ロビン・ニブレット
(イギリス・王立国際問題研究所所長)
リベラルな価値から後退を始めた世界
これまでリベラルな国際秩序を支えてきた法の支配、権力分立、そして民主主義といった価値や規範は、第2次大戦以降、戦勝国が世界秩序の基本として世界中に普及させようとしたものです。
これらが徐々に世界中に普及していくというフランシス・フクヤマの予測はある程度は正しかったわけですが、この2、3年の動きを見ると普及が止まったようであり、そして後退し始めているように見えます。国際的な自由秩序が拡大していくというプロセスを体現していたEUは、その最大の加盟国を失うという状況に直面していますし、フランスさえもそういう価値から後退しようとしている。他にもポーランドとハンガリーなどでも後退が見られます。
非民主国のみならず、民主国でも民主主義に対する疑問が拡大している
国際秩序というものを考えると、大きく分ければ政治的な秩序と経済的な秩序の2種類があると思います。
非民主国家の場合、自由貿易体制のメリットを享受してきましたから、自由な国際経済秩序については維持したいと考えている。しかし、政治的自由などについては、それがなくてもこれまで発展、成長してきたために、民主国が信じてきた「開放的な経済と開放的な政治はセットになっている」という考えは間違っている、実はその2つは関連していない、という現実に気づき始めている。そして、民主主義などを中心とした政治的な秩序からはさらに関心が遠退き始めています。
一方、これまで国際的な経済秩序の構築を推し進めてきた国々、特に先進的な民主国では、自国内の経済を調整できず、自分たちが作ったシステムのプレッシャーを管理できないということが起こっているように見えます。フランスではあまりにも多くの人が失業状態にあり、ドイツでは高等教育が劣化し、イギリスは初等中等教育の質を保てなくなっている。全ての国が全く同じというわけではありませんが、自由な国際経済秩序を作ったものの、人々に恩恵がなく、政治体制がそうした歪みに耐えられなくなっているという状態に陥っています。ですから、民主国では「自由な国際経済秩序には休息が必要なのではないか」と思われるようになってきているわけです。
さらに、民主国ではそうした課題に対して民主主義プロセスが解決策を導き出すことができなかった。そのため、民主主義の本当の主役である市民や民衆が、「民主主義は信用できない。国家も役に立たない」と、政治的秩序を支えてきた規範に対する疑問も出てきてしまう段階ではないかと思います。
今こそ、民主主義を鍛え直さなければならない
しかし、自由民主主義以外の制度は、人々が幸せに感じている結びつきを制限する可能性が非常に高い。経済的な観点で見ても、弱肉強食的な発展ではなく、公正な発展を目指すのであれば自由民主主義は不可欠です。ですから今、世界は民主主義を守り、発展させるために皆で知恵を出し合わければならない局面に入っていると思います。アメリカやイギリスを見ればわかる通り、民主主義というものは人々が思っていたほど強いものではなかった。そうである以上、民主主義を鍛え直さなければならない。民主主義を守るためにはそれしか道はありません。昔は民主主義というものは所与のものであり、「あって当然」だと誰もが思っていましたが、今は決してそうではない。ブレグジットの前、法案の中身を精査している頃に、イギリスのある主要な新聞が、法務長官のことを「国民の敵だ」と表現していました。そういうものが大々的に新聞の見出しを飾るようになってきています。実は「国民の敵」という言葉は1930年にナチスが裁判官に対して使った言葉なのです。現在、同じ言葉がイギリスの裁判官に対して使われている。非常に憂慮すべき状況です。
こうした状況の中、先進国が民主主義を強いものにすることができなければ、それを見た新興的な民主主義諸国は、権威主義体制に戻ってしまい、再び市民の権利を迫害し始めかねません。その意味では、先進民主国の責任はものすごく大きいと思います。
アメリカの多国間主義
そして同時に、リベラルな国際秩序に対する脅威として、多国間主義、マルチラテラリズムの危機があります。それをさらに加速させかねないものが、言うまでもなくアメリカでドナルド・トランプ大統領が誕生したことです。
トランプ大統領は、国際関係もビジネスの交渉と同じだと考えています。勝つ者もいれば負ける者もいる、Win-Winなどあり得ないと思っている。仮に一旦相手にやられた場合には後で交渉し直すべきだと考えている。そのためには、多国間よりも2国間の方がやりやすいわけです。また、アメリカは世界最大の国とはいえ、TPPなどグループ化したところと交渉すると負けてしまうこともあるかもしれません。ですから、グループ化しているところをバラバラにしてそれぞれ個別に交渉する、一対一でやろうじゃないか、と。トランプ大統領の最側近であり、政権の黒幕とも目されているスティーブ・バノン首席戦略官兼上級顧問も、「EUというものは不自然だ。第2次大戦直後には意味があったかもしれないが、今は単にドイツに利用されている」というようなことを言っています。そういうわけで、トランプ政権下のアメリカがマルチラテラリズムを擁護することはまず期待できないでしょう。アメリカ議会も同じです。仮にまだアメリカがWTOに加盟していなかったとしたら、「アメリカの主権を犠牲にできない」と言って批准を拒否するのではないでしょうか。それくらいアメリカ全体が内向きにあるのだと思います。
ただそもそも、アメリカのマルチラテラリズムというのは、「自分が一番上に立つことができる」ということが大前提のものでした。ですから、自分が不利になるものには参加しない。例えば、国連海洋法条約には加盟していません。元々そういう「アメリカ例外主義」のようなところはありました。そういう下地があったところで、トランプ大統領は、マルチラテラリズムというものが、「自分たちのためになっているのではなくて、自分たちを犠牲にしている」とアメリカ人の直感に強く働きかけたわけです。
同盟国はアメリカに頼らず、自助努力をするしかない
そして、アメリカが多国間主義から完全に手を引いたら世界はどうなるのかというと、ひょっとすると、自由民主主義諸国がアメリカに守ってもらうことに期待することをやめる、自分の身は自分の負担で守るという姿勢に転換する時期に入るかもしれません。
NATO加盟国の目から見ても、アメリカが同盟国として今後も前線に立って欧州を守ってくれるのか、というと非常に不安なところがあります。ですから、ロシアに甘く見られないように、自ら防衛力を上げる努力をし、欧州の平和と安全は欧州の責任で守る、という姿勢を示していくしかなくなる。
これは日本にも同じことが言えますが、日本はすでにそういう責任を果たそうとし始めていますよね。
リベラルな「神話」を共有し、多国間主義を甦らせるためには
ただ、そうはいっても一国だけでその責任を果たすことはなかなか大変です。そこで、重要になってくるのが、やはり、自由と民主主義、法の支配などリベラルな国際秩序を支えてきた価値や規範を共有する国々が、共にコストを払いながら、横軸で連携する新しい動きです。
そういった視点からは、個人的にはイギリスのEU離脱というのは、価値や規範を共有する同盟から離れていってしまうことに他なりませんから大反対です。このままEUから離脱してしまったら、イギリスもアメリカのようにバイラテラルな国になっていき、今後EUが必要としているマルチラテラリズムにコミットできない国になっていくのではないかと懸念しています。
イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリが、「サピエンス全史」という著書の中で、人類が猿からホモサピエンスへと進化した人類史の決定的転換点は、約7万年前に人類の脳内で発生した「認知革命」にあったと述べています。個体が集まり、集団になると統制が難しくなります。では、なぜ人類は他の種族と異なり、統制できるようになったのかというと、認知革命の結果、人類は神話など虚構の事物を想像し、仲間に語ることができるようになった。共通の神話を信じ、共有することで初めて大勢の赤の他人と柔軟に協力することが可能になり、単なる動物の群れを超えた巨大な集団を組織し、複雑で高度な社会を営むことができるようになった、とハラリは述べています。
リベラルな価値もすべて実体としては存在しないある種の神話ですが、皆が信じることで戦後の国際社会は集団として秩序を保ちながら発展してきました。各国がその国内で自由民主主義を推し進め、さらに多国間主義によって皆で協力し合って世界の課題を解決していくように努力してきました。それを主導してきたのはアメリカとイギリスでしたが今、その両国はその神話から離れるかもしれない。
そうした中、G7などの機会を捉えて、規範の再確認を促し、結束を確認することで国際協調を再び強めていかなければなりません。なぜなら、現代のように国際的な相互依存関係が深まっている中で、やはり神話を共有した形での組織化、すなわち多国間主義しか各国が生き延びていく術はないからです。