被災地に向けたボランティアの動きをどう立て直すか

2011年6月16日


第1部 被災地のボランティアはなぜ減ったのか

工藤泰志 工藤:こんばんは。言論NPO代表の工藤泰志です。今日の言論スタジオは、「被災地のボランティアは、なぜ減ったのか」ということをテーマに、みなさんと議論したいと思っております。まず出席者を紹介します。大阪ボランティア協会の常務理事で、阪神淡路大震災の時にボランティアの取りまとめ役をやった、早瀬昇さんです。早瀬さんよろしくお願いします。

 早瀬:よろしくお願いします。



工藤:それから、今駆けつけてもらったのですが、とちぎボランティアネットワーク事務局長の矢野正広さんです。よろしくお願いします。

 矢野:よろしくお願いします。



工藤:それから隣が、大学評価・学位授与機構の准教授で、NPO問題の専門家でもある田中弥生さんです。田中さんよろしくお願いします。

田中弥生氏 田中:よろしくお願いします。



工藤:さて、震災からもう3カ月も経とうとしているのですが、被災地はまだ瓦礫の山で、11万人以上の人がまだ避難所にいます。やはり、避難されている方の一人ひとりに寄り添うというか、その人たちの生活再建を考えると、多くのボランティアの参加が必要なのですが、この前のゴールデン・ウィーク以降、メディア報道を見ると、何かボランティアの数が減ってきていて、何か盛り上がってないという話が結構出てきています。
この問題をどう考えれば良いか、ということが今日のテーマなわけです。まずは被災地のボランティアの状況が、今どのようになっているのかというところから、話を始めたいのですが、田中さんどうでしょうか。

様々なドラマは始まっているが・・

田中:はい。ボランティアが減ったということについては、2通りの見方が私はあると思っています。1つは、いわゆる社会福祉協議会を通じて、ボランティアをされた方たちの数をみるという話もありますが、それ以外にも色々な方がボランティアをされています。お医者さんたちが、ボランティアで患者さんたちを移送したり、あるいは企業でも、例えばヤマト運輸さんの救援物資輸送協力隊ですよね。これも最初ボランティアで動いていました。それから学生さんでネットワークを作って、ユースフォー311といって、もう1800人くらい学生を送っているところもあります。色々なドラマが生まれています。これらを全体で見たときには、結構、日本のボランタリズムというのは盛り上がっているなと思います。

ただ、前者の社協のデータだけ申し上げますと、工藤さんが感じていることに少し関係すると思うのですけれど、3月からの累計で社会福祉協議会を通じてボランティアに出かけた、岩手県・宮城県・福島県に行かれた方たちの数が36万7400人です。そして、ここは毎週データを出されているのですが、やはりゴールデン・ウィーク中がピークで、1週間で5万4000人くらい行かれたのですが、では6月以降はというと、2万4000人くらいですから、数は半減しています。そういう意味では、減っていることは減っている。


それからこれは早瀬さんの方がお詳しいとは思うのですけれども、阪神淡路大震災とどうしても比較をしてしまうのですが、本当は単純に比較をしてはいけないのですけれども、1か月で60万人入ったという数字も報道されています。

工藤:阪神淡路大震災の場合ですね。

田中:ええ。それと比べると少ないのではないか、という印象を強く与えていると思います。それと私がどう感じているかということですが、もう少し元気があってもいいかな、あるいは、ボランティアももっと色々な、多様なものがあってもいいかなということは、感じていますので、それは後ほどお話したいと思います。

工藤:早瀬さん、阪神淡路大震災のときは色々な人たちがリュックサックを背負って被災地に行ったり、かなり人が殺到したという状況があったのですが、どうですか。比較というのですか、早瀬さんは、今回のボランティアというのはどう感じていますか。

早瀬:僕は逆に良くあれだけの遠隔地に、かなりの自己負担で旅費を払って、これだけの人たちが行っているものだと、そちらの方を高く評価したいくらいです。阪神淡路大震災のときには、西宮北口というところはもうすでに被災地だったわけですが、大阪の梅田から電車で片道260円、16分で入れるのです。そのような中での先ほどの数字なわけです。今回は全く行くための費用も違う。それから、非常に遠いので時間的な違いもあります。さらに、時期的なことも実はあって、阪神淡路大震災のときは1月11日に地震があったのですが、その時期は大学が冬休みなのですね。今回、ゴールデン・ウィークで非常にピークになっていた、特に関東の大学はゴールデン・ウィークまで春休みが続きましたから、その時期は非常に行きやすいわけですが、授業が始まったので、その点で厳しい状況になっているという部分もあると思います。だから、僕はかけているボランティアのコストを考えると、実は阪神大震災を上回っているかもしれない。阪神淡路大震災の時は大阪なり、京都なり、大変大きな人口ボリュームのところでカバーできたのですが、今回は隣の町も被災しているわけですから、そのあたりのことも考えないといけない。そういう面ではあまりネガティブにならなくていいと思っています。


ニーズから言えば圧倒的に足りない

工藤:なるほど。では矢野さん。この前テレビで見ていたら、栃木でボランティアを増やそうというので、何かドラマ作るみたいなことをやっていて驚きました。矢野さんはボランティアを送ろうという動きにかなり力を入れて取り組んでいると思うのですが、今回のボランティアをどう見ていますか。

矢野:例えば水害ということで考えれば、水害の家の片づけとか、泥出しっていうものについては、大体分かっているので、必要なボランティアの数は大体、推計できます。津波があった沿岸部は全壊ですが、そのあとは半壊だとか一部損壊というのがずっと沿岸から2キロとか続くわけです。そういう半壊や一部損壊というところに対して、ボランティアが行くと私の勝手な推計なのですけれども、半壊と一部損壊の数が23万戸、それの8割にボランティアが11人行くと、184万人が必要という数なのです。

その11人という数は、栃木県の13年前の夏の水害があったときに、500軒の家が床上浸水なのですけれども、そこに対してボランティアが5500人必要だったという数なのです。だから、1軒に対して11人という数なのですけど、本当は30人必要なのかもしれないし、ちゃんとした数は分からない。しかし、この数字を適用とすると180何万人必要であるということになります。

この数字は津波兼水害と考えたときの、片付けの数で、その他に別のニーズを考えれば、例えば仮設住宅に行った人のケアの推計値だとかも違いますから、全然違う数字になりますが、数えやすい側面では、そういう数です。

もう一方で、例えば現場からの数字では、石巻に日帰りでボランティアにいっているわけです。そういうところでは、1軒の家を片付けるためには延べ40人が必要になります。例えば、30センチ床に積もった泥を出して、家財道具を全部出して、そして、床板はがしてその床の泥を全部取るという作業に延べ40人、2日間で、1日に20人ずつという数です。だから床上の数が何件なのか、という数で行くと、また相当の数になります。いずれにしてもボランティアは圧倒的に足りない、という状況です。


なぜボランティアの「自粛」が始まったのか

工藤:今の矢野さんは、被災地のニーズから見たら圧倒的に多くのボランティアが不足している、そのくらい今回の震災の被害は大規模だということをおっしゃっていると思います。

 ただ、このボランティアの問題は、単に数が増えないだけでなく、受け入れを自粛する状況がある、ということも報道されていました。つまり、被災地以外の人たちはみんな行きたいと言っているのに、現地の受け入れ団体が、その能力不足から処理できないので、あまり県外から来ないでほしいとか、現実に受け入れを止めてしまった、ところもある。そのあたりはどうでしょうか。

田中:おっしゃる通りで、ボランティアのセンターが、受け付けを止めました、というようなことをかなり強調して放送しているテレビ番組が目立ちましたね。その報道を目や耳にしたときに、あまりボランティア活動のことを知らない人がどう受け取ったか、です。多分、ボランティアはもう余っているのかなというのと、とにかく今は来ないでくれというようなことでしたから、自分は行けないのかな、と思った人もいたと思います。それから、ボランティアは自己完結型で来てくださいということもかなり放送したので、寝袋や食べ物、テントも持って、全部自分でやってくださいということだったので、それを見たときに、ここまで大変だと自分は行けない、と思った人もいたと思います。私の知人や学生さんたちに電話で話を聞きますと、実際に社協に電話をするのですけど、今はちょっと受け入れられませんと。実はお医者さんでも断られた人がいるのですけれども、一般の人たちがアクセスしようと思ったときに、結構シャットアウトされてしまったので、そこで難しいとか、もういらないのかなと思わせてしまったところはあると思います。

工藤:それは早瀬さんに聞かなくてはいけないのですが、確かに今回の被災地は遠いし、交通の便も悪い、ボランティアに行くのもすごくコストもかかる。けど、行きたいと思っている人は本当いたのですよ。だけど、地元の受け入れがなかなかうまくいかない。一方で矢野さんが言われたが、地元のニーズから見ればさらにボランティアが必要になっている。どこに問題があるのですか。

早瀬:そもそも重装備で行かないといけない3月、4月の中旬くらいまでの話と、それから後の情報が錯綜しています。

今回は4月28日という日が結構大切だったのではないかと思うのですが、この日は四十九日なのです。やはりボランティアを受け入れる力を被災者の方が持とうとするには、基本的に無くなってしまった命や、失われてしまった家などのことを思い続ける時期から、何とかやはり頑張ろうということになっていかないといけない。そうなっていない時に、他人に来てもらっても、はいどうぞ、とはいきにくいわけです。

水害との違いは、亡くなっている人の数が全然違います。津波と水害はやはり違います。水害でこんなにたくさんの人達は亡くなりません。だから、悲しみの重さが深すぎるので、なかなか受け入れられない。

もう1つは皆さん初めて災害のボランティアセンターをなさるので、連休だったら初日が多いに決まっていて、2日目以降どんどん減るというのが常識なのですが、初日にたくさん来たからもう閉めると言った。でも、2日目とか連休の途中から減ってくるので、またボランティアを募集していますという感じになってしまったわけです。


ボランティアを「集め、届け受け入れる」動きが作れていない

矢野:私は、阪神淡路大震災以降起こっている現象は、助け合いのグローバリゼーションだと思っています。要するに贈与経済のグローバリゼーションなのですけれども、要するに、助けたいのだけれども、全然知らない人同士での助け合いだから、本当に助けてもらっていいのかということと、本当のところ、この人は何と思っているのだろうということがわからないまま助けにいくのです。

信頼関係ができる前提でやれば、こういうことがすぐできるという関係性ができるのですけれど、それができないから、阪神淡路大震災の時も困ったわけです。

だから、当時の教訓としては、ボランティアコーディネーターという役割と、それからもう1つはそのコーディネーターが有給でずっといなくてはならないわけですから、それを支える団体としてのNPO・NGOの存在が重要になった。

その2つが必要だということで、それ以降NPO法の創設が進んだわけです。

一方で、ボランティアそのものが、そもそも少なくなっていくものだという前提があるし、ゴールデン・ウィークが終わった後は減るだろうというのは、私たちはそもそも予測していました。

だから、その前から栃木からボランティア2万人キャンペーンというのをやりまして、準備をしていて、ゴールデン・ウィークが明けたら発表しようという話をやっていたのですね。それで、マスコミそのものをそういう風に誘導していったりすることが必要なのですけど、それをNPO自体ができなかった。

それから、広域連携という形で災害のことを考えなくてはならないのですけど、阪神淡路大震災の場合は、近場から10キロ圏とか20キロ圏から歩いて行って戻ってこられるという、日帰りのコースがいっぱいできました。ところが今回は、最初の頃にそれができなかった。つまり、ボランティアを増やすためには、遠くから届ける手段と、遠くで集めて送る人達、それから受け止めるという3つの役割が必要なのですが、それを意識してつくるところまではいかなかった。

工藤:なるほど。一回休息して、次は今の話を受けて原因を考えていきたいと思います。

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