柱となる基本方針や哲学が見えなかった「補正予算」

2020年7月17日

 言論NPOは、日本政府のコロナ対策を危機管理や統治の仕組みという視点で点検を開始しています。今回は、6月12日に成立した第二次補正予算を中心に、その意味や作成のプロセスなどについて、言論NPOが定期的に実施している政策評価の評価委員を長年務めている慶應義塾大学経済学部の土居丈朗教授と法政大学経済学部の小黒一正教授の二人と議論しました。

 今回のコロナ対策について、土居氏は「基本方針」、小黒氏は「哲学」と表現しながらも、人の命を守るのか、それとも経済を守るのか、といった方針が打ち出せていなかったことが最大の問題点だと指摘しました。

 また、第二次補正予算の予備費10兆円についても、ねじれ国会であった東日本大震災の時でさえ第三次、第四次補正予算を組んだことを例に挙げ、財政民主主義という観点からは大きな問題であると同時に、野党に対しても予算の話を集中的にすべきであり、肥大化する行政への監視機能の強化を求めることでも意見は一致しました。
 
 さらに、金融政策も財政政策も拡張的に行われているが、こうした構造は長くは続けられないため、出口を見据えた議論も今から始める必要があるとの意見が両氏から相次ぎました。


kudo.png まず、代表の工藤は、今回の補正予算が一次と二次を合わせて、事業規模では233兆円、真水の政府支出は120兆円で、当初予算と合わせると、財政支出は160兆円くらいという、世界的にもかなり大きな規模になると指摘。そもそも補正予算の目的とは、何だったのか、と問いかけました。


今回の補正予算からは、「命」と「経済」のどちらを守るのか、という基本方針、哲学が見えなかった

doi.png まず土居氏は、今回のような未曽有の危機に対して、生活困窮者や経営に行き詰っている企業に給付金を出すという発想は必要だとしつつ、低所得者を特定することが行政事務的に難しいのであれば、一律10万円を出した後に、所得税を増税して高所得者だけは返してもらう、といった基本方針があれば、「一律10万円出す」というのも正当化できると指摘。しかし、今回の対策では、どういう人を対象に給付を出すのか、という基本方針が全然出来上がっていなかった上に、執行体制や方法の面でもデジタル化の遅れなどにより、未だに給付が行き渡っていない現状が浮き彫りになったと語りました。

 さらに土居氏は、当初は「1世帯に対して30万円」という方針が閣議決定されていたにもかかわらず、「1人10万円」に覆され、予算の組み換えに至ったことにも触れ、政府・与党の間で意思決定が秩序だって行われなかった証左だと指摘しました。

oguro.png 続けて小黒氏も、目いっぱい財政支出ができたとしても限界があるため、誰を救うのかという哲学が重要であったにもかかわらず、今回の対策からは「経済と命のどちらに重心を置いて国は国民の生命・財産を守っていくのか、といったメッセージが聞こえてこなかった」と語りました。


行政全体を見て、各省の役割を差配する「要」が不在?

 これに対して工藤は、首相を中心として内閣が哲学とか基本方針を決めるとして、何が機能していなかったのか、と問いかけました。

 土居氏は、安倍総理は、自分が総理大臣になりたかったのは、憲法改正や東京オリンピックを実現させたかったからであって、コロナ対策をやりたくて総理大臣になったわけではない、という感じがにじみ出ていて、それが国民に伝わってしまっていると語ります。さらに、これまでの歴代政権では、財務省が一つのかなめとして予算という道具立てを使って省庁の役割分担をさせて、求心力を持たせるというやり方があったものの、現状では「予算で司る」という形は機能しておらず、財務省以外の省庁、官邸、そして与党も、「どうせ国債増発すればいくらでも予算が出てくるだろう」という感覚になっていて、要がない状態でコロナに直面してしまっている状況だと述べました。

 加えて土居氏は、大蔵省時代の主計局というのは、単に歳出・予算をやるだけでなく、歳出・歳入両面を見渡したところでどうするかという方針を固めていく、そういう総合調整の役割を担っていたものの、小泉内閣時代に経済財政諮問会議ができたことによって、最後に調整する役割を諮問会議が果たすようになり、主計局は総合調整よりもむしろ歳出・予算、という話になってきたと指摘。その結果、主計局が政策論を語り、「歳出はこんなに増やすべきではない」等の持論を唱えるようになり、歳出・歳入両面を見渡すという総合調整の機能が薄らぎ、政策を形づくる機能がなかなか発揮できない状況に直面している、と予算編成の現状を解説しました。


財政民主主義をないがしろにしている10兆円もの予備費
強くなった内閣機能に対して、国会のチェック機能をどう実質化させるか

 次に、第二次補正予算に盛り込まれた10兆円という巨額な予備費が計上されたことについて問われた小黒氏は、予備費は一度決めてしまうと内閣が自由に動かせるお金であり、財政民主主義の観点からしても、予算というのはある程度国会で審議し、そこで決まったものを執行していくという流れがあるにもかかわらず、自由に使える予算が10兆円もあるというのは驚きだ、と話します。

 その背景として小黒氏は、衆議院の任期は2021年までのどこかで選挙をする、というタイミングもあり早く国会を閉じたいが、予備費を計上して、コロナ対策の予算だけは積んでおきたい、ということには理解を示しつつ、それでも10兆円は巨額であり、危機時であるなら第3次補正予算を組めばいい話だ、と疑問を呈します。さらに、元をたどれば国民の税金であり、5兆円については雇用関係や医療関係に使うとのフレームは示しているが、10兆円を全部、内閣の裁量に任せていいはずはなく、事後検証を促す小黒氏でした。

 続けて土居氏は、ねじれ国会であった東日本大震災の時ですら第三次、第四次補正予算を成立させており、安定多数を持っている安倍政権であれば、本来更なる補正予算を成立させればよいだけだと語りました。それ以上に安倍政権が恐れていることとして、予算委員会で予算以外のことが議論されることが明らかだと述べると同時に、国会は予算編成の邪魔だと、官邸が認識しているということの表れではないかと語り、政府・与党の財政民主主義への軽視を指摘しました。一方で土居氏は野党に対しても、予算委員会は予算の話を集中的に議論する場であって、「予算委員会をおもちゃにするな」と苦言を呈し、これまでの慣例を排して予算委員会の本来の機能を果たすべきだと主張しました。


 続けて工藤は、10兆円の予備費を含めた補正予算は成立したが、国会を開きたくない、といった政権側の理由で、国民に説明をする舞台が閉鎖されるということは、予算の在り方から見て、どう考えればいいのか。国会の形骸化を検証することはできないのか、と疑問を呈しました。

 小黒氏は、大きな問題に直面している日本は、その解決に向かっていくためには政治のリーダーシップが必要で、その象徴が官邸機能の強化だとしながらも、さらに重要なこととして、官邸機能強化以外のチェック機能をどう強めるか、という点を挙げました。具体例として小黒氏は、日本と同じく議院内閣制である英国では、議員の質問は自由であるが、日本の場合は、どの議員が何を質問するか、あらかじめ決まっており、各委員会の形骸化を指摘します。その上で、こうした形骸化した状況を変えるためには、委員長をどのように選出するのか、といったルールが重要ですあり、チェックアンドバランスを高めるという点では、例えば野党の議員が予算委員長になればチェック機能が強まるわけだが、そういった議論はない、と語り、内閣に対するチェック機能を国会にどう作っていくかが重要だ、と語りました。

 さらに小黒氏は、小泉政権時代に、当時の谷垣財務大臣が発表した「公共調達の適正化についての指針」に触れ、この指針では、一般競争入札では色々な会社が応募してきて競争が働けば、ある程度の予算執行の効率化がなされているはずだ、ということが前提にあると解説。その上で、今回の持続化給付金などの委託については、その選定プロセスが不透明であるために、透明性を高めると同時に、どのような理由で選定したのかということを後からわかる仕組みが必要だと指摘しました。さらに、こうしたことは調達に限らず、予算や公文書など、官邸機能を含めて政治的な力が増大しているときには、行政が行ったことが正しいかどうかを外部チェックできる仕組みの重要性を強調しました。


現状の構造は続かないため、改革の道筋をつけることが重要

 最後に司会の工藤から、コロナウイルスのような危機の時には、政府がある程度のお金を出して、国民を救うというのは当然だが、一方で、「多くの人たちの頭の片隅では、日本の財政が大変な段階に入っているのではないか、最終的にこれがどうなっていくのか」という問題意識もあると指摘。こうした政府の債務の膨張は世界でも起こっており、その出口をどう考えているのか、投げかけました。

 土居氏は、通常は、これだけ財政も金融も拡張的なことをすると、インフレになるかもしれない、というのが経済の標準的な理論であると解説。ところが日本は、2000年前後から、これだけ大量に流動性を供給しても、ないしは通貨を供給しても、インフレになどならなかったという事実はあるものの、そこからいつ転げだすか、ということは「自明ではない」と語ります。その上で、「客観的に見てインフレの兆候があれば、それに備えることを考えなければいけないが、『今までずっとデフレだったのだから、どうせ今後もデフレに違いない。デフレに違いないから、別に大量に国債を増発していても金利が上がらないのだから、今のうちにもっともっと出した方がいい』という悪循環に陥っていると指摘。本来であれば、結果オーライという話と、事前に不確実性があって、その不確実性にどう備えるかという話は、完全に切り離して考えなければいけないものの、現時点では切り離した議論ができていない、と悔いるように語りました。

 さらに土居氏は、不幸なのは、「金利がほとんどゼロなのだから、国債をどんどん出しておけばいい」ということで、問題が解決すればいいが、インフレにならなければ、結局、格差が拡大しているだけで、本当の生活困窮者にお金は回るものの、右から左へお金が出ていってしまうのが現状だと指摘。そして結局、お金に余裕がある人のところにどんどんお金がたまっていって、その人たちは使わないから滞留してしまい、デフレが続いてしまうと解説し、「もっと多くの人がそうした点に気がつくべきだ」と語りました。

 小黒氏は、これから物価が上がってくるのか、金利が上がってくるのか、あるいは「第四次産業革命」のようなものが起こって貸し出しが増えていくプロセスが起きるのかはわからないと前置きした上で、今のように相当な国債を発行しても財政の帳尻があっているという構造が続かなくなることは間違いがなく、その前に改革の道筋をつけておくことが重要だと指摘しました。

 両氏による議論を終え工藤は、「きちんとした統治が国民に信頼されないと、これから起こる様々な危機への対応も、国民に支持されない可能性がある。その意味で、今回の補正予算のプロセスは、一過性ではない本質的な問題なのだということを考える、重要な機会だった」と、今回の議論を総括して締めくくりました。

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