経済的側面から見るウクライナ問題
改善の見通しが立たないウクライナ経済
工藤:確かにソ連解体後、独立国として立ち上がろうとするウクライナが持つ矛盾や困難が、この事件の中で顕在化しました。経済的持続可能性を実現しない限り国家として成り立たないからこそ、巨大な組織であるEUに加盟することで活路を見出そうとしていたのではないでしょうか。しかし実際の経済はロシアとの強い関係を持ち続ける中で、ウクライナとしての様々な選択を求められたという背景がある。これについてどうお考えでしょうか。
河東:経済的には非常に難しいと言えます。例えばリーマンブラザーズ破綻が起きた際の金融危機でGDPは大幅に縮小し、少し立ち直ったと思いきや欧州サッカー選手権を主催した時の借金が国を苦しめています。またロシアに対する天然ガス代金の支払いにも苦慮しています。ティモシェンコ前首相が天然ガスの利権を手に入れる目的でロシアと手を握り、ロシアに対する天然ガスの支払い価格を高く設定したことにより、ウクライナは常に天然ガス支払いに困窮しているわけです。そしてそれらの利権は、国内のオリガルヒと呼ばれる新興財閥によって牛耳られています。例えばヤヌコビッチ大統領は、財閥で最も影響力を持つアフメトフという財閥の後ろ盾を持っているなど、国内は非常に複雑な状況です。こうしたことから、ウクライナ国内は分裂しており、国民国家の一歩手前とも言える状況だからこそ、国民国家の枠組みで語れない側面があります。
工藤:経済の足場を固めようとEUに参画しようとしていましたが、一連のプロセスでとん挫しています。政変前にEUは、ウクライナ自立の見通しを作っていたのでしょうか。
廣瀬:一応の見通しはありましたが、ウクライナはそれに乗ってきませんでした。オリガルヒの問題などウクライナの国内経済の状況は悲惨です。例えば、ウクライナ東部の重工業地帯は、ウクライナの重要な経済基盤と言われていたものの、その工場地帯も老朽化して、補助金でかろうじて持ってきた状況でした。現在の新政権の下で補助金が撤廃されたことで、この重工業地帯の再興は非常に難しくなったと思いますし、そもそも設備の近代化を図らなければ再興も不可能でしょう。そしてソ連およびロシアから長い間ガスを極めて安価に入手できていたので、彼らの経営には「効率」という概念がありません。同じ製品を作るにしても、西側世界とウクライナでは3倍くらいの必要エネルギーの差があります。そのような部分も是正し、近代化と効率化を図らなければ、EUが想定する改善は無理だという状況でした。
工藤:ウクライナ自身が相当な努力をしなければならない状況で、今の政変が起こったということですね。西谷さん、ウクライナ経済はどのような現状に直面しているのでしょうか。
西谷:私は最近では昨年11月にウクライナを訪問しました。その時点で既に、政府がどこまで経済の実情を把握できているのかわからないぐらいに、経済の崩壊が進んでいました。例えば私の友人の一人は「自分たちにはもう失うものはない。ロシアと戦うだけだ」と発言するくらいに、ウクライナの経済そのものが破綻に瀕していました。年明け2月に、ウクライナ通貨が急落して危ない状況にありましたが、今はIMFの融資が始まりなんとか一息ついています。ただ人口4000万人を超えるエネルギー輸入国の外貨準備が100億ドルというのは、薄氷を踏む状態だと言えます。通貨が安くなれば物価が上がるわけで、今年の3月、4月のインフレ率は、公式発表で年率40%であり、食料品や日用品の価格が高騰しています。また中央銀行の貸出金利が年率30%という水準で、この状態ではまともなビジネスは成り立たず、マヒ状態に近いというのが実情だと思います。
工藤:IMFの支援は、170億ドルの他に、例えば国債の償還などを合わせて400億ドルに上ると言われています。一方ギリシャに対する支援の枠組みは3000億ドルくらいで、それに比べると今回のウクライナに対する支援の枠組みはかなり小さい印象を受けますが、それについてはどのようにお考えでしょうか。
西谷:ウクライナ経済の規模を考えると、ギリシャと違ってたとえ破綻したとしても、欧州を始め世界経済に大きな影響を与えるほどではありませんので、国際経済秩序は大丈夫でしょう。ただ4年間で175億ドルのIMF融資プログラムには、厳しいコンディショナリティーと呼ばれる制約条件があり、先々の継続が保障されているわけではありません。例えばその制約条件によれば、既存債権者との債務の繰り延べ交渉を行う必要がありますし、東部ウクライナで戦闘が激化すると、国防費が膨らんで国家予算の前提が崩れます。現在でも既に、280%のガス代料金の値上げ、66%の燃料代値上げを決めるなど、財政でも非常に厳しい緊縮政策をしています。ウクライナの人たちは今のところは良く耐えていますが、その頑張りがいつまでも続くわけではないと感じています。
工藤:これ以上経済的に厳しい状況に直面すると、国民の意識はどうなるのでしょうか。EUやロシアの綱引きもあると思いますが、どちらの方向に動いていくのでしょうか。
廣瀬:ウクライナ国民は、経済が駄目になったのも、ロシアのせいであるという意識を強く持っているので、現在の状況においてはヨーロッパを向く可能性が高いと思います。ただクリミア住民は、ウクライナの一部であった頃よりも、多額の年金や給料、奨学金などがロシアから支給されるようになったために、ロシアに心が向きつつある、と聞いています。ただ、クリミア住民といっても一枚岩ではなく、クリミア・タタール人やウクライナ人については、そもそもかなりの人数がクリミアを離れましたし、クリミアに残っている場合でも、ロシアへの感情はかなり厳しいものがあると言えそうです。
大きな転換期を迎えた「国家」という枠組みを前提とした国際政治
工藤:ウクライナを取り巻く現状やその構造が理解できました。特にクリミアの併合では、大国間関係の歪みの中で、様々な駆け引きや利害が渦巻いていたということです。ただ領土や国民を持つ主権国家に対しては、いかなる理由があれども併合を許すことはできません。それを許せば、国際的な秩序が揺らいでしまうからです。ただ今回、ロシアは既に併合をやってのけました。その動きは国際社会の中で認められるのでしょうか。認められないのであれば、今後どう対応すればよいのでしょうか。
下斗米:ウクライナがきちんとした国民国家であれば到底許されることではありません。不幸なことに、ウクライナ国家自体がメルトダウンしかねない状況で、チェコのゼーマン大統領のようにクリミアはロシアの領土であると主張している人物もいます。またソフトランディングを考えているEUでも、モゲリーニ上級代表のように、「クリミア半島のロシア帰属を確認するために再度国民投票を実施し、その代価はロシアに支払いを要求する」ということを述べている人もいます。米国のマクフォール前駐ロシア大使もそれに近い考えを述べたそうです。だから国民国家という枠組みではなく、紛争解決の一つの方法として、ウクライナ経済支とクリミア半島の現状事実上の取引という考え方がないわけではありません。
工藤:国家主権や内政不干渉原則が守られることで国際社会秩序は維持されていますが、その主権国家の枠組みを否定すれば混乱が生じると思います。ただ、すでにそういう状況が起こっているということは、国際社会は現在転換点にあるのでしょうか。今後こうした動きが頻発すれば、国家という枠組みが脆弱になる可能性が高まりますが、どうお考えでしょうか。
廣瀬:間違いなく転換期にあると考えています。ウエストファリア体制はなくなってはいませんが、事実上ほとんど意味をなさなくなっていると思います。言い換えれば、国際政治が国家を単位に語れなくなっている状況があるといえます。そうした状況の中で、国家に固執する動きもあれば、国家を乗り越えようとする動きもあり、今後ますますそれぞれの国や地域が選択を迫られていくでしょう。こうした状況の下で起きたウクライナやクリミアの一連の動きが、今後の世界像や国家の趨勢を考える上での一つのケースとなるとも言えそうです。
工藤:コソボ問題でも、主権国家の中で宗教や民族などの対立が起こり、国内が非常に混乱していても、そこに他国が関与することは内政干渉になるのではないかとの議論がありました。国家の統治は、悪人が行っても統治は統治だということですが、その承認の方法がダブルスタンダードと、国際的なルールが見えなくなる気がします。
廣瀬:それは間違いありません。コソボは悪しき先例になったというのが現在の通説です。国家の主権尊重や領土保全の原則がある一方で、それらと矛盾する民族自決の原則もあり、基本的には主権がより尊重されるものの、時に両原則間の対立が顕在化します。旧ユーゴスラビアのケースを複雑にしていたのは、ユーゴスラビアとソ連が解体したときに、欧米や新生ロシアが、かつて連邦を構成していた連邦構成共和国の境界線は変えないという約束を結んだことでした。セルビアという連邦構成共和国からコソボを外すのは、連邦構成共和国の境界を変えることになり、連邦解体時に取決められた原則にも反することになります。それでも欧米はコソボだけが承認される理由にを、はっきり示すことができていません。だからこそ、コソボ問題や現在のウクライナ問題の背景には、欧米のダブルスタンダードもあると指摘されています。