工藤:今回の有識者アンケートの自由記述欄に様々な意見が寄せられました。滝澤さんもおっしゃったように、日本そのものに課題発見能力とか分析能力がないという問題がありますが、一方で日本のハードパワーを含めた経済的な力が相対的に落ちているのではないか。中国などの新興国の台頭があるなかで、ハードパワーの低下をソフトパワーで埋めることがなかなかできないという問題が、さらに日本の存在感を希薄にしているのではないか、という意見です。こうした意見について、どのようにお考えですか。
地球規模課題の解決にむけた努力を怠れば、日本は傍観者になってしまう
近藤:経済的な地位が相対的に下がったことは明らかです。しかも中国が昇る龍の勢いで成長し、中国の存在感や発言力が増している。その毛化、中国が使うお金の量、ODAなど増えていっています。一方で、日本人自身も自信を失っている。その結果、世界の問題は世界に任しておこう、自分たちの出番じゃないだろう、という意識が何となく広がって、「自分たちのことだけやっていこう」と日本国民全体が内向きになっている。当然それにメディアとか政治家も影響されるという悪循環がある気がします。
工藤:今の話を聞いて、すこし紹介したい話があります。言論NPOが地球規模の課題の議論をしているということで、世界の巨大な大手シンクタンクのトップにアンケートをしました。そのうちの1人、ブルッキングス研究所のリチャード・ブッシュが「冷戦が終結する前ですら、日本は非常に善き地球市民であり色々な課題に関する問題意識や取り組みを真摯にしていた。その努力を継続してほしい。継続しなければ、日本が主戦場から離れて傍観者になってしまう」と回答してきました。他にもフランスやカナダなどの人たちも「日本には可能性・力があるのに、色々な発言が弱くなっている。これを何とかしたほうがいいのではないか」という声を寄せてくれました。相対的な力の問題だけではなく、リップサービスではない日本への期待というものもあります。
日本と北欧諸国との相違は、地理的な問題と歴史が背景にある
滝澤:国際的な問題、世界的な問題は公共財をもって解決するということです。私が最初に留学したのは1978年で、アメリカに行きました。当時の日本は今の中国のような勢いでした。しかし、今のアメリカのビジネススクール行くと日本人はほとんどいなくて、代わりに中国人がたくさんいる。国の影響力はお金とアイディアだと思いますが、この30年40年を見ていると、日本はお金があったから注目を集めていた。しかし、ここにきて、かつてあったお金が、日本には無くなってきた。そしてもう1つのアイディアは元々なかった。つまり、今はお金もアイディアもないという状況だと思います。
私が、国際機関で働いていて一番印象に残るのが北欧諸国です。北欧諸国は小さな国ですが、アイディアがたくさん出てくる。日本のお金で、彼らがアイディアを売り出すのです。日本はお金だけ出して、成果はスウェーデンなり、ノルウェーなり北欧が取っていってしまう。今、日本が議論を行い、アイディアを出していかないと、経済的に小さくなっていく中で中国にアテンションが行ってしまう。中国にはお金があり、意外にアイディアもある。中国は、10年20年先を見据えて、良くも悪くも国の方向がハッキリしていますが、日本は、国のレベルでも個人のレベルでも方向性が見えてこない。アイディアと金が国のスタンスを決めるのであれば、これからはアイディアの勝負ということになるべきだと思います。
近藤:先ほどリチャード・ブッシュさんの「日本人は善き地球市民であった」という意見は、ある意味事実で、日本は治安の面でも安全保障の面でも安全を保ち、豊かな経済力を持ち、教育程度が高くて、犯罪が少ない、すばらしい国をつくりました。そして、自分の国をよくすることには努力して石油ショックも乗り切った。しかし、それを世界に広める、世界の問題を自分のこととして捉えるという習慣がなかったわけです。自分の国を良くするためのアイディアはある。それを応用して世界の問題を解決するために使おうと、思えば使えるはずなのに、そこに思いが行かない。
私もデンマークにいた時に、北欧見て回りました。いま滝澤さんがおっしゃったように、彼らに色々なアイディアがあり、世界の問題について発言するのは、イギリスやアメリカだけでなく北欧諸国です。なぜなら、北欧諸国はドイツやフランスやイギリスなど、ヨーロッパの激しい抗争の中で、生き延びるために常に問題を早く見つけて、自分でどう解決するかを大国の人たちに提示してきた。そういうことをやむを得ずやってきたという歴史があるのです。DNAというよりも、歴史が彼らに先進的で、リベラルな発想をさせている。幸いにも日本は、そういうことがなかった。プレッシャーを受けて、なんとか生き延びねばという局面が多くなかったために、アイディアを絞り出して、なんとか世界のルールを変えていこうという発想に中々向かってこなかった。そういう歴史があるのです。
国際社会で活躍した人が、日本のアジェンダセッティングで活躍できる仕組みを
工藤:海外のかたがたと議論していて感じるのですが、そうは言っても日本には色々な強みがあった。例えば皆保険制度を真っ先に作りました。ただ非常に気になったのは、皆保険制度だとか色々な強みがあり、今も強みだと言うのですが、世界の人たちがもう強みだと思っていない。ワシントンで議論したときに「日本には強みがある」と言っても「それは高齢化社会に適応しないシステムでしょ」と逆に言われてしまいました。ではなにが日本の強みなのかと訊くと「母子手帳が非常にいい」と。日本が発言すると、馬鹿にするのではなくて期待されることが多くあります。アイディア力がないというのは一般的にそうなのですが、しかし政府だったら政府なり、それぞれの人たちがそのアイディアをつくる仕組みが日本にはあるのか。この点について聞きたいのが、医療の問題です。
先日、世界保健機関(WHO)の問題で、日本は今まで事務局長を取っていてましたが、その後、中国の人に選挙で負けてしまいました。1994年、エボラが旧ザイールで流行したとき、当時のWHOの事務局長は中嶋宏さんでしたが、しっかりと対応し240人の死者で済みました、しかし、今回のアフリカでは1万人の被害者を出してしまいました。ということになると、日本は当時の経験から色々なことができたのかもしれない。しかし発言力が弱い。それは、そもそも強みが活かせないのか、それとも強みに対して自信を失っているのか、もしくは、実行するような新しい仕組みが作れなくなっているのか、色々なことを感じてしまうのですが、近藤さんいかがでしょうか。
近藤:WHOの例でいえば、事務局長として活躍されていた方が日本に帰ってこられて、知見を活用し日本のイニシアティブへ繋げていくというものがない。これは非常に寂しい限りです。国際的に活躍した日本人を政府が活用して、積極的にアジェンダセッティングをしていために活躍してもらうことが十分でないのか、非常に不思議です。
現場感を持つことで、課題解決に向けた認識、取り組みは変わる
工藤:例えば、国連難民高等弁務官で日本人というと緒方貞子さんの名前が出ます。そして、国際的な発言力があるのは彼女ではないかと今でも言われています。もっと新しい人たちが出てこなければいけないのですが、課題解決やアイディア力もあるのでしょうが、その他にも人材、たくさんいる必要はありませんが、何人かでもキラリと光る人がいれば、その中で日本のイメージも出てくると思います。そうした、国際的に活躍している日本人の中にも、今試練というか困難はあるのでしょうか。
滝澤:国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)には、緒方さんを慕って入った女性が30人から40人くらいます。そういう点では、緒方さんは国際機関における日本人材の育成に非常に大きな役割を果たしてきた人です。緒方さんに影響力があった1つの理由は、これは日本的といってもいいのですが、現場主義だったということです。現場に行き、物事を自分で考え、感じることができた。だから彼女の言う事は迫力があります。
難民問題について言うと、例えばUNHCRの執行委員会というのが毎年10月から始まるのですが、そこに行くアメリカの代表団はまずどこかの難民キャンプに全員が行った後に、UNHCRの本部の会合に出ます。そこで「我々は実はこの間南スーダンのキャンプに行ってきた」とスピーチをする。これは迫力があります。日本の代表団はというと、外務省から三等書記官か二等書記官、後はジュネーブの人が座っていてほとんど発言しません。予算委員会には出ますが、プログラムをやるときには出てこない。現場で問題を把握して、そこから出てきた課題を国際社会にぶつけるという点でアメリカは非常に長けています。日本はその感覚がないという点が残念です。
日本にアイディアがないかというと、実はそうではない。例えば、人間の安全保障というのは日本が売り出しました。これは素晴らしいと思います。そういったものをもっと使い、もっと売り出すことで難民問題についてもいいアイディアが出てくると思います。例えば昨日(215年9月29日)、安倍首相がシリア・イラク難民支援に900億円、周辺の平和構築のために700億円を拠出と表明しました。これはすばらしいニュースですが、国際的には「日本は金持ちだから出してくれる」で終わってしまう。そうしたお金をさらに利用して、色々な工夫をするという点で弱い。ほとんどの場合、国際機関に出して解決策を頼んでしまう。それはそれで、UNHCRからすると非常にありがたいことですが、日本が拠出したお金を利用して、北欧諸国がアイディアを出し、解決方法を作り出していってしまう。ですから外務省なら外務省として独自の発想を持ってもらいたい。
そういう点でもう1つのアイディアは、先程、工藤さんもおっしゃいましたが、母子手帳です。これは非常に単純ですが、効果が上がるということで、中東で非常に流行っています。こうしたことは、日本初のアイディアとして素晴らしいもので、そういったものをもっと使っていく。同じようなことで、マラリアをなくすための蚊帳も挙げられます。そうしたテクニカルな、技術的なものも上手く国民の安全保障に繋げるパッケージの仕方がもっと上手になると、存在感が強くなると思います。
工藤:今のお二方の話を聞いていて、課題に挑んで解決しようという意志を持っていかないと多分ドラマは始まらないと感じました。
滝澤:日本の難民問題に対する議論について、私たちからいうと現場感がありません。ほとんどが法律の議論であって、彼は難民かどうかということで延々と議論している。現場で苦しんでいる難民の姿を見れば、そんな議論はどうでもいいとなると思います。緒方さんの迫力はそこにあって、そこにいる人をどうして助けないのかというパッションがある。それに加えてもちろん政治力やコミュニケーションもありますけども、やはり現場にいることで何かしたいという問題意識や気持ちが湧いてくるのだと思います。
工藤:まさにそういう力を日本政府の官僚一人ひとり、また民間の人たちが持ってくれると、何か流れが変わるきっかけをつくれるような感じがしました。
近藤:政治的なリーダーシップと、国民側からの問題意識・社会的な議論。その両方でやっと社会が動き出すわけです。官僚機構というのは与えられたことを着実に遂行するのが最初の役目なので、かつ人は減らされる予算は減る仕事は増えるということで、中々ゆとりがないのが事実で、あまり官僚を責めるのは気の毒だとは思います。