集団的自衛権を考える

2014年6月13日

2014年6月13日(金)
出演者:
秋山昌廣(東京財団理事長、元防衛事務次官)
神谷万丈(防衛大学校総合安全保障研究科教授)
道下徳成(政策研究大学院大学教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

 5月15日の安全保障の法的基盤の再検討に関する懇談会 (安保法制懇) の報告書提出を受け、安倍政権は集団的自衛権行使の容認に向け憲法解釈の変更について本格的な検討に乗り出している。「集団的自衛権を保有しているが行使はできない」というこれまでの政府解釈を変更し、行使容認に踏み切ることは、日本の安全保障政策の大転換となる。
 しかし、そのような重要イシューであるにもかかわらず、集団的自衛権をめぐる議論は、憲法論や、PKOなどの集団安全保障、さらに日本を取り巻く安全保障環境の変化など様々な視点が入り組んでおり、非常に分かりにくいものになっている。
 座談会では、日本の安全保障政策を知り尽くした3氏が、論点を整理し、分かりやすく解説しながら、「なぜ今、集団的自衛権が必要なのか」という本質的な議論を展開していく。


工藤泰志工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。今回の言論スタジオは集団的自衛権について議論したいと思います。これは非常に重要なテーマですので、今回を皮切りに、何度か議論を進めていきたいと思います。

 それでは、ゲストの紹介です。まず、東京財団理事長で、防衛事務次官も務められた秋山昌廣さんです。続いて、防衛大学校総合安全保障研究科教授の神谷万丈さんです。最後に、政策研究大学院大学教授の道下徳成さんです。皆さん、よろしくお願いいたします。

 さっそく議論に入ります。今回も言論NPOに登録している有識者にアンケートを取っていますので、それを踏まえながら議論をしていきたいと思います。

 基本的に自衛権には、個別的自衛権と集団的自衛権があります。個別自衛権は自国が攻撃された場合に、それを排除するという権利で、集団的自衛権は自国が攻撃されているわけではないが、自国と密接な関係のある国が攻撃を受けた場合、それを自国への攻撃とみなして、共同してそれを排除するというものです。これはどちらも国連憲章の中で認められている権利ですが、日本では1982年から集団的自衛権の行使に関しては、必要最小限の自衛の範囲を超えているので憲法解釈上許されない、という解釈が続いていました。ただ最近、我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある場合、限定的には行使することを認めてもよいのではないか、という議論があり、安倍首相もそういうことを主張し、与党間で協議が始まっています。ただ、これはこれまで長く続いていた解釈を変えるというだけではなく、日本の安全保障面における大きな転換を意味することでもあり、今、非常に大きな議論になっているわけです。

 アンケートでは、「安倍首相は、私的諮問機関『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)』が『限定的に集団的自衛権を行使することは許される』と提言したことを受けて、与党の協議が整えば、憲法の解釈変更を閣議決定する考えです。あなたは集団的自衛権を行使できるようにすることに賛成ですか、反対ですか」と質問したところ、「賛成」、「どちらかといえば賛成」という回答が合わせて、52.7%と半数を超えました。「反対」、「どちらかといえば反対」という回答は合わせて38.9%でした。私の事前の予想ではもっと賛否が拮抗する結果になるかと思っていましたが、言論NPOの有識者の中では、賛成が非常に大きいという結果になりました。

 ただ、メディアが実施している一般の世論調査を見ると、やはり賛否が非常に拮抗している。つまり、一般の方々にとってはなかなか判断をしにくい問題となっており、国民世論は揺れ動いて、まだ定まっていない状況になっています。このように意見が分かれているという構造をどう思っているか。そして、ゲストの皆さんご自身はどう判断されているのか、というところから議論をしていきたいと思います。


日本を取り巻く安全保障環境は大きく変化している

秋山昌廣氏秋山:集団的自衛権の行使は、日本にとっての同盟国である米国との関係を考えると非常に重要な問題です。これまで日本の安全保障にとって、その中核にある日米同盟が実効的な機能を確保できるかというのは非常に大きな課題でした。1990年代に北朝鮮の核開発疑惑があり、もしも何か有事が起こったときには米国が何らかの作戦を展開する、というときに同盟国日本には一体何ができるのか、ということが議論されました。そこでの検証結果では、当時の憲法解釈、および法律ではほとんど何もできない、ということになりました。当然、これではとても日米同盟を維持できない、という声が上がりました。それと同じような話が、最近の中国の海洋進出も含めて、安全保障環境が大きく変わっている中で出てきています。そこで日本の安全保障の中核にある日米同盟の実効性を確保するために、集団的自衛権の発動を認めるような雰囲気が出てきた。これは難しい話ですから、世論が50対50に割れても、「ああ、そんなに賛成が多くなったのか」と私なんかは思いますが、今日のアンケート結果では53対39ですから、大統領選挙に例えれば圧勝です。そういう意味では、非常に変わったな、非常に良い成果が出ているな、という気がします。

道下徳成氏道下:私は基本的に、日本が集団的自衛権を行使するということについては賛成しています。その理由は、今、秋山さんもおっしゃったように、1990年代に朝鮮半島で危機が起こったときに出た議論に加え、もう一つ新しい要素が追加されているのではないかと思うからです。すなわち、2010年代に中国が台頭し、軍事力も増強してきた結果、地域のバランスがかなり崩れつつある。それだけならまだいいのですが、中国は強くなった軍事力を背景にして、かなり自分たちの主張を押し通すための行動に出てきた。そういう状況において、やはり「日本もアメリカもある程度、防衛力を増やして対応すればいいのではないか」という話になると思いますが、日本、アメリカともに財政的に苦しい状況にあり、そんなに軍事力を増やすこともできない。では、それではどうすればいいか、となった場合、「アジア太平洋地域、特に重要なパートナーである韓国やオーストラリア、東南アジアの国々、インドと協力関係を緊密にしてバランスをとろう」ということになります。そういった協力関係が進んでいくと、集団的に行動できる権利である集団的自衛権を行使できないと、アジアの協力体制が機能しなくなります。そういったことが、やはり一番重要な目的になっていくのではないかと思います。

神谷万丈氏神谷:現在の世界では、科学技術の進歩、国際環境の変化などの要因によって、アメリカも含めてどの国も自国だけでは安全を保障できない状況になっています。ですから、「助け合う」ということはどうしても避けられません。例えば、日本有事、つまり日本が攻められたときは「集団的自衛権などを持ち出さなくてもアメリカが助けにくる」と発言する人がいますが、なぜアメリカは自国が攻撃されていないのに日本を助けに来るのか。それは、アメリカが集団的自衛権を行使しているからこそ、その行動は国際法上合法になるわけです。そうすると、アメリカには助けてもらうけれど、日本は助けなくていいのか。加えて、アメリカ以外の国のことは考えなくてもいいのか、といったように色々考えていくと、やはり日本も、国際法上合法な安全保障のための活動を、行えるようにしていかないと時代に合わないという状況だと思います。

 そのことは国民もかなり理解し始めていると思いますが、それでも賛成の方が多いものの、相当な数の人たちが反対している。その最大の理由は、「武力を用いる」ということが関係してくるからだと思います。私は、戦後日本の平和主義というものは、武力、軍事力が平和のためにどうしても必要だ、ということを認めてこなかったという意味での消極性を今でも残していると思っています。安倍さんは積極的平和主義という言葉を掲げて、その消極性を正していこう、と考えておられるのだと思います。ですから、集団的自衛権についても、積極的平和主義の一部として考えていく必要があると思います。

 安倍政権は集団的自衛権について、勇気を出して、これまでの政権が言わなかったこと、言いにくかったことに関して、どんどん行動を起こしています。しかし、軍事力というものは危ないものだけれど、平和のためには必要なのだ、どんな人間の社会でも「力」というものを抜きにして平和な秩序を保てない、ということをストレートに説明してはいません。私はそうした説明が必要なのではないかと思っています。日本国民もそういう現実を見据えて、議論をしていく必要があると思っています。


憲法解釈は本来変わるもの

工藤:アンケート結果では確かに、集団的自衛権の行使容認に関しては半数くらいの賛成があったのですが、実はその次の質問で、「安倍首相は憲法改正ではなく、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を可能とすることを目指しています。あなたは、こうした進め方についてどう考えますか」と尋ねたところ、「解釈の変更ではなく、憲法改正で行うべきだ」という回答が47.3%で半数近くにのぼりました。一方、「憲法解釈の変更で行使を可能としても問題は無い」という回答は33.6%ですから、憲法改正で対応するべきとの意見が多数を占めています。

 確かに、集団的自衛権の行使容認という問題に関しては、これまでの「必要最小限度」と規定している日本の平和憲法をかなり変えてしまうのではないか、憲法違反になるのではないか、政権だけの解釈だけで変えていくのは危険ではないか、堂々と憲法改正に関する議論をしていくべきだ、との声がかなり多くあります。この点についてはどう思いますか。

秋山:憲法改正をするのが正道ではないか、筋ではないかという議論が多いのは確かです。ただ、注意しなければいけないのは、日本の憲法解釈については、内閣の一部局にある内閣法制局がこれまで担当してきたのですが、法制局の憲法解釈があまりにも神聖化され、絶対的なものであると思われすぎてしまっていた、ということです。集団的自衛権が必要最小限度の自衛権の行使に含まれない、という憲法解釈は、1982年に初めて確立したものにすぎず、それ以前は非常にあいまいな状態がずっと続いていました。つまり、憲法解釈というのは変更があり得るというわけです。例えば、1950年代や60年代の議論を見ても、かなり動いている。特に、環境の変化があれば、憲法解釈は正当な意味において、変えていく必要があると思います。

道下:私がこのアンケートに回答するとすれば、「本来は憲法改正でやった方がいいが、政治的リーダーシップで判断していくことはそれなりの正当性がある」という回答になります。これはなぜかと申しますと、国家の国益がかかっている重要な問題においては、国内外の情勢が動くスピードが速いわけですから、憲法改正の手続きを踏んでいると、非常に時間がかかってしまい、国益を著しく害してしまう可能性があるからです。

 そもそも、今回の解釈の変更というのは、義務を課するものではなくて、権利を行使するという消極的な変更ですので、そういう意味でも憲法改正をしなくても大丈夫だと思います。これがもしも、国民に何らかの義務を課すものであれば、解釈変更だけでは駄目で、憲法改正をすべきだと思います。

 それでも国民が「どうしても嫌だ」と言うのであれば、次の選挙で安倍さんを落選させて、政権交代をして、また憲法解釈を元に戻せばいいわけです。ですから、国民にもまだ判断の余地は残されていると思います。

神谷:今回のアンケート結果で、なぜ判断が2つに分かれるのかというと、この問題は非常に分かりにくく、判断に迷っているのだと思います。そして、判断に迷う最大の理由は、先ほども申し上げたように、集団的自衛権が結局、日本人が戦後において一番考えたがらなかった「武力を平和のために用いていく」ということに一歩踏み込むことにつながってくるからだと思います。武力行使というのは避けられるものであれば避けたいことだが、人間が社会を営み、その社会の秩序や平和を保っていくためには、国際社会であろうと国内社会であろうと武力という要素が不可欠であることを政府がきちんと正面から国民に訴える必要がある。私は、それで賛成が非常に少なかったら、民主主義国家である以上、しばらく待つ必要があり、それが民主政治の常道だと思っています。


混在する集団的自衛権と集団安全保障

工藤:集団的自衛権というのは定義上、自国ではなくある別の国に、攻撃があった場合に、それを自国への攻撃とみなして、ある別の国と一緒に対処していく、というものなので、それを考えるとどうしても、海外に対する派兵や、武力的な活動への参加についての議論になってしまいがちです。ただ、今はそういう議論にはなっていない。安倍さんは記者会見で、自衛隊が武力行使を目的とした活動に参加することは一切考えていない、と発言しています。

 今、政府が国民に提示しているのは限定したケースです。邦人救出など15事例を提示して、これはできるけど、これはできない、というような議論になっていて、集団的自衛権の理念的な意味合いが非常に見えにくくなってきている気がします。そのあたりが分かりにくい一つの原因になっていると思うのですが、どのように考えればいいのでしょうか。

秋山:元々の狙いとしては、分かりやすくするために色々な個別の事例を出したのだと思います。集団的自衛権の行使ができない場合、こんなこともできないのだ、それでいいのか、せめてこれくらいはできるようにしたい、ということでいくつかの事例が提示されている。それで、個別事例について議論をしていくうちに、それは個別自衛権でできるのではないかという議論や、PKO活動についてはそもそも集団的自衛権の話ではないのではないか、という議論が出てきて、やや混乱してきている。そもそもすべての事例に集団的自衛権の行使の要素はあります。例えば、武力行使の一体化や海外派兵などです。国連の下における集団安全保障は集団的自衛権とは違うものですが、それが集団安全保障の話とこんがらがってきている。

 例の法制懇ではそこは整理して、これは集団的自衛権ではなく集団安全保障だ、という整理はしていますが、そういう議論が出てきた背景にはやはり、集団的自衛権が行使できない場合、日米同盟を維持できるのか、という問題意識があると思います。

道下:各種の世論調査を見ても、国連の下でのPKO活動への参加に関しては相当高い支持が集まっていることからも、日本国民はこれはやっていいと支持していると思います。やはり、微妙な問題は集団的自衛権であって、PKOではない。必ずしも国連傘下の活動ではないけれど、他国を助けるという活動について賛否が分かれている。賛成の論拠として出される典型的な例としては、秋山さんもおっしゃったように、「北朝鮮が日本を越えて、グアムやハワイにミサイルを撃ったときに、日本はそれを撃ち落せない」というのはあまりにもひどい話ではないか、というものです。この事例は象徴的で分かりやすい話なのですが、これが現実的なのか、蓋然性が高いのかというと決してそうではない。こういう事態というのは、アメリカが攻撃されているわけですから、もはや大戦争なわけです。そうすると、実際には日本にある在日米軍基地が優先的に攻撃されるので、日本にも相当な量のノドンミサイルが飛んできているはずです。ですから、ハワイやグアムに飛んでいくミサイルを追いかけている場合ではないわけです。ということで、現実性に問題があるシナリオであることは事実です。

 では、なぜこのようなシナリオを出すのかというと、一般の方々にも分かりやすいからです。私が考える、より現実性の高いシナリオというのは、実は平時におけるシナリオです。必ずしも戦争になっていないけれど、東シナ海、あるいは南シナ海で、中国が軍事力を背景にした色々な圧力を加えてくる、示威行為をする、あるいは南シナ海で係争のある島嶼を一方的に占領する、というような事態です。そういうときに、被害を受けるフィリピンやベトナムだけではなく、日本やアメリカ、オーストラリアなど地域の諸国がみんなで協力してやめさせる、抑止するための体制をつくることが重要です。石破さんは「アジア版NATO」を作る可能性を指摘し、アジア、リージョンワイドの、地域全体の何らかの集団防衛ネットワークをつくろう、ということを言っておられます。「アジア版NATO」というのは多少、大げさな言い方ではありますが、方向性としてはそういうことなのだと思います。ただ、こうした考え方は一般の国民にとっては分かりにくい話です。実際に武力行使をするという話ではなく、しかもオーストラリアやASEAN諸国は現在、日本と同盟関係にある国ではありません。日本はこれまで長い間、「平和主義」という名の孤立主義政策をとってきていて、あまり集団防衛にコミットしないという態度をとってきているので、「アジア版NATO」などと言うと紛争に巻き込まれるのではないか、という不安を煽られて、本質的な議論ができていないところがあると思います。

工藤:今のお話は、日米安保の実効性の問題と連動していて分かりやすいのですが、そういう問題提起は政府側からなされていません。つまり、南沙諸島で何かがあった場合に、日本がアメリカと一緒に出ていくとなったら、かなり大きなコミットメントになる。それは、日米安保をベースにした、極東の中の展開の話ではない不透明な要素も多いわけですから、そうなってくると、色々想像で考えなければならないことが出てくるので、不安定な感じがしませんか。

道下:ただ、実際には南沙諸島で日本がフィリピンと一緒に行動するという可能性は高くありません。実際にやる任務は多分、フィリピンやベトナムが自己防衛できるように武器や装備を供与する。その次に共同訓練や演習を通じて、供与した武器や装備をきちんと使いこなせるようにする。そういうキャパシティビルディングをすることになると思います。そこから先は多分、自分でやってくださいということになると思います。ここは今一つ理解されていないのですが、平時において、例えば、アジアの国々と共同訓練、演習をしようと思っても、集団的自衛権を行使できるという法的要件がないと、実は共同演習、訓練もできません。ですから、そういったことができるようになる、というのが、集団的自衛権を行使できるようにすることに伴う現実的に最も重要な変化だと私は思います。

工藤:今の政府の議論の進め方がよく分からないのですが、現状、限定的なケースを提示していますよね。「これは個別的自衛権だ」とか「これは自衛隊法改正でできる」といった整理を行い、その中で、「やはりこれは集団的自衛権を容認しないと対応できない」と思われるものを表に出して、それについて個別的に判断するという流れなのでしょうか。それとも、集団的自衛権そのものの行使をできるようにする、というかたちにしようとしているのでしょうか。

神谷:安倍さんご自身は、集団的自衛権は国際法上どの国にも認められているものなのだから、最終的には全面的に行使できるようにするべきだ、と考えておられるのだと思います。しかし、日本の政治状況、あるいは国民の意識を考えながら、とりあえず現時点でどこまでできるか、ということを考えておられるのだと思います。その際、分かりにくいのは、先ほどからのお話にもあるように、集団的自衛権以外のものも「集団的自衛権」という言葉でくくって議論しているところだと思います。なぜこうなったのかを理解するためには、ここに至るまでの議論の過程を振り返る必要があると思います。

 冷戦後、日本の安全保障政策に色々な弱点があるということが分かってきた。その一つが、先ほど秋山さんがおっしゃったように「日米同盟が日本の安全保障の根幹だ」と言っているのにもかかわらず、いざ日本周辺で何かがあった時に、従来の憲法解釈だと日本はアメリカをきちんと助けることができないということだったので、集団的自衛権という問題が大きくクローズアップされてきた。さらに突き詰めていくと、必要最小限度の個別的自衛権の行使に関する武力行使以外は一切できないのだ、という考え方がその根底にあったわけです。それではあんまりだ、という議論がずっと続いてきて、ここにきてようやく集団的自衛権を限定的に行使できるようにする、という方向になってきた。ただ、日本が自国や世界の平和のために、他国と協力して安全保障を行っていく、ということを考えると、厳密に言えば集団的自衛権とは異なるけれど、日本が他国のため、あるいは他国と協力して武力を行使する、ということを考えなければならない場面が色々と出てくる。その典型的なものとしては、国連の集団安全保障と呼ばれるものであったり、PKOの駆けつけ警護だったりする。要するに、少し離れたところで他国の部隊やNGOが攻撃されているときにも、今までの日本は武力で助けてはいけない、ということになっていた。それで積極的平和主義の国と言えるのか、それはおかしいだろう、という議論になってきた。さらに進んでグレーゾーンにおける武力行使なども、これまでの解釈では最小限度の武力行使の範囲から外れるものだけれど、これができないで尖閣の防衛は大丈夫なのか、という議論になってきている。ですから、当初の議論では、集団的自衛権がいわば看板になっていたのですが、話はどんどん広がってきているわけです。

工藤:安倍さんは現時点では、自衛隊は戦闘行為に参加するような行動はしない、と言っていますよね。

神谷:それは、秋山さんが実務家として苦労されたはずの、「武力行使との一体化」というところに関わってきます。つまり、日本が直接戦うことはしない、と安倍さんはおっしゃったのですが、直接戦わなくても、戦っている同盟国であるアメリカ、あるいは国連軍や他国を非軍事的な手段、あるいは後方支援というかたちで助けるのも駄目だ、というのが従来の解釈で、それはあんまりだ、というのが今の議論です。

工藤:これまでの議論を聞いていると、やはり憲法解釈の変更だけでは不十分で、憲法問題になりませんか。

神谷:私は、民主主義の基本は国民がどう考えるかだと思います。解釈変更だけでいけるかどうか、ということも最終的には国民がどう思うかで判断するべきことであって、その意味でもっと安倍さんと政府が国民に対して説明をして、それに対する反応を見て最終的に判断していくほかないのではないかと思います。

 それから、安倍さんは「『必要最小限度』より手前は解釈変更でいけるのではないか」とおっしゃっているので、決して何でも解釈変更だけでいけると考えているわけではない、という点には注意した方がいいと思います。

秋山:武力行使の一体化の話は、日米関係で言えば、日本の近辺で何か武力紛争が起こったときに、アメリカの後方支援をする。その後方支援の仕方はどんなに後ろに下がっても、それは武力行使の一体化なのだ、という議論があるわけです。それが集団的自衛権の行使の話なのです。集団的自衛権の行使というのは、あるとき「これは必要最小限度の自衛権の行使には含まれない」という解釈になった。解釈というのは変わる。あるときそういう解釈になったというだけで、環境の変化に従って解釈は変えていいものだと思います。今は法制局の憲法解釈が独り歩きしていますが、あくまでも解釈なのです。

工藤:憲法解釈は総理が変わるごとにどんどん変わるっていく、ということは国際社会から見て良いことなのでしょうか。

秋山:憲法解釈がこれほど大きな要素になっているのは日本ぐらいです。総理によって変わるという以前に、憲法の番人である法制局の解釈もこれまで変わってきているわけですから、そもそも解釈というのは変わるものだと私は思っています。


アメリカから見た日本の集団的自衛権

工藤:ここでまたアンケート結果を紹介します。まず、「集団的自衛権の行使を今回容認することの目的について、石破自民党幹事長は様々なインタビューで、日米同盟を強化することで抑止力の向上が実現できる、と主張しています。あなたは、この考えに賛成できますか」という質問です。これに対して「賛成」という回答が49.7%と半数近くありました。ただ、「反対」という回答も32.1%ありました。

 集団的自衛権の行使容認の目的として、日米同盟をより機能させるため、という理由は分かるのですが、今の北東アジアの安全保障上のイシューとして、なぜ今そこまでやらなければならないのか。そもそも本当にアメリカは集団的自衛権の行使について積極的に期待しているのだろうか、ということについて若干疑問があるのですが、このあたりについてはどうでしょうか。

秋山:アメリカから見ると、冷戦が終わった後、かえって世界の安全保障環境が複雑になった。特に、北東アジアでは北朝鮮の核開発疑惑から始まる朝鮮半島有事が念頭にある中、何かが起こったときに、アメリカにとってアジアにおける最大の同盟国である日本は何もできないのか、というところからアメリカにとっての日本の集団的自衛権の問題は始まっていると思います。

 集団的自衛権の行使というのはある意味で、武力装置の発動です。たとえそれが日本によるアメリカのための後方支援、あるいは、医療援助であったとしてもそれを戦闘行為とみなされれば武力の行使にあたってしまうわけです。

 石破さんは、そういう武力行使の問題が起こらないように、アメリカを支援するようにする。それが、戦争が起こらないようにするための抑止力を高めることにつながる、ということを主張しているわけで、これは非常に正しい話だと思います。

 では、具体的に北東アジアで何が起こるのか。1990年代以降から考えてみるとやはり、日本周辺での有事だと思います。例えば、中国の海洋進出に伴い東シナ海、南シナ海で起こっている問題について、米国との関係では集団的自衛権の行使ということになると、それは平時の集団的自衛権の行使になります。平時における集団的自衛権の行使であれば、日本の個別自衛権の行使と同様に十分あり得る話です。これは非常に力の発動が薄いケースや、本格的な交戦に至るケースなど色々あると思いますが、それはあり得る話だと思います。石破さんの発言によれば、それを抑止するために、平時における集団的自衛権の行使を認めよう、ということだと思います。

工藤:現在の北東アジアにおける安全保障上のイシューが尖閣問題だとした場合、例えば、有事の際に海上保安庁がいなければどうなるのだ、など色々な議論があります。ただ、これは日本の国内法で対応をどうするか、という問題であって、憲法や集団的自衛権の問題ではないわけです。しかし、こうした問題も一緒くたになって議論されています。こういった様々な問題はなぜ整理されていないのでしょうか。

秋山:東シナ海、そして尖閣諸島の問題について、今、議論されているのは、まず平時における個別自衛権の発動です。現在は、海上警察である海上保安庁が対応しているわけですが、その能力を越えれば海上警備行動として自衛隊の出動があり得ます。しかし、海上警備行動では対応できないだろう、ということが目に見えているわけです。そうすると、自衛隊の自衛権の発動がないと対応できない。これは憲法上の問題ではありません。ただし、そこに同盟国アメリカも関与してくれば、平時の集団的自衛権の行使という問題が出てくる。それでこんがらがっているように見えるのだと思います。

工藤:今まで集団的自衛権の行使は、朝鮮半島などの有事をベースにしており、アメリカのニーズでもあったと思うのですが、今の日本の集団的自衛権の行使は直接アメリカのニーズを満たすものなのでしょうか。最近、国際会議でワシントンに行き、色々な議論をする機会があったのですが、アメリカに対して、アジアにおける平和的な環境づくりにリーダーシップを発揮してほしいという声がかなり大きくありました。

道下:アメリカは今まで、どちらかというと単独でアジア全体の面倒を見ていたわけですが、やはり単独では難しいから、日本とアメリカが共同のリーダーになって、全体を役割分担して協力しながらやりましょう、という方針に転換したと思います。つまり、日本がよりアジア地域全体の安全保障にコミットすることによってアメリカの負担が減る、という意味での対米協調であって、アメリカの軍事オペレーション、作戦に直接協力するという1990年代の朝鮮半島シナリオにあったものとは違うものであると私は思っています。

工藤:日本人が、平和憲法下で軍事に関する問題をあまり考えなかったために、色々な安全保障上の歪みとなり、色々な問題を放置したまま来てしまった状況の中では、この集団的自衛権の行使容認には非常に意味がある、という神谷さんのおっしゃることは分かります。しかし、このロジックは、積極的平和主義でもそうなのでしょうか。何を目的としているかなかなか分からないところがあります。

神谷:目的はアジアにおいて、今あるようなタイプの国際秩序が守られないと困る、ということだと思います。「今あるようなタイプ」というのは、よく言われるように、自由で、開かれていて、そして、ルールを基盤にする、ということです。ルールを基盤にする、ということは、先日、オバマさんが来日した時に明確に発言していました。強い国が勝手なことをしていては困るではないか、と言っていましたがまさにこれです。強い国もルールを尊重する、といった秩序を守らないといけない。そのために、この前の日米共同声明では、日本の積極的平和主義と、アメリカのアジアへのリバランスという2つが日米同盟の強化に貢献するということを明確に謳ったわけです。それは、先ほど道下さんがおっしゃったことに関わってきます。アメリカはアジアのことを真面目に考える、ふらふらしない。ただ、財政難で全部やることはできませんので、その分は同盟国、あるいは友好国にお願いしないといけない。特に、日本は一番重要な地域の同盟国としての役割を果たしていく。そのキーワードとして積極的平和主義というものがある。さらにその中に、集団的自衛権というものがある、ということだと思います。要するに、同盟というのは結局、お互い様ということがあって、日本にとっては集団的自衛権がなくても何とかなりますが、アメリカ側から見て日米同盟が魅力的な装置であるか否かという点は、日本では見逃されがちです。日本にとって日米同盟は柱ですが、アメリカから見てもアジア政策の柱だということを言い続けてもらわないと、抑止力が持たないわけです。日本のコミットメントが弱いと、日米同盟がどうしてもふらふらして見える。そこが立て直されると、石破さんがおっしゃるように、抑止力の強化になると思いますが、中国は喜びません。中国は、日本が安全保障面でこれまでよりも何か新しい積極的なことを行えば何で、あれ喜ばないのですが、問題は、中国が喜ばないことをしないで、今ある秩序を今あるようなかたちで残していけるか、というと少々疑問だということです。


中国に対しては「抑止」と「対話」の両輪が必要

工藤:もう一つのアンケート結果を紹介します。「あなたは、日本が集団的自衛権の行使を可能とすることが、現在、緊張が高まる北東アジアにどのような影響を及ぼすと思いますか」と質問したところ、意見が分かれました。先ほどからお話に出ている「抑止力」に関連して「抑止力が高まるので、平和的な環境づくりに寄与する」という回答が41.2%でしたが、それよりも多かったのが「近隣国と政府間外交のチャネルが十分機能しておらず、かえって北東アジアの緊張が高まる」という回答で42.7%でした。つまり、抑止のジレンマという状態になって、逆に軍事拡大をしてしまうととらえられているのだと思いますが、いかがでしょうか。

道下:もちろん、そういうリスクはあると思います。したがって、日本が集団的自衛権を行使する、ということを踏まえて、共同の安全保障のための行動を地域の諸国とともにとる。その際にはバランスを考えながら、刺激的な行動を控えることが大事だと思います。最初は東南アジアの国々に対するキャパシティビルディングや共同訓練などを、一つひとつ積み上げていく。例えば、中国がどこかの島を襲ってくるのに対して、日本も一緒になって守る、ということは非常に難しいわけです。いずれにせよそんなに重要性の高い行動はとれないと思います。

 それから、日本はかなり重要な政策変更を行うわけですから、アジアの国々、特に、韓国、中国などは懸念を示してくると思います。ただ、この点について、私は楽観的な見方をしています。なぜかと言うと、今まで日本は「自分が地域の安全と平和に資する国である」ということを説明するときに「何もしないから安心してください」と言っていました。これは非常に危険なことですし、説得力もない。なぜかと言うと、「何もしないから安心してください」というのは、「本当は私は危ない可能性があるけれど、でも、何もしないから大丈夫ですよ」という説明になってしまうからです。その結果、「実は日本は危ない国である可能性がある」という印象を与えてしまっていたわけです。ですから、今後は「きちんと責任のある行動をとる。それによって多少は小さなミスもあるかもしれませんが、地域の安全保障に資する、そして平和と繁栄に資する行動をとっていく」ということをしっかりと証明していく。それが長期的にも日本の国際社会における名声を高め、平和愛好国家としての地位を強めると思いますし、地域の平和と安定にも資することになると思います。

 これは中国の国益にも資することだと思います。というのは、戦前の日本は、今の中国のようにどんどん台頭してアジアを侵略し、最後には太平洋戦争に突入したわけですが、その当時、残念ながらアジアには日本を抑止できる国家がなかったわけです。日本の国内政治が混乱し、政策決定プロセスもおかしくなったときに、誰も止められなかった。中国の最近の行動を見ると、国内にかなり危険な思想を持っている人間がいるのではないか、という懸念があります。これを周辺諸国がきちんと止める力と意思を持っていれば、中国の国内でも「平和的に台頭しよう、平和的に発展したい」と考えている人も多数いるはずですので、「軍事力を背景として台頭していくことはやめよう、平和的な共存共栄を図っていくべきだ」という声が、中国国内でも高まっていくと思いますし、そういったことが理想的な流れだと思います。

工藤:アジアが不安定化する、緊張がさらに高まるのではないか、という懸念の最大の要因は、日本と近隣国との政府間外交がほとんど機能していない、という状況があるからです。機能していない状況で、抑止をベースにしたかたちだけを進めれば、人間関係と同じように緊張が高まるのも当然だと思います。このあたりをどううまくマネージメントしていくべきなのでしょうか。

秋山:率直に言って、アンケートで緊張が高まるのではないか、という回答が多いのは、割と自然なことではないかと思います。やはり、平和や安全保障の秩序維持のためには力が必要だという話の関連で集団的自衛権の行使がありますから、そういう意味で緊張が高まるという回答は間違いではないと思います。

 それから、日本とアメリカの間で、日米防衛ガイドラインがありますが、その中の一つの大きな柱が、要するに役割分担です。先ほどから議論にあるように、アメリカから見た場合に、アジア太平洋地域における平和と安定のために、もっと日本の役割があるのではないか、消極的平和主義ではどうしようもない、積極的平和主義で日米ともに一緒にやろう、ということが背景にあると思います。緊張が高まるという要素もあるかもしれませんが、それによって新しい平和のためのシステムをつくっていこうということなのだと思います。

工藤:そのための外交上の努力が必要ですよね。抑止の前には外交がなければ話になりませんよね。

道下:中国は今、「日本やアメリカ、そして地域の各国が対中抑止力を高めるような行動を取ったら対話はできない」と言っています。ただそれは、抑止されないための牽制行動です。実際は両方やるべきです。つまり、抑止をするけれども対話もする。中国も本当に戦争をしたいと思っているわけではないでしょうし、偶発事故が起こって、それが思いがけない方向に進んでしまうことは中国の平和的発展にも大きなマイナスになります。ですから、地域の国々と協力を深めながら抑止をやっていく一方で、日本では特に言論NPOさんには頑張っていただきたいのですが、中国と対話をやっていくことが必要です。

神谷:勝手なことをさせない。その代わり、勝手なことをしないという前提の下で、力ではなく対話でいこう、という両輪が必要だと思います。

工藤:今日は非常に難しい問題を、一般の視聴者を意識しながら分かりやすく解説していただきました。ただ、このテーマはやはり、もっとやらなければ、と思いましたのでまた議論したいと思います。ということで、皆さん、今日はありがとうございました。

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