2011年11月11日(金)収録
出演者:
山本正徳氏(岩手県宮古市長)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
インタビューは11月11日に行われました
第2部:宮古市の街づくりと将来をどう描くか
産業再生への道筋は
工藤:話は変わって、宮古市の産業の立て直しについては、どういう風なイメージを持っていますか。
山本:雇用・産業は、街づくりのなかでどのように位置づけるかによって変わってくると思います。震災前でも、私の公約の中に産業振興、教育振興を挙げていました。元々産業が弱いところなので、6次産業化を図る、要するにいろんな産業を結びつけてまた新しい産業を、あるいはそれらを有機的に結びつけることによって力が2倍、3倍になるようなことをやろうと準備していたところに震災が来ました。ですが、基本的にこの考え方を基に進めていきます。
まず、マイナスの経済をゼロにして、まず前の状況に戻して、その上に積み重ねないと。一気にマイナス10の経済からプラス10にするのはなかなか難しい。2倍のエネルギーが要りますので。
工藤:そうですね。ただマイナスをゼロにするには...。確かに復興の動きに関して雇用が発生する部分は確かにありますよね。
山本:そうです。街づくりをしていく中で、当然いろんな仕事が出てきますから、それに対しての雇用の場は出てくると思います。
工藤:ただそれは市長が考えている本来的な産業の再生とは違いますよね。
山本:違います。ですから、復旧に関しては、被災者の生活を元に戻す暮らしの再建と産業の復興とを同時に進めています。片方ばかり進めてもいけない。両方が車の両輪ですので、経済活動が伴わなければいけない。福祉とか何とか言っても、お金が無いと何もできない。ですから今、並行してやっています。これで、生活が安定してきて、産業も戻ってきて、雇用も6、7割戻ってきます。それで今後は、こっちの復興計画の中にある、暮らしと生活再建、産業経済の復興、安全地域づくりの3つの柱をすべて同時に進めていきます。
工藤:今、市民の方はどのような意識ですか。「何が何でも復興する!」という勢いなのですか。あと全国からの支援もあったと思いますが、今はどのような状況ですか。
被災者が自ら働き、稼ぐ日常に早く戻さないといけない
山本:2つに分かれまして、前を向いて一生懸命やっている人たちと、それから市の方向性を見定めている人たちがいます。今、かなり全国から物やお金が集まってきていますので、自分で働いて、自分でお金を稼いで、物を買って生活するということからかけ離れている人たちがいるのも事実です。その状況がずっと続くのはあまり良いことではありません。自立をしていただかないと、次にいろんなことをするときのパワーが出ません。そこは難しい面があります。
今でも食料やいろんなものを持って現地に入ってくる人がいます。炊き出しに来るボランティアもいます。それは確かに嬉しいことですが、市としては被災者に自立を促すようにしています。義援金や入ってきた物を使いながら自分で生活をするため、そのために仮設住宅の周りに商店を並べたりしています。そういうところで買い物が出来るようにして、買って自分たちで消費するという日常を取り戻さないといけない。要するに、与えられた生活ばかりではあまりいい状況ではないですね。
工藤:ということは支援側のステージも変わってきたということですね。支援側に求められるものも変わってきていると。
山本:そうですね。例えば、冬になりますが、ストーブが無いので、ストーブを支援していただくというのは仕方ないです。このように最低限のセーフティネットをしっかり張りますが、それ以上のものは、分たちでやるようにしないといけません。ですから仕事をどんどん増やしています。しかし、求人があるのですが、ミスマッチしています。そういうところには就職したくない、などミスマッチがあります。
工藤:地元に求人があるわけですね。ほかの県に行ってくれ、というわけではなく。
山本:ええ、違います。いろんなところで、今まで募集が3から5人だったところを、10人に増やしてくれたりするなど、そういう支援をしてくれる会社もあります。
工藤:でも、そこの会社では働こうとしないのですか。
山本:なかなか働きません。緊急雇用対策として、一時的なものですが、働く場所がなかなか無い方々に対する求人が行われましたが、あまり応募が無い。働かなくても支援してもらえて生活できるからです。
工藤:それはある意味、短期的ですよね。
山本:でもまだ支援をもらい続けている段階にいる方もいます。早く自立をしてもらうためには...、
工藤:マインドを変えないといけないですよね。
山本:そうです。変えないといけません、おっしゃるとおりです。
工藤:それはさっきの復興とか街づくりとかのように、「私たちはこう暮らしていく」という、この対話がきっかけになってくるのではないですか。
山本:そうですね。それからもう1つは、前に働いていた場所でもう一回働けるように、3、4割の、まだ再建していない産業を早く再建させて、仕事場を作っていくようにしないと自立には結びつかないのです。
ゼロには戻れるが、プラスに持っていくのは難しい
工藤:先ほどのマイナスの経済をゼロに戻すという計画はどれくらいかかると思っていますか。大体ゴールは見えていますか。
山本:第3次補正予算が執行されて、いろんな補助金が付けば、私はそんなに時間がかからずに元に戻ると思っています。ゼロには1年くらいで戻るでしょう。しかし、そのゼロからプラスの経済、この資料にある「再生期」や「発展期」にもっていくのはなかなか困難で、しっかり考えないといけないと思います。
工藤:本来危機があったときはチャンスで、次の発展に向けて考える知恵が人間には備わっていると思いますが。
山本:そういう意味で、先ほど申しました「グループ化」は、ある意味では1つの企業体を作っていくことになりますので、いい制度だと思います。
工藤:グループ化って言うのは産業とか雇用に伴うグループ化ということなのですね。
山本:そうです。それもありますし、例えば観光業1つをまとめてやろうと思えば、ホテルとかが共同体を作って、ホテルの立地条件などを利用しながら、1つの観光業として成り立つようなシステムをつくるのです。そこに対して補助金が来ます。
そうなれば、今まで1つ1つばらばらに仕事をしていたところが、グループ化することによって大きな力となり、観光に来る人たちに対するPRやサービスが行き届くのです。
工藤:グループ化の中で、今、期待している産業は何ですか。
山本:色々あります。例えば、水産業に関しては、漁業だけではなく、水産加工業や商業が無ければ、いくら魚を揚げても買う人がいないといけません。ですから、バックボーンが無ければいけないのです。それがばらばらで営業していたのを1つの水産加工業として、それを売る商業、運搬する運送業を1つにまとめてしまう。関連する業者をまとめて企業体を作るような感じです。
工藤:もうすでにその動きは始まっているのですか。
山本:それぞれを集約して、そこに補助金が下りるようになっていますので、これは機能すると思っています。
工藤:それで、僕が気になる話ですが、NPOはどうなっていますか。
田老地区の復興に、NPOが専門家を招いて勉強会
山本:NPOは一カ所だけ、「田老地区」というところで、「立ち上がるぞ!宮古市田老」というNPOを作っています。
工藤:名前がいいですね。
山本:田老の町は115年の間に3回も津波が来ています。防波堤がありましたが、それを大きく超えて津波が襲ってきました。私の家も流されてしまいましたが。町がなくなりましたので、ここにどういう町をつくるのか、産業をどうするのかについて考えるグループ、NPOですが活動しています。
工藤:どういう人が参加していますか。
山本:地元の方々、東京の防災関係をやっている会社の方、大学の先生もいます。
勉強会を何回もしています。要するに、何にも知識も経験も無い人ばかりが集まって、町をどうするのかと議論してもなかなか進まないので、NPOを作っていろんな専門家の先生を連れてきて勉強会をしています。
工藤:非常にいいですね。
山本:あとは水産関係で、水産の町をどう作るのかということで函館の方から熊谷先生という方が来て進めています。色んな勉強会をしています。明日は旧奥尻町の町長さんが来まして、自分たちの経験を講演していただいて、それを参考にしようとしています。そういう動きはあります。
工藤:いろいろ取り組んでいることがかなり良く分かりました。
今回の復旧に取り組む中で地方自治の問題とか、市民の力とか、何か市長が考えていることはありますか。
国土を守るには、こういう地域にも人が住まねばならない
山本:まず今回の震災はものすごく被害が広範囲に及びましたので、ポイントが集中しないで復旧、復興することが難しいというところはあります。自分たちの状況をアピールできる市町村はいいですが、アピールできない市町村もありますので、やはりきちんと全体の状況を見ないといけない。
それから、宮古市は元々インフラ整備が遅れていた地域でもありました。岩手県の沿岸地域は内陸に比べて道路の整備や港湾の整備や街づくりが遅れていました。加えて、所得も内陸に比べて沿岸のほうは低いのです。そういうところに襲った災害ですので、なかなか自力で再建するのは難しい。そういう意味では、お金がある地域が被災した場合とは状況が違います。ですからインフラ整備をしっかりしないといけない。
「コンクリートから人へ」と民主党は掲げていますが、コンクリートつまり道路の整備さえもきちんと出来ていなかった地域なので、しっかりこの際、インフラ整備をしていかないといけないと思います。
日本の国土を守るには、こういう地域に人が住まないといけないのです。コンパクト化ばかりすれば荒廃地ばかり増え、日本は元々小さい島国なのに、もっとエリアを小さくしてしまう危険性があります。ですから、ここは日本全体として、ここの地域をしっかり支えることは日本全体にとってもメリットがあると思います。
工藤:これはきちんと国が主導してやるべきですか。
山本:今回は市町村が自分たちで主体的にやらなければいけないことですが、やろうと思ってもお金が無い地域なのです。そのお金の部分はしっかり国がカバーしなければいけないし、国全体を見たときに、この地域をしっかり再生しなければ、日本全体が沈みかねないと思います。
工藤:昔、僕は東北に復興庁を置くべきだと思っていましたが、結局は今、東京にあります。この設計について思うことはありますか。
国の出先機関廃止の議論には賛成できない
山本:若干複雑な面はありますね。今回の震災では仙台にあった国交省の東北整備局が非常に機能しています。ですので、すべて国の出先機関を廃止しようという、ひとまとめにした議論には全く賛成しません。今回、初動で動いたのは東北整備局で、そのおかげでかなりの面で助かりました。インフラが全部ダウンしました。水も止まって、通信も電気も全部止まり、そして燃料も来ない。この中で一番頼りになるのはやはり道路なのです。ヘリコプターが行けばいい、とか言いますが、天候が悪ければ飛びませんので、道路が一番大事なのです。その道路を一番、最初に警戒していったのが東北整備局です。
工藤:今までは、整備局とか国の出先機関はなくして、県が中心になる、という地方分権の大きな流れがありました。民主党の計画もそうですが、これは...
山本:それは無理だと思います。今回の災害を見て無理だと思いました。県の今の力では無理です。もっと強化するなら別ですが、しかし一本筋が通らないと。国・県・市町村でやっていたら、こういった大規模災害時に機能しません。国が一発ドンと入らないといけない。自衛隊が1日半後に入ってきた時点、それから海上保安庁が入ってきた時点、そして警察消防が入ってきた時点には、国家的なものはすでに入ってきていますので、その段階から、がむしゃらに復旧していけば良い。その間が一番大変なのです。
工藤:今の話は立谷さん(相馬市長)も同じことを話していました。今の震災復興をきちんと国がやっていくとすれば、新しい課題を考えないといけませんね。国の出先機関を廃止するという話をこの前も聞きましたが、この流れに反して何でそのような話があるのですか。
山本:その点については、私には分かりません。何でもかんでも国の出先機関を廃止する、というのは危機管理から言えば、大変なことなのです。こういう大規模で広範囲に被害が広がっているときに、岩手県と宮城県と福島県の対応はみんな違うのか、という話になります。そんなことやっている余裕はありません。
工藤:ではどうすればいいですか。将来的に今の実感から見て、地方での災害などの緊急事態もふまえながら、どういう風なあり方が理想ですか。一番住民に身近な基礎自治体がまず中心になりますよね?あとは国ですか。
山本:要するに、市町村の自分のエリアがありますが、そのエリアを自分たちでカバーするのは当然ですが、これが全体にわたったときに自治体によって差が出ますよね。しかし住んでいるところで差が出るのはおかしいので、危機から逃れるためにはもっと大きな力が必要なのです。
工藤:すると国がありますよね。この国の役割は重要ですか。
山本:重要ですね。
工藤:では、その国と基礎自治体の間はどうなりますか。
山本:県のところは、道州制とかいろいろ話がありますが、その辺は、私はまだはっきり言える立場ではありません。県なら県が市町村を一番見ているとは言えますので、ある意味では機能しています。ただ今後どうするかという話になれば別ですが。
工藤:東北の将来を考えるときに、この震災復興を期に、東北の中で何か新しい動きが始まるのを期待していますか。僕も青森出身なので、将来を想いながらどうなるのか心配ですが。産業も弱いですし。
山本:県の立ち位置がどうの、というのは難しい問題です。道州制がいいという方もいますが、今の県が必要だという方もいますので。私自身は今の段階では県があって良いところもありますが、県が無くて、国のそのまま直轄でも良いのではないかと思う面もあります。
ただ、そのままでいいと思う部分がある中で、それをつぶして違う形にするのはなかなか勇気が要ります。
工藤:もったいないですよね。
山本:ですから、そこはうまく連携していけばいいと思います。
工藤:最後に1つ質問です。住民は自分たちの地域に責任を持って、その中で自分がコミュニティの中の活動に参加するという動きは、今回の震災の中でどうなったのですか。昔と変わりましたか。
宮古市は元々民力が強い、行政は市民を繋ぐ役
山本:宮古市に限って言うなら、元々民力が強いところなのだと思います。自分たちでがんばろう、自分たちがやらなければいけない、というのは良く分かっています。例えば、水産会社、建設業の社長さんやそれから住民の方々もボランティアも、こういった人たち全員が、自分たちがやらないといけないものを分かっています。なので、行政はそれをただ繋げばいいと私は思っています。そのように言えば、市長は逃げているとかリーダシップが欠けていると言う人もいますが、私はきちんと市民を繋ぐ人がいなければまとまらないと思います。震災になったから発揮されたのではなく、元々そういう自分でやらないといけないという気質があるのです。それが発揮されたと私は思います。
工藤:なるほど。そうなれば、さっきの再生、発展という面で市民のマインドという一番大事な基盤はあるのですね。
山本:可能性があるからこういった計画をつくるわけです。それに向かって宮古市は動いています。市はちょうど岩手県沿岸の市町村の中で真ん中に位置しています。岩手県で一番大きい盛岡市から東に100キロのところにありますが、これを70キロくらいに短くしたいと思っています。そういう構想の中で宮古市が中心になってこの人口6万をもう少し増やして、中心都市として生きていけるようにしたいというのが私をはじめ宮古市民の思いです。
工藤:さっきの70キロにするというのは、どういうことですか。
山本:今、盛岡-宮古間は100キロメートルあり、クルマで2時間かかっていますが、それを1時間半にしたいという構想です。道路が山を上がって下っていますので、それをトンネル化するとか、湾曲した道路をまっすぐにするなどして、距離短縮を図って高規格の道路にして1時間半で盛岡まで行けるようにしたいのです。岩手県も盛岡からすべての地域に1時間半で行けるようにしたいということでアドバルーンを上げていますがあまり進んでいません。
工藤:今日は宮古市のこれからだけではなく、震災を経て色々考えなければいけない問題をずばり聞かせていただきました。どうもありがとうございました。
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