2012年2月13日(月)収録
出演者:
小倉和夫氏(国際交流基金顧問)
山岡義典氏(日本NPOセンター代表理事)
田中弥生氏(大学評価学位授与機構准教授)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
第2部:市民はこの国の課題にどう向き合えばいいのか
工藤:先の話を続けたいのですが、市民は政治にどのように参加すべきなのでしょうか。
リアリティのある関わりの中から、従来とは違うメッセージを社会に発信していく
小倉:私はね、イシューですね。1つの争点。つまり制度的なものではなくて、原発なら原発でいいし、女性問題なら女性問題などの身近な課題です。市民は課題で集まらないといけないと思います。
山岡:僕の考えも全くそのとおりで、従来の直接政治というよりも、自治体の審議会の公募に応募するとか、意見を自治体に述べるとか、自治体との集会に参加するとか。やっぱり現実の行政の場に参加することを通じて、リアリティのある行政の場が何であるのかということと、行政の仕組みが何であるのかというのを、きちんと理解するプロセスがないとね。大きい枠組みの議論だけを言っても、犬の遠吠えになってしまって、そんなに力にならないと思う。
僕は小倉さんが言ったのが非常に重要だし、いろんな参加のプロセス、あるいは協働もいいし、参加もいいのだけど、そういうリアリティのある関わりの中から、これは何なのか、自分たちはどういう役回りをしないといけないのかということを考える、あるいはどういう条例を自分たちで作っていくのかを考える。そういう話につながっていくのが重要だと思います。
それからNPOで言いますと、今回でいうと、従来から原発問題でいうと、本当に孤軍奮闘してきちっとやってきたところは、今やっぱり力持っていますよね。同時に、市民による様々な放射能の観測所ができている。これは、それ自身は政治的であるものもないものもあると思うのだけども、とにかく計る。我々は我々で、行政とも違う、企業とも違う、我々も独自に計るのだ、という第3者が計るデータを持つことが重要だと。そしてそれをホームページで公開する。国際的な場で公開する。それが市民ならできる。
僕はこうした活動には政治性があると基本的に思っていますが、そういうアクションを通じて、社会に、そして従来の行政や産業とは違うメッセージをきちんと出していく。その中で、自分たちは何をすべきかを出していく。そういう動きを、別の分野でも、全部作っていくことが必要かなと思います。
社会的な課題を実感するための一番いい学校は非営利活動やボランティア活動
田中:もちろん行政を通じて課題解決というのもあるのですけど、私はやっぱり、社会的な課題解決を実感し、体験する一番いい学校というのは、非営利活動やボランティア活動だと思います。日本人って、心配なのは、お上意識が強いということです。自分も行政的なところにいますけども、あの複雑な機構の中に、飲み込まれてしまう。そのポジションを見失ってしまうことって、あると思います。やっぱり外の目も、両方持っている必要があると思います。
リーダーシップを期待する風潮をどう考えるか
工藤:いまお三方と話をして、やはりこれは市民側が主体的にこの社会と向かい合っていく、そういう動きが色んなかたちで始まっているし、歩みの速度もあるのですが、少なくとも立ち位置がそういうところから皆さん議論を構成している。つまり市民が主体的に当事者として考えていく。NPOというのは政治ということから少し距離を置くような状況が今まであったのだけど、しかし、政治というのが自分たちの生活に直結しているものだ、と思えば、それも考えなければいけない局面にきている。
その点で皆さんにお聞きしたいのは、大阪の橋下市長の、この前の朝日新聞のインタビューです。橋下さんは、「有権者が選んだ人間に決定権を与える、それが選挙だ」と。「選挙では国民に大きな方向性を示して訴える、ある種の白紙委任なのですよ」ということを言っています。多分この発言は2つの意味があって、マニフェスト型の政治は、本当は国民との約束に基づいた政治をするということだったのですが、いろいろ細かいことを書き過ぎていて、それを守るかどうかで、一杯一杯になっている。現に民主党のマニフェストはほとんど機能してないわけですから、こんなことに政治家が縛られてどうしようもないという話。もう1つの話は、選ばれた以上、政治家が色々なことを決められるのだという話、この2つがあると思います。この2つの問題が一緒にかぶって、少し分かりにくくなっているのですが、こうした上からの発想と先ほどの皆さんの意見や考え方と少し違うのです。
つまり、市民が自分の意思でものを選んでいくなり、社会に対して発言していくとか、さっき話にも出ましたが、放射線を測量したり、何か社会のことに関して取り組んでいくとかそういう問題と、一方では、選挙は政治に「白紙委任」したものだ、という政治側の露骨な言い分もある。こうした政治側からの論点を、どういう風に考えていけばいいかということですね。これはどうですか。
常に市民の前に正統性を問いかけ、市民とともにやっていくのが本当の政治
小倉:政治というものが決めるべきものを甘く見ていると思いますよ、「白紙委任しろ」なんていう人は。ルーズベルトについてチャールズ・ビアードという人が書いた有名な本の日本語翻訳がやっと出ましたが、あれを見ると、第二次大戦を始めたのはルーズベルトですが、彼が結局自分の選挙公約を無視して戦争に突入する過程で、権力の恣意性というものが明らかに出ているわけです。
ですから、戦争か平和かということでは、権力は恐ろしい恣意性を持っているため、白紙委任ということはあり得ません。常に市民の前に自分の正統性というものを問いかけて、市民と一緒になってやっていくのが本当の政治だと思います。権力というものの恐ろしさというのを、あの本は余すところなく言っていると思いますが、私はそういう意味で、日常茶飯事のことについては白紙委任でいいと思います。しかし政治の本当の所、つまり国家安全保障とか、生きるか死ぬか最後の決断の問題というものは本当の政治ですよ。その時権力の恣意性というのが恐ろしい結果を生むというのは、歴史が証明しているわけです。だからそれは白紙委任という言葉の意味にもよりますが、とんでもない話で、まさにそこは大変な問題を孕んでいると思いますよ。
有権者との対話のプロセスが政治に大きな影響を持つ仕組みに
山岡:橋下さんの発言の仕方というのは、白紙委任と言っているけど、前提として、大きな方向性では選挙を戦っているわけだよね。マニフェストのように細かく決めたものにとらわれないで、大きな方向性の中で選んでいるわけだから、その大きな方向性がどの程度なのかっていうのが一つ。それと、今回の大震災なんていうのは突然起こるわけです。震災についてどうするかなんて選挙の時に誰も言っていないわけですし、大きい方向性も何もないわけです。菅さんが総理大臣になった時に震災が起こるなんて思っていなかったから。そうすると、やはり選挙をやった時に想定しなかった大きな問題、戦争の問題もそうですけど、政治的決断が必要な場合が出てきます。どの時どうするのか。それは全て白紙委任なのか、やはりその中で有権者との対話のプロセスが政治に大きな影響を持つような仕組みにしておくのか、というと、やはり対話のプロセスなり政治家内で議論のプロセスなり、そういうものがないといけませんよね。
工藤:僕は橋下さんの言っていることは、ある状況に関する答えを言っていると思います。それは、日本の政治が、全く意思決定できないということです。だけど多くの有権者も、まったく自分で考えてない、ただお任せしているような雰囲気がある。その状況で見れば、色々なことよりも、ちゃんと選ばれた人が決定権を持ってもいいという、微妙にポイントをついているのではないでしょうか。
政治不信の悪循環を市民の「気づき」によって変えていきたい
小倉:それは選んだ市民の方にも、選ばれた方にも若干の錯覚があると思います。というのは、現在起こっていることは、非常に冷酷に言ってしまうと、政治家自身が政治の不信を利用しているわけです。マスコミがまたそれに乗り、ミーハー族がそれに乗って、それが回りまわって政治不信をさらに加速させているわけです。その責任は政治家にあるというのはちょっと酷であって、市民にもあるのですよ。なぜなら市民はマスコミに踊らされている。マスコミにも責任はあるのだけど、そういう政治不信の中で動いているわけです。政治家がまさにその政治不信を利用している。市民が利用されている、また市民もそれを利用している、そういう悪循環が今日本で起こっている。それを変えない限り、駄目なのだと思います。
工藤:それは市民の気付きだよね。
小倉:まさにそうなのです。まさにそこを私は言いたい。だからそういうことをやっていても、解決にはならない。
「白紙委任」は自分で考えて選択をする自由を自ら放棄すること
田中:1つは政治側の問題、もう1つはまさに有権者側の問題、2つ述べたいと思います。まず「白紙委任」という言葉自体を使うということ自体、結局は、さっきの課題解決ですよ。課題について自分で考えて選択をする自由を自分から放棄しているということなので、やはりその言葉は使ってはまずいと思います。有権者自体が自分の選択権を放棄したということだと思うので、私は非常にまずいと思いました。
それからもう1つは、橋下さんは、マニフェストが政治家の裁量を狭めているという発言をされていますけど、問題の本質はマニフェストの出来が悪かったということなのです。課題解決として政治が機能してないのであれば、まず政策立案能力というのをきちんと見定めた上で、必要であれば絶対変えてはいけないと言っているわけではありません。変える理由を有権者に説明するというその手続きの話をしている。それを全部否定してしまったら、まさに民主主義が壊れてしまうと思います。
自己不信を越え、自信を取り戻すために、市民一人ひとりが課題に参加すべきだ
工藤:この橋下市長の発言に関しては、有識者への緊急のアンケートでも聞いています。このアンケートの自由回答では、皆さんと同じような回答が多く、白紙委任とかそういうことに関して、ちょっと違うのではないかという意見が圧倒的でした。ただ、結果を見ると、44.6%が橋下さんの意見に関して、「どちらかといえば賛成」と答えているのです。「賛成」は16.1%です。「反対」というのは23.2%で、「どちらかといえば反対」は12%だから、35%ぐらいが反対なのですね。賛成が多いということは、誰かリーダーシップのある人に期待しないと動かないのではないか。逆に言えば、市民側に自己不信があるのです。自分たちも大して動けないのではないか、と。市民社会を考えるときに、こうした雰囲気は無視できないと思うのですが。
小倉:一番恐ろしいのはやはり自己不信ですよね。そこに市民一人ひとりが自信を取り戻さなければいけない。そのためには自分の問題はやはり何かに参加していくとか、そこから自信を取り戻すよりしょうがないのではないでしょうか。
全国からのボランティアの活躍に多くの人々が変化を感じている
工藤:その意味でちょっと話を戻すと、この前の震災ではかなり多くのドラマがあって、圧倒的に多くの人がボランティアで被災地に行った。つまり自分のことと同じように多くの地域や、今困っている人たちのことを考えて、その中の課題解決に取り組んだという点では、非常に大きな経験、教訓を残していると思います。この点についてもアンケートで聞いてみました。震災から11カ月が経つのですが、あなたはこの震災時とその復興のプロセスにおいて、誰の役割に注目し、あるいは評価をしましたか、という質問です。このうち最も多かったのが、被災地の住民、そして全国からのボランティア、そして自衛隊なのです。この結果はどういう風に見ますか。
田中:私の印象通りです。先日、東大工学部の、防災工学を専門にされている目黒先生にお話を伺いました。震災のデータ分析をされているのですが、それともかなりオーバーラップしているところが、通じるところがあるのではないかと思います。目黒先生は震災以降のメディア報道等々の分析をずっとされていまして、そこの中で最も活躍している主体として、特に自衛隊の活動、ここのところを挙げてらっしゃいました。あとボランティアというのもキーワードで出てきます。
工藤:どうですか、山岡さん。この3つの回答が多いことについて。
山岡:自衛隊はさすがだなと思います。これは従来なかったことで、これが何を意味するかということと、本当に自衛隊は頑張ったという面もありますから、今後の自衛隊の在り方をどうするか、非常に重要だと思います。
若干ボランティアの方が多かったというのは救われた面もあります。特に被災地の住民というのは、今度のようにルーラルエリア(農村地域)では、本当に住民が頑張ったし、住民しかいない、NPO、ボランティアもとても入れるような状況ではない時に住民の大変な努力があった、という点で上の2つはいいと思います。聞き方が国内のNPO・NGOというのはちょっと少ないのですけど、全国からのボランティアというのはほとんどNPO・NGOがコーディネートしているわけです。現地の災害ボランティアもそうだし、ボランティアバスを使ってボランティアの送り出しをやっているのも大体広い意味でのNPOです。ですから見える部分はボランティアですが、その後ろにはNPOの存在があったことは理解していただきたい、と思っています。それから大学生や若者がものすごく少なくなっているけれど、実は全国からのボランティアのほとんどは大学生や若者なのです。だからこのアンケート結果で言うと、なんだ、日本の大学生・若者は全然駄目だと言うけど、このボランティアに入っているのです。このボランティアのおそらく3分の2か、もっとたくさんは大学生ボランティアや若者です。
工藤:確かに今回のアンケートの質問の仕方にも問題があったと思います。選択肢の種類が違うものが一緒に並んでしまっているので...。組織と個人が一緒になってしまっている。
山岡:個人は見えるけど、組織は見えないのですよね。
工藤:ただ多分、多くの人たちが全国からボランティアが被災地に行ったということに関して、非常に大きな出来事だと思っているし、組織としてみればNPOの姿がなかなか見えなくて、一方で自衛隊の姿がかなり見えていた。それは田中さんが言われたように報道という問題もあるかもしれません。逆に言えば政治家とか行政とかいう人たちは少ないですよね。
山岡:1割程度ですね。
永続的に市民社会が成熟するために、息の長い復興のプロセスを見る必要がある
小倉:やはり自衛隊については、震災までは市民と距離がある程度あったけれど、急速にその差が狭まった、そういうことは今後の日本にとっても大きいと思います。もう1つは自分が役立っているということでボランティアの方々も自信がついたと思いますし、市民社会の成熟への1つのきっかけになると思います。
問題は、災害は一時的なものですから、これが課題解決といっても課題なのかどうか。災害というのは極めて特殊な一時的なものですから、そこで盛り上がったものが次のステップにどのようにつながるかっていうのは、少し難しい問題があると思います。
私は今回については確かに1つの契機になりうるけど、そこからスピンオフ、ものすごく永続的な形で市民社会の成熟のきっかけの1つとなるかどうかは、むしろこれからの、息の長い復興のプロセスをもう少し長く見ていかないといけないと思います。今の災害への対処ではなくて、もう少し長い5年10年のプロセスの中で何が必要か、それに対して我々が、何ができるのかということを考えるその過程が大事だと思います。
田中:1995年の阪神淡路大震災の教訓というものがあると思います。あの出来事は、ボランティア革命という言葉があるぐらい、NPO法の制定の大きな原動力にはなったのですが、市民全体の動向について見た時に、寄付とボランティアの行動率は、実は95年は上がったのですが、その後、ずっと低迷していたのです。今回もまたぐっと上がると思うのですが、それがどこまで活発に残せるか、維持できるかというのが問われていると思います。
工藤:多分、多くの国民は別にNPOがどうかなんか関係なく、何かをしたかったのですよ。それが寄付にも表れたし、みんな何かを助けたかったし、そういう気持ちがかなり出たということはすごく良かったと思います。ただNPOの関係で言えば、阪神淡路大震災の時の巨大なボランティアの動きを1つの形にしていくということでNPO法ができてきて、一時的な災害かもしれないですけれど、1つの大きな流れをNPOがつくれるかどうかということも今回、問われたのも事実ですよね。その割にNPOの存在が、なかなか見えなかったのではないか。やっている人から見れば、当然やっているよとなるけど、やっていない人から見ればNPOって何だったのだろうとか、そういう感じがまだあるのではないでしょうか。
田中:それは、報道関係者、それから先週末、東大の公共政策大学院の学生、OBと話をしたのですけど、やはりちょっと今回はそんなにNPOの存在感は見えないかなと言っていました。
工藤:それは良いことなのですかね。
小倉:難しいところでね、日本の企業の社会貢献活動と他の国を比べますと、日本の場合は圧倒的にPRが上手くいっていないのです。ところが良いことをやれば、そのこと自体が良いことであって、それをむやみやたらに宣伝するということ自体はあまりする必要はないのだという美徳が日本社会にはある。だからボランティアで良いことやれば、俺はこういうことやったぞ、どうだと言ってPRするというのは、日本の文化・伝統の中では難しい問題があると思います。
工藤:ボランティアに行った人たちがその後どういう意識を持って、社会の大きな担い手として成長していくのかということに非常に関心ありますよね。