしたものを大義に掲げて選挙をすることの意味、これからの将来を考えた時に持つ意味についてみなさんにお聞きしたいと思います。
年金・医療・介護・子育て支援・・・社会保障の向かう方向は
小黒:まず、安倍総理が言われる政策が財政や社会保障・税一体改革に及ぼす影響の見定めが必要です。従来の枠組みでは、消費税を2%引き上げて、5兆円税収をあげ、その1兆円を社会保障、残りの4兆円を借金返済にあてると言っていたわけです。この枠組みを変更し、全世代型ということで、特に子育て、教育に2兆円歳出を拡大するという話をしています。これは何を意味するかというと、国債発行を新しく2兆円増やすのと同じような効果を持つということです。今、日本がやらなければならないことは、すごい勢いで膨張している社会保障を中心とする歳出増を抑制することです。足元、社会保障費は国・地方の合計で約116兆(年金50兆、医療40兆、介護10兆)です。10年くらい前までは90兆円だったわけなので、10年間で26兆円も増加している。本来の政権がやるべきことは、年金・医療・介護を集中的に改革しつつ、必要な財源を確保しなければならなかった。いまの社会保障は高齢世代に支出が偏っており、全世代型、子育て支援等の拡充が大事なことは明らかですが、財源には限りがあり、高齢世代の支出を抑制せずに拡充を目指すのは、方向感として間違っているのではないかと思います。
工藤:新しい国債というのは、赤字国債に依存する部分を減らそうとしていたのに、それを別のことに使うならば赤字国債と同じということですね。
全世代型という言葉のごまかし
亀井:私も基本的には同じ考え方で、全世代型という大きな方向性は間違っていないが、なぜそのことが言われるようになったのかを考えるべきです。今、全世代という時にどう考えるべきかというと、三つの世代に区分して考える必要があるでしょう。まず「引退世代」。自分は稼がないで、医療・介護・年金の給付を受ける人たち。そして、これを担う「現役世代」。それから「将来世代」、つまり、今は投票権を持っていない人や生まれていない人たちの三区分です。日本の社会保障制度は、引退世代に対して大変手厚い給付を実現してきました。それを見直して全世代型にしましょうという総論は正しいです。現役世代に目配りしなくてはいけませんし、将来世代にも目配りしなければなりません。しかし、今回は小黒さんが言った通りで、増税によってやると打ち出されました、つまり、赤字国債の追加発行と同じようなことをやります、というのは、みんなの負担でやるように見えて、実は将来世代の負担が一番高くなるわけです。これは結局問題を先送りする形になります。一番すべきことは、今払っているもの、あるいはこれから払うことになるものを減らす、ということは、みんな直感的に感じていると思います。そこに手をつけないで、安易な増税で、なんとなく全世代型という言葉でごまかすというのは、私はよくないなと思います。
工藤:全世代型という考え方、総論は正しいけれども、結果的につけをまわしているだけということですね。
加藤:基本的に考え方は同じですが、二つほど申し上げたいと思います。一つは、全世代型ということはいいように聞こえるが、逆に言うと、ばらまきにつながりやすいわけです。例えば、社会保障とは何なのか。今考えられているような高等教育の無償化など、教育まで社会保障に含めると非常に幅が広がってくる。あくまでターゲットは何なのか、社会保障としてやっていくものは何なのかということを考えないと。基本的に幼児教育の無償化はいいことだと思うのですが、どんどん広げていくと、社会保険なのか、再分配なのか、ばらまきなのか、区別がつかなくなってくるという難しさがあるということです。
もう一つ、よく2%上げた分の一部で借金の返済をするという言い方がされますが、これは実は正確な言い方ではなく、借金の返済ではなく将来の世代の負担を減らすためにという使い方をしているんですね。単純に借金の返済をしないで若い世代にお金を渡す、ということになると、結局その人たちが負担することになるわけですから、負担の面では何にも変わっていない。そういうレトリックにならないように、お金の動きというものを見ておかなければならないと思っています。
工藤:今回の政策、消費税の使い方を変えるという話は、今までの議論の積み重ねではなく、急に出てきたものです。ですから、選挙後に具体的に決めるという話なので、選挙の時に中身を含めた議論をするということがなかなか出来にくい状況です。こういうあり方がどうなのかというのも大きな問題としてあります。
今の話を改めて聞くとすれば、全世代型というのは総論としては正しいが、将来世代の負担などをいろいろと考えると矛盾がある。では、どうしたらこの問題の辻褄を合わせることが可能なのか、みなさんのお考えを伺いたいと思います。
社会保障のコンセプトを変え、本当の弱者への税金の集中投下を
小黒:私も全世代型というのはあるべき姿で正しいと思いますが、ポイントは、なぜこういった政策が出てきたのかをよく考える必要があって、例えば政権は働き方改革をしていますが、正規と非正規が分離し、いまの現役世代は非常に雇用が不安定になるなどしています。おそらく教育の話が出てきたのも、大学を卒業した後に奨学金を返済出来ない事例が増えてきているということがあると思います。経済がグローバル化する中で賃金が上がらない、あるいは下がってしまう。1997年頃から発生した現象で、かつて金融危機が起こったりしましたが、その頃に就職氷河期と言われた世代が、いま大学生をもつ親の世代になっているわけです。そうすると、大学に行っても十分に親が支払いを出来ないという環境になっていると思われます。そういうところで、教育の話を含め、おそらく全世代型ということが出てきています。ただ、加藤先生がおっしゃったように、ばらまきになってはいけない。いま起きているのは、年金も医療も介護も公的保険制度ですが、その財源の一部に公費が入っています。年金であれば、基礎年金のところに二分の一の国庫負担が入ってきているわけですが、所得が高くても低くても二分の一が入る。こういう税金の使い方は非効率なので、これから本来やらなくてはいけないのは、全世代型で本当に困っている人だけ、年金も医療も介護も公費を集中的に投入して救済していくような、最も無駄のない税金の使い方を追求すべきだと思います。なんでもかんでも拡大していくと、財源が足りなくなってしまう。そういう意味では、一番重要なのは社会保障のコンセプトや哲学を変えるということだと思います。
社会保障のコンセプトを変えるというのは、本当に困っている人だけに税金を集中投下するということです。リスク分散を担う「公的保険」の機能と再分配を担う「税」の機能は切り分け、公的保険は別途やってくださいと。その上で、格差を是正するために税を困っている人に集中投下するという意味で、保険と税の機能を二つに分けなければならないということです。
団塊世代が後期高齢者となる2025年以降の社会への対応策を語る政党は
亀井:今の話をそのまま続ければ、例えば、今の社会保障制度は年をとるほど自己負担割合が減るようにできています。これは、かつては 高齢者は弱者であるという考え方によっていたわけですが、いまや金融資産の分布を見れば高齢者は必ずしも弱者ではないわけです。今、マイナンバー制度が導入されていますし、所得はないかもしれないが資産がある人の医療費の負担割合が今のままで本当によいのか、そういうことも考えていかなくてはいけないと思います。今、本当の弱者は誰なのかという社会的合意を得るプロセスが必要であり、そのためには社会保障制度そのものを変えていかなくてはいけない。
もう一つあるのは、2025年問題です。2020年代前半までは今の高齢者の数、生産年齢人口をなんとか維持できますが、2025年以降、団塊世代が後期高齢者に入ります。つまり病気をしやすくなり、医療費・介護費が上がっていく。もう一つは、生産年齢人口ががくんと減る。つまり支え手が減るわけです。お金の面で見れば、お金がかかるものを誰が支えるのかという議論と、リアルな社会で見れば、我々一人一人が何人もの要介護者を支えながら、あるいは子育てをしながら生きていかなくてはいけないわけです。2025年以降、そういう社会になる準備が我々は出来ているんですか、という問いが重要なのです。実際、考えてみれば、それは出来ていないし、もっと言えば、そういう話が今回の選挙で出てこないといけないんだが、出てこない。それがかなり大きな問題だと思います。
工藤:加藤さんいかがですか。
単なる高齢化と、後期高齢者の割合がグンと増えていくことの違い
加藤:全世代型といった時に、給付だけではなく、実は負担のことについても考えていかなければいけない。全世代で負担をするというのが、どういうことなのか。例えば、高齢者に関していえば、年金課税の問題もあるので、そういうことを全体的に考えていかなければいけないということが一点。もう一つは、全世代型というのは単純に全部に広げていけばいいわけではなく、本当に必要な人は誰なのかとある意味、ターゲティングしていくということ。その作業をちゃんとした結果、それは高齢者も若者も含むという給付の仕方であれば良いと思うが、ただ単に広げればいいわけではないということが問題になる。三つ目は、今、亀井先生がおっしゃったように、2025年以降は単純に「高齢化」ということだけではなくて、75歳以上の人の割合がどんどん増えて行く。国家負担だけを見ても、65~74歳と75歳以上だと、大体1:4程違ってくる。そういう意味では、同じ高齢化といっても2025年から違う局面が出てくる。そこを理解して、どのような形で全世代型に移行していくかを考えていかないと、非常に大変な事態になってしまう。
工藤: 2025年問題というのは、昔の橋本構造改革から始まっていました。皆さんは、それを分かった上で、それに備えるために色々考えなければいけないと言っていたにも関わらず、もう直前近くまで来てしまった。それに対して、全く政治的展望が見えないし、個人の家庭でも介護や子育てを抱えて展望が見えない。今の政権の動きを見ると、それぞれに対して色々な政策を打ち始めていて、課題型な政策を作る原点に戻り始めているんだけど、それを貫く思想や理念が体系として見えないので、結果として、ばら撒くようになってしまっている。そのように受け止めたのですが、この理解でよろしいのでしょうか?
日本の社会保障の哲学は?
小黒:そうですね。再分配には大きく2つの方法があると思います。一つは、先ほど加藤先生がおっしゃった負担の話もありますが、多くの人から税金を集めて、それを困っている人に集中的にお金を投下するけど、所得が高い人やある程度余裕がある人にも、一定の配分を行うというような、大きな政府に繋がるような出入りが大きいケースです。
あともう一つが、小さな政府のようなタイプで、高所得階層の人たちに負担してもらった税金を、所得が高い人やある程度余裕がある人には一切配分せず、本当に困った人たちのみに集中投下するというような出入りが少ないケースです。ここの峻別がされていないというのが結構大きな問題で、OECDの"Growing Unequal"というレポートによると、一番所得が低い階層が支払った税負担と政府から受け取る給付があるのですが、日本の場合にネットの給付を計算すると日本全体の家計所得(可処分所得)の大体2%ぐらいしかないと言われています。アメリカは1.9%で、ネットで概ね同じなんです。他方でオーストラリアは5%超もあるので、システムが全然違うんですね。これは一番所得が低い階層に税がちゃんと集中投下されている、つまり社会保障の哲学がちゃんとしているということだと思います。
工藤:要するに、安倍政権に関わらず、いつも選挙のための政策というような感じがするんです。つまり選挙の時だけ話題にして、その後ちゃんと体系化するわけでもなくて、あとから工程をゆっくり考えるとか。この仕組みはどうなんですか。
亀井:私は実は、責任は、野党とメディアにあると思う。要は、今言ったイシューをきちんと真面目に取り上げていないし、こなかった。例えば、ここら辺の話はもう既にほとんど出ている話ばかりなんです。ちょっと考えれば、誰にでも分かる話です。それを野党が論戦で取り組めていない。これまでの経緯でいうと、実は野党が言ったものを、与党が政策に取り入れているケースというのは沢山ある。そこを野党が真面目に取り上げずに「もり」だ「かけ」だ、とばかり言っている。何故、これだけ大事なことをこれまで無視してしまったのか。逆に言えば、安倍政権のある種の怠慢を許してしまったというのは大変重たい。政権が批判されるのは当然だし、野党も批判されなければならない。政治全体の問題です。
工藤:選挙の時に国民の不安に迎合し、それに対して何かを出していく。しかしそれを、政治の責任としてシステムにする、というところに踏み込めない。それが今の状況を招いているということでしょうか。
社会保障問題は、政治から距離を置き、年金政策改革の議論を
加藤:そうですね。僕は短期と長期の差があると思っています。選挙は短期のことであるのに対して、社会保障は長期のものになります。例えば、スウェーデンが年金政策改革を行ったように、社会保障のような長期的なものを見るときには、少し政治から距離を置いて議論してほしいと思います。そうした場を作ってもらわないと、いつまでたってもこういうことが繰り返されて、ずっと先送りになってしまうと思います。
工藤:安倍政権の政策に話題を移しましょう。安倍政権が選挙で国民に約束したことを、どう実現しているかという議論です。今の全世代という新しい問題の中で、それを再吟味するという視点も必要だと思うので、それも合わせて皆さんにお答え頂ければと思います。一つは、「若者も高齢者も安心出来る年金制度を確立する」と。これは本当に確立出来る方向に向かっているのだろうかと。それから健康保険も都道府県の公益化が出来、そして保健所機能を高めながらやる、ということも出来ているのかを見ていかなければいけない。医師の偏在や医療系統体制は十分なのか。そして次に介護の問題です。これから介護にかかるコストが上昇することが予想されますが、それに対する見直しや制度の充実がどれほど進んでいるのか。これらを皆さんに評価してほしいのですが、それと同時に、新しい「新三本の矢」で、希望出生率1.8%の問題や介護離職者を無くすなど、とあります。確かに課題に合わせて目標設定をしているようなのですが、本当にそれが出来ているのか。それぞれが話しやすい項目で、お話していただきたいと思います。
モデル年金の給付水準だと、近い将来、低年金の貧困女性高齢者出現?
小黒:年金、医療や介護がありますが、一番分かりやすいのは年金だと思います。まず一つ目に、年金財政の持続可能性に関する改革があります。当初2004年の年金改革では、マクロ経済スライドを導入して、年金を実質的に削っていこうとしたわけですが、これが十分に機能していかなかったわけです。このため、制度改革として、今回の安倍政権は例の賃金スライドやマクロ経済スライドの強化を行い、給付額を抑制する改革を行ったわけです。この改革により、年金財政の持続可能性は高まっていると思いますが、本当に安心できる年金制度かというとそれは心許ないところもあります。何故かと言えばモデル年金というのがありますが、これは専業主婦世帯で大企業に勤める旦那がいるような家計の年金なんです。所得代替率は約62%。問題は現実的な経済成長率や運用利回りを想定すると、厚生労働省が財政検証で公表していたシナリオには、所得代替率が2040年頃に40%台になってしまうケースもあります。しかも、モデル年金のケースでは、いま年間200万円近くの年金を受給していますが、それは少数で、現在も100万円の年金しか受給できない人々の方が多いのが現実です。したがって、財政検証のシナリオが意味するのは、モデル年金のケースでも厳しいので、年金分布で見た場合、かなりの低年金で貧困の高齢者たちが急増するという現実です。その時、高齢者になる今の40代50代の女性の人で、これから未婚の人も増えていきますから、低年金の貧困の女性高齢者も出てくるわけです。こういう問題について、相変わらず問題として解決出来ていない。加藤先生も言われていましたが、超党派で年金改革の議論を行う場合、モデル年金の給付水準のみで検討を行うのではなく、年金の分布や年金の平均が将来どうなるのか、すなわち、2030年、2040年はどういう分布になるのか、そういうのを見た上で制度設定をすることが、本来国会に求められていることだと思います。
工藤:今の話は、年金制度の持続性は、少しは改善しているけれども安心出来る制度にはなっていない、という話でした。
問題の本質に迫った議論をしているのだろうか、という疑問
亀井:本当にやるべきは、マクロ経済スライドをデフレ下でも適用するというのは第一条件として言われていたはずだが、これに与野党ともに手をつけられなかったというのは極めて大きな問題だと思う。ただ、あまりにそれを進めすぎると、今度は一方で高齢者の貧困という問題が起きるので、それとセットでこれからの社会の仕組みとして、それこそ与党野党を超えて議論しなければいけないと思うが、そういう枠組みが全く感じられない。やはり全てそうなのですが、政治がイージーな方向に行くので、困ったから増税しよう。そこまでやるべきことをやったが、という議論を得られないまま、より簡単なものばかりが出てくる。あるいは、個別のマニフェスト項目を見ても、本質に迫っていないんじゃないか、というのが率直な意見です。
工藤:加藤さん、年金の、昔国民に提供されていた、「100年安心プラン」というもの。あれはもうないんですか?
加藤:誰も100年、安心してないくらいですよ。旧自公政権がやった2004年度改革は非常に良かった、とこれは評価しなければいけない。ただ決めたことは決めたんですよね。今、亀井先生も小黒先生もおっしゃったように、マクロ経済スライドをなぜ、実施しないのか。これは名目ではなくて実質で逸れていくという話だから、デフレ下でもやらなければならない。安倍政権を考えた時に、年金はちゃんとやっていると言われるかもしれないが、ここ7、8年を考えてみても、結局何もやってなかったと。年金には手をつけずに、それをデフレのせいにしていたということあるんじゃないですか。
工藤:つまり、保険の料率は上がったんですよね? だけど、下がる方が十分じゃなかったという話をされている。これはどうすればいいのでしょうか。100年は持たないという感じでいいのですか?
加藤:これは将来のことだから、どこまで持つか持たないかということは実はその時まで分からない。今、小黒先生はこれについて色々やられているので詳しいかもしれませんが、正直に言うと、非常に甘い見通しを立てて100年間維持させようとしていたのではないかという気がする。だから、本当に頻繁に見直しをしないと難しいのでは。
工藤:小黒さん、年金問題で政治が取り組まなければいけないことは何ですか?今の持続性の安心というところについてでしょうか。
「安心プラン」の持続性には・・・
小黒:まず一つは、保険料や公費といった年金の財源と、出て行く年金給付の総額が長期的に一致し、その収支がちゃんと閉じることです。そうすれば、まずは年金財政の持続可能性が確保できます。これは、加藤先生が言われたように、2004年の年金制度改革でかなり改善しています。しかし、国の一般会計予算は赤字ですから、年金財源の一部である公費負担には財政赤字で賄われている部分もあり、この部分が財政の持続可能性とどう関係してくるかということも考えなければいけない。ただ、少し割り切って考えれば、現在約50兆円の年金給付がありますが、保険料収入は30兆円ぐらいあるので、保険料収入は確実に入ってきます。だからもし財政がおかしくなったとしても、極論ですが4割ぐらいをカットなどして帳尻合わせれば、年金自身がゼロになることはない。ですが、年金給付水準が非常に厳しい状態になることは確かです。あと問題は年金の給付は、2030年の時にどうなっているのか。低年金で暮らせない人が出ないか、いないのかをチェックする、ということをやらなければいけない。これはモデル世帯の年金ではやっているが、それだけを見てもわからない。だから、平均の年金額が15、20、30年後どうなるのか、分布がどうなるのか、それから各個人の負担がどうなっているのか。そして、もし高い年金を貰っている人にも公費が入ってしまうわけで、その分についてはカナダみたいにクローバックし、削って低年金の人にお金を回すという制度設計も検討しなければならないと思います。
工藤:これは安心といっても、政治としてどういう形が安心出来るといえるのか見えないので、例えば、支払い時期を伸ばそうという議論がありましたよね。ということは逆に言えば、年金制度の持続性ということに関しても、まだ疑念があるということなんでしょうか?
小黒:あります。マクロ経済スライドは基礎年金の部分まで刈り込む仕組みであり、将来、低年金の貧困高齢者を増やす要因になるという問題です。議論として、やや踏み込み過ぎてしまうかもしれませんが、年金制度には1階、2階などがありますが、1階についてはかなり国が守ると。ここはもしかしたら、クローバックの適用を前提に、全部公費にしてもいいのかもしれない。2階については、国が少し手を離していって、民間の年金に代替してもらうような仕組みにしていくというような切り分けをしないと、財源が限られる中、これから高齢者が急増していくので、この問題の解決は相当難しいと思います。
工藤:持続可能性の部分が改善しているけど、まだなお、難しいということですか?
小黒:そうです。
デフレ下におけるマクロ経済スライドは1丁目1番地
亀井:簡単に言うと、全然真面目にやっていないということ。そもそも、この言葉自体が甘くて、安心出来るということを確立するとは言っているのだけれども、やらなければいけないことはもう研究者サイドから出ているわけです。出ているのだけれども、ここを真面目に取り上げようとしていないという点が明らかな問題で、最初の1丁目1番地がデフレ下におけるマクロ経済スライドなんです。これすら、実は厚労省が随分頑張って、年金の財政検証でこれは論点であるとまで明示していた。明示していながら、当時の与党野党の政治責任者に対して追求して、それは確かにそうだ、とまで言っていても、それぞれが合意できないという、政治が課題解決から逃げているという問題です。
工藤:政治が課題解決から逃げては駄目ですよね。他に、健康保険、介護、医療あたりはどうでしょうか。
加藤:医療については、安倍政権が今まで何をやってきたかというと、例えば地域包括ケアで介護をみたり、地域医療構想をやったりしています。さらに、先ほどおっしゃったように、国民健康保険の都道府県化をやったりしているが、ただ医療のそもそもの基本的な提供体制自体がどのようになっているのかよく分からない。2025年のために地域医療構想で病床の改変をする、さらにそれを地域に持って行って地域で包括ケアをやっていく、というようなことはイメージとしては出てくるが、具体的に何をやっているのかが分からない。結局これは都道府県や市町村任せになってしまっていて、口だけになってしまっているのが恐いな、と。医療、介護が、一番お金がかかってくるところ。そこをいかに抑えていくのか。それは、本当に医療・介護が必要な人には出さなければいけないが、そうではない人には出さなくていいという仕組みを作らなければいけない。しかし、そういった兆しがないところが、僕が非常に心配しているところです。
工藤:医療と介護に関してどういう人に出すか、絞り込むことも必要ですが、総額としても足りない。つまり今の消費税値上げの問題と繋りますが、このように全体像が見えない感じがあると思うのですが、どうでしょうか。
2025年問題、将来的に何をすべきなのかということが決められていない
加藤:全体像は見えないし、ちょうど来年2018年度は医療と介護の診療報酬の同時改定なので、本来ならば医療と介護をいかにして連携して改定していくかということを議論していかなければいけないが、なかなかそこが見えてこない。次の同時改定は2024年になってしまうから、2025年問題に対応するには今しかないわけですが、そのために医療と介護で抜本的に何やるかということに連携してまだまだ議論出来ていない。もちろん、工程表などはありますが、その中で本来今何をしなければいけないのか、将来的に何をすべきなのかということが決められていないなと感じます。
工藤:健康保険制度は高齢者の負担をどうするかというのが大きな問題だと思うのですが、これは答えがでたのですか?
小黒:財源面で答えは出ていないのが現状です。簡単に言うと、医療と介護の給付費は、2015年度は約50兆円ですが、厚労省の推定だと2025年度には約75兆円になるんです。25兆円も増加します。問題はそれを賄う財源です。110兆円を超える社会保障給付費を賄う財源のうち、年金を含む保険料収入はほぼ横ばいで、これは国と地方が負担する公費が25兆円増えなければいけないということを意味します。でも、地方が負担する公費の中には、基本的に地方交付税で国が面倒を見ている部分もあり、消費税換算で10%分ぐらいの財源を確保しなければいけない。これをどうするのかという問題があり、加藤先生が言われるように、75歳以上の後期高齢者医療保険制度では、基本的に公費が半分も入ることになっています。その部分について、ではどうするのかという議論を進めなければいけないのです。これは私見ですが、現在75歳以上とそれ未満では診療報酬の点数が同じですが、後期高齢者医療保険制度では例えばGPのような仕組みで、高齢者一人当たりを診る金額を決めるなどして、かなり統制をしていかないと難しいような状況になっていると思います。
工藤:総額的に25兆円必要だと。でも今の消費税はようやく上げるのだけど、中身をベースにした全世代型ということですよね。
過剰診療をいかに抑えるかなど、痛みを分け合う政治に向き合っているか
亀井:そういう意味では医療の形そのものを変えなければいけなくて、例えばいわゆる急性期と言われる病院だと、この診療をするのだったら、どのぐらいの時間をかけても、いくら検査をしても、これしか渡しませんよというようなDPCという診療報酬にようやく変わったんですよ。これは大変優れた方向だと思います。今まさに小黒先生が話したように、これは一般の診療病院でも同じようなことが適用されるべきではないかということです。つまり、我々の近くで、湿布を沢山もらっているおじいちゃん、おばあちゃんがいる。あるいは薬の過剰な処方によって、酩酊状態になってしまう高齢者の話を沢山聞くわけです。この過剰診療・処方をいかに抑えれば、どれぐらいのお金が抑えられるかはわからないですが、そういう細かいもの、一つ一つを抑えていくような工夫、インセンティブ設計をしていかなければいけないのに、その手立ての議論はされているのか、という話。その国民的な議論がされないまま、2025年に突っ込んでいってもいいのか、という話だと思う。これからの政治は痛みを分け合う政治ですから、痛みを分け合う政治に向き合っていないというのが最大の問題だと思う。
加藤:医療の場合、命に関わっていく問題なので、単純に削減すればいいというわけではない。ですから、どうやって削減していけばいいのか。僕は高額療養費制度が大事だと思うのですが、それを守るためには一般の診療についてはもう少し負担をしていくなど、柔軟に考えていくことが必要だと思います。
工藤:少なくとも2025年問題があるのですが、今必要とする社会保障の費用がかなり大きくて、それに対する十分な工面の展望が見えない。しかし一方で、2025年に向かって色々な形で家計レベルでは様々な困難が始まっていて、さらに介護離職が起こるなどの問題があって、それらに対応しなければいけない。若い世代間の問題も考えなければいけない。するとそこにまた消費税を使わなければいけない、という段階に来ているということですよね。全体像には目を瞑りながら、個別の問題だけで選挙を行おうとしている。どうですか?
2025年問題まであとわずか、働き方改革を政治が語って介護離職に備えよ
亀井:まさに、働き方改革というのはそこなんです。今、残業の話などが出ているが、肝心なところはそこではありません。まさに私たちは子育てを終えた後は、否応なく介護をしなければいけない世代。そんな時に会社に週5日行っている場合じゃないのです。父親、母親、義理の父親、母親も倒れ、4人介護しなければいけないというようなことが同時に起きるのです。そういう中で、今までの働き方でいいのか、という議論を今から始めなければ間に合わない。だけど今やっている話は、せいぜい残業代であったりする。そのようなお金の話ではなくて、社会全体として、そこに臨む準備が私たちの働き方も含めてあるのですか、ということが今問われている。そうした議論を誰が始めなければいけないかというと、やはり社会のリーダーとして政治家が始めなければいけない。これは、企業経営者にも責任はあるけれども、なかなか言えない。政治家が声をあげ、経営者にはたらきかける。こうした社会、働き方にシフトするにあたり、それは企業も応分の負担をしてください、と働き方を柔軟にすることによって、そういう社会を一緒に引き受けて行きましょうよ、ということができるはずなんです。2025年まであと僅かしかないのに、そういう議論がされない。その話を政治が取り上げないというのが本当に問題だと思う。
工藤:これはかなり大変で、もともとの年金や介護の持続性に問題がある上に、既に困難が始まってしまって、そのシステムの全体像の提起が政治側から出されていないと、破局するのではないか? つまり、家庭の困難を個人がもろに受けるということになりませんか?
小黒:そうですね。亀井先生が言われたように、子育てとか介護の問題は、財政が破綻するか否かにかかわらず、深刻な問題です。保育所の問題も都市部で大変ですが、団塊の世代が75歳以上となる2025年以降では、我々の親が介護が必要となった時に介護施設が見つからないなどの問題が頻繁に起き、特に都市部ではこれから介護難民が大量に発生する。これで病院に入れられなかったりすると、結局自分が面倒を見る。つまり介護離職という問題につながる。これは、じわじわと日本の労働力を棄損する。それを防ぐために介護保険があったわけなんだが、それがうまく機能しなくなっている。ただ、政府はいま地域包括ケアを進めていますが、やはり在宅での介護に限界があるのも現実で、施設が足りていない分をどうするのか、その辺をマクロ的に考え、どう対応していくということが求められているのだけど、切り込みが不十分。一応、安倍政権は、介護離職者ゼロという目標を掲げて、問題提起はしているのですが。
社会が変わろうとしている今、その仕組みが良いのか悪いのか、議論がないと破局に向かう日本?
加藤:先ほどの全世代型の話に戻るのですが、亀井先生がおっしゃったような働き方の問題、それから今の話。要するに、我々は社会保障の話だけでなく、働き方、子育てなど色々な問題に囲まれていて、社会が変わろうとしている。その変わろうとしている社会の中で、今の仕組みが良いのか悪いのか、そういった議論がないと、踏み込めないと思う。もちろん個々の改革も必要だが、我々はどこに進んでいくのか、みんなでどう負担していくのか。そういう議論なしに、政治の目の前の論争でお仕舞いにされてしまっては、工藤さんが先ほどおっしゃったように、日本は破局に向かってしまうのではないかと思う。
工藤:亀井さん。そういう状況の中で、お金は出しますよということだけでは、政治は無責任だと思いませんか。
亀井:もちろんです。お金を出しますというだけではそもそも古い。今の問題は、供給側の問題になっているわけ。供給側の問題がわかっているのに、未だに需要喚起型の政策であり続けているのが、問題だと思う。供給側の課題解決にどうやってシフトしていくのかとか、あるいは誰を本当に担い手にしていくのか。場合によっては、引退世代の人たちも供給側に入ることが出来るかもしれないわけです。それは働けと言っているわけではなくて、誰かの役に立つような社会構造そのものを変えていくことが出来るはずなんだが、それをしないまま単純に需要を喚起し続けた結果、不必要な需要が生まれるだけで、供給者である我々が殺されるわけです。そこをやはり社会がどこにシフトするのかということを考えるのが大事だし、そのビジョンを示すのが政党と政治家の役割だと思う。
工藤:今までの話を聞いている方は、これはかなり深刻だということを感じたと思います。確かに私たちがやっている世論調査でも、自分の将来に不安を感じて、その解決を政党政治に期待できないと、これが日本の政治に対する評価なんですね。ということは逆に言えば、皆さんの話を総合して考えると、この困難を自分の人生の運命として背負うしかないと。そんな政治であっていいのか、という基本的な問いかけがあるような気がしています。にもかかわらず今回の選挙戦を見てみると、政治家が色々な形で連携を変えるなどの大きな動きを見せています。ある意味で有権者から見れば、政治が見やすくなったという評価も出来るかもしれませんが、今回の議論のような話が全くない。つまり消費税を上げるかと言っていた人たちが急に上げないというとか。こうした今の政治の状況と各党が今後出すであろうマニフェストを見て、どういうところを僕たちは見定めていかなければいけないのか、ということを皆さんに聞きたいと思います。
過度な社会保障を期待しすぎるのを改める?
小黒:まず一つは社会保障といっても、大きな方向は二つあると思う。まず一つは、セーフティーネットでターゲットを絞った社会保障です。もう一つは、日本のいまの皆保険のように、保険の機能も使った、かなり拡大した形で全てを包み込む社会保障です。日本の財政の状況を見ても、ここは見定めなければいけないと思う。全てを包みこむような社会保障は、ビスマルク型から始まっているわけですが、これは機能不全に陥りつつあって無理が出てきている。なので、官と民の役割分担を見直し、そこについては公的保険の役割を少しスリム化しなければいけないので、その辺をしっかりと出している政党はどこなのかというのを見るべきだと思う。それでも、まだ中福祉(中くらいの社会保障)と低福祉(かなりスリム化した社会保障)が想定できますが、これは価値観や哲学に依存するのだと思うんですね。我々国民も今までは皆保険のような形で国に守られてきたのですが、年金も徐々に削減されてきており、財政の限界や現実を直視し、覚悟しなければいけない。なので、最終的には自分で頑張って、人生100年時代は自分のライフスタイルを自分で整備していく形に切り替えるのか、それとも、やはり国は自分と切り離せないので、ちゃんとした中福祉(中くらいの社会保障)を維持するのか。この二種類は、全然違う話だと思います。これは価値観なので、それを見定めていくということが必要と思います。政治に期待する部分は非常に重要ですが、やはり我々の思考自体を変えていかないと。要するに我々は今、過大な社会保障を期待しすぎで、それを改めるというのがまずはスタートラインだと思います。
賢い有権者は、危機に瀕している民主政治を見抜いている
亀井:今の話にまさに賛成で、先ほどの話の個別の解決策は今いろんな現場に見えてきている。今の具体的な制度は、ある種引き出しのようなもので機能別になっていて、現場型はそれが統合された形になる。例えば、障害を伴った方と、困難を抱えた子供とおじいちゃんおばあちゃんが一緒にいることがむしろ解決策になる場合があったりする。そのような色々な解決策は今、実際に生まれていて、私もそれを現場で実際に見ている。ただ残念なことに、政治にそこが見えていない。政治家の皆さんが何を見ているかというのは、有権者の皆さんがきちんと見なければいけない。今の権力闘争は本当に醜い。それには相当嫌気がさしているはずで、私は今回、「奇襲」対「劇場」の戦いだと思っていて、「奇襲」は失敗したと思っている。「劇場」も失敗し始めていて、私は、有権者は賢く判断しているんだろうなと思うし、今、これを見ている方はそれを見通していると思う。大事なことは、そこに埋没してはいない政治家がいる。どの政党にも、多い少ないはあるが、問題意識を常に持って、きちんと真面目に現場を見て、具体的な制度の修正を図ろうとしている政治家はいる。そういう人が、自分の選挙区にいるかどうかをきちんと見てもらいたい。そういう意味で、今回のマニフェストは本当に信用ならないと思います。自民党は積み上げきたものですから、公明党もパッと出したが、今度の新しい党なんてとてもじゃないが信用出来ない。だとするなら、どの党から出ているにせよ、その人自身が、誰のため誰の立場にたって政治をしようとしているのか、ということを是非見ていただきたい。SNSやインターネットとか使えば、わかる。実際に事務所に行ってもいい。それぐらいのコストをかけてもいい、だって一票なんだから。自分の一票を活かすために、今回どういう行動をとるか、ということがむしろ有権者が問われている。工藤さんがいつもおっしゃるように、今デモクラシーが危機に瀕しています。これを組み立て直せるかは、そこにかかっていると思います。
孫にとって最も良い政策とは何か? と考えてみて
加藤:お二人の話に全く異論はないが、もう少し付け加えさせてもらうと、マニフェストがこれから出てくると思うが、大きな政府や小さな政府だけでなくて、例えば自助、公助、共助という側面の中で、それぞれの党が一体自分たちに何を求めているのか、政府は何をやってくれるのか。逆に社会保険みたいなもので、何をお互いに助け合わなければいけないのか、それを見ていただきたい。ただ、これはなかなか難しいと思います。それをさらに集約すると一点だけ。将来自分に孫が出来た時に、その子にとって最も良い政策は何だろうか。それは単純に消費税引き上げをストップして、その負担を将来世代に課すのは、我々世代にとってはいいけど、孫世代にとっては良いのだろうか、という視点を持って、今の政策の議論を理解し判断していただければ良いのではないかと思います。
工藤:今の政党は三極と言われています。皆さんはそれについてどうお考えですか。つまりこの社会保障という考え方の発言が出ていないのですが、何かそれらしい動きが出てきているのでしょうか。
小黒:各政党が公表しているマニフェストをどこまで信用するかに依存している部分もありますが、まず一つ言えるのは、自民党と公明党が出している今の公約は、どちらかというと今の制度の微修正。他方、小池さんの「希望の党」やその他の野党が何を考えているのか、マニフェストを読み精査する必要があると思います。「希望の党」のグループが政権を取らなかったとしても、何らかの形で国政に影響を与えていくという可能性もあると思います。
工藤:消費税を上げないと言ってます。
思考が分裂している「希望の党」の公約
小黒:上げないと言っているが、他方でベーシックインカムという話が出てきたりしています。年金や生活保護とかをスリム化するかわりに導入するのが、ベーシックインカムです。もし、そういうのを志向しているのだとすると、かなりこれまでと全然違う社会保障を構築しようとしているのだと思います。ですが、果たしてそういう議論を党内できちんと話した上で出したものなのか、私はなんとも評価出来ないのが現状です。
亀井:ええ、全く信用できない。日本は、政府に依存する仕組みばかり作ってきた。これは人口ピラミッドがある種、正のピラミッド型の状態であれば機能します。なぜなら現役世代で支える数が少なくなるのだから。ただ、これが今は釣鐘型、逆ピラミッドになっている。そうなった時に、高度成長期に設計したものが上手くいくはずがないというところがとても大事だし、先ほど自助、公助、共助という話がありましたが、社会に勇気を持って委ね、個々人がそれなりに担うというような社会にしていかないと、本当に辛い社会がこれからやってくる。従来型の個人主義で、それはお前が悪いからお前が引き受ければいいじゃないか、ということではなくて、介護というのは誰にも起きるリスク。これを、政府を通じてのみならず、社会全体で支え合うということを言う政治家が出てこなければ、自民党は保守のはずなのに、政策的には社会民主的だということだと思いますね。そういう中で社会民主的な人が「希望の党」を作って、ベーシックインカムについてもバラ撒き型だと理解し、その一方で消費税を凍結するというのは意味のわからない話ですし、ある種の分裂状態が見られる。ですから三極は全く整理されていないと思います。
小黒:一点だけ。「希望の党」が出している中に「道州制」というものがあります。これはある意味で地方分権の中で議論されてきましたが、医療・介護などの空間的な公共サービスを供給あるいは管理するために自治体があるといっても良くて、これは意外と社会保障と関係しています。この意味で、地域医療構想などとの関係を含め、国と地方の関係というのも実は重要なテーマだと思います。
加藤:そこまで本当に考えて「道州制」を出しているのかどうか。個人的に一番良くないのは、全く見えないところっていうのは、有権者を馬鹿にしているのではないかと思う。何を求めて投票するのかという軸を出さないで、ただ単に集まったり離れたりしただけで、社会保障制度についてどう考えているかを判断出来ない。「希望の党」にしても何の議論もないままに、我々が投票するのは無理だろうと思う。逆に言えば、早くそういう判断材料を出してくれなければ、そういう判断は出来ないかなと。
亀井:マニフェストは信用出来ないです。だとすると、自分の地域の候補者はこの三年間何をやってきたかですよ。国会に出て質問だけしていたかもしれないが、何を質問してきたかですよね。野党議員に関して言えば、国会の中でその人はどの分野にエネルギーを注力してきたか。具体的にやってきたことが、その人のホームページに載っていないのであれば、それはその人の責任ですし、そういうところをしっかりと比較して、自分の関心に近い人かどうか。その人は誰のためにやっているかなどを、その政治家を判断する上でもう一度見なければいけない。今回私は、そこに帰結すると思います。
工藤:三党合意があってから、今ようやく消費税を上げるところまで来たのですが、そうしたら今度は、別の問題に沢山お金を使わなければいけなくなった。課題にどんどん追われてしまい、解決策を出せなくなっているのではないでしょうか。本当に危機だと思っているのですが、この状態の解決を今の日本の政党政治に期待出来ますか? 期待するとしたら、何をしたら変わるのでしょうか。
加藤:一つだけ申し上げたいのが、時間軸が全然違いすぎるということ。四年間の責任と、ずっと先までの責任。例えば、消費税についても、上げないというのは、今はいいかもしれないが、将来に対する責任があるので、政治の中で解決すべき問題と、政治を超えた中で、日本全体で合意していかなければいけない問題と分けていかないと、全然取り付く島がなくなってしまうんじゃないかという気がします。
政権選択で何を選択する?
亀井:二大政党制が戦前に壊れた時は政党が自ら壊した。私は今回、それにとても似ていると思う。ただあれは、普通選挙が施行されてすぐの話だったが、政党自ら政党を壊さないでほしいなと思います。
小黒:加藤先生と亀井先生と私などがメンバーで、東京財団で財政の長期推計を出していました。やはりそういうのも結構重要な政策ツールで。時間軸で、財政が社会保障の関係でどうなるのかというのを見て、国民が議論していくという環境を政府も作っていくことがまずは一番重要かと思います。
工藤:立憲民主党はこの問題についてどう言及しているのですか?
亀井:まるで見えない。だって憲法を守るということしか言ってないから、当たり前の話です。
工藤:ということは、今回の政権選択は何を選択すればいいのでしょうか。
亀井:選択出来ない。だから政党で見ない方がいい。
工藤:今の社会保障制度に関してマニフェストも出していないし、中身も亀井先生が言っているように、信用出来ないと。という状況においてみれば、小黒さんが先ほど言ってましたが、社会保障のサービスを何でも出す、というのは有り得ない。ではどういう形でそれを絞り込んだり、どういう形でやっていくかというのを、どれぐらい考えているのかというのが一つになる。それから皆さんおっしゃったように、現実をまずちゃんと知っているのか。そしてどっちの立場にたって考えているのか。それから政府が出来ることはこういうことなんだと。そういうことを堂々と言える政治家はいるのか。以上が今までの話の中で出たと思うのですが、これ以外に何かありますか?
小黒:あとやはり、繰り返しになりますが、我々自身の発想を変えることも必要。人生もだんだん長くなってきて、60歳でリタイアして、その後年金などの社会保障を受けるというのは難しくなっているので、そこについても考え方を改めるということが求められていると思います。それから地域の関係もそうで、国がだんだん難しくなっているということは、我々がやらなければいけないということで、個人でやるのか地域でやるのかコミュニティーでやるのか、いろいろ議論を深める必要があります。
工藤:私も本当にそう思います。ただ個人が、これが自分の運命なんだと割り切る社会は良くないと思うんですよね。そのために政治があって、一票があって、その競争があって、それをちゃんと有権者側が取り組んでこなかったという意見もあると思うのですが、しかしやはり政党政治というものがここまで脆弱で、課題解決の意味がほとんど無いという状況における民主主義の建付を変えないと、民主主義が無くなってしまいます。民主主義はこの機に、どう変わればいいのか。社会保障制度を争点にして、こういう形に分けてほしいなどの意見ございますか?
政治は哲学を語れ――果たして、社会が支える命を語れる政治家はいるか
亀井:私は、政党が哲学を持ってほしいんですよ。これからの社会はどうなるのか。あるいは、例えば、今日のテーマである社会保障というのは、どう生きてどう死ぬか、個人にとって一番大事なことなんです。この生きる・死ぬを、みんなでいかに支えるか、あるいは政治を通してどう支えるか。社会を通じて支え合うということは具体的にどういうことなのか、実は、これが最も大事な哲学だと私は思うんです。これを語れる政治家が本当にいるかどうか。私はいると思っていますが、そういう人たちがもっと声を出していける政治にしていかなければいけませんし、政党そのものも、そういう議論が出来ないといけないと、私は思います。
小黒:まさに亀井先生の仰る通りで、そこが一番重要なんですが、やはり前提条件として、財政の現状などのファクトを整理する必要があります。当然、成長も重要で、これまでは成長で得た増分を使って社会保障を回してきたものの、もうこれは限界にきているので、そこについての認識もきちっと共有していくのが重要だと思いますね。で、そこに新しい社会保障に関する哲学が出てくるということだと思います。
加藤:僕も哲学は大事だと思います。あとは先を見る力ですね。やはり小黒先生も指摘されましたように、我々の寿命が延び、社会全体が変わっていく中で、先を見た形でビジョンを提示できる政党でなければいけないと思います。哲学と先見性がなければ政治は語れませんし、我々の生活を良くするということが出来ないと思うので、それには期待したいと思うのですが、果たして期待していいのかよくわかりませんね。
工藤:今日は、時代状況における本質的な課題について皆さんに議論していただきました。言論NPOは2012年に、我々有権者は政治家に白紙委任はしないということを提案して、これまで約3900人が同意しているのですが、今回の選挙中もこの考え方を広めていこうと思っています。つまり、有権者が自覚を持ってこの時代の課題に向かい合う。そして政治に対して、きちんと課題を見据えていく。政治が何をしていくのか自分でもちゃんと調べて、考えていく。ですから知識層の役割も非常に重要になってきていると思います。そういう動きをすることで、政党自身が真摯に政治に向き合うよう、もっていかないといけないのではないでしょうか。社会保障というものが、これからの日本にとって最大のイシューであり、自分たちの人生にとっても最大のイシューであるということを考えて、こうした問題から今回の選挙に臨む流れを作っていきたいと思います。本日は皆さん、有難うございました。