「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
現在の発言者は村井長野県知事です。
第5話:行政が平凡なことの連続だと理解できなかった田中前知事
第4話:体力があれば、カネはついてくる
第3話:歴史に培われた長野県の強さを生かす
第2話:市町村と国の二層制でいい、道州制は不要
第1話:県の役割は市町村のアイデンティティーづくりをサポートすること
第1話 県の役割は市町村のアイデンティティーづくりをサポートすること
知事というのは選挙で選ばれる政治的な存在ですが、基本的な立場は行政官だと思っています。そういう意味では、日々、この地域で起こるさまざまなことについてきちんとした対応をしていくのが一番大事なことです。ある地域だけが際立ってきらきらするようなことを求められているものではないと思います。
私は足かけ20年国政にいました。基本的には自民党の代議士としてずっと与党で仕事をしてきました。その前は通産省勤務でしたが、組織に不満があって政治の世界に出たわけではなく、どうしても出てくれという要請を受けて出ました。政治に過大な幻想を抱いているわけではなく、冷静に、与えられたいろいろな場で私のできる最大のことをしてきました。
与えられたという意味は受け身の消極的な意味ではありません。そのときにめぐり合った仕事にベストを尽くすというのが一番大事なことだということです。そういう経験を持ってきた人間にとっては、地方行政を担当する場合もそうだろうと思っています。
国政もやり、そしていま県政を担っていてつくづく思うのは、市町村長というのは、自己完結的な自治体というものをきちんとつくっていくことができる、そういうプレーヤーである可能性があるということです。政令市くらいになると疑問はありますが、30万人、50万人くらいの市ですと、すばらしい特徴をつくり上げたり、その地域の人たちの共感を生み出していくことができると思います。ただ、200万人の、しかも長野県のような大変広いところでは、「長野県はかくあるべし」というイメージはつくりようがないと思います。
私は生粋の信州人で、信州のことはよく知っているつもりです。ある意味こんなにまとまりに欠けるところはありません。一体性がないからこそ、一生懸命に一体感をつくろうとしたのが「信濃の国」という県歌です。
江戸300年、正確に言えば260年続いた江戸時代というのは、実は日本の歴史に非常に大きな影響を残しています。今の長野県、旧国名で信濃の国とありますが、この地域が1つの藩のもとで1つの国として一体性を持って治められたことは有史以来一度もありません。江戸時代も、最大が北にある松代藩の 10万石、そして松本藩の6万石、上田藩の5万3千石というように、小藩が全部で10以上ありました。その他の地域は天領でしたから、およそまとまらない。もともとそういうところなのです。
そこを明治に入って長野県ということで1つにまとめることになった。それも南の松本方面と長野とで相当争った末に、松本のほうの県庁舎が焼けたことがきっかけでまとめられた経過があります。そもそも長野という名称自体も当時の小さな村の名前に由来するものなのです。このような一体性のないところに一体性をつくろうとしてきたのがこれまでの営みとも言えます。
一方で、本当の一体性は、例えば長野、あるいは松代、あるいは松本の町の部分といったところにこそあると思います。そこには大変きらきらしたアイデンティティーがある。またすばらしい地域自治のモチーフを持っていると思いますが、県レベルで自治のモチーフはありません。
県というものは、たまたま今、そういう行政の括りになっているから、それなりの役割を果たすかもしれませんが、本当の自治体というのは市町村です。できれば10万人くらいの規模の自治体がアイデンティティーを持って、その地域の特徴をつくっていく。きらきら輝いて、ここの特徴は他所にはないと胸を張る。県がそれをつくり上げるのをお手伝いしていく。それが大事なことだと思っていますし、それが今の知事の役割だと思います。長野県には81の市町村がありますが、81の輝く市町村をつくっていくということです。県は地域が自立して発展できるためのサポート役です。
全5話はこちらから
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現在の発言者は村井長野県知事です。