セッション2:積極的平和主義によって何が実現されたのか
工藤:それでは、具体的な評価の議論に入りたいと思います。実績評価の対象となる外交と安全保障の項目は8項目あるのですが、第1セッションで議論された戦略的な考え方とか視野を踏まえて政策が組まれています。まず、「国際協調主義に基づく積極的平和主義を積極的に実践する」という項目があります。2014年の総選挙の時は、「積極的平和主義の立場から、地域や国際社会の平和と安定に一層貢献する」という表現になっていたものです。
次に、「日米同盟を基軸に戦略的利益を共有する韓国はじめ中国ロシアなど近隣諸国との関係改善の流れを一層加速する」という項目があります。さらに、「オーストラリア、インド、東南アジア諸国連合(ASEAN)、欧州など普遍的価値を共有する国々との連携を強化する」という項目もあります。まずこの3項目について、実際にどのような成果があったのでしょうか。
積極的平和主義とは何か
道下:まず、「国際協調主義に基づく積極的平和主義」という項目ですが、積極的平和主義という言葉を使うからある意味で分かりにくいのですが、要は国際協調主義ということなのですね。これに対置する言葉は消極的平和主義と呼ばれていますが、これの意味は孤立主義なのですね。
今までの日本は、安全保障問題については世界のごたごたに巻き込まれないようにしていました。最近、日本人は「トランプ新大統領は孤立主義なんじゃないか」ということで心配していますが、実は日本自身がずっと孤立主義であり、アメリカは国際協調主義だったわけです。それが皮肉なことに、日本がようやく重い腰を上げて国際協調主義に向かいつつある現在、今度はアメリカの方が国際協調主義から孤立主義にバックトラックしているということで、非常に居心地が悪い状況になっています。
次に、韓国との関係についてですが、2015年の12月に慰安婦問題をはじめとする各種の問題に一応のけりをつけた結果、今年から安全保障関係も徐々に良くなってきました。特に最近ではGSOMIA(軍事情報包括保護協定)という、日本と韓国の間でセンシティブな秘密度の高い情報でもお互いにきちんと交換できるという枠組みを作ることができ、それに基づいてすでに情報交換が始まったという非常にポジティブな動きがみられます。
ミサイル防衛も北朝鮮の脅威が高まっているということを背景に、韓国は中国からの圧力を跳ね返して、THAAD(最終段階高高度戦域防衛システム)というある程度射程の長いミサイル防衛システムをアメリカが韓国に配備することを容認しました。日本はミサイル防衛に非常に力を入れていて、ほぼ1兆円近くお金を投資していますが、これは日本だけやっていたのでは意味はないわけです。北朝鮮の脅威に対する場合、韓国、アメリカ、日本という3か国のミサイル防衛のシステムを連接して運用することで最も高い効果が上がりますので、THAADの韓国配備によってある程度そういう体制ができつつあるというのは非常に前向きな動きです。今後の課題は、アメリカと韓国が持っているミサイル防衛システムと、日本とアメリカが一緒に運用しているミサイル防衛システムを、どこまで連接させることができるかということになります。
ただ、そこで心配なのは、韓国の保守政権はこれまで比較的安全保障に積極的で、アメリカとの協力に積極的だったのですが、その保守政権、すなわち朴槿恵政権が、非常に厳しい情勢に立たされている。これが日韓関係の今後に向けた不安定、不確実要因です。
神保:まず、積極的平和主義という言葉は安倍政権の安全保障政策の積極化という方向性を位置付ける上では大変ポジティブな役割を果たしたと思います。
ただ、国際情勢をみてみると、ここ数年で大きな変化があります。10年前、日本はアフガニスタンの問題に関してインド洋で給油をし、イラクの問題に関して人道支援や海賊対処をして、PKOをゴラン高原などいくつか送っているという意味では、日米同盟に焦点を置きつつも、グローバルな問題に対して地球大で活動を展開していた。ところが、この5年ぐらいでみてみると、中国はあるは、北朝鮮はあるはということで、日本の近隣の問題の深刻度が比べものにならないぐらい重大になって、安全保障上のプライオリティがぐっと地理を縮小し、かつ濃縮になったということだと思うのです。
昔、よく海外の日本研究者は「日本は活動範囲をどんどん拡大していく。それが普通の国になるということだ」というリニアな拡大仮説を立てていましたが、問題は相対的に決まってくるのであって、私は全くそういう見方はしていません。「積極的平和主義」という語感からは、「グローバルに拡大していく」という志向が感じられますが、では日本が10年前と比べてどれほど活動範囲を拡大させたのかをみると、意外とそんなことはない、むしろ近隣の問題を安全保障の主軸に置いている。
確かに、南スーダンのPKOには参加していますし、新しい法律の下で任務も拡大されました。しかし、他のPKOはどうでしょうか。難民の問題はどうでしょうか。シリアはどうか、アラブの春の後に苦しむ中東、北アフリカのガバナンスの問題にどのぐらい積極的に関わってきただろうかというと必ずしもそうでもない、というのが私自身の評価です。
そうすると、「積極的平和主義というのは何を達成しようとしたものだったのか」というところは問い直してもいい。これが間違っていたのか、それともそうではない他の情勢によって変化したのかということについてはしっかり考えてみる必要があると思います。
積極的平和主義も結局国益の範囲内にとどまる
工藤:もともとこの積極的平和主義というのは、何を意味しているのか、どのようなことをやるのかよく分からないところがありました。それは国際協調の枠組みだということですが、世界の課題に対して日本がどのようにするのかということの論理構成で考えると、どういうかたちで何をするのかということがやはりよく分かりません。
道下:国際協調主義というと、何となくグローバルでユニバーサルで普遍的な価値を標榜している、というイメージがあり、実際そういう面もあると思います。ただ、日本を取り巻く現実としては、先程神保さんがおっしゃったように、北朝鮮あり、中国あり、ということで非常に周辺環境が厳しい。そういう中での国際協調主義となると、それは日本と地域の安全を確保し、バランス・オブ・パワーを確保するなど、平和と安定を維持するための手段としての国際協調主義になる。現実の日本の国際協調主義はそちらの方を突き詰めていっているわけで、国際協調主義自体に何らかの価値を持たせてはいないというのが安倍政権の安全保障政策の本質だと思います。
工藤:それはどう評価すればよいのでしょうか。やむを得ないという評価でよいのでしょうか。
神保:特に日本の場合、冷戦後は周辺地域の脅威も低かったですし、「失われた10年」に入りつつある頃ではあったものの、経済的にもまだ余裕があったということで、グローバルな安全保障に寄与するということは合理的だったと思いますが、今は財政的も厳しく、周辺の安全保障環境も厳しいということですから、そこではかなり絞りながら合目的的に限られた安全保障資源を使うという方が合理的ですので、そういう意味では正しい方向を取っていると思っています。
工藤:例えば、シリア問題で、日本ができることは人道的なサポートやキャパシティビルディング、制度インフラなどになると思いますが、日本は軍事面での積極的なコミットメントよりも、そういう周辺的なことしかできないというかたちに落ち着いたことは現実的な対応と考えればいいのでしょうか。こうした問題で日本の取る位置というのはなかなかみえないのですがどう考えればよいのか。少なくとも安倍政権はどう考えているのでしょうか。
神保:安倍政権の「地球儀を俯瞰する外交」というのは、国益の延長論として世界をみた場合に、最終的には日本のためになるかどうかという文脈で地球儀を回しているわけです。ところが現在、先進国の国益を重ね合わせただけでは解決しない問題はたくさんある。人道問題もそうだし、破綻国家もそうだし、南スーダンもそうかもしれませんが、そうした状況の中、果たして国家は自らの国益と直接関係ない領域で自らの兵士を死に至らすようなリスクを負うことができるかという問題に直面せざるを得なくなっている。例えば、カナダはアフガニスタンで150人ぐらい自国の兵士を失っている。これは過去20年ぐらい国連が抱えてきた問題でもありますが、高邁な理想主義と世界の秩序の中で先進国が力を込めずして誰がこの問題を解決できようかというところに投影できるかどうかという問題がある。もちろん、その背景にはリアリズムもあるのですが。
日本も例えば、真水の国際貢献とか国際的なリスクを負うということになった場合に、日本の周辺関係と資源の有限性などを鑑みると、なかなか10年前、20年前にあった国際貢献論を単に理想主義の文脈で進めていくのは極めて厳しくなったと思います。そのような時に、自衛官がリスクのある業務をして、何らかの危害が及んだ場合に果たして国家として何を引き受けるべきなのか、という議論は日本の社会では十分にできていないというところがポイントになると思います。
工藤:そうですね。だから、言葉だけが先行して意味を持っているけれど、現実的には日本にとっての最終的な直接的な国益を考えながら、というかたちに結果としては着地していますよね。
神保:もちろん、日本がなにもやっていないかというとそうではなくて、JICA、JBICなど、紛争後の平和構築に関する資金支援、制度支援、人的支援というのはちゃんとやっている部分はあります。ところが、想定していたスケールを遥かに超えた深刻な問題が世界で起こっていて、そこに対して日本は本当にコミットしないのか、と。難民も受け入れなければ、いわゆる武器使用、多国籍軍の介入といった問題も基本的には価値判断しないわけです。ここはやはりメジャーパワーとしての価値判断にコミットしないでおくのが日本の合理的な選択なのだというのか、それとももっと積極的に関わるべきなのか。そこをどう考えているのか、というのは一つの指標になります。
道下:グローバルな国際貢献というものと、大国政治のせめぎあいという二つのものが合体している部分もあります。例えば、中国は非常にPKO活動を積極的にやっていて、ハイテク兵器を導入する一方、兵士が多いので、PKOに非常にたくさんの人員を送ることができますが、そこで彼らは何を狙っているかというと、そういう貢献をして、最終的には平和維持活動局(DPKO)という国連のPKO活動を司るところのトップのポジションを、フランス人から奪って中国人をつけるというのが目的と考えられています。これはグローバルなツール、国際協調主義的なツールを用いてはいても、実際はパワーゲームの一部でもある。そういうものにも日本がどのように対応していくのかということも考える必要があると思います。
工藤:結局、積極的平和主義というのは、色々な意味が考えられる、と。今の国際的な秩序なり課題が大きく深化していく状況の中では、本当は理念を統一したり、国民レベルで考えるべきですが、安倍政権はそこには来ていない。やっていることはやっているが、それが世界的な大きな変化とか状況に見合ったものかどうか、判断するということはまだ我々はできないということですね。