2013年10月21日(月)
出演者:
川島真氏(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
神保謙氏(慶應義塾大学総合政策学部准教授)
三上貴教氏(広島修道大学法学部教授)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
外交のジレンマを乗り越えるための民間の役割とは
工藤:政府間の外交では、領土など主権問題が関わると、どうしてもナショナリズムを刺激してしまうため、身動きが取れなくなってしまう、という政府間外交特有のジレンマがあると思います。この問題を乗り越えることは可能なのでしょうか。
神保:政府間外交は公的な外交であり、政府を代表して国の立場を述べるわけですから、当然ながら妥協というのは非常に大きな決断であるし、その妥協によって国内に対する政治リスクを負ってしまう、という意識を常に持たなければならない。つまり、二国間関係を発展させるということと、国益を守るということは、元来両立しにくく、根本的なジレンマが生じやすいのだと思います。ここでのポイントは、国益を守りつつ二国間関係もよくなるようなwin-winの関係をどのように見出していくのか、ということが大事なのですが、残念ながら領土や主権など原理原則が関わるような領域においては、そのジレンマを政府間外交の中で打開していくことは極めて難しいと思います。
では、それをどのように乗り越えていくのか。もちろん、政府の役割もありますが、民間が果たすべき役割が非常に大きいと思います。まず、日中間での民間交流というのは20年前とは比べ物にならないぐらい密になっています。ですから、民間から見れば、「日中関係は本来こうあるべきである」、という理想の姿を政治に対して常にフィードバックするような仕組みを構築する必要があります。同時に、民間の中にも「原理原則は守るべきだ」という意見や、「もっと良いビジネス関係を作り、互恵関係を増やしていくべきだ」など色々な意見があると思います。それも含めて、国内世論の姿がどのような配置になっているのか、ということを日中両国がお互いに理解するためのインターフェースが必要だと思います。
三上:民主主義社会においては、政府は市民社会とのつながりを無視して、外交を行っていけないと思います。今、日本の政府が行っている外交政策について、特に、国境をめぐる問題について秘密にしたいというのは分かるのですが、やはり市民社会にもっとしっかりと説明してほしいと思います。それが、国際社会に向けての日本政府の外交政策の発信にもつながるわけです。中国社会にもその発信が広がっていくのは難しいかもしれませんが、アメリカの中にいる中国人たちには伝わっていくわけです。
ですから、外交のジレンマを乗り越えていくために、二国間での解決が行き詰まるようであれば、国連や国際機関を動かすなど国際世論を巻き込んでいくことが重要であると思います。そして、もう少し広い視野から「紛争は絶対に起こさない」、という規範を作っていければ理想的です。
民間側でどのようなコンセンサスを作るのか
工藤:政府側に課題を解決する意思はあるのでしょうか。今ある動きは、日本、中国ともに、民間の動きを自分たちの動きの雰囲気づくりや主張に利用し、世論を自分たちのゲームの中に巻き込んでいってしまうようなものです。その結果、動けなくなって立ち止まってしまうような気がしています。もし、政府側に本当に課題を解決する意思があれば、様々な民間の動きと連携したり協力したりできると思うのですが、そういう意思を政府から全く感じられません。この点について、いかがでしょうか。
川島:日中関係は、この10年ぐらいで経済関係を中心に非常に緊密化し、人の往来も非常に多くなりました。しかし、物理的な関係が緊密化すればするほど、感情は悪化したわけです。日中双方でアンケートをとっても、「相手国と信頼している」と回答する人は、10%もいない状態です。そのような状態では、日本と中国のリーダーは相手国に甘い顔をするという発想にはならないわけです。確かに、民間の交流は大事なのですが、逆に政府の側から見れば、上がってくる統計を分析すると、民間こそが相手に悪い印象を持っていると解釈してしまうわけです。ですから、そもそも民間とは何か、という定義も難しいところです。
それから、外交官の方々というのは、世論をよく見ている政治家と世論に挟まれて非常に狭いところを動いているのだと思います。外交官も実際には、危機回避の仕組み作りや、何とかして妥協しよう、という交渉はおそらく色々な方法でずっとやっていると思います。ところが、その方法が政治的なアジェンダに乗らない。つまり、不作為ではなくて、やってはいるのだけどそれが政治の課題には載らない、ということが大きな問題だと思います。その背景には、世論側にも問題があります。相手国へ非常に悪い感情を示す国民がとても多いので、政治家も批判を避けて自分の身を守るために世論に迎合して、どちらかというと相手国に対してネガティブな方に立ち位置を取ってしまう、あるいは思い切ったことはできない、ということになるのだと思います。
ですから、民間側でどのような冷静なコンセンサスを作るのか、ということが大きな課題だと思います。
尖閣周辺で常態化した危険な状況と、民間側の不感症
工藤:では、議論を民間側の問題に移します。日本では、尖閣周辺海域で衝突への危機感が一時期非常に高まり、非常に話題になっていたのですが、今は話題にならない。自粛しているのかもしれませんが、ある意味で危機がもう終わった、平時に戻ったという雰囲気があります。しかし、実際には何も変わっておらず、緊張感が続いている状況です。つまり、政府側にも民間側にもアジェンダを決めて考えていくという動きがなくて、何か不感症になっているという感じがするのですが、いかがでしょうか。
神保:特に、尖閣周辺における中国の様々なタイプの船舶の活動は、2012年の9月以降、回数も規模も飛躍的に拡大していて、常態化しています。その結果、日本の海上保安庁もかなり疲弊しながらパトロールを行っています。このような状況は現在も続いています。その狙いは、この状況を常態化することによって、既成事実を積み上げていくことを意識されないような状態にする。つまり、「ほら、もう既に領土問題はあるじゃないか」、という状態にすることが中国側の狙いだと思います。
これ自体は、日本政府の側からすると容認できることではありませんから、しっかりと対応していかなければならないと思います。同時に考えないといけないことは、こういう状態が続いていくと、何が起こるかというと、警戒監視活動を続けていく中で計算間違いや誤解に基づく事故が起こりやすくなります。そして、一旦事故や衝突が起きると、原理原則の話に発展して、エスカレーションの制御が難しくなる。つまり、現状は沸点が低く設定されている中で、今の緊張感の欠如の常態化が起きている。これは非常に危険な状況だと思っています。
工藤:先程、三上さんは、様々な情報を市民社会に説明するべき、ということをおっしゃっていました。確かに、その通りだと思うのですが、一方で、民間側が不感症になって課題を避けてしまい、メディアもそういった報道をしません。非常に不透明な環境を民間側も作り出しているという点で、民間側の問題も大きいのではないでしょうか。
三上:民間が取るべき態度としては、現状を正しく知って、「正しく恐れる」ということが必要ではないかと思っています。中国は中印、中ソ、中越など数々の国境紛争において、実力行使に出ているわけですから、日本に対しても実力行使に出てくるかもしれない、ということは政府レベルでは想定しておかなければいけないと思います。それを前提として、国民の中で中国の脅威に対して日本は十分に対応できる、ということが分かっていれば、いたずらに危機を恐れることはないと思います。現状を市民社会がしっかりと認識すれば、「では、これまでと違った形でどのように交流を深めていくべきか」、ということを考えていく余裕も出てくるのではないでしょうか。リアリスト的な発想から、いたずらに相手国を恐れないことが大切です。そういうことを理解した上で、ドイツとフランスがパイプを強くしていったように、日中間でもしっかりと関係を改善していく。これは少し遠い道のりになりますが、地道にやっていくしかないのではないかと思っています。
試金石は、両国の民間同士のコンセンサス作り
工藤:政府間外交のジレンマがある時に、民間が何かをしなければいけないと思うのですが、民間の様々な交流や対話に政府間外交を補完するような能力、役割はあるのでしょうか。また、どのような可能性を感じますか。
川島:政府間外交では本音で言えないことはたくさんありますし、言い方が硬くなってしまうという問題もあります。それこそ、外国の方には理解しにくいことも非常に多くあります。そういう時に、民間はそれを相手にとって分かりやすく、説き明かして自国の考え方を伝えられるわけです。つまり、政府が行うパブリック・ディプロマシーはどうしてもプロパガンダになりがちですが、民間だからこそできるパブリック・ディプロマシーもあるわけです。
また、民間同士で何らのコンセンサスを作ることもできるわけです。例えば、「戦争だけは止めよう」など最低限のコンセンサスを作っていって、それをそれぞれが自国の政府に提案していく、という作業はあり得ると思います。それを日本と中国の民間が共にやっていく。政治家は世論を見ているわけですから、その動きが大きくなれば意識せざるを得ない。だからこそ、世論のコンセンサスを作ってみせることが、外交において民間が影響力を持つことにつながっていくのだと思います。
神保:過去20年間のアジア、太平洋の外交を振り返ってきた時に、民間外交の果たしてきた役割は、非常に大きかったと思います。トラック1.5という仕組みでは、民間の専門家と政府の関係者が、個人的なキャパシティで会議に関わりますが、そこで大事なのは、政府と全く関係のないところで議論しているのではなくて、そこでの対話が、メッセージとして何らかの形で政府に届けられるであろう、という感覚です。そこに、政府の発言のように固い原則に縛られているわけではない人たちの議論の場がある、ということが非常に大事だと思います。ですから、外務省のOBや、政権与党で政府の役職には入っていないけれども、個人のキャパシティで政権中枢にアプローチできるような人など、ワンステップを置くと今のリーダーにも声が届くのではないか、という人たちの話は各国の政府でも非常に重要視されていたと思います。
それから、専門的な知見から見たら、「当然こういう協力をしていくべきだろう」、ということが客観的に示されているにもかかわらず、現状がそうはなっていない場合、それは当該テーマが各国の政治的課題の俎上に上がっていないということになります。そこで、専門的な見地から見ると当然なされるべき議論を政府に示していく、というのも民間外交の重要な役割です。
工藤:政府間外交はむしろ、民間外交を避けていませんか。「東京-北京フォーラム」の準備を行っていると、時々、そう感じることがあるのですが。
川島:政府は民間外交の動向を見て動くので、一緒に動くということは必ずしもないと思います。つまり、民間外交と政府外交はずれるのが普通で、ずれるからこそ効果を持つのだと思います。
工藤:今回の「東京-北京フォーラム」の準備を進めながら、言論NPOが考えている民間の対話・外交のアプローチとはそもそも何だろうか、と悩むことがあります。私たちが考えている外交は、「個人として課題解決に参加したい」という思いがベースにあるわけです。実は、世界でもこれと同じ現象が起こっていて、ステークホルダー、つまり当事者として、色々な市民、専門家、学者、政府関係者OBも含めてみんなで課題解決に取り組む、という動きが出てきています。
私たちはそこで、「当事者としての課題解決」と「輿論」を重要視して外交に取り組む仕組みを提起しようと思っています。私たちは、その仕組みに「言論外交」という名前を付けて、世の中に提案できないかと思っているのです。
ただ、「言論外交」という言葉を作り出す前に、私たちが考えている外交の概念は、ひょっとしたらいわゆる「パブリック・ディプロマシー」と同じなのではないか、と考えていました。しかし、三上さんをはじめとする様々な専門家の方の話を聞いていたら、パブリック・ディプロマシーというのは、そもそも政府が行う他国の国民に対する広報宣伝外交なのだということが分かりました。それでいわゆるパブリック・ディプロマシーは、私たちが目指す外交とは異なるものだ、と感じるようになったわけです。
そこで伺いたいのですが、民間が参加する外交の在り方を、どのように考えていけばいいのでしょうか。