代表 工藤 泰志
東アジアの安全保障の構造は未だに不安定で、新しい変化に十分な対応ができていないどころか、むしろ緊張を生み出している。こうした現状認識は、まずはっきりさせるべきである。この地域に大きな新しい変化をもたらしているのは、中国の台頭であり、南シナ海では武力で現状の変更を試みる、国際法に照らして正当性のない動きが存在する。このことが、この地域の不安定さをより大きなものとしている。
短期的には、こうした中国の台頭をどのようにして共有するルールの中に押さえ込めるのか、またはそれが可能なのかが焦点となるが、中長期的にはこの地域にどのような理念に基づく実効性のある安全保障のメカニズムを実現させるのか、ということが歴史的な課題として突きつけられているように思われる。
しかし、結論から言えば現状のままではどちらもその実現はかなり難しいというのが、日本側の今の時点での率直な考えだ。
この地域の平和秩序を考えるためには、東アジア地域の安全保障構造が、集団安全保障としてのNATOを編成したEUと全く違う形で組み立てられていることを理解すべきである。
東アジアの安全保障のアーキテクチャは、欧州のようなマルチの構造ではなく、アメリカとの二国間の同盟関係を軸とするハブアンドスポークという線で成り立っており、その土台の上に、まだ十分とは言えないが、ASEANを軸とした多様なマルチの対話のメカニズムや協力の構造が構築されている。これは三層構造だと考えてよい。
ただ、この構造も2000年代からさらに変化し、大きく変わり始めている。自転車のスポークのように伸びていたアメリカと同盟国間の繋がりが、それぞれ横につながるネットワークとして発展している。日本とオーストラリア、日本とインド、オーストラリアとインド、アメリカと日本とオーストラリア、日本とインドとアメリカなどだ。
それほど中国の台頭のプレッシャーはこの地域で高まっている。つまり、東アジアで始まっているのは、現状の秩序に対する挑戦なのである。
昨年、日本が新しい平和安全法制を成立させたのも、日米同盟の共同連携をさらに高めるためである。この結果、北東アジアの安全保障では集団的自衛として、日本の自衛隊と米軍との共同行動が可能となった。力の構造という視点で見れば、残されたのは南シナ海での力の均衡をどう図るのかである。それが、東アジアでの当面の大きな課題だと言ってよいと思う。
東アジアの平和システムへの取り組みが複雑なのは、東アジアでは安全保障システムと通商システムに構造的な緊張関係があるためである。
別の言い方をすれば、中国は東アジアのすべての国の最大の貿易相手国だが、安全保障のシステムに中国は入っていない。したがって、中国の台頭と大国主義化は地域システムの緊張を高めるが、欧州のように脅威に対して一体となって取り組むことは難しい。
現在、東アジアの緊張を高めているのは、中国が南シナ海のほぼ全域に主権を主張する九段線のように、国際法に照らして正当性がない自己主張をしていることだけではなく、軍事力を持って現状を変更しようとしていることである。
中国は、国際法では領土とは認められない暗礁を埋め立て、滑走路を作り、それらを軍事拠点化する動きも顕在化している。すでにこの地域では、「航行の自由作戦」を取るアメリカ海軍との対立は3回に及んでおり、場合によっては大きな衝突に発展する可能性も少なくない。
日本が問題視しているのは、南シナ海の二国間の領土対立ではなく、国際社会が共有するルールへのこうした挑戦なのである。
中国が経済的な台頭に伴い、この地域で戦後から構築されてきたアメリカを軸とした安全保障構造を問題とし、自国が領海と考える地域でのアメリカの自由な行動を制約したいと考えることは、私たちも理解は可能である。そして、不安定なこの地域の新しい平和秩序に向けて、今後、様々な舞台で議論を積極的に行うことにも私たちは賛同する。しかし、国際法を無視し、平和的な手段ではなく力だけでこの状況の変更を行うことを容認したら、東アジアを19世紀型の力の争いの場に戻してしまうこととなる。
中国側に説明してもらわなければならないことは、こうした行動は中国自身が提唱する平和共存五原則にどう合致しているのか、という点にある。
東アジアが目指すべきなのは、法やルールに基づく平和の秩序
力の対立がある以上は、米中の対立の行方がこの地域のこれからの秩序に大きな影響をもたらすこととなる。だが、今、東アジアで起こっていることは国際社会がこれまで作り上げ、これからも守るべき国際法に基づいたルールや原則をこの地域でどのように守り、将来に活かすかの問いかけだということは理解すべきである。
ただ私たちは、こうした新しい変化に出口がないとは考えていない。この地域の新しい安全保障構造を探る動きは、東アジアだけではなく、アジア太平洋に広がり、その準備に大きな時間を要するかもしれないが、出口に向かうための作業は開始すべき局面でもある。
南シナ海では既成事実が積み上がり、その全域で中国が主張する領海化が進む可能性がある。ヨーロッパが東アジアの平和秩序に強い関心を持つならば、こうした問題をまず国際社会の問題として考え、声を揃えるべきだろう。
アジア太平洋に海軍拠点を持つフランスは自由な航行を守ることの意味を共有できるはずである。また、東南アジアの国々の海上警備の執行機関は依然脆弱で、不安定化する海上の警備に対応する力も充分に持ち合わせていない。さらに、東南アジア諸国のキャパシティビルディングも協力の選択肢の1つとなろう。
こうした領海をめぐる中国の動きは、それだけが単独に動いているわけではない。これまでの東アジアの安全保障の土台に挑むように、上海協力機構やCICA(アジア相互協力信頼醸成措置会議)など、アメリカを外した安全保障や協力の対話の枠組みが動き、それと歩調を合わせるように、中国の一帯一路などのインフラプロジェクトが進んでいる。アメリカはこうした大陸部での安全保障に足場を持っているわけではなく、すでに東アジアの安全保障の構造は陸と海の間で、新しい構造の形成に入っていることには留意する必要がある。
こうした動きが、将来の東アジアの姿をどのように作り出すのかは現時点で判断が難しく、そうした議論がどのように収れんするかは、かなりの時間を要することとなろう。しかし、私たちが目指さなければいけないことは、国際社会がこれまで作り上げた法やルールに基づく平和の秩序だということである。
これは、現状の東アジアの安全保障構造から考えれば、これまで築いてきた三層構造の土台に対する本質的な問いかけであり、その上部に構築される協力と対話のメカニズムをより実効性あるものに発展させることを意味している。こうした上部構造の発展のためにASEANの様々な枠組みの重要性はより増していると日本側は考えている。
ASEAN地域フォーラム(ARF)、東アジアサミット(EAS)、さらに拡大ASEAN国防大臣会議(ADMMプラス)などのASEANのそれぞれの枠組みは、この地域の各国間の首脳や政府高官、そして国防大臣が最大で18カ国参加する唯一の常設の対話で、東アジアの信頼醸成には必要不可欠な対話のプラットフォームとなっている。
それだけではなく、ADMMやさらにASEAN外の8カ国を加えたADMMプラスでは、そのもとで中国の軍も含めて、災害救助や人道支援、海賊への対処など様々な課題に応じた実際の演習を行っている。こうした協力の場はこれからのこの地域の平和協力のために極めて重要な場を提供している。しかし、このASEANの枠組みも東アジア全域のこれからの安全保障を考えると、限界があることには留意する必要がある。
このASEANの枠組みにも中国の行動は影響しており、2012年にカンボジアで行われたASEANの首脳サミットでは南シナ海に対する見解の不一致から共同声明が見送られた。さらに、2015年11月に18カ国の国防大臣が集まり、マレーシアで行われたADMMプラスにおいて南シナ海での状況がひっ迫する中でも見解が異なり、コンセンサスを形成する能力を見ることはできなかった。
このASEANの仕組みは、東南アジアと域外の大国が参加することで、信頼醸成だけではなく、予防外交や紛争解決までを視野に入れているが、紛争解決までのメカニズムを期待することは難しいだろうし、中国との経済的な利益と安全保障上の対応の難しさの中でASEAN参加国間での合意も簡単ではなくなってきている。もし、ASEANの枠組みが東アジア全域の安全保障メカニズムを目指すのであるならば、東アジアサミットやADMMプラスの議長国をASEAN以外の大国に渡すぐらいの自己改革が必要だが、ASEANの中心性にこだわる限りは、その可能性はまずないだろう。
つまり、ASEANの対話の枠組みは、今後の東アジアの信頼醸成や協力にとってこれからもその重要性を増すであろうが、東アジアの安全保障上の懸念に取り組むためのプラットフォームになることは難しい。そもそもASEANの枠組みは朝鮮半島などの北東アジアで議論をリードすることはできず、東アジア全域に目を向けているわけでもない。
東アジアの将来の平和秩序に問われる北東アジアの対話の役割
私たちは、東アジアの将来の安全保障メカニズムは、この地域に平和で安定した秩序を目指す様々な対話や取り組みの中でその可能性が見えてくると考えている。すでにこの地域の全域がアメリカとの二国間同盟関係を軸とするハブアンドスポークやそのネットワークで構成されていること、さらにASEANの対話の枠組みに加え、最近では中国が主導するさまざまな対話の枠組みが動き出していることは説明した通りである。
これらは、東アジア地域の秩序変更の動きを議論する主要な舞台となるであろうが、その中でより大きな役割を果たすべきなのが、北東アジアだと私たちは考える。
北東アジアはASEANと比べて対話のメカニズムが圧倒的に不足している。共通の対話の枠組みも存在していない。ASEANではASEAN+3の政府の枠組みだけで17分野48の協議があると言われている。しかし、北東アジアでは日中、日韓の政府間外交ですら、この間停滞し、最近になってようやく2カ国間の首脳会談が実現し、日中韓の3カ国の政府対話に向けた動きも始まったが、3カ国の首脳会談が今秋、東京で無事行われるかは、現時点で判断できない。逆に言えば、だからこそ、この地域の対話の持つ可能性が大きいのである。
この地域には経済や安全保障面で多くの重い歴史的な課題がある。北朝鮮の核や朝鮮半島の統一の問題があり、日中間の領土対立の中で東シナ海における危機管理のメカニズムも実現していない。しかも、これらを解決するための対話のメカニズムも機能していない。
ただ、南シナ海と異なるのは、この地域には力の均衡が実現しているということである。日本と韓国はそれぞれアメリカと同盟関係にあり、アジア最大の米軍基地がある。その中で、北東アジアの3カ国間には経済の発展を重視し、協力を求める動きが強い。
中国、日本は世界第2、3位の経済大国であるが、中韓のFTAは動き出したものの、日中韓FTAの問題は解決せずに残っている。政府間の信頼に基づく対話が動くことで、多くの課題が解決に向けて動き出す可能性も高いのである。北東アジアにはこの地域の安全保障を考える枠組みが存在していない。しかも、政府間がこの地域の平和を主導的に進める環境もまだ実現していない。だからこそ、そこにチャレンジが求められるのである。その環境づくりこそが民間部門の役割だと考える。
多くのトラック2が、この日中韓の3カ国で動き、日中間でもこの地域の平和環境を実現するための民間の作業が始まっている。こうした作業こそが、政府間の枠組みづくりの基礎工事となるのである。
昨年、私たちが行った日中共同の世論調査では、目指すべき東アジアの理念で、日本と中国の国民の7割が、「平和」を選び、半数以上が「協力発展」と回答している。こうした声が、東アジア全域でより強いものとなれば、東アジアの平和的な秩序づくりの可能性を広げることになると思うのである。