まず私たちがこの議論に参加するための立ち位置を明らかにしておきます。
私たちは、世界経済の問題や世界の課題に対して日本が積極的に関わり、また発言し、その解決に貢献すべきと考えています。その貢献は、政府部門だけではなく民間にいる私たちにも問われていることです。
私たちは、日本の民主主義の健全な発展のために、民間部門に国内や世界の課題解決に向けて真剣な議論を行う舞台が必要と考え、10年前に、国内を代表する数多くの有識者が個人の資格で集まり、中立的で独立したシンクタンクを発足させました。
そして、この間私たちは、数多くの経済問題や外交問題、国内政治や市民社会の問題に関する議論を行い、その内容を国内外に発信するほか、日本の政府や政党との討議や、中国などとの対話を行っています。
与えられたテーマ「準備通貨としてのドルの未来」に関しては、言論NPOの経済問題の会議で議論を行い、その基本的な考え方を以下のようにまとめました。
この議論は言論NPOの経済フォーラムの責任者であり、言論NPOのアドバイザリーボードの一人である、武藤敏郎前日銀副総裁(大和総研理事長)を中心に行い、加藤隆俊前IMF副専務理事)、河合正弘アジア開発銀行研究所所長や、政府機関や民間銀行の関係者が参加して行われたものです。以下はこれらの討議結果を、今回のフォーラムに参加する言論NPO代表の工藤泰志がまとめたものです。
ドルの基軸通貨としての役割は当面変わらない
まず、私たちの基本的なスタンスは、ドルの基軸通貨としての存在は、世界経済の安定にとって当面は不可欠であるということです。ドルの一極体制が問題を抱えて不安定な均衡の上に成り立っていることは注意を要するが、ドルの地位を現時点で変える必要性を見つけることは難しく、米国ドルの国際的地位と役割は当面大きくは変わるとは考えていません。
そう判断する理由は以下の点からです。
まず、米国ドルが準備通貨として使用されている比率はIMFの統計によると、2011年第3四半期で61.7%です。これは10年前の2001年の第3四半期の71.4%と比較すると10年間におおよそ10%の低下になりますが、依然として最も準備通貨として利用されている通貨であることに変わりがありません。
ドルの低下をこの間、主に埋めてきたのはユーロであり、この10年間にユーロの利用は18.9%から25.7%に高まった。為替レートの変動で変化した面は否定できないが、外貨準備を多様化しようという各国の動きがあったのは事実です。しかし、それでもユーロ、ポンド、円という国際通貨は合計しても33.4%であり、準備通貨として米ドルが持つ地位とは依然として大きな隔たりがあります。
世界経済は中国や新興国の成長で米国の経済的なシェアは減少しているが、それでも米国経済は依然、世界経済の23%をしめています。米国ドルが貿易取引、資本取引において最も利便性のある通貨である事実も変わっておらず、とりわけサプライチェーンが複数国にまたがっている状況では米国ドルは世界通貨としての利便性を十分に発揮しえます。
近年ではEUのソブリン危機の中で、安全資産への質への逃避が顕在化し、ユーロから流れた資金は、円やスイスフランと並んでドルに向かい、その流動性を必要としています。これは米国ドルへの信認がそう大きく失われていないことを意味しており、もともとドルが抱えている基軸通貨としての不安定性を補強する役割になっています。
さらに言えば、米国ドルの一極体制やドルの信認問題がこれまで各国から指摘されながら、当面、米ドルに代わる通貨が見当たらないのも事実です。
ドルの基軸通貨体制の見直しに関する発言はこれまでフランスや中国の中央銀行の関係者から出されたことがありますが、ユーロは通貨圏を維持することが現在の課題であり、G20の場でこの種の議論がすでに萎んでいます。中国側の議論も後述するように時間軸の違う話だと日本側は判断しています。
こうした状況を現実的に考えると、ドルの基軸通貨体制は様々な不安定性を抱えながらも当面は続くだろうし、現実的にはそれしか選択肢がない、というのが私たちの基本的な認識となります。
アジアの統一通貨の導入は極めて難しいと判断する
しかし、私たちは将来の国際通貨体制の検討まで否定しているわけではありません。
かなり先行きを展望すれば、米国経済は先進国内で高い潜在成長力を有しているとはいえ、人口の多い新興国の経済発展によって相対的には世界経済の中におけるウェイトはさらに低下していくと予想されます。より安定した国際通貨体制の構築という視点は必要です。
日本政府も十年以上も前に二回ほど将来の多極通貨体制やアジア共通の通貨体制の検討を国際会議で表明したことがあります。こうした議論は最近では公式には日本政府から出されていないが、我々は将来の国際通貨体制に向けた検討は引き続き必要だと考えています。
アジアの経済成長や経済規模の拡大に合わせて、アジアとの経済緊密化をサポートできる通貨体制をどう考えるかは、いまなお日本の将来的な課題として残っています。
この場合は、アジア域内の取引についても米国ドルを主な通貨として使い続けるのかどうかが長期的な検討課題です。しかし、アジアにおいては欧州におけるような統一通貨を導入することは極めて難しい、というのが現時点での私たちの認識です。
今回の欧州ソブリン危機においては、財政の統合が行われないまま統一通貨を導入したことで問題が顕在化しました。統一通貨の問題は一つの中央銀行を作ることであり、財政統合の問題でもあります。経済の発展段階にもかなり差があり、歴史的背景も異なるアジア諸国において、通貨を統合することは理想論として可能性は完全に否定はしないが、現段階では射程に入りません。
まずはTPPの動きと同時にアジア域内におけるFTA、EPAの取り組みを強化して、共通市場に近い経済協力関係を強化することが現実的です。金融面では域内協力による債券市場育成が現段階での課題だろうと思います。
中国人民元の基軸通貨化は時間軸も含めて評価が困難な段階にある
私たちが通貨体制を考える場合、注目するのは隣国の中国の人民元の存在です。ここで重要なのは人民元の将来は簡単には見通すことが出来ない、ということです。日本側の討議でも中国経済の将来に関しては意見が分かれています。ただ、中国経済の規模と成長性から言えば、中国の通貨が一定の国際的役割を果たすようになると考えることは極めて自然です。中国は人民元建て貿易決済の拡大など、人民元国際化の動きも進めています。例えば、中国通貨当局と通貨スワップ協定を結ぶ動きも10カ国近くにまで増加、また、人民元の運用先として限定条件付きながら海外投資家に債券購入を認める動きなどがあります。
中国はすでに、3兆1,811億ドルの外貨準備を保有しており、その約7割が米国債の保有とも言われています。人民元は今後も上昇する潜在力を持っており、しかも外貨準備の額からして通貨防衛力も大きく、通貨価値を安定させる経済力を持っていると評価できます。中国が外貨準備の多様化を進めていく、その影響は大きいものとならざるをえないだろうと思います。
しかし、中国人民元が国際通貨となり、準備通貨として使われるようになるためにはかなり大きなハードルがあります。
人民元の国際化をするためには、為替取引の柔軟化や資本市場の自由化、さらに言えばより政治的な話になるが、中央銀行の独立も問われることになります。
当然、これらが実現すると、人民元の大幅な上昇と、政治体制への見直しにまで発展する可能性が高く、中国がそこまで決断して人民元の基軸通貨化に動いているとは現時点で私たちは判断していません。
人民元をSDRの構成通貨に加えるべき、という発言に対する評価も同様です。中国の経済力や今後の成長に対する国際的な評価は、中国にとって歓迎すべきことだが、人民元の急速な国際化につながる動きに、中国は基本的には慎重であると考えます。
中国政府は漸進的に人民元の国際化を図る方針を持っていると認識しており、現時点ではそれはゆっくりと進んでいます。しかし、中国の社会経済体制の将来像と相俟って、現時点では上記の条件が十分に満たされるためのタイムスパンも含め確たる評価は困難な段階です。
米国は財政金融の運営でドルの信認を損なう対応はすべきでない
私たちが、ドルへの一極体制を現時点で考える場合のより重要な論点は、その構造が不安定な均衡の上に成り立っていることです。構造的には、巨大な米国の赤字のファイナンスを他国に依存することで成り立っている仕組みであり、この構造はドルへの信認によって支えられています。
中国は人民元の高騰を避けるために為替介入を行い、人民元を供給することでドルの外貨準備を増加させ続けています。それを米国債などで運用することで米国の赤字をファイナンスしている。構造は日本も他の新興国も同様です。
この不安定な均衡はこの構造に疑問を呈した時点で破たんするが、保有するドル資産の毀損を避けたいためにその維持を強いられている状況です。しかし、この矛盾はこれまでも何度か新興国間との間で通貨戦争的な対立をもたらし、中国では繰り返される介入で介入コストも高まり、インフレ圧力とのせめぎ合いになっています。
ユーロのソブリン危機でこうした資本フローに一時的に逆転が起こっていますが、根本的にはこの矛盾がドルの体制の不安定性を高めている構造は変わっていません。
特に昨年は、財政の政府債務の上限の引き上げなどに関する民主、共和両党の対立により、S&P社が米国債の格付けをAAプラスに引き下げる事態となり、為替市場での不安が高まった。こうした不安を抑え込むためにも、米国は財政金融政策の運営でドルの信認を損なう対応はすべきではありません。
米国オバマ政権は輸出拡大を打ち出し、国際収支の改善を目指していますが、それでも2011年で4700億ドル程度の赤字が予想され、当面4000億ドル以上の赤字のペースが続くのではないかと思われます。財政赤字の状態も改善できていない。議会予算局の予測によると2012会計年度の連邦財政赤字は1.1兆ドルの規模であり、米国は双子の赤字克服という重い課題を背負っています。
こうしたドル体制への安定化では日本の責任もより大きなものになっています。
欧州ソブリン危機が表面化して以来、日本円は他通貨に対して大きく上昇しました。日本は、昨年3月11日大震災によって経済悪化の状況が起きたにも関わらず、経常収支の黒字を維持し、デフレ状態が続いているため実質通貨価値は安定しており、外貨準備も豊富なことから、円が安全な国際通貨と位置づけられています。
ただし、日本も深刻な財政問題を抱えており、長期的には高齢人口比率がさらに大きく高まっていきます。日本の65歳以上人口比率は2024年には30%を超え、その後も見通しうる限り上昇が続きます。2060年にはほぼ40%となる見通しです。こうした人口構造変化の状況に対して、社会保障改革と増税による財源確保を行っていかなければ日本の年金・医療制度は持続可能となりません。
現在は所得収支の黒字によって経常収支は黒字を保っていますが、2011年の貿易収支は31年ぶりに赤字に転落しており、近い将来、経常収支の黒字状態が終了するリスクも否定できません。この場合、十分な財政再建がなされていないと、国債発行を国内資金供給では吸収できず、GDPの2倍に相当する政府債務残高がクローズアップされてしまうリスクに曝されることになります。その場合には円の為替レートの安定性も大きく損なわれるリスクがあり、ドル体制の不安定な構造をさらに長期化させる可能性もあります。
日本にとって財政再建の展望をひらくことは喫緊の課題となっており、成長を図るための経済改革も米国同様に問われています。
欧州ソブリン危機に対して日本は何を貢献すべきか
次に、準備通貨のドルの流動性に関してです。
欧州ソブリン問題は欧州の問題国の債務問題という枠を超えて、世界的な金融の問題として捉える必要があります。問題国への貸付などの信用リスクを大きく抱えた域内の大手銀行の経営の安定性確保がもっとも喫緊の課題です。6月までに自己資本比率向上のため増資などを行うスケジュールとなっていますが、自己資本比率向上が金融機関によるリスク資産の売り急ぎにつながれば、世界全体での金融収縮をもたらす危険性が生じます。
欧州ソブリン問題の日本経済への影響は、円高と株価低迷という経路ですでにかなりネガティブに現れてきてます。欧州向け輸出や欧州向け輸出に関連したアジア向け輸出にも影響が出始めています。自己資本比率向上を迫られている欧州金融機関の対アジアエクスポージャーはけっして小さくはなく、貿易面だけでなく金融面からもアジア経済に大きな影響を及ぼす可能性があります。BIS統計によるとユーロ圏金融機関のアジア向けエクスポージャーは2兆ドルを超えており、アジア向け信用供与の縮小はアジア地域の金融に大きな影響を及ぼすリスクを孕んでいます。
そのためには当面世界経済の規模の拡大と、それにともなうリスクに対応するためIMFの適切な増資や資金ファシリティーの強化を図っていくことが必要ではないかと思います。地域における金融安定の取り組みも並行して進めていくべきです。
日本や中国はもっとこの問題の解決に積極的に関与していくべきと考えます。
すでに日本政府はEFSF債の購入を行っていますが、この他にも麻生政権時代に行ったIMFへの1000億ドルの融資のさらなる大幅な拡大を中国とともに行い、欧州の債務問題に対処する資金を手当てするといった支援策が考えられます。こうした支援スキームのもとで、アジア通貨危機への対処の経験を踏まえて、日本も積極的な発言を行っていくべきだと思います。
こうした対応にはEU諸国自身のより積極的な対応も当然必要と考えますが、欧州ソブリン問題の影響がアジアにも広がっている以上、日本がそれに対応することは国益上も必要な段階に至っています。
アジアの国際金融の安定化では、2010年3月にチェンマイ・イニシアチブのマルチ化契約が発効しました。全てのASEAN加盟国と日中韓が参加し、ドルを融通し合うこの通貨スワップ枠の規模は1200億ドルになり、このうち日本は384億ドルを請け負っています。世界的な金融危機が顕在化するまえに、この規模を拡大し、さらにこれまでできなかった予防措置も可能にするために、日本が、米国や中国、韓国、ASEANなどと共同してアジア金融市場の安定化策に取り組むことも検討をすべきと考えます。