第一話 消費税増税の再延期をどう受け止めるか
工藤:言論NPOの工藤泰志です。さて、言論NPOは、今年7月10日の参院選に向けて議論を開始しています。今日は、消費税、そして財政問題について議論を行いたいと思います。
先日の伊勢志摩サミットは、私も「非常に成功した」と評価していました。しかし、その後、私も非常にびっくりしたのですが、安倍首相は、サミットを利用したかたちで、「リーマンショック並みの事態は発生していないが、世界経済は厳しいリスクに直面している」と、消費税引き上げを2年半延期することになり、6月1日の国会会期末に正式に表明しました。
私たちは、この消費増税が、将来の社会保障や日本の財政再建などのいろいろな意味で、「財政規律を整えながら、増税に関しても痛みをきちんと覚悟しなければいけないのではないか」と議論してきたのですが、今回も選挙を前に2年半延期ということになりました。
こうした状況を日本の財政再建と絡めながら、どう読み解いていけばいいのか、議論してみたいと思います。ということで、今日は、非常に熱い人たちをお呼びしました。日本経済新聞論説副委員長の実哲也さん、大和総研主席研究員の鈴木準さん、法政大学経済学部教授の小黒一正さん、東京財団研究員で立教大学大学院特任教授の亀井善太郎さんです。今日は非常に正義感のある4人の方と一緒に議論します。
まず、消費増税の延期という問題ですが、2014年12月の総選挙で、安倍首相は、「1年半の延期について国民に信を問う」、しかも「次は絶対に増税する」と説明しました。しかし、また延期になるということは、国民に対する説明や民主主義の仕組みも含めて、いろいろな意味で問題があります。ただ、皆さんは経済の専門家ですから、経済的な意味にフォーカスしながらきちんと押さえてみたいと思っています。
ただ、私たちにとっては非常に大きなニュースだったので、これをどう受け止めたのか、一言ずつお話をお聞きしたいと思います。
世界経済、日本経済が悪くない中での増税先送りは、残念な決断
実:安倍さんが消費税増税を先送りしたいという話は早い段階から伝わっていましたので、個人的には驚きはあまりありません。ただ、今年1、2月の時点では、世界経済がこの先どうなるか分からないようなところもありましたが、その後ある程度安定してきた中で、安倍首相は「リーマンショック」という言葉を使いました。その後の会見では「リーマンショックのような状況ではないのだけれど、新しい判断だ」という言い方をしていましたが、そこは少しつらい説明だったとは思います。
工藤さんも言われましたが、今、日本の財政は非常に厳しい状況にあり、これから困難な状況が続いていきます。全体的に見て、世界経済が悪くなっていない中で、日本経済も潜在成長率程度には推移している段階の中で、増税を先に送ってしまうと、「では、一体いつできるのか」という話にもなってくると思います。そういう意味では、残念な決断だったのではないでしょうか。
結果的に着実な増税ができていない立法府の責任を考えるべき
鈴木:私は、延期すべきではなかったという立場です。もちろん、首相の判断は、内外の政治と経済の情勢を総合判断した結果だと思いますが、踏まえておきたいのは、これで増税を二度延期したという事実です。そして、実は1回目と2回目ではだいぶ性格が違うと思います。1回目は、弾力条項というものがあって、つまり、立法府が政府に対して「引き上げる前に判断しなさい」と求め、それに基づいて延期を判断したわけです。今回は弾力条項がなく、政府には判断を求められていないわけです。しかし、「新しい判断」という言葉で延期をした。
増税でも減税でもそうですが、税制を変えることができるのは国会だけです。租税法律主義が憲法に規定されていることからも、実は、国会の責任は非常に大きいのではないかと、私は思っています。2012年の春・夏の国会で、衆参両院とも8割近い賛成票で、消費税を10%まで引き上げるということを決めたわけです。もちろん弾力条項もつけたわけですが、それを今度は15年の国会で、衆院の賛成多数、参院は6割くらいの賛成で弾力条項の削除と17年4月に延期した上での増税を国会が認めたわけです。
さらに、今の国会を見てみると、野党も増税反対ですし、意見は様々とはいえ、与党も「延期やむなし」という感じになっています。立法府の意思が一体どこにあるのかよく分からないという状況だからこそ、こういう判断を首相ができるということだと思います。したがって、私はもう少し立法府の責任を考えるべきではないかと考えています。
アベノミクスに対する説明と増税延期の整合性が問われるている
小黒:今、鈴木さんが言われた話は、まったくその通りで、私も今回の増税については延期すべきではなかったと思っています。ただ、「なぜ延期したのか」という一番大きな要因として、首相自身も会見で言われていましたが、「デフレ脱却」を一番の重点に置いて説明されているということです。もしそうであるとすれば、最初からそういう説明をすればよかったのですが、今回の伊勢志摩サミットで出てきたいろいろな説明の仕方や資料と、ちょっと整合性がとれないという感じになっています。その辺は、6月1日の記者会見で、首相自身も「今回は無理のある延期だった」ということを、暗に認めているのではないかと思います。そういう意味では非常に残念です。
あと、もう1つ、矛盾すると思われる部分があります。野党と国会でいろいろ議論する中で、「アベノミクスは成功しているのか、していないのか」という議論があるわけですが、その中で、有効求人倍率とか失業率とか、いろいろなデータを取ってきて、「史上空前の景気回復の過程にある」と説明してきたわけです。そういった説明と、今回の増税の延期との整合性をどう考えているのか。このあたりは、国民の方々もぜひ、今回の選挙を通じて深く考えていただいて一票入れる、ということが必要なのかなと思います。
悪しき前例を作った今回の消費増税の見送り
亀井:3つ指摘したいと思います。1つは、負担を先送りする「決められない政治」の悪しき前例をつくってしまったということです。これは先ほど鈴木さんからも話がありましたが、与野党相乗りでそういう構造をつくってしまったというのは、日本政治の危機だと思っています。
2つ目は、この裏返しになるのですが、今の我々の選択で、今産まれていない人たちの選択を歪めてしまっているということです。今回の参議院選挙、また次に衆議院選挙もあるかもしれませんが、そこで我々が投じる一票というのは、実は、我々の負担を先送りすることであり、それを是認してしまえば、結果的に今産まれていない人たちの選択を狭めてしまうことになるのです。よく「日本は財政破綻するか、しないか」という議論がなされますが、破綻しようがしまいが、問題を先送りしているのは間違いないわけであって、そういう意味では、問題を先送りする社会、政治だけではなく社会をつくってしまうというのは、大変危険なことではないかと思います。
最後に、先ほど立法府の話がありましたが、政策決定プロセス、意思決定プロセスが完全に無視されたというのが、3つ目の課題だと思っています。今までは、良いか悪いかは別にして、与党税調があって、ここでそれなりに、国民の代表である国会議員たちが議論をしていました。最終的には法律で決まるという租税法律主義、あるいは財政民主主義というものが憲法に書いてありますが、そういったもので立法府が決めることが極めて大事なわけです。しかし、今回は、閣僚の間ですら真面目な議論がなされた感じがしない。ものの決め方について悪しき前例をつくってしまったというのは、非常に危険なことではないかと感じています。
工藤:皆さんの話を伺うと、日本の将来や民主主義のあり方などに関して、いろんな問題点や疑問が出てきました。しかし、そこまでして安倍さんが消費税増税を2年半延期しなければいけなかった本当の理由は、何なのでしょうか。
安倍さんは前回の選挙で「次は上げる」と国民に約束しましたよね。政治家が国民に説明するのは、ある程度の約束だと私たちは期待したいのですが、なぜ延期しなければいけなかったのでしょうか。
安倍首相が消費増税を見送った理由とは
実:安倍首相の気持ちに成り代わって言うのも変な感じですが、私のイメージで言えば、安倍首相自身は、とにかく「デフレ脱却」ということを最優先にして、デフレ脱却に少しでもマイナスになることはしない、というのが根底にあって、安倍首相の周辺の方々の考えだったと思います。安倍首相もデフレからの「脱出速度」のような話で、「デフレ脱却のためには速度を上げるのが一番重要だ」というのは、最初から言っていたことです。
私自身の印象でいうと、最初に消費税を上げたことで「経済がマイナスになってしまったではないか」という意識がすごく強くて、さらに引き上げると、自分の任期中にまた経済が悪くなってしまう、という思いがあったのではないでしょうか。政治的な理由もあるのかもしれませんが、安倍さんの頭の中でそのような考えがあったがゆえの決断なのだろう、と思っています。
鈴木:選挙の前だから、というのが一番分かりやすい説明かもしれませんが、もう少し真面目に考えてみると、増税をすると、ある意味で財政に少し余裕が生まれます。すると、歳出を増やしてしまう。増税しても歳出してしまうと、結局、収支は改善しない、ということが起きます。小泉純一郎さんは消費税の増税を封印して、歳出改革を行いました。歳出改革をやっていくことが増税と合わせて必要なのですが、増税延期を好意的に解釈すれば、増税をすると歳出改革が緩むという懸念は1つあると思います。
もう1つ、デフレ脱却が第二次安倍内閣以降の一丁目一番地の政策です。今、消費者物価はまたマイナスになってしまっています。結局のところ、これまでいろいろな政策をやってきたけれどもデフレ脱却はできていない、ということですから、そういう中で増税をしていいのか、ということはあるのだと思います。
小黒:日本銀行などが出していますが、物価のデータを細かく見れば、コアCPI、つまり生鮮食品などを除いたエネルギーを含むインフレ率で見ると、確かに、消費税を引き上げた時からインフレ率が押し下げられているように見えます。しかし、実は同じころから原油価格が急落しているので、インフレ率自体はエネルギーを除くとほぼ横ばいなのです。そういう視点で見ると、インフレ率自体が大きく下落したトレンドは、原油価格の下落というものが大きくて、消費税の影響がまったくないとは言えませんが、どちらかと言うと割合は小さい。ただ、実際の原油などを含めた物価を政策のターゲットにしていますから、それを引き上げるためにどうするか、という話が出てきていたのかな、ということです。そういう意味で、少し誤解が入っている部分がけっこうあると思います。
工藤:ただ、今まで安倍政権は、国民に対しては「アベノミクスは成功していて、好循環はまだ強いものではないかもしれないけれど始まっていて、それを地方に波及させる」というストーリーで説明していましたよね。つまり、国民には、好循環はある程度動いている、と説明しているわけです。ということは、今の皆さんの話を伺っていると、アベノミクスの評価という問題に入らざるを得ないのではないでしょうか。
2025年以降、財政をどう運営していくかという視点が欠けている
亀井:私は、そこは違うと思っています。経済再生はそれなりの成果があるのだと思います。デフレは相当深刻だったし、そこは一定の効果があった。ただ、一方で副作用が生まれつつあるのは事実で、これをどう考えるかは別の話です。要は、財政政策と金融政策がこれだけ密接に関わり合ってしまった中で、財政にもしも何かがあった場合には、国民社会に様々な影響を及ぼす。こういう話は別のものとしてあるのですが、あえて誤解を恐れず刺激的な言葉を使えば、安倍首相は裸の王様だった可能性があるのではないかと思っています。
我々国民もそうなのですが、今、財政について政府が出している数字できちんと見ることができるのは、2024年までしかありません。したがって、「2024年まで、この国はどう推移するだろうか」と考えて決めている。おそらく内閣府がその推移をつくっているわけで、経済財政諮問会議にもこの指標が提出されて、首相も含めてこれを見ながら考えている。ただ、財政が本当に厳しくなるのは、団塊世代が後期高齢者に入る2025年以降です。そこから先が厳しいことを考えて財政運営をしなければいけません。したがって、経済再生があって財政健全化をしなければいけない。この両輪をどうやって回すか、ということが大事なのですが、政策を判断する人間の耳にどうしても、経済再生の方の情報しか入らないので、財政健全化は後回しでもいいのではないか、自分の任期以降だ、と思ってしまう。しかし、実際は財政健全化も今からやることが大事なのです。安倍首相が判断するにあたって様々な情報が周辺の人たちから入ったと思いますが、率直に言えば財政再建の情報は入らなかったのではないか。「王様、それは違いますよ」と言う人がいなかったのではないか、という気がします。これはすごく大事なポイントだと思います。
工藤:非常に分かりにくくなってしまったのが、今度は「新・三本の矢」が出て、日本政府は国民に対して、人口減少や高齢化という現実の課題に取り組む姿勢を示し始めています。ということは、政策論としてはある程度現実的な対応に入ってきたと言えます。ただ、そのためには、ある程度、経済再生の成功が前提だったのだと思いますが、月例経済報告や、政府が出している経済の見通しを見ていても、国民的には、今、それほど大きな危機が起こるという認識ではありません。
すると、実さんの話に戻りますが、当初からデフレ脱却という問題にそこまでこだわっていたという状況になると、今、消費税引き上げをするとデフレ脱却という目標が実現できない、ということを判断したという認識でいいのでしょうか。
実:先ほど言われたデータというか、まさに東京財団などでやっておられる独立的な推計が重要だと思うのですが、安倍首相の中に、単に「経済が悪いので財政が悪くなった。経済を良くさえすれば問題が解決される」という意識がある。それが、さっきの「裸の王様」という状況なのではないかと思います。しかし、数字を明確に見れば、もちろん経済の成長も重要ですが、同時に税収を増やすための増税や歳出削減もやらないと日本の財政はもたないのだ、ということがある意味で基本的な常識だと思います。そこのところの認識が甘いというか、欠けていると思います。
工藤:確かに、歳出削減にきちんと向かい合い、本格的に実現するというかたちで首相がリーダーシップをとっているとは思えません。やはり、経済回復に重点を置いた。しかし、日本で急ピッチに進んでいる人口減少、高齢化という問題から、誰もが将来に対して不安を持ち始めているという状況において、消費税の引き上げを先延ばしするという決断をしたことは、かなり危うい決断かもしれないという感じがしないでしょうか。
小黒:今の文脈で言うと、象徴的だったのは、2009年に自民党から民主党に政権交代したときまでさかのぼると思います。小泉政権時に増税を封印して、歳出削減、特に社会保障の改革に切り込みました。後期高齢者医療保険制度など、いろんなところに手を突っ込んで改革したわけですが、その結果、医療を含む社会保障関係の分野から「悲鳴」が上がりました。私は、あの改革自体はかなり踏み込んだ改革だと思いますが、これからやらなければいけない改革に比べれば、はるかに軽い改革だと思います。その改革の最中、自民党は政権を失ったしまった。いわば、構造改革とか社会保障改革疲れで、そうした改革に手をつけると政権を失う、したがって増税も難しい、歳出削減も難しい、という思いが強いわけです。では、残る選択肢として何があるかというと、成長だ、成長したらうまくいくのだ、という情報がたくさん入って来れば、そこに寄りかかってしまう。特に、成長の中でもインフレ率が問題で、ここがある程度回復すれば財政再建が進むかもしれない。そういった楽観論のようなものが、最終的に増税判断をゆがめてしまった。インフレ率が上昇すれば国債金利も上昇するため、現実はそうではないのですが、そのようにゆがめてしまったということが、一番大きな影響だったと思います。